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七夕の出逢い  作者: 葉野りるは
Side 涼
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04話 戸惑い

 彼女との連絡は、デートの日取りを決めるためだけのものだった。

「外」を知らないお嬢様は、「どこへ行きたい」という願望がない。

 それを知ったのは会長宅で挨拶を済ませた日のこと。

 車に乗り「どこか行きたい場所はないか」とたずねても、一向に返事が返ってこなかった。

 少し待って返って来た言葉は「すみません」。

 非常に困っているような顔で、

「どこへ出かけたい、出かけよう。そう思ったことがなくて……」

 と言う。

 普段からあまり藤山を出ることがない、と言われたときには一瞬耳を疑ったが、彼女が嘘をついているようには見えなかった。

 何不自由なく暮らしているお嬢様は欲が少ないのだろうか。

 それとも、与えられるものが多すぎて、ほかに関心を示すことがないのだろうか。

 色々と考えをめぐらせたが、そのどれもが違うことにはあとで知ることになる。

「行きたいところがとくにない」と言われた俺は、相手の趣味趣向もわからない状況下で行き先を決めなくてはいけない事態に陥った。

 だが、あれこれ考えるのは面倒くさく、必要最低限のことを考える。

 まず、彼女の興味が俺ではないほかへと向く場所であること。次いで、とくに会話をする必要がない、もしくは会話をすることが憚られる場所なら申し分ない。

 親しくもない人間と、他愛もない会話をすることほど苦痛なものはないからだ。

 俺がはじき出した答えは「美術館」だった。

 彼女に行き先を告げると、目をパッと輝かせ喜ぶ。

「絵がお好きなのですか?」

「とくに詳しいわけではありません。ですが、人が創造したものや、美しいものを見るのは好きです」

 なんとも明快な答えだ。

 今後のこともある。少しは彼女の好むものを訊いておいたほうがいいかもしれない……。

 俺は美術館に着くまでの時間を、彼女の食の好みや好きなものを訊き出すことに費やした。


 美術館に着くと周りを見回し、

「とても静かなところですね」

 ごく当たり前のことを口にしては、嬉しそうに笑みを浮かべる。

「普通、美術館とはそういうものかと思いますが?」

 彼女は少し困った顔をして答えた。

「以前こちらの美術館に伺ったときは、この場がパーティー会場になっていたんです。BGMにクラシックが流れていましたけど、その音が聞こえるか聞こえないか……というほどににぎわっていました。ゆっくりと絵を鑑賞したくても、次から次へと人に話しかけられて、十分に鑑賞することはできなくて……」

 実に珍妙な生き物だと思った。

「こんなに素敵な絵を見ることができたのに……。あの日、いったい何人の方が絵をご覧になったのかしら……」

 彼女は、まるで飾られた絵を哀れむように、そのときのことを話す。

「ゆっくりと絵を鑑賞したいから、とお断りになればよろしかったのでは?」

「えぇ、何度かそう申し上げたのですが……」

 それでもしつこい輩は絵に関する薀蓄うんちくを話し始めるのだと言う。

「知らないことを教えていただけるのは嬉しいのですが、ワインやオードブルを勧められながらなので、とても自分のペースで鑑賞することはできなくて……」

 どうやら、鑑賞に付随するのは薀蓄スピーカーだけではないようだ。ありがた迷惑な、ワインやオードブルまでセットでついてくるらしい。

 行きの車内で聞いた分だと、酒はあまり好きじゃないのだろう。食前酒程度なら、と答えるくらいには得意ではないに違いない。

 しかし、すべてを否定しないからこそつけこまれるのだ。薀蓄や酒などはいらない、絵を楽しみたいだけだ、と言ってしまえば問題ないはずだが……。

 彼女の性格では無理か……。

 何を指摘するわけでもない代わりに、俺は言葉を紡ぐ。

「それでは……今日は心行くまでお楽しみください」

 俺の気持ちとは裏腹に、彼女は慌てて謝罪しだす。

「いえっ、あのっ……すみませんっ。決して涼さんがうるさいというわけではっ……」

 否定するために出した声は思いのほか大きく、天井の高い館内によく響いた。

 彼女は慌てて口もとを手で覆い、周りにいる人間たちに謝意を示す会釈をする。

 その必死な様がおかしくて、俺は意図せず笑った。そんな自分に驚きながら言葉を返す。

「誤解したわけではありませんよ。私も、絵は静かに鑑賞するほうが好きですから」

 ほっとしたのか、彼女は肩の力を抜く。

 その後、俺たちは各々のペースで絵を鑑賞しながら館内を回った。


 暑いこの時期、美術館は実に申し分のない場所だった。涼しく静かに過ごせるうえに、ほかのアミューズメントパークなどと比べ、ところ構わず騒ぐ子供も少ない。

 館内の空調が利きすぎな感は否めないが、隣を歩く彼女はワンピースの上にカーディガンを羽織っている。

 初めて病院で会ったときもそうだった。あのときは薄いグレーの落ち着いたボレロだったが、今日は淡い水色のカーディガン。

 決して寒そうには見えないが、袖から出ている部分はきっと冷たいのだろう。

 俺は、会長宅で彼女の手を取ったときのことを思い出していた。


 五時を回って外に出れば、夕方とは思えないほどの熱気が待っていた。太陽とアスファルトの両方から尋常ではない熱が放射されている。

 夏なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、普段屋内で仕事しているだけに、この暑さはかなり堪える。

