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七夕の出逢い  作者: 葉野りるは
Side 涼
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03話 百合の意味

 一度くらいは連絡が来るだろう。

 そう思っていたが、藤宮のお嬢様から連絡らしきものは一切なかった。留守電が作動した気配すらない。

 さて、どうしたものか……。今日はすでに約束の日だ。

「とりあえず、電話……か」

 電話番号はインプットされている。迷わずその番号にかけると、丁寧な受け答えをする人間が出た。

 名を名乗り、取り次ぎを頼むとしばらく待つように言われる。

「世の中にはお手伝いさんって人間がいる家が本当にあるんだな」

 そんな世界とは今まで無縁だったわけだが、どうやら俺の隠れ蓑になってくれるお嬢様の家はそういう家らしい。

 普通の家なら、「しばらくお待ちください」と言われたら二、三分も待てば十分なはずだが、待たされてからすでに五分が経過していた。

 どれだけ広い家なんだか、とは思うものの、これから行けばわかるか、とも思う。

「お嬢様」が住まう家をなんとなしに想像していると、受話器の向こうから声がした。

『お待たせいたしました。……真白です』

 急いで来たのか、少し息が上がっている。そして、緊張を表すかのように声が硬い。

 初めて会っときに聞いた声とは全くの別物。

 人が目の前にいるわけでもないのに、「緊張」だけがひしひしと伝わってくる。

「芹沢です。今日は行ってもいいのか、それとも、なかったことになっているのか。……その確認だけはするべきかと思いましてね」

 どっちでもいいような話しぶりだが、実のところ、キャンセルされたら困るのは自分だろう。

「あのあと、連絡の一本くらいはいただけると思っていました。ところがありませんでしたので、当日の今になってこんな電話なのですが」

 自分から連絡する、という方法もあったわけだが、敢えてそれは口にしなかった。

「お嬢様」は、相手がかけてきて当たり前、と思っているのだろうか。それとも、この藤宮の「お嬢様」は一風違うのだろうか。

『すみません……』

 受話器からは今にも消え入りそうな声が聞こえてくる。

 それに続く言葉が妙にこの女らしいと思った。

『私からご連絡するべきでしたのに……。どうしても、どうしても電話する勇気がなくて――』

 擦れてない人間とは、こういう人間のことを言うのかもしれない。

「真白さん、電話は噛み付いたりはしないものです」

『え……?』

 多少なりとも気持ちを解せたらと思ったわけだが、普段から冗談というものを言い慣れない人間が、咄嗟に思いついたことを口にしたところで様にはならなかった。

「いえ……それでは今から伺いますが、ご自宅にご両親は?」

『おります。……兄も、おります』

「それは好都合ですね。とりあえずは、初々しくも仲のよい恋人を演じましょう」


 マシロさん、あなたは鼻につく女ではないようだ。さらには嘘などつける人間でもないだろう。

 だが、今から実の両親と兄に嘘をつく。

 そのことにあなたは耐えられますか?

 自分との関係が両親に認められれば縁談は来なくなるかもしれない。けれどもその代わりに、「嘘」という代償を背負うことになる。

 あなたの胃は、それに耐えられますか?


 あらかじめ調べてあった住所に赴くと、私有地の入り口で警備員に止められた。

 自身のボディチェックと車両チェックを受けたあと、ようやく私有地に立ち入ることを許される。

 警備員に案内された道を行くと、仰々しい門が見えてきた。

 大きな門の前にはスーツを着た男がひとり。名前と用件を伝えると中の人間に確認を取り、門はすぐに開かれた。

 私有地に入ってから二ヶ所に警備員が配置されているとは、相当厳重な警戒を敷いている。

 門を入ってから車で五分ほど走ると家と思しき建物が見えてきた。

 家の前で車を停めると、先ほどとは違うスーツを着た男が出てくる。

「警備の藤堂武とうどうたけると申します。問題がないようでしたらお車はこちらでお預かりいたします」

 言葉のみを見れば丁寧なのだが、声はどこか険を含む。初対面のはずだが、「敵意」のようなものを感じた。

「問題などありませんのでよろしくお願いします」

 俺はキーを挿したまま車を降りた。

「芹沢様、どうぞこちらへ」

 声の発する方に視線をやると、痩せた中年の女性が立っていた。声からして、先ほど電話に出た人間だと察しがつく。

 玄関を入ってすぐ、

「いらっしゃいませ」

 控えめな声で彼女に出迎えられた。

 今日は不安そうな顔をしている。

 それもそのはず――これから保身のために家族を欺くのだから。

「マシロさん。私のことは名前で呼ぶように」

 耳元で小さく告げると、彼女はコクリと頷いた。刹那――さらりと動いた髪に目を奪われたことは誰に言うつもりもない。


 純和風の日本庭園を眺めつつ、真っ直ぐ廊下を進む。

 いったいどれだけ歩けばその応接室にたどり着くのか、と思う反面、さすがにこれだけ広ければ電話に出るまでに五分以上はかかるな、と納得もした。

 たどり着いた応接室には、向かい合わせにソファがふたつ。黒い本皮と思われるものがどっしりと置かれている。その中央には、これまた重そうなオーク素材のローテーブルが鎮座していた。

