プロローグ
よろしくお願いいたします。
――日は、ワールドカップ初戦!! 代表選手にはぜひ頑張ってほしいですね! では次のニュースです――
ころころと表情豊かに話すキャスターさんをTVでぼんやりと見ながら、僕はもそもそと朝ごはんのバタートーストを食べる。
目玉焼きと簡単なサラダ、オレンジジュースまでついた朝食をゆっくりと一人で食べるなんて一昨年までは考えられなかったことだ。
……もっとも、自分のことにはあまり頓着しない僕のことだ、同居人たる静夜がこうして僕の分の朝ごはんを用意しておいてくれなかったら、良くてシリアル。悪くすればミネラルウォーターだけで昼まで過ごしてる毎日が目に浮かぶ。
全くありがたいことです。
一足先に学校に向かった一つ下の愛すべき妹に心の中でぺこりと頭を下げる。
テーブルの上に残されている「もう!! 今日は私の入学式だって言うのに何時まで寝てるの!! 一緒に行くって約束したじゃん!! 後で埋め合わせしてよね!!」
というかわいい字の書き置きは、そっと買い置きの食パンの下に忍ばせる。
――大丈夫。僕は何も見ていない。見ていないが、今日は帰り道に駅前のケーキ屋さんでプリンでも買って帰ってこよう。うん。
TVでユニークな目覚まし時計が声高に「午前八時一五分」と時刻を告げる。
ギリギリだが、今日は遅刻せずに済みそうだ。
●●●
四月の風はまだ肌寒いながらも、どこか温かい。きっとそこかしこに見えるピンク色の木々のおかげだろう。それは幸いなことに世界が違ってもそうだった。
異世界転移と聞くと、剣と魔法、ロマン渦巻くファンタジーワールドを期待する。かくいう僕もその一人だった。ところが中学三年生の冬、僕が体験したそれはあまり派手ではなく、例えるなら隣の町に引っ越してきたような違いしか僕には感じ取れなかった。
いつもの見慣れた街とはちょっと違う、それでも同じ日本だと思うとあまりドキドキとはしない。それが僕の転移だったのだ。
とはいえ、帰るところがないっていうのは心細い。というより現代日本でそんな事になれば浮浪者一直線である。もともと施設暮らしで郷愁なんてものはほとんど無いけれど、ホームレスになる覚悟は無い。
ほんと、優介さんには頭があがらないね。
あの日、行き場のない僕をそうすのるのが当たり前であると引き取ってくれた、僕と静夜の父さんの顔を思い出しながら通学路を歩く。
携帯を見れば、時刻は八時二六分。
目の前に見えてきた校門との距離を考えれば、今日は生徒指導の先生に迷惑をかけることは無さそうだ……っと、なんだ? 校門前に人がたまってる?
遅刻になるまであまり時間的な余裕はないのに何をやってるんだ?
興味を引かれて僕もその中に混じって見れば、校門前で言い争っている男女がいる。
容姿はどちらも良い。美男美女と形容して問題ないだろう。
「だから、俺が先に入るって言ってんだろうが千里! お前の後塵を拝すなんて俺が俺を許せないんだよ!」
「ふん、貴様のような電化製品ごときに遅れをとったとなれば私というより、人としての名折れ。おとなしく道を開けろ」
「てめぇ……言ってはならねぇことをいいやがったな……」
「ふっ、愛称で呼んだだけで何を怒っているのだ? 蓮司。田柴蓮司君。ははは、電子レンジの異名通り「チンっ」ときてしまったかな?」
「はっ、鍋料理の分際で調子乗りやがって、その口の悪さでお里が知れるってもんだぜ!」
「アイスアロー!」
「ファイヤーボール!」
鏡合わせのように二人が同じタイミングで正反対のポーズと共にそう叫ぶ。どうやら同時に攻撃呪文を唱えたが、完全に互角という感じなのだろう。
「おいおいどうした魚類、不意打ちの割には大したことない威力じゃねーか」
「ふっ、入学式早々ぽんこつな電化製品をスクラップにしたとあっては体面もよくないからな、加減してやったのさ」
「フレイムランス!」
「アイシクルエッジ!」
「「ぐぬぬぬぬ」」
なるほど、なぜみんなが校門前で足止めされてたか訳が分かった。
これだけ見事に夫婦漫才を見せられれば、誰しもあの間に入っていきたいとは思わないだろう。僕だって時間が許すならもう少し見ていたい。しかしながら、もうあと二分以内に校舎内に入っておかなければ反省文を書かなければいけない状況がそれを許してくれない。
何度目かの言い争いのあと、「「決闘だっ!」」といって、校門の左右までバッと距離を取る二人。
これはチャンス。
二人が距離をとってぶつぶつと何かを呟き続けている間に校門を抜けてしまおうと、歩き出した僕が、ちょうど二人の真ん中に辿り付いたとき。
「焼き尽くせ炎神の腕よ。バーニングブレイズ!」
「氷結の眠りの中へ。コキュートス!」
左右から、大声での詠唱が聞こえた。
――キャー!!
