第四章
「ここが俺の集落だ」
「やっと着いたか。……きつかった」
「あたしなんて馬に乗ってても疲れたわ」
時間は既に夕刻。地平線に赤い夕日が沈もうとしていた。
素戔鳴と名乗った剣士に人里まで連れて行くと言われ、行く当てもなかったオレと春菜が素直に従う事にしたのは数時間前の事だった。
歩き疲れたオレは荒い息を吐きながら腰を折り曲げ、焔の中から現れた剣を杖に身体を支えて息を整えた。
春菜は途中から素戔鳴に引かれる馬に跨っていたのだが、慣れない乗馬の所為かへばってぐったりとしていた。
「何だ? この程度でへばったのか? 随分とヤワな奴らだな」
素戔鳴が呆れたようにオレ達を見る。
「うるせぇ、コスプレ野郎。未舗装の凸凹した道を何時間も休み無しで歩いてピンピンしてる方が可笑しいんだよ」
「こすぷれ? 何だそれは?」
聞き慣れない言葉を聞いたといった風情で首を傾げる素戔鳴。
「本当に分らないのか?」
「ああ。天の御柱から現れる連中は、時々意味の分からん言葉を使うから困る」
そう言って首を竦める剣士。
そもそも「天の御柱って何だ?」と訊きたい所ではあるが、それよりも日本語が通じるのに外来語──というより略語が通じないその姿に嫌な予感を感じて、意図的に良く見ないようにしていた集落の全容を再び視界に納める。
「春菜。この集落のイメージを言ってくれ。できれば年代を表す感じで」
「……弥生時代……かな? 確か、歴史の教科書に載ってた写真がこんな感じだったと思う」
「そうか。奇遇だな。オレもそんな印象を受けたよ」
周囲を濠と丸太の塀に囲まれた集落。建物は居住施設であろう藁で出来た竪穴式住居と、木材で出来た高床式の建物は貯蔵施設だろうか? それらに加え、土器の焼成でもしていると思しき煙を上げている窯も見えた。
「ねぇ、紅真。あたし、今の状況にもの凄く非現実的な解答が思い浮かんでるんだけど?」
「またまた奇遇だな。オレもだ」
顔を見合せて笑う二人。だが、その表情はどこか虚ろで笑い声も乾いていた。
「何を変な笑いをしている? さっさと行くぞ。一先ず天照か月読──話の上手い此処のまとめ役に合わせてやるから、話し合うのはその後にしろ」
素戔鳴に促され、集落へと足を踏み入れる。
馬や牛と思われる鳴き声。積まれた雑穀の草っぽい匂いと肉や魚を焼いたような香り。
竪穴式住居からは人の生活する気配を感じ、時折見かける粗末な衣装を着た住民からは奇異の視線を向けられたが、素戔鳴が気にするなと伝えると自分の家へと立ち去っていった。素戔鳴は二十歳かそこら見えるが、どうやら畏敬の念を抱かれているようだった。
そして、それらの実際に今暮らしているという様子から先程脳裏に浮かんだ馬鹿げた考えが現実味を帯びてきているように感じた。
普段なら一笑に付してしまうが、光を放つ遺跡、何時の間にか奇妙な場所に移動していた事実、何よりも自分が目覚めた焔と手に握る焔から現れた剣という非現実的な数々の要素が、有り得ない事も有り得るのではないかと思わせていた。
「ねぇ、紅真。やっぱりあたし達、タイムスリップしちゃったのかな?」
春菜が今の状況の予想を口にする。
やはり、春菜も同じ結論に至っていたらしい。
漫画、小説、映画、ジャンルや使われ方は様々だが、何らかの原因で時間を遡ってしまったというのが今の状況に一番しっくりくるような気がした。
タイムスリップが組み込まれたフィクションの話はいくつか知っているし、個人的にはそういった話は好きだとも言えるだろう。
だが、それが実際に起こっていると認められるかどうかは別の話だ。
「……分からない。素戔鳴は『聞きたい事には後で答えてやる』って言ってたから、それを信じよう」
その素戔鳴という名前も、確か日本神話に出てくる神様の一人の名前だって事くらいはオレも知っている。
(……タイムスリップして神話の時代にやって来た? そんな馬鹿な話が?)