 一方、彼女は暑さよりも、日差しそのものに目を細めていた。

 西日が当たった髪は屋内で見るより一層明るく、瞬いて見える。

 彼女は眩しそうにしてはいるものの、「鬱陶しい」というよりは、どこか愛しげな眼差しで光源を見るのだから不思議でならない。

 美術館から駐車場までは、森林の中の小道を歩く。その小道に沿って小川が流れていた。

 緑が生い茂る小道は日陰になっており、人工物とはいえ、小川近くをそよぐ風は夏の暑さを軽減してくれる。

 そんな中、暑さには触れず、見た作品の感想を互いに話しながら歩いた。


 ――その日以来、俺は彼女に電話する前に、いくつかの行き先候補を用意するようになった。

 彼女は申し訳なさそうにしていたが、俺にとっては面倒な作業どころか好都合でしかない。

 仕事の休憩時間、情報誌を見ながら過ごせばいいだけのこと。むしろ、こんなものは使わない手はないだろう。

 最初こそ、物好きな女どもが集ってきたが、彼女と出かける旨を伝えればその数はしだいに減り始める。

 着々と、煩わしいものが減少する傾向にあった。

 そして、選ぶものさえあれば、彼女はとくに時間をかけることなく、「ここへ」と返事をする。

 電話というアイテムで無言になられることほど苦痛なものはない。それに比べたら、行き先候補を考える労力などなんてことはなかった。

 美術館、図書館、広い森林公園にプラネタリウム。彼女の選ぶ場所はどこも人気が少ない場所であり、静かなところが多かった。

 ただ人ごみを好まないのだろう、とそう思っていた。

 このときは、それが彼女付きの護衛の人間への配慮であるとは思いもしなかった。

 意外なことに、俺は彼女と出かけることを苦痛に思うことはなかった。珍しくも面倒だと思うこともなかった。

 それはきっと、無理に会話をする必要がなかったからだと思う。

 同じ空間にいて、同じものを見て、二言三言言葉を交わすだけ。無言の時間が長くとも、互いがそれを気にすることはない。

 むしろ、彼女が延々と話し続けるような女だったならば、この契約は続かなかっただろう。




 彼女と契約を交わして一ヶ月が過ぎたころ、目論見どおり自分と宮の姫が交際しているという噂が流れだした。

 そこで初めて「宮の姫」という呼称を聞き、彼女が「藤宮の宝」であることを知る。

 ほかに変わったことといえば、噂が流れ始めてから総合診療部長がちょくちょくと姿を現すようになったことくらい。

「先日の土曜日は会長宅へ挨拶に行く予定だったとか?」

 どうやら噂をもとに探りを入れたらしい。

「えぇ、お恥ずかしいながら」

「それならそうと言ってくれればいいものを」

「ですが、お付き合いのご了承をいただく前でしたので」

 適当にかわして立ち去りたい。それが本音だったが――

「付き合ってる人間がいるとは言え、さすがは宮の姫だ。見合い話は尽きることがない。君も気が気じゃないんじゃないか? 今まで静観していた人間すらも動き出したぞ?」

 キヒヒ、と下卑た笑いがいけ好かない。

 それらを焚きつけてるのはおまえじゃないのか?

 そんなことはおくびにも出さない。それどころか、少し驚いた顔をして見せた。

 正直、想定外の事実に驚いていた。

 自分という「盾」があっても、彼女の見合い話が来なくなるわけではないことを知って。

 彼女は一度としてそんな話をしたことがない。

 契約の交際と割り切っているからこそなのか、これ以上の迷惑を俺にかけられないと思っているのか……。

 こっちは「藤宮の宝」という「盾」を得てから、目論見どおり見合い話もそのほかの誘いもなくなったというのに。

 ネームバリューの差がこんなところで露見するとはな……。

 俺は彼女からではなく、別の人間から情報を得たことに苛立ちを感じていた。それが、彼女が自分に話してくれない苛立ちだとも知らずに――


 次のデートの日取りを決めた週、噂の内容が一気に飛躍した。それは、自分と彼女が結婚するという内容に。

 いつの時代も、噂には尾ひれがつくものらしい。煩わしいとは思うが、実害を被ってるわけではない。

 しばらくはそのまま放置しておいてもいいだろう。

 そう思っていた矢先、またしても総合診療部長に呼び出された。

「本当のところはどうなんだ?」

「本当のところ……ですか? 困りましたね。私が認めていただいているのは交際のみです。では、診察がありますので失礼いたします」

 真実のみを口にし、不必要に飾り立てられた悪趣味な部屋を出た。

 ほぼ思惑どおりに事が進んでいるから放置しているにすぎなかった。が――それもそろそろ潮時か……?




