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七夕の出逢い  作者: 葉野りるは
Side 真白
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05話 噂

 私と涼さんは頻繁に会っていたわけではない。けれど二週間以上会わないということはなく、一、二週間に一度は涼さんのお時間をいただいてお会いしていた。

 契約でお付き合いしているこれをデートと言っていいのかはわからない。でも私は、毎回とてもドキドキしていたの。

 涼さんはどんな装いをしていても、どこへ行っても必ず人目を引くから。こんなにすてきな人の隣に私が並んで歩いていいものか――と不安で仕方がなかった。

「その後も縁談は尽きないようですね?」

 涼さんの行きつけのレストランで食事をしているときにたずねられた。

「はい。……ですが、件数的にはかなり減りました。今はお断りする口実がありますので、二度も三度もお会いしてお断りするようなことはありません。本当にありがとうございます」

 お付き合いしてる人がいるからといって、お見合いの話が全くこなくなるかというと、そんなことはなかった。逆に、申し込まれる件数は増えてしまった。けれど、お話がきた時点で「お付き合いしている方がおります」と、お会いすることなく事前に断ることができるようになった。

 つまり、会ってお見合いする件数は減ったことになる。どうしても、と仰る方とのみお会いしていたけれど、たいていはその一度きりで済むようになった。

「断る口実」は、私にとってとても心強い味方だった。

「のちに噂で知りましたが『宮の姫』はほかの藤宮とは扱いが違うのだとか?」

「えぇ……」

「宮の姫」――それは、現在の私と紅子のことを指す。

 藤宮には宮家、守家、原家、田家とあり、それぞれが仕事に関する漢字一字を苗字に組み込まれている。守家は警備、原家は病院、田家は不動産。

 宮家はそれの総元締めといったところだろうか……。ゆえに、会長は宮家からしか輩出されない。そして、宮家生まれの女の子は、他家からは「宮の姫」扱いをされる。

 妹の紅子は幼いながらに天真爛漫な性格から、一族の男性に見初められることも少なくない。今も、何件もの見合い話が来ているという。

 これはとても稀なケースで、「宮の姫」とはいえど、基本的には十八歳を超えなければ縁談はこないはずなのだ。けれど、今年の藤の会で紅子が「舞」を見せてからというものの、その手の話が尽きないそう。

 去年までは、私が舞い手だった。私は、人前で何かをするというのには向いていない。

 紅子が、「今年は私が舞いたい!」と言い出してくれたとき、心底胸を撫で下ろした。

 妹は人前に出ることを何とも思わない性質で、茶道や華道よりも日舞など身体を動かすもののほうが向いている。一方、私はお茶を点てお客様をおもてなしすることや、お花をいけて目で楽しむ。そういうもののほうが好きなのだ。

「……ろさん。……真白さん?」

「え? あ……すみません。少し考え事を……」

「えぇ、そのようですね。ところで、どうしましょうか」

「……何がでしょう?」

「近ごろ、病院では私と真白さんの結婚話で持ちきりなのですが……」

「えっ!?」

「私自身、何を話してきたつもりはございませんが、少々噂のひとり歩きが横行しているようです。今ではその話を知らない者はいないでしょう。目論見どおりといえば目論見どおりなのですが――」

 目論見どおりではあるものの、噂の規模が問題なのらしい。

「涼さんにご迷惑はかかっていませんか!?」

「今のところ、とくに迷惑を被るようなことはありません」

 でもそれは、「今は」であって、「今後」がどうなるかはわからない。

「あのっ、すぐにこんなお話はお芝居だったとお伝えくださいっ」

「……あなたはそれでいいのですか?」

 いいも悪いもない。ただでさえプライベートな貴重な時間をいただいている。これ以上この方に――涼さんに迷惑をかけるわけにはいかない。

「とにかく、すでに検査予約は入れてあります。来週、胃カメラで胃の状態を確認しましょう」

「はい」

「だが……だいぶ食事も摂れるようになってきて安心しました」

「えぇ、……とてもおいしくいただいております」

 今日はイタリアンのレストランに来ていた。涼さんがチョイスしてくださるものはあまり脂っこいものではないし、何よりも人と食べるご飯がこんなにもおいしいものとは思いもしなかった。