確かに、そう考えれば多くの不可思議な出来事も辻褄が合う気がする。
だが、それでも。それでもだ。やはり俄かには信じられず、一先ず春菜にそう答えていた。
連れて行かれたのは、集落の高台に建てられた朱塗りの高床式の神殿だった。外観は何処となく清水の舞台を思わせる。
その一室に通されたオレ達は一人の女性と向かい合って座っていた。
「ようこそ。歓迎いたします、軻遇突智の焔を操りし者。私がこの集落の長、天照です。
本来ならばもう一人、この集落の中心人物を紹介しておきたいですが、今はいないのでその紹介はまたの機会にいたしますね」
長く艶やかな髪の女性──天照が自己紹介する。
彼女の容姿は整っており、一言で言えば『大和撫子』。着物ではなく巫女を思わせる衣装を着ていたが、そんな表現が似合う穏やかな雰囲気の女性だった。
「はあ。えっと、オレは神薙紅真です」
「あたしは小鳥遊春菜です」
「分りました。紅真さんに、春菜さんですね。……小鳥遊? もしや春菜さんは冬矢さんのご家族か何かですか?」
天照さんが首を傾げて訊ねる。
「え!? 冬矢は弟ですけど、冬矢を知っているんですか?」
春菜が驚いて大声を上げる。驚愕のあまり、やや腰を浮かせていた。
「はい。冬矢さんは半年ほど前に現れ、この集落で保護いたしましたから」
「……半年? そんなまさか。だって冬矢とは半日ぐらい前に一緒に居たのに。何かの間違いじゃないですか?」
春菜は笑ったが、オレは笑う事が出来なかった。
仮にオレ達がタイムスリップしているのならば、それも有り得るかもしれないと思ってしまったのだ。
何しろ今までの状況から考えると、オレ自身が春菜よりも数時間前の時間に現れていると捉える事もできるのだ。
ならば近くにいた冬矢が俺よりもさらに過去の時間に飛んでいても不思議ではない。
「それに答える前にまずは──」
「連れてきたぞ」
「……ああ、ちょうど来たようですね」
天照さんが何かを言おうとした時、戸が開いて素戔鳴が部屋に入って来た。彼の後ろに続いて部屋に入ってきたのは、
「冬矢! 花音ちゃんまで!」
古代の衣装を着た冬矢と花音だった。
「姉さん! 紅真さん! 二人とも来てしまったんですか!?」
「え!? 春菜さん! お久しぶりです!」
春菜は現れた二人と手を取って再会を喜び合っている。
「お二人の服装が、冬矢さんと花音さんのものと似ていたのでお知り合いかと思ってお呼びしたのですが、当たっていたようですね」
「はい! ありがとうございます」
しばしの間オレ達は再会を喜び、落ち着いた頃に天照さんが口を開いた。
「では、冬矢さんと花音さんには既にお話ししましたが、貴方方がどうしてここに来てしまったのかをお話いたします」
『天の御柱』
それがオレ達をこの世界に送り込んだ時間と空間を操る力を秘める物であるらしい。
本来は生と死の理すら歪める可能性から人間がその存在を知ることを禁じられた存在なのだが、こうしてその力に巻き込まれてしまったことから特別に教えてくれたそうだ。
「それじゃ、その天の御柱ってのを使えば、あたし達は帰れるんですよね? それは何処にあるんですか?」
春菜は期待に顔を輝かせるが、春菜の言葉に天照さんは表情を沈ませる。見ると冬矢と花音も沈んだ表情を浮かべていた。
「すみません。それは分らないのです」
「え?」
「伝承では、天の御柱は実際に動く時以外はこの世と黄泉の国を繋ぐ〝扉〟の内側にあると言われています」
「〝扉〟……」
脳裏に夢で見た、そして遺跡で見つかった岩の門が浮かんだ。
「その伝承の〝扉〟があの遺跡の門だと思った僕は、この半年の間に何度か素戔鳴さんに付いてこの世界を回ってました。けど、あの門は見かけた事は有りません」
「わたしは二月ぐらい前から聞き込みって形ですけど、やっぱり見かけた人はいませんでした」
冬矢と花音は残念そうに首を振った。
「……そんな……」
「事情が事情だからな。俺も単独で探してはいるが、未だ手掛かりも無しだ」
