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ヤマト神話  作者: 西津央
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第三章


 彼は、高台に建てられた神殿から周囲を濠と丸太の塀に囲まれた集落の様子を眺めながら姉から伝えられた事をどうしたものかと思案にふけっていた。

 すると、すっぽりと集落を覆うこの世ならざるモノたちの侵入を阻む結界の入り口が開いて百ほどの兵達が集落に入って来るのが見えた。


(おや? 兵達が戻ってきましたか。ちょうど良い、この件はあいつに任せましょう。何か嫌みでも言われそうですが)


 やれやれと溜め息を吐く彼は、二十歳ほどの銀に近い灰色の長髪が特徴的な青年だった。その身に纏っている衣装は集落で暮らす人々が一般に着る麻で出来た衣装とは異なり、絹を用いた大陸の官人が着るような衣装である。それが集落において彼が特別な地位にいる事を窺わせる。

 そして、今し方帰還した兵達を率いている人物もまた彼と同じく集落における重要な存在。現代で言う所の将軍にあたる将軍の地位にある人物であり、彼の弟でもある。

 姉より聞かされた話は人に言い触らすものではないので、人目を避けて相手の許に向かう。

 弟であるが故に、相手の事は良く知っている。

 いつもの行動から居場所を推測して兵の訓練場に赴くと、推測した通りに黒い長髪をうなじ辺りで大雑把にまとめて甲冑を着こんだ剣士の後ろ姿があった。兵達は自分の家に既に帰ったのか、一人もいなかった。

 声をかけようとした時、剣士は乱暴に、苛立たしげに傍にあった岩を殴り付けた。

 ドガン! と大きな音を立てて岩は砕けて崩れる。


「……荒れていますね、素戔鳴(スサノオ)。物にあたるのは感心しませんよ」


月読(ツクヨミ)か。放っておけ。何処で何をしようが俺の勝手だ」


 素戔鳴と呼ばれた剣士は振り返って月読と呼ばれた青年を一瞥するが、すぐにそっぽを向いて鼻を鳴らした。

 同い年とはいえ、実の兄である自分を敬う素振りを微塵も見せない素戔鳴に苦笑を浮かべる。


「そうかもしれませんが。仮にも人を率いる立場にあるなら、そうした一時の感情に任せた行動は控えなさいと言っているでしょう?」


「煩い。だから誰もいない今やっている。毎度毎度いちいち俺に指図して、何様だお前は?」


 お兄様です。と、言うと怒鳴りそうなので口にせず呑み込む。


「……それで? 荒れていた理由は何です? 帰って来たという事は、東の集落の視察は終わったのでしょう? 何かあったのですか?」


 華麗に素戔鳴の問いは無視する月読と、それに舌打ちする素戔鳴。

 素戔鳴は単純に兵を率いたり、戦い、この集落を守るだけでなく、他の集落や村を視察しに各地へ赴く。今回は兵達を率いて行き、今帰って来たところの筈。そこで彼の気に障ることが有ったのだろうと月読は予想した。


「……最後に寄った集落が一つ滅んでいた。地面が裂け、家も砦も崩れ、生き残りはいない。酷い有り様だった」


「な!?」


 素戔鳴の言葉に瞠目する。


「馬鹿な!? この集落と同じように周辺の集落や村々には私が結界を張っていた! そんな事になる筈が──」


 黄泉の国へと繋がる〝扉〟は封じられていたが、その封印が弱まってきたのか黄泉の国から妖魔や怨霊、亡者と呼ばれる類のこの世ならざるモノたちが人間に仇成すようになって久しい。

 月読はそういったモノたちから人間を守るべく、この集落は勿論それ以外の人がいる場所には結界を張って人々を守っていたのだった。


「結界は破られていた。天照(アマテラス)は何も言っていないのか?」


「! いえ、貴方の出発前は何も。……ただ、天照が先程占を終えました」


 しかし、その結界の一つが破られてしまった。全ての人間を守っていると思い上がっていた訳ではないが、自らが力を振るった場所が滅ぼされたという事実に、月読は悔しげに唇を噛みながらそう言った。