 偽装とはいえ、涼さんとこうして会ってご飯を食べるということは、私の中ではとても楽しみなことになっていた。

 なんの彩りもなかった生活に変化があった。

 この二ヶ月ちょっとの間、偽装だったとしても、私にとってはとても大切な時間だった。

 頻繁に電話でお話をしていたわけではないし、電話内容の大半がいつ会うのか日時を決めるためのもの。いつも自宅まで迎えに来てくださるから、時間と行き先を決めるくらい。

 行き先も、私が困らないように常にいくつかの選択肢を用意してくださっていた。私はその中から選択すればいいだけで……。

 本当にそれだけのやり取りだった。まるで、事務処理の一環のような会話。それでも、私にとっては宝物のような時間で――

 目の前で涼しい顔をしてパスタを食べている涼さんは、きっとそんなことを知りはしない。




 夜、浴衣を着てお庭の池の周りを歩いていると、縁側から兄に呼ばれた。

「お兄様……どうかなさったのですか?」

「どうかしたのかって、それはこっちのセリフだっ」

「……意味がわかりません」

「そっちに行くからちょっと待ってろ」

 温厚な兄が珍しく険しい顔をしていた。

「何かあったのかしら……」

 数分もするとお兄様はカラコロと下駄の音をさせながらやってきた。

「人払いはしてある。正直に言え」

 ますますもって意味がわからない。

「おまえ、芹沢先生とうまくいってないのか?」

「っ!? ……それは」

「どうなんだ」

 今、病院ではどのような噂が流れてるのだろう。

 不安に駆られつつ、兄の次の言葉を待つ。

「院内では婚約の話が広まったかと思ったら、今度は婚約解消の噂で持ちきりだ。……そもそも、まだ婚約すらしていないわけだから、婚約破棄も何もないわけだが……」

 私は言葉に詰まる。

「涼さん……、涼さんはなんて?」

「まだ何も決まっていないというのに噂ばかりが先行する、とそれだけを口にしたよ」

 どっちとも取れない。もしくは、どっちとも取れる。

 ただ、根も葉もない噂に困っていると言ってるようにも、噂が真実だとも――

「彼は誠実な男だし、将来も有望だ。何よりも、真白のことを考えて行動してくれてるんじゃないか?」

 なんて答えたらいいのかしら……。

 誠実な方であることは知っているつもり。

 こんな話、誰にも相談できない――

 人を欺いた自分に、すべての報いが返ってきている気がした。


 広いお屋敷はこういうときにとても便利なのだと知る。

 父や母に会わないように、兄や妹に会わないように――努力すればなんとかなってしまうだけの広さはある。それでも、呼び出されたら行かないわけにはゆかない。

「今日も一日が無事に過ぎたわ……」

 両親からの呼び出しもなければ、兄にも会わない。妹の紅子とは何度か会ったけど、とくに困ることは何も訊かれなかった。

 逆に、困り果てた私が紅子に訊いてしまったくらい――

 学校から帰宅した紅子に、

「ねぇ、茶室でお茶にしない?」

 母屋とは別棟の茶室に誘った。

「紅子の好きな有田屋の和三盆買ってきたのよ」

 妹は目をキラキラと輝かせ、

「わぁ、嬉しいっ! 制服を着替えたらすぐに行くわっ」

 パタパタとスリッパの音をさせながら廊下を駆けていった。


 息を切らしてきた妹にお茶を差し出す。

「お姉様のお茶だけは夏でも飲みたくなるわ」

 嬉しそうに笑ってはお碗を手にする。

 私は戸惑いつつも妹に問いかける。

「ねぇ、紅子……」

「なぁに?」

「――もし、もし好きになる予定ではなかった人を好きになってしまったら……紅子はどうする?」

「え?」という顔をしてから数秒だったと思う。

「私は、誰かを好きになる予定で人を好きになるつもりはありません」

 お行儀良く座った妹に、それはそれは屈託のない笑顔で言われた。

『誰かを好きになる予定で人を好きになるつもりはない』。

 その言葉は、私の胸にストンと落ちた。あるべきところにものが収まるような感覚。

「――ふふっ。そうよね?」

 気づけば笑みが零れる。

「お姉様、変よ?」

「ごめんなさい。紅子に訊いて良かったわ。私、どうでもいいことを悩んでいたみたい」

「……紅子、少しはお役に立てたかしら?」

 不思議そうに首を傾げる妹に和三盆を差し出す。妹は嬉しそうににこりと笑い、淡い色をした和三盆をつまみ口に入れた。

「やっぱりここのが一番美味しいっ!」

 私にも、この子のような無邪気さや素直さがあればいいのに……。

 そう思いながら、紅子の表情や仕草のひとつひとつを見ていた。

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