 円形のレース編みの上には藤色が綺麗な花瓶が置かれ、見事な百合の花がいけられている。

 百合に目をやったとき、一際強い視線を感じた。藤宮元その人かと思えば、その後ろで静かに佇む女性だった。

 目が合うと、「よろしく」と一言だけ声にはせず唇を動かした。

 この女性こそがマシロさんを生んだ人なのだろう。

 ふと隣に意識を戻す。

 彼女はひどく緊張し、手をきつく握りしめていた。

 その手を取り自分の手で包み込むと、ひんやりとした温度が手の平に伝う。

 こんな緊張を強いられても見合いをどうにかしたいのだろう。

 もう一度百合に視線を戻すと、ひとつの歌を思い出す。

 大伴家持――「さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ」。

 訳は、百合の花の名のように「ゆり」にもまたお会いしたいと思うからこそ、今このときも誠実に親しくするのです。

 いや、まさかな……。そこまで考えて花をいけたりはしないだろう――


 巷では「怪物」という異名を誇る藤宮元を目の前に、確かに狸じじーだな、と思った。

「藤宮病院で消化器内科の医師をしている芹沢涼と申します。先日から真白さんとお付き合いさせていただいておりますが、本日はご両親にもお認めていただきたく、ご挨拶に伺いました」

「ほぉ、うちの真白となぁ? ……どこで出逢うた?」

「病院の渡り廊下で気分が優れないところを通りかかりました。そのあと、胃潰瘍が見つかりましたので、今は私の患者でもあります」

「そうかそうか。病院か……で、何か? 君が欲しいのは金か? 地位か? 名誉か?」

 そんなものは欲しいと思わないが、煩わしい見合い話の牽制にはなる。

 ――が、この場でそんなことを言えるわけもなく、無難に一目惚れしましたとでも答えようとしたとき、隣の彼女が声を発した。今まで聞いたことのない大声で。

「お父様っ、初対面の方に対して失礼ですっ」

 面食らう、とはこういうことを言うのかもしれない。まさか、こんなふうに庇われるとは思いもしなかった。それは、目の前に座る男も同じ思いだったのだろう。

 髭をいじりながら、

「ふぅむ、真白が大声をあげるなぞ久しいのぉ?」

 後ろに佇む女性に向かって言う。

 女性はにこりと笑い、完璧な発音で答えた。「えぇ、そうですわね」と。

 見た目は間違いなく外人だが、外国人特有の訛りが一切なかった。

 日系二世……なのか?

 またしても家持の歌が頭を過ぎる。

 偶然ではなく意図的か……?

 再度百合に目をやりその女性に視線を送ると、穏やかな表情で小さく頷いた。

 ……こんなつもりじゃなかったんだが――

 高飛車で傲慢な女は嫌いだ。媚び諂う女には辟易する。身体を売りにする女に興味など持てようか。

 ただ弱いだけの女にも魅力は感じない。

 ……だが、弱いなりにも人を思いやる心を持つ人間を無下にはできない。

 今、自分の隣にいるのはきっとそんな人間。庇護欲をそそる何かがあった。

「今すぐ結婚どうこうとは考えおりませんが、お付き合いを認めてはいただけませんでしょうか」

「……よかろう。相手がいれば少しは見合いもセーブされるじゃろうて。真白の負担も減るじゃろう。のぉ?」

 その言葉に彼女は身を震わせる。気づけば、自分はその肩を抱き寄せていた。

 藤宮グループ現会長――確かに威圧的な人間ではあるが、俺が恐れる要素はどこにもない。

 病院をクビになればほかの病院に移るまで。ただ、それだけのこと。

「それでは、これから少しドライブへ出かけてまいります。門限などはございますか?」

「真白も成人しておるからのぉ……とくには設けまい。ただし、そこらに警護のものはつけさせてもらう」

「穏やかじゃありませんね……。それではまいりましょうか」

 彼女の肩を抱いたまま、軽く会釈してその部屋を出た。


 来たときと同様、長い廊下を歩いていると、

「芹沢さんはとても冷静なのですね?」

 彼女に問いかけられた。

 初めて彼女から話しかけられたのがこの言葉だった。

「いえ……とくに冷静というわけではありませんが」

「そんなっ――私、あの父を前に悠然と笑われる方を初めて見ました」

「おや、そうでしたか?」

「はい」

 真っ直ぐに自分を見つめる目が澄んでいて綺麗だと思う。

「私にはあなたのお父さんを怖がる理由がないだけですよ」

「そう仰られる方を、私はほかに存じません」

 真剣な目でそう言われると、いささか後ろめたい気がしてくる。

 このとき、自分にも「良心」なるものが存在するのかもしれないと思った。

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