「内容は二つ、『暗き憎悪が力を増す』『此処より北西にて(あめ)御柱(おんばしら)が動く』と。この二つです。前者は、この事を差していたのかもしれません」


 二人の姉である天照は神殿に籠り、巫女としての力を以って占術を行う事が多い。

 その占は未来を占うものではあるが、結果は既に起こったものが出る可能性もある。


「『暗き憎悪が力を増す』が『黄泉の妖魔や怨霊共の力が増した』と捉えるなら、その通りかもしれんぞ。此処のもそうだが、余所の結界も張り直すんだな」


「そうですね。分りました。すぐに結界は何とかしましょう」


 今回はどちらなのか判断はつかなかったが、早急に手を打つ必要がある。

 元々占の結果を素戔鳴に伝え、天の御柱の事を頼むつもりでいた。

 月読が果たす役目は大きく分けて二つある。一つが結界を織り上げて姉である天照と戦う力を持たない者達を守護すること。もう一つが未来を占うために神殿をあまり動けず、めったに人前に出ない天照と民たちとの中継役の二つだった。


「そうしろ。天の御柱の方は俺が当たってやる」


 素戔鳴は仕方がないと言わんばかりにそう提案した。初めからそちらを任すつもりだった月読は、それをおくびも出さずに頷く。

 鼻を鳴らして素戔鳴は背を向けた。


「明日に出る。月読、留守中の此処の守りと結界の件は任せた」


 天照の占は、未来を示すものであった場合、早ければ二、三日中に起こる。

 具体的な距離や場所までは占に示されていないが、ある程度近くにいれば天の御柱が動きを神に連なる血筋の力で察知できる筈だった。

 事実半年前と、二ヵ月前にも天の御柱は動き、その場所を近くにいた素戔鳴は察知したという経験を持っている。


「任されました。同行者は付けられないので気を付けて」


「余計な心配だ。お前は結界の方だけ気にしていろ」


 そう言い残して徐々に小さくなっていく背中を見詰めながら、月読は父親が死の間際に遺した遺言を思い出す。


『──いずれ〝扉〟の封印を破り、黄泉に棲まうこの世ならざるモノたちが跋扈するであろう。

 されど、それを恐れる事はない。かの神は神殺しの神。その焔は神をも滅ぼす浄化の焔也。その名を軻遇突智。かの神は既に死したとしても天の御柱が動く時、その焔を操る者が現れる。

 希望を捨てるな。軻遇突智の焔を操りし者がそなたたちを必ず救う』


 以前に天の御柱が動いた時、その時が来たのかと喜んだ。しかし、現れたのはいずれも霊力が強いだけのただの人間だった。


「……父上。軻遇突智の焔を操りし者は、いつ現れるのですか?」


 空を見上げた月読の呟きが蒼穹に溶けて消えた。






 翌日。まだ朝靄の立つ頃に素戔鳴は馬に跨り、集落を出発した。

 よもや帰って早々休む間も無く、出掛ける羽目になるとは予想外だった。

 だが、天の御柱が動くとなれば仕方がない。

 天の御柱とは、創造を司る神である父が創り上げた時の流れと空間を操る装置であるらしい。

 その実体がどのような物であるのかは、その血を引く天照も、月読も、素戔鳴も聞かされていない。

 ただ時間と空間を操る力を秘めるが故に、生と死の理すら歪める可能性から人間がその存在を知ることを禁じられた存在だった。

 その為、対処には神殿をあまり動けない天照を除き、月読、素戔鳴のいずれかが受け持つのだが、何故か大半が素戔鳴にその役目が回って来ていた。

 集落から離れる事が多いためであるとは理解はしているのだが、どうにもか納得できないものが有った。


(まあ、その分現れた人間の世話を月読に押し付けているから別に良いがな)


 どうにも人の世話をしたり、細かな配慮をするのは苦手だ。

 戦いで兵を率いる事もあると言っても、大雑把な指示を出したら自ら先陣を切って戦うのが常だ。その方が性に合っている。

 馬は走らせず、緩やかに歩かせる程度の速度で移動していく。

 徐々に太陽は高く上り、朝霧は急速に薄れて消えて行った。風も爽やかで心地良く、小鳥の囀りが林から聞こえる。


「ん? どうした?」


 集落を発ってからどのくらい時間が経っただろうか。丘を一つ越えて見渡す限りの草原に到着した辺りで馬が足を止めた。

 怪訝そうな顔で素戔鳴は馬の様子を窺うが、馬は頻りに地面を蹄で掻くだけだ。首を左右上下に振り、何かに怯えているようでもあった。

 と、そこで素戔鳴も周囲に漂う気配に気が付く。


(やれやれ、気を付けろと言われておきながらこの様か。月読に知られたら小言を貰うな)


