彼を落として世界を救え!
突発的に思いついたお話です。少しファンタジー要素入ります。
「朝だよ愛。起きないと愛の朝御飯も食べちゃうからね?」
知らんぷりを決め込もうとした寝惚けた頭はお兄ちゃんの一言で一気に覚醒した。
勢いよく起き上がると綺麗な真っ黒の瞳と目があう。
「突然起き上がると体に悪いよ。心配しなくても愛の嫌がることはしないからゆっくり下に降りてきてね」
お兄ちゃんはその端正な顔に綺麗な笑顔を浮かべて先に階段を下っていった。
相変わらず優しいままなお兄ちゃんに安心する。昨夜私を義理の妹と知っても、私に対する態度は全く変わらなかった。
無視される訳でも腫れ物に触れるように優しくなる訳でもなくて、そんな心まで出来たお兄ちゃんが私は大好きだ。
お兄ちゃんに言われたようにゆっくり着替えリビングに向かう。扉を開けると美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
「お兄ちゃんおはよう」
「おはよう。今日は愛の好きな枝豆入りの卵焼きだよ」
私達には両親がいない。正確には両親は海外に仕事の関係で行ったきり戻ってこないだけだけど。
ふと視線を向けたテレビでは最近よく見るニュースがやっている。
「またこのニュースだね。いきなり空に穴が開くとか、まだ全然現実味がわかないや」
苦笑して目の前に座るお兄ちゃんに話しかけるけど、お兄ちゃんは箸を止めたまま動かない。
不思議に思ってお兄ちゃん?と問いかけるとようやく顔をこちらに向けてくれた。
「そうだね。……この区まで来ないでくれることを祈らないと」
うんと頷くと再び沈黙が訪れる。なんだか少し変な気もしたけど、お兄ちゃんにも色々あるのかもしれないと気にしないことにした。
今日もいつも通り学校が終わる。途中で友達と別れて一人歩いていると急に雨が降ってきた。
「うわ、最悪だー……って」
何あれ、そう呟いたはずの言葉は雷のような大きな音で欠き消された。
目の前に広がるのは不思議な光景。大きな大きな穴が私達を飲み込むように開いている。
テレビで見た現実味のない光景が目の前に広がることで、急速に現実味を帯びていく。このまま死ぬのかな、そう思い始めた時ふいに携帯が鳴った。
「……お兄ちゃん、助けて」
「やっぱり見ちゃったんだ。今外だよね?迎えにいくから家で待っていて」
そう言うと電話は切れてしまった。電子音が聞こえる携帯は少し頼りなくて、私は帰路を走った。
家について着替え終わるとタイミングよくお兄ちゃんが迎えに来た。お兄ちゃんは相変わらず笑顔で何故だか無性にほっとする。
「乗って」
「ねぇ、どこに行くの?」
ゆっくり車が発進し出すとお兄ちゃんは珍しく厳しい顔で、災厄の始まりの場所と言った。
それ以上は聞いてはいけない気がして私は口を閉じる。災厄の始まりとはどういう意味なのか、そればかりが頭を巡った。
家から数十分のところにそれはあった。研究所らしいそこは対虚無研究所というらしい。
お兄ちゃんについていくと最奥の扉の前で漸く立ち止まった。手を引かれ中に入ると、よくドラマなんかで見かけるドーナツ型の大きな机を囲むように数人の大人が座っていた。
視線が自分達に集まるのも意に介さずに、お兄ちゃんは1つだけ開いていた奥の席に座った。
「紹介しよう、私の義理の妹である愛だ」
お兄ちゃんがそう言えば同時に立ち上がる大人達。そして頭まで下げられてしまえばいよいよ頭が混乱してくる。
どうしたらいいのか分からずに戸惑っていると矢継ぎ早にかかる声。
「我々をお救い下さい!」
「どうかお力を我々目にお貸し下さい!」
「何卒世界をお助け下さい!」
皆言っていることは似たり寄ったりで、要約すれば世界を救う為に私に力を貸して欲しいと。……いやいや、無理無理無理無理!