――あぶないっ!!
と、そんなことをギャラリーの皆が叫ぶ中――
――僕は何をするでもなく、ただ普通に校門を抜けて校舎に向かっていった。
●●●
ギャラリーモブ男視点。
はぁ。
今日、何度目かもわからない目のため息をつく。
今日は新入生の入学式だが、今年の入学生のなかに「あの」田柴蓮司と鉄ヶ岡千里がいるのだ。中学生時代から、その類稀な魔力と才能を武器に喧嘩を売ってきた相手は片っ端から病院送りにしてきたという噂がついて回る問題児。特にその名前について馬鹿にした相手には全く容赦しないという。
年上とはいえ、僕のような並みの魔力持ちが目をつけられてはたまらない。ここは、あの二人が登校する前に学校の中に入ってしまうしかないと、いつもより二時間も早く家を出たのに、なんでこんな事になっているのだろう。
普段なら朝練の生徒しかいないであろう午前七時だというのに、件の田柴と鉄ヶ岡は早くも校門前でにらみあっていた。
同じように校門前で途方に暮れていたモブ実ちゃんに話かけると、どうやら、昨日の夜からどちらが先に記念すべき高校時代の第一歩を踏み出すかで競い合っているらしい。
なんてアホな……とは思っても口に出してはいけない。これは僕の幸せな高校生活のための譲れない戦いなのだ。
そのまま僕たちが、先の見えない絶望的な戦いに身を投じていると、七時四十五分に女神が舞い降りた。
2年1組、生徒会長の神崎緑子さんだ。
いつものように完璧に決まってる、マニア受けを狙ったかのようなツイン縦ロールの黒髪を揺らしながら、校門に近づいていく。そうして、
「朝から邪魔ですわよ。誰だか知りませんが皆さんが迷惑していますわ。お退きなさい」
言うが早いか至近距離でにらみ合っていた二人の頭をがしっと掴み、そのまま思いきりぶつけた。
ガンッという音もそこそこに、顔を真っ赤にし距離をとる二人。
「な、ななな、何しやがんだてめぇ!」
「……キ、キス? 今のが私の……?」
おおぉ、さすが会長…すげぇ。
そうして、明らかに狼狽する二人を尻目に緑子会長をは振り返ることなく、
「私は2年1組の神崎緑子。文句があるなら放課後に生徒会室にでもきなさいな新入生。それと皆さん? サーカスを見るのはご自由ですけど遅刻はなさらないでね?」
と言い残し、スタスタと歩いて行ってしまった。
その言葉に、今さらながらにギャラリーに気付いた二人が顔を真っ赤にしたまま、
「み、見てんじゃねーよ。早く行けよ」
と道を開ける。
目を合わさないように足早に校門を抜けていくモブ実ちゃん達ギャラリー数人。そしてなぜかその場に残る僕を含めたギャラリー数十人。その彼ら全員がもはや生温かい目で、二人を眺めていたのは言うまでもない。
そうしていると、さっきのは事故だ忘れよう。うむ。みたいなやりとりがあった後、そもそもお前がぼけっとしてるのが悪い。いや、貴様がと言い争いを再開する二人。
夫婦喧嘩は犬も喰わないというが、美男美女の言い争いは絵になる。おまけに感情が高ぶると、田柴の体から立ち上る火系の魔力が鉄ヶ岡の氷系オーラと混ざり合い、太陽光を柔く反射してなんか綺麗な色が時間とともに形を変える。
なるほど、会長がサーカスと評したのも納得だ。
また30分ほど経った頃、また天使が舞い降りた。
一年生色のスカーフから新入生だとわかる小柄な女の子が、ギャラリーの後ろから背伸びして二人を見ようとしているかと思ったら、そのままテテテと効果音の付きそうな足運びで近づいていき、
「もぅ! また喧嘩してる。仲良くしなきゃだめじゃない!」
と、夫婦喧嘩を止めに入った。
ざわりっとギャラリーに緊張が走る。
会長みたいな人間でもない限り、あの二人に関わるのは危険である。ましてや、あんなに可憐な子がもし彼らの争いに巻き込まれたら怪我で済むかどうかもわからない。
ところがそんな僕たちの心配と裏腹に、
「げ、静夜……。いや、誤解だ。今は喧嘩なんてしてねーよ。なぁ、千里」
「え、えぇ、私も蓮司もう高校生だもの、そんなことはもう卒業したのよ」
「……本当? じゃあ、なんでみんながこんなに学校の前で集まってるの?」
「そ、それはだな。久しぶりに千里に会ったもんだから、懐かしくなっちゃってちょっと昔話をしてて、なぁ」
「そうね。えぇ、中学の卒業式以来だから、春休みの間なにしてたかって、そんな話を少々……ほんとよ?」
「ほんとかなー?」
小柄なその子にジト目で睨まれた二人はタジタジである。
おおぉ、彼女は何者だ……?
