日常2
夕暮れ時。
この時間の風景は僕のいた世界となんら違いはない。もうあまり使わない言葉であるが、黄昏、逢魔が刻とも言われる時間帯だけあって、光の加減で道行く人の顔がはっきりしないということもあるのだろう。まるで、あの日を思い出させる。
しかし、僕の隣で機嫌よさそうに、にこにこしている妹を見るとやっぱり異世界転移というものを強く意識する。昔の僕には縁のない存在だった「家族」がいるという景色は、なんていうか……居心地が良かった。
「ん? なにお兄ちゃん、何か用? はっ、まさかお金が無いとかそういう系!? ここまで来てそれはないよぅ。大丈夫だよね? ね?」
「いや、なんでもないよ静夜。大丈夫。ちょっとうちの妹はかわいいなと思ってね」
「へ?」
なにを言われたのかを咄嗟に理解できなかったのか、ぽやっとっした顔で僕の顔を見返してくる静夜の顔がほのかに赤くなった気がする。
「もう、いきなり何言ってんのかなうちのお兄ちゃんは。そんなに褒めたって埋め合わせは軽くなりませんよーっだ。」
べーっと軽く下を出す静夜に、僕は肩をすくめてみせるだけの返事を返す。
それにしても、人間というのは不思議なものだ。前の世界の僕なら――いや、今の世界でもきっと間違いなく、静夜のような美少女とこんな気楽に会話できるとは思えない。なんとか楽しませようと無駄に気ばっかり焦って、結局あっちこっちに話題がびゅんびゅん飛ぶような答えにくい話ばっかりになってしまうだろう。それが、義理とはいえ『妹』というカテゴリーに収めてしまうだけでこんなにも自然に話ができるようになるだなんて、以前の僕には想像もできなかったことだ。
以前の世界に全く心残りが無いかと言えば、それは嘘になる。
小学校中学校の友達、施設の仲間、職員さん達、どうせいつかは独り立ちしていかなければいけない身の上とはいえ、一言『ありがとう、僕は元気にやっています』といっておきたかったものだ。
「ところで静夜、入る部活や何かはもう決まってる?」
さっきから、何故かこちらをちらっちらっと窺っている静夜に話しかける。
こう見えて、静夜はスポーツが得意だ。中学の時はバスケ部でエースだったという話を聞いたことがあるし、僕と一緒に父さんにしごかれていることもあって、護身術の心得もある。順当にいけば、またバスケをやるだろうし、そうでなくても静夜ならどこに入ってもレギュラーくらいにはなれそうだ。
――ちなみに余談だが、緑子を含めた生徒会の面々も夏休みや冬休みを利用して一週間ぐらい、うちの道場で護身術講座を受けている。僕がこの世界に渡ってくる前から緑子は父さんに習っていたらしく、「生徒会たるもの、いつどこで暴漢に襲われても優雅にこれを撃退すべし」という、かなりお嬢様離れした考え方をしており、全員それに付き合わされている形だ。だがまぁ、本格的な部活のように激しくトレーニングするわけではないし、色々とメリットが多いのも事実なので、結構みんな楽しみにしている。
「え? 部活? そうだなぁ、お兄ちゃんに話を聞いてからすごく興味あるのが一つあるから、そこを明日からの新入生体験で見てみようかなぁって思ってるの」
そういって、期待半分悪戯半分といった風に僕に笑いかける静夜。
その顔にじわぁっと嫌な予感が僕の体を包む。もう二年も家族として過ごしているのだ、こんな顔をする静夜は何度も見ているし、そういう時はだいたい僕にとってあまりいい展開にならないのがお約束だ。
「もしかして、なんだけど、それってまさか僕のとこ?」
「ふふふ、せいかーい! さすがお兄ちゃんだね、私のことなんてもうお見通しって感じ! これでも勇気がすっごいいるんだよ? お兄ちゃんと同じところに入るってのは。なにせ、一年にして全国大会優勝の立役者! 絶対的エース! 将来はどのプロチームかって話まで出てる選手の妹として参加しなきゃいけないってプレッシャーにまず打ち勝たなくちゃいけないんだもん。」
うんうんと自分の発言に頷く静夜に対して、僕は渋い顔しかできない。
……何故なら、静夜の言っていることは概ね事実だからだ。
静夜の言っている僕の部活――魔法旗部はこの世界独特のスポーツ部の一つで10人対10人で行われる。
イメージをいうなら、棒倒しやサバゲーなんかを思い浮かべて欲しい。お互いの陣地に一本の150cm程度の旗を建て、その後審判の魔法士が土魔法で迷路を両チームの間をつなげて作り出す。相手の陣地まで辿り着けるルートはいくつも設定されており、迷路作成から五分間は両チームともにディフェンダー5人を選出して、そのルートのうちのいくつかを潰す魔法罠の作成のための時間が取られる。そして全ての準備が整うと、お互いのチーム中のアタッカーと呼ばれるメンバー5人ずつが同時に迷路に突入し、相手より先に敵チームの旗を奪取した方が勝ちというルールだ。また、安全性を高めるために、魔法や打撃による敵チームへの直接攻撃は禁止されているため、ディフェンスにはしばしば複雑な魔法トラップが用いられる。よってアタッカーはこれを迂回するか、解読し解呪するかを瞬時に判断する力と知力、そして相手より早く迷路を駆け抜ける体力と勘の良さを兼ね備えなければ務まらないと言われる。もちろん、ディフェンダーの役割も重要であり、通路を確実に潰すための緻密で複雑な魔法トラップや魔法障壁を短時間にどれだけ的確に設置できるかというところで、チームワークや日々の魔法への研鑽などが試されるという競技になっていて、その演出の派手さから世界選手権も開かれるようなメジャーな競技である。