「世界を救うって私にそんな力はありません!何処にでもいるありふれた…」
「それは違うよ。愛には他にはない才能があるんだ」
私の言葉を遮って被せてきたお兄ちゃんは信じられないことを言う。無言でお兄ちゃんを見つめているといつもとは違う独特な雰囲気に呑まれそうになった。
「僕達は災厄の始まりを、その力の大きさとこの世に存在する全てのものを認めないことから虚無と呼んでいる。そして愛、君の才能は虚無の心に入り込むことだよ」
「そんなこと急に言われてもっ……」
今にも泣き出しそうな私を察したのか頭を優しく撫でてくれるお兄ちゃん。
「僕も辛いんだ。愛は僕にとって大切な……妹だから。それでも世界を救うにはこの方法しかないんだ、頼まれてくれないかな?」
絞り出すような声に思わずハッとする。辛いのは私だけじゃない、そう思わされた。
今までお兄ちゃんからは貰ってばかりで私は何もあげられていない。なら丁度いいじゃないかと自分に言い聞かせて私は大きく頷いた。
「わかった。私が世界を救うよ」
決まってみれば後は情報を叩き込まれるだけ。難しい言葉が多くてよく分からなかったけど、虚無が人の形をしていることは分かって安心する。
今までに虚無が出現したのは3回のみ。それも不定期だから次いつ来るのかは分からない。
「大丈夫。何があっても愛は僕が守るから」
その言葉のお陰で幾分か気持ちが軽くなった気がする。ありがとう、お兄ちゃん。
あれから早くも1カ月が経つけれど特に変わったことはない。被害がないことはいいことだし、あれはやっぱり夢だったのかもなんて都合のいいことを考える。
私は今日も今日とて学校で1日の大半を過ごした。あの日空に大きな穴が開いたことは学校を賑わせたが、それも既に昔のことだ。
「虚無さんやーい、来るなら早く来てくださーい」
空き缶を蹴りながら人がいないのをいいことに愚痴を溢す。宙高く空き缶が舞うのを目で追うとその先にはぽっかり大きな穴が開いた空。
これは虚無が来るのではという期待半分、被害がでるから来ないでくれという不安半分に私は空を見つめた。
空に浮かぶ雲という雲が大きな穴に吸い寄せられる。とぐろをまいた雲の中に存在する穴はとても歪なものに感じられた。
確か雨が降るときは虚無は出てこない、そしてこの状態の時は……
そこまで考えた時、鼓膜が破れそうな程大きな音が間近でした。これは、虚無が現れた合図だ。
「只今虚無が現れました。皆さまは建物に入り絶対に外を見たり出ないで下さい」
町中に警報が響きアナウンスが聞こえる。でも私は逃げない。だって、私にはやるべきことがあるから。
タイミングよく鳴った携帯は案の定お兄ちゃんで、私は電話口から聞こえる声に従った。
目にした光景はとても悲惨で、昨日まで確かにあった公園が消えていた。それは存在を否定されたのだ。
「なるほど、だから虚無なんだ」
思わず一人呟く。
砂煙を上げる元々は公園だったものの周りには沢山の武装した人。この人達が私をサポートしてくれる人達。
彼等が武器を向ける先には恐らく一人の男の人。背中を向けているから顔は伺えないが、とても神秘的な雰囲気を醸し出している。
光に反射する銀髪は美しく、程よくついている筋肉も彫刻のようだ。なによりこの砂煙の中心に立っていて尚存在を示し、埃一つついていないのが彼を神秘的にみせる。
ゆっくりと一歩ずつ彼に近づく。本当は恐い、今すぐ帰りたくて仕方がない。けど私が世界を救うとお兄ちゃんに約束したから私は歩み続ける。
じゃり、4歩目を踏み終えたところでようやく彼がこちらを向く。
「…何だ?」
深い紅の瞳に射ぬかれ、鼓膜に響くようなテノールで喋りかけられた私は声など出せるわけもなかった。
なんなのだろう、この人は。虚無と呼ばれる人は本当に人間離れしている。
でも、なんでだろう。こんなにも綺麗な人なのに少し寂しく感じるのは。虚無という名前のせいなのかな……そっか、虚無って何ももっていない寂しいさまって意もあるんだっけ。
「可哀想な人だったんだ」
「…お前は俺の何を知っている?」
いつの間にか至近距離にいた彼は私を不思議そうに見ている。不思議なのは私の方なのにと思わず笑ってしまう。
あれ?私、笑えてる。目の前の彼が全く恐くない。むしろ、居心地がよくすら感じてしまう。
「不思議。ずっと前から知っているみたい」
「お前が俺をか?」
「うん。そうだ!友達になろうよ」
そう言えば彼は首を傾げた。もしかして友達が分からないのかもと両手を広げて説明する。
「友達はね、辛いことや寂しいことは半分こして、楽しいことや嬉しいことは足しちゃう、そんな特別な存在だよ!」
にへへと笑う私はきっと満面の笑みだろう。彼はそんな私を見て目を細めると、少しだけど笑ってくれた。それが堪らなく嬉しい。
「…今、きっと嬉しいんだと思う。こんな感情初めてだ」
「私はね、今の言葉も含めてぜーんぶ嬉しかった。これも全部足し算効果だね」
いつか虚無と呼ばれる彼が、絶えず笑う人になりますように