ギャラリーに二度目の衝撃が走った。
傍若無人を地で行くような評判の田柴と鉄ヶ岡にああまで対等に付き合える存在がいるとは……未だ無名ながら、彼女がこの学園で有名になるだろう未来が容易に想像できた。
「もう、高校生初日から喧嘩なんてしないでよね。じゃあ私は職員室に用事があるから先にいくね。後でまた会いましょう」
「あぁ、もうちょっとこいつと話したら俺もすぐ行くよ静夜」
「えぇ、すぐに行くわ。またあとでね」
そして小さな天使がタタタっと走り去っていったあと、校門前は再び虹色の光溢れる戦場になっていた。
ギャラリーの人数はもはや全校生徒の半分はいそうであり、あの新入生のどっちが先に校門に入るかの賭け事もそこかしこで行われているような有様である。
そうして、閉門のチャイムが迫る中、二人の鍔迫り合いもついに佳境を迎える。
「アイスアロー!」
「ファイアボール!」
ついに魔法を使っての喧嘩が始まった。
魔法。
この世界に生きる人々には科学技術と同じくらい身近な力。とはいっても、学校で習うようなものではない。生まれもっての才能に大きく左右されるそれは、言うなれば速く走ったり高く飛んだりするのと変わらない。だから、より効果的に運用する技術はあると言えばあるが、そういうのを学びたければ専門学校にいく他ない。そして、現代日本では大規模な魔法を使う必要が全くないために、プロ魔法スポーツの分野に進まない限り、学生時代の部活動以外で魔法を使うことはまずない。
しかし、単純な殺傷能力という意味では危険であることに変わりない。特に安全と言われる日本では、致死レベルの魔法が発動しないように魔力場が調整されているが、大怪我レベルの魔法は普通に発動する。
最も、その分魔法と科学の融合した医療技術は近年ますます発達し、魔法による死亡事故は日本ではここ30年ゼロ行進を続けている。更に、魔法による重大な治安低下を招くような者にはさまざまなペナルティが課せられることもあって、街中で魔法の発現を見ることはあまりない。
そんな魔法が目の前で豪快に飛び交っている。
田柴蓮司も鉄ヶ岡千里も噂通りの魔法能力らしく、僕にはできないような構築速度、威力、規模で魔法を扱い、そしてギャラリーには火の子一つ、氷一かけら飛んでこない。
そんな二人の戦いに湧き上がるギャラリー。
そうして二人が中級規模の魔法を放つための詠唱に入る。
大規模呪文は日本の通常空間では発動しないため、野良試合で見られる中では最大規模の魔法だ。フィナーレの気配に誰もが息を飲み、緊張が走る。
その空間に、突然ふらりと一人の男子生徒が乱入した。
――何考えてるんだ!?
――危ない! 逃げろ!
そんな言葉が周りからかけられるが、彼はそんな言葉がまるで聞こえていないかのように、歩を進め、田柴と鉄ヶ岡のちょうど中間にたどり着いたとき、彼らの詠唱が完成した。
……最悪のタイミングだ。
田柴も鉄ヶ岡もまさか詠唱の途中に射線上に乱入してくる馬鹿がいるとは思って無かったに違いない、二人ともひきつったような顔をしながらなんとか呪文の方向をずらそうとするが、あの規模では直撃は免れない。
閃光。そして魔力同士の直撃による衝撃が一瞬遅れで僕たちの間を奔る。
死
という単語がこの時全員の頭に浮かんだに違いない。
ところが、件の男子生徒はあまりにも平然と、その制服に煤の一つも付けず髪の一房すら揺らさず、歩いて校門を通って行った。
あまりの光景に僕がはっと正気に戻ったのは閉門のチャイムの音と、ガラガラという効果音と共に錠の降ろされる魔法門が閉まった後だった。
この日、石英高校の入学式は、全校生徒の実に三分の二が遅刻したことにより、30分繰り下げられて行われることになったという。