野球やサッカーに比べればもう一つだが、バスケやバレー程度には一般認知度がある、そんなスポーツである魔法旗になぜ僕が参加する羽目になったかは想像に難くないだろう。
……むろん、緑子のせいだ。
あれは去年の春、今の静夜と同じように部活をどうするか考えていた時だった。
「有人、貴方が今すぐエースになれて全国大会目指せる部活を見つけてきたわ。入部届を出しておいたから、今日から行きなさい」
「……え?」
あのとき僕は電撃作戦というものの怖さを身をもって知ったと言える。
何せ、始まる前から全て終わっていたのだ。その日、僕は授業が終わると同時に緑子に手を引かれ、魔法旗部の午後連に参加。緑子が僕のことをどうやって紹介したのかは知る由もないが、僕が行った瞬間に顧問に
「なるほど、君が柳生有人君か、君のような選手を迎えられて嬉しく思うよ。見ての通り、うちの学校では魔法旗の入部者は多く無くてね、今は2、3年合わせて7人しかいないんだ。1年とはいえ、試合に出ることに気がねする必要はない。ぜひ、君の実力を如何なく発揮してくれ。……さて、早速だが、模擬戦をやってみようか!」
などという、全国クラスの選手を弱小部に迎え入れたかのような熱の籠った挨拶をされたかと思ったら、怪我防止用の厚手の魔法ローブを着させられそのまま魔法旗の模擬戦が始まった。
そこからは、なんというか……真面目に魔法旗に取り組んでいる人には非常に申し訳ない展開になってしまったと言える。例によって僕には魔法効果は何の影響もない。そのため魔法のトラップや障壁など何の意味もなく、いや、そもそも前提としてある土魔法の迷路すら僕には認識できないため、開始線からまっすぐ旗に向かって進み旗を引っこ抜くだけの作業だった。
あるはずの土壁を貫通して進むというのは反則な気がするが、まずそんなことができるという前例が無く、それに数回は可能だったとしてもいわゆるMPの問題から迷路を全て貫通する行為は不可能だとされていたため、僕のプレースタイルは何のお咎めも受けることなく、気が付けば全国大会で優勝していた。
もちろん、さすがに良心が咎めて部を辞めようとしたこともあったが、静夜の「やっぱりお兄ちゃんはすごいな」というキラキラした視線や、ちゃっかりマネージャーに落ち着いていた緑子の「ふふん、どうウチのエースの実力は?」みたいなご機嫌オーラを裏切れる僕では無かった。
……それに白状すると、僕自身全国区で活躍する楽しみというものは当然あり、まぁ、その話はいいか。
「ふふっふ、お兄ちゃん、明日から私たちはレギュラーの座を奪い合うライバル同士だね……手加減はしないよ……」
不敵な笑みを浮かべて僕にかわいらしく宣戦布告をしてくる静夜。
三年生の先輩が抜けた今、部員数は6人だ。僕たちが全国区のヒーローになった要因の一つが部員数もギリギリな弱小校が勝ち進んでいくという点だったこともある。きっと今年も人数ギリギリの部員数でやっていくのだろうから、レギュラー争いなどあってないようなものだ。トラブルはいつだってあるし、去年だって全選手が万遍なく大会に参加した。僕が出れなかった試合だって当然ある。しかし、ここでそういう返事など静夜は求めていないだろう。
「挑まれたら僕だって負けるつもりはないさ、でもそれとは別に、静夜が入ってくれるなら嬉しいし頼もしいよ」
「……もう、お兄ちゃんはこういうところがずるいんだよなぁ。もし私が妹じゃなかったら絶対アレだよもぅ。完全にパターン入っちゃってるよ。はぁ、うん。切り替え切り替え、こういう雰囲気って良くないもんね!」
「雰囲気?」
「いいの! お兄ちゃんは気にしなくて! 私はすごいお兄ちゃんの妹としてすごい頑張らなきゃいけないっていう話!」
「ならいいけど……」
「全くもう! お兄ちゃんはもう!」
ほんとにもう、わかってないんだからもう、とか良くわからないことをぶつぶつ呟きながら、僕の腕を取ってぐいぐい引っ張ってくる静夜。
「ちょっと、なんでいきなりそんなに急いでるのさ、早いって」
「これでいいの! ほら、早く行かないと限定商品売り切れちゃうかもしれないでしょ!」
「限定品なんて、この時間ならもう売り切れてると思うんだけど……」
「なんでもいいの! 早くいくのー!」
「……はいはい」
いつしか空は夕ぐれを過ぎ、暗くなり始めていた。
顔にあたる風はまだまだ冷えるけど、繋いだ手と静夜のぬくもりを感じて、僕は足を速める。そんなかわいい、僕の初めての妹のために、ちょっと奮発してそこそこ高いやつでも買ってあげようと、そんなことを思った。