 六回目のデートはガラス美術館だった。その帰りはイタリアンの店にディナーを予約していた。

 彼女はレンガ造りの内装が気に入ったようで、しばらく店内を見ていたが、俺の視線に気づくと恥ずかしそうに俯いた。

 別にかまわないんだが……。

 彼女は見たことのないものを目にすると表情をパッと輝やかせる。それを見るのがなんとなく癖になって、彼女の好きそうな内装のレストランを予約するようにしていたのだから。

「その後も縁談は尽きないようですね?」

 先日から気になっていたことを切り出すと、彼女は少し驚いた顔をした。

 人から聞かされて驚いたのはこっちなんだが……。

 いやみは口から出さず留めることができた。

 彼女は「はい」と肯定したうえで、言いづらそうに話しだす。

「……ですが、件数的にはかなり減りましたし、今はお断りする口実がありますので、二度も三度もお会いしてお断りするようなことはありません。本当にありがとうございます」

 平日は大学へ行き、俺に緊急の予定が入らない限り、土曜か日曜には会っている。

 土日のどちらかを潰せば、その日を見合いに当てることはできなくなる。必然的に見合いの件数は減るものだと安易に考えていた。

 まさか、平日にまで見合いが入っているとは想像すらしなかった。

 総合診療部長の話しだと件数的には増えている、とのこと。

 どうして本当のことを言わない? 実際には前にも増して厄介なことになっているんじゃないのか?

 そうは思うが、目の前の彼女は以前と比べると食の進みがよく、顔色もだいぶ良くなった。

 自分と会っているとき、決して疲れたような顔を見せることはなかった。

「のちに噂で知りましたが『宮の姫』はほかの藤宮とは扱いが違うのだとか?」

「えぇ……」

 噂で知りえた情報は正しいとは限らない。だから、聞いたものはすべては信じず、要所要所を本人に確認しようと思っていた。

 彼女は言いづらそうに、そして控えめに話し出した。

「古い土地ですから。昔からの習わしのようなものなんです」

 藤山の土地神を鎮めるめに、五月の藤の会という茶席で本家筋の娘が「藤の木の精」を舞うのが恒例らしい。

 去年までは彼女が舞い手で、今年から末の妹が舞い手になったという。

 そう話したとき、心底ほっとしているのが見て取れた。

 彼女が舞う踊りを見てみたかった……。

 気がつけば、俺はそんなことを考えていた。


 食事のペースと時計を見ながら思う。

 そろそろ院内の噂の話をしなければ、と。

 どこかほわんとしている彼女に声をかける。

「真白さん」

 返事どころか、意識がこちらに向いていなかった。

 もう一度名前を呼ぶと、

「え? あ……すみません。少し考え事を……」

「えぇ、そのようですね」

 慌ててフォークを置き、膝に置いていたハンカチで口元を覆う。

「ところで、どうしましょうか」

「……何がでしょう?」

「近ごろ、病院では私と真白さんの結婚話で持ちきりなのですが……」

「えっ!?」

「私自身、何を話してきたつもりはございませんが、少々噂のひとりあるきが横行しているようです。今ではその話を知らない者はいないでしょう。目論見どおりといえば目論見どおりなのですが――」

 何が問題かというならば、噂の広がり具合と話の飛躍ぶりだろうか。自分が予想していたより噂の変化が早すぎる。

 それだけ彼女が噂の的になりやすい人間だということなのだろうが……。

「涼さんにご迷惑はかかっていませんか!?」

 なぜ俺の心配を口にする?

「今のところ、とくに迷惑を被るようなことはありません」

 今となってはどこの科長も部長も見合い話を持ってこなくなった。それどころか、面倒な女たちからの誘いもほぼなくなった。未だしつこいのは笠原くらいなものだ。

 彼女は思いつめた表情で、

「あのっ、すぐにこんなお話はお芝居だったとお伝えくださいっ」

 何を躊躇することなくそう言い切る。

「……あなたはそれでいいのですか?」

 あまりにも潔すぎる言葉に訊き返す。彼女は何も答えず、口を噤んだ。

「とにかく、すでに検査予約は入れてあります。来週、胃カメラで胃の状態を確認しましょう」

「はい」

「だが……だいぶ食事も摂れるようになってきて安心しました」

「えぇ、……とてもおいしくいただいております」

 そのあとは会話少なにテーブルに並ぶものを口にした。

 おいしかったどうかはあまり覚えていない。

 俺が感じていたのは――この関係がそろそろ終わるかもしれないという予感。

 真っ直ぐな目で、潔くこの関係を終りにしようとする彼女の言葉が面白くなかった。

 契約を持ちかけたのは自分で、それを了承したのは彼女。

 たかが契約――いつ解消されてもおかしくない。この契約自体はいつか満了する。

 わかっていたはずなのに、俺は何を戸惑う……?

 このとき、「残念」だと思っている自分に気づいて心底驚いた。

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