素戔鳴も無念そうに言う。
「気休めにしかならないかもしれませんが、見つかるまではどうぞここに滞在なさって下さい」
「それは……ありがとうございます。何から何まで」
「あたしからも。あたし達だけじゃなく、冬矢達の事も良くして下さってありがとうございます」
「いえ、お気になさらずに……」
帰れる可能性こそあるが、肝心の可能性を持つ物が見つかっていない。そんな先の見えない状況で、衣食住の心配がなくなるのは有り難かった。
見ず知らずの自分たちに、ここまで良くして貰っていることに対する感謝の意も込めて礼を述べる。
「あの、その代わりという訳ではありませんが。どうか紅真さんのお力を、貴方の軻遇突智の焔を操りし者の力をお貸しいただけませんか?」
天照さんが真摯な眼差しでオレを見詰め、頭を下げる。
「は? オ、オレ?」
「俺からも、頼む」
天照さんに続いて素戔鳴も頭を下げる。
「その、軻遇突智の焔を操りし者って何なんですか?」
いきなり頭を下げられても訳が分からなかった。取り敢えず少し前、素戔鳴と会った時から気になっていた事を聞いてみる。
「紅真さんの事ですよ。私達の父、伊邪那岐は、死の間際にこのような予言を遺しています。
『──いずれ〝扉〟の封印を破り、黄泉に棲まうこの世ならざるモノたちが跋扈するであろう。
されど、それを恐れる事はない。かの神は神殺しの神。その焔は神をも滅ぼす浄化の焔也。その名を軻遇突智。かの神は既に死したとしても天の御柱が動く時、その焔を操る者が現れる。
希望を捨てるな。軻遇突智の焔を操りし者がそなたたちを必ず救う』と」
数年前から予言どおりに黄泉に棲まうこの世ならざるモノたちが跋扈するようになり、最近になってその力が増してきているようでもあるあるらしい。そして、それを証明するかのように占にも不穏な結果がよく出るようにもなったと。
預言の内容から軻遇突智の焔を操りし者は今の状況から人々を救う救世主と考えられていた。
そこに軻遇突智の焔を操る人間──つまりオレが天の御柱が動いた時に現れて妖魔を軻遇突智の焔で斃したと、そういう状況らしい。
「…………」
一瞬、反応に困った。
数時間前のオレなら「貴女達の勘違いなんですか?」と返していた事だろう。
だが、
(軻遇突智の……焔)
右手を前に、掌を上に開いた形で差し出す。
自分の身体の内側の力を掌に集めるイメージをする。
そして、
(燃えろ!)
強く念じたその意に違わずにボッ、と音を立てて掌に丁度載る程度の大きさの焔が灯った。
焔は赤よりもなお紅く、紅よりもなお鮮やかな緋色をしている。
掌の焔を春菜、冬矢、花音の三人はやや唖然と、素戔鳴と天照さんは嬉しそうな顔をする。
「そう。その緋色の焔こそが、紛れもない軻遇突智の焔。私達に救いを齎す救世主の証です」
掌に灯った焔はオレの意思一つで簡単に消えた。理由は分からないが、確かにオレにはその軻遇突智の焔を操る力とやらが有るのだろう。
しかしオレは……
「ごめんなさい」
「え?」
怪訝そうに顔を歪める素戔鳴と天照さん。期待をさせて申し訳ないとは思う。それでも伝えなくてはならない。
「ごめんなさい。オレには救世主なんかじゃないです。多くの人を救うなんて、そんな大それた事はできません」
ちらりと春菜、冬矢、花音の方を見る。脳裏には自分の家が、祖父の顔が、親しい友人の顔が浮かんでいる。
「オレには貴女達の言うような力が有るのかもしれない。でもオレは、ただ家に帰りたい。元の時代に、ここにいる友達と帰りたいんです。だから、ごめんなさい。オレは、貴女達の力になれません」
「紅真さん……」
天照さんは、目に見えて落胆してがっくりと肩を落とした。素戔鳴は失望したような眼差しを向けてきた。親切にしてくれて、これから面倒も見てくれるとさえ言ってくれている人たちの期待に背く事に心が痛む。
「本当に……ごめんなさい」
それでも、オレは謝る事しか出来なかった。