 馬から降りて腰に吊るした剣を抜き放つ。

 鋭くなった視線の先の草の中に赤く禍々しい光が一つ、二つ、三つと次々に見えてくる。

 草から出てきたのは巨大な狼だった。全長は人間と同等ほどもある。その双眸は赤く禍々しい光と殺気を放ち、鋭い牙がズラリと並んだ口からは涎が垂れていた。

 その数は十……十五……二十を超えていた。


「妖魔か。お前はここを動くなよ」


 馬を宥めるように優しく叩き、素戔鳴は巨狼たちを睥睨する。

 黄泉の国から来るモノたちは、実体を持つ獣や昆虫に似た姿をした妖魔や魔物と呼ばれるモノ、実体を持たない霊魂のみの怨霊や悪霊と呼ばれるモノなどがいる。

 素戔鳴の前に今いるモノたちは前者だった。


「グル、ガルルッ!」


「人語は解さない低級か。フンッ、では月読の結界を破って集落を一つ滅ぼせるとも思えんな。だが……」


 牙を剥いて飛び掛かって来た二頭の巨狼を無造作な片手切りで両断した。二頭の巨狼は断末魔を上げる間もなく鮮血を撒き散らして絶命した。

 素戔鳴の脳裏には滅びた集落での光景。

 崩れ去った家屋。無残に転がる老若男女関係無く死を迎えた骸達。怒りに震え、悲しみに涙する兵達の姿。


「貴様らの同族がやった事だ。俺の憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ、化け物共っ!」


 愛用の剣を振るい、さらに一頭の巨狼を屠る。

 そしてそのまま、巨狼の群れに、真っ向から突進した。

 ただ、怒りだけを胸に。






「おおおおおっ!!」


 襲い掛かる巨狼たちを剣閃で一息に薙ぎ払う。


「ガァアァァーー!!」


 右から噛み付こうとした二頭の頭を串刺しにし、左から爪を光らせた一頭を蹴りで胴体の骨を砕いて内臓をも破裂させる。


「……これで残りは一匹」


 剣を引き抜き、その切っ先を最後の一頭に向ける。

 素戔鳴が戦い始めてものの数分で巨狼の群れは壊滅していた。

 馬を庇いながらの戦いではあったが、そのようなハンデと数の不利をものともしない圧倒的な力量差の結果だった。


「グルルルルッ……」


 巨狼はわずかに逡巡するかのように足を止める。

 一息に斬り伏せようと足に力を込めたその時、素戔鳴の身体がドクリと何かに共鳴するかのような感覚を得た。次いで地平線の彼方に空から光の柱が現れる。

 この感覚には覚えがある。


「天の御柱か!」


 思わず巨狼から数瞬目線を逸らしてしまう。

 その天の御柱に気を取られた隙に、巨狼が凄まじい勢いで天の御柱の現れた方角へと疾走していった。


「チッ、逃がすか!」


 舌打ちして素戔鳴も馬に跨り、その後を追う。

 だが、僅かに出遅れた分の差を縮める事はできず、追いすがるのが精一杯だった。

 やがて巨狼が二人の人間──恐らくは天の御柱から現れたであろう鳶色の髪の少年と栗色の髪の少女を襲おうとしていた。


(馬では間に合わん)


 馬から飛び降り、自らの足で疾駆する。長時間持続できないが、短時間ならば素戔鳴は馬よりも疾く走ることが可能だった。

 しかし、それでも間に合わず、巨狼は二人に襲いかかり、少年は少女を守るかのように迎え撃った。

 そして、少年の拳が巨狼を捉える寸前、緋色に燃え上がる。


「なっ!?」


 その光景に言葉を失う。

 自然の炎とは異なる緋色の焔。

 素戔鳴は思わず足を止め、少年を、その焔を食い入るように見詰めていた。


(あの焔は……間違いない)


 やがて緋色の焔は巨狼を完全に焼き尽くしてしまった。

 そして、焔の中から一振りの剣が出現する。

 気を取り直し、素戔鳴は少年たちに歩み寄っていく。


「──かの神は神殺しの神。その焔は神をも滅ぼす浄化の焔也」


 知らず、そう口にしていた。

 背後にいた素戔鳴には気が付いていなかったのか、緋色の焔を放った少年は呆然とした面持ちで俺を見ていた。


「……軻遇突智の焔を操りし者。お前がこの地に来る事を待ち続けたぞ」


 素戔鳴はそう言って待ち望んだ者に向かって手を差し出した。




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