第一章
さっそく感想をいただいたので、ルビは固有名詞や特殊な読みなどに絞ることにしました。
高天学園。
北側に山と麓に広がる旧市街地を抱え、線路を挟んで海岸に接する南側に開発された新市街地を持つ高天市の旧市街地に建てられた高等学校。
山の中にあるせいで校門までの唯一の道のりは四十度近い勾配がある事から、自転車での通学に優しくない事ぐらいが特徴の、変哲の無い高校だ。
レベル自体もさほど高くないし、オレとしては徒歩十数分で着くからという理由で選んだにすぎない。
登校する他の学生たちに混ざって去年から一年間上り続けた坂を登る途中。校門までの一本道に入る前の最後の十字路を過ぎたところで、
「おっはよっ!」
と、無駄に元気の良い挨拶と共に背中を平手でぶっ叩かれた。
「ごふっ!?」
衝撃に変な声を漏らして悶絶する。
「……おい、春菜。テメェ朝っぱらから何しやがる?」
呻きながら振り返る。こんな事をいきなりやらかす知り合いは一人しかいない。
振り返った先には、活発そうな明るい雰囲気を放つ、栗色の髪をショートカットにした女生徒が立っていた。勝気そうな瞳がオレを見詰めている。
「何って、朝の挨拶じゃない。目覚めたでしょ?」
小鳥遊春菜。オレの幼馴染の一人で、昔から家の道場に通って剣道を学んでいる少女で、今は女子剣道部の次期主将と言われており、クラスメイトでもある。
「オレは別に朝は弱くねぇって、いつも言ってるだろうが。とっくに目は覚めてるよ」
「うん。知ってる」
ならばなぜ叩く?
「ん~? 日々の日課?」
疑問が顔に出ていたのか、春菜が首を傾げながら答える。
「そんな日課は今すぐ止めろ」
米神を押さえながら溜め息を吐く。このやり取りも何度目になることやら……
「おはようございます、紅真さん。いつも姉さんがすみません」
春菜の背後から男子生徒が申し訳なさそうに会釈をする。年に似合わず落ち着いた雰囲気を放つやや小柄の、春菜と同じ栗色の髪の少年だ。
「ああ、冬矢。おはようさん。……まあ、もう半ば以上諦めてるから気にすんな」
小鳥遊冬矢。春菜の弟で、ひとつ下の一年だ。春菜と同じく昔からの付き合いのある後輩にあたる幼馴染その二の少年である。
姉を『動』とするならば弟は『静』と表現するのに相応しい正反対の性格の姉弟だった。
「はははっ……ホントすみません」
笑った後、やや恥ずかしそうに呟く。身内の恥というものを感じているのかもしれない。
もう一度「気にするな」と言って、他愛のないやり取りを交わしながら坂を上っていく。
「そうそう、紅真。今日って暇?」
「んあ? 特に予定は無いけど……どうかしたか?」
「うちの親がたまにはご飯食べに来て欲しいとのことです。父さんが蒼真さんと呑みたいそうなので、良ければ剣道教室の後にどうぞと」
「ああ、成る程」
冬矢の言葉に納得する。小鳥遊姉弟の父親の小鳥遊秋人は神薙の元門下生らしく、八年前まではじいちゃんや親友だった父さんと呑みに良く家に訪れていた。しかし、オレの両親が交通事故で亡くなってからは暫くそれもなくなった。
一年後にじいちゃんの方から小鳥遊家に訪ねて、どんなやり取りがあったのかは知らないが、こっちがお邪魔したり、逆にむこうが訪れたりという形で家族同士の付き合いも復活して今に至る。
「帰ったらじいちゃんに伝えとく。明日は休みだし、たぶん大丈夫だろ」
「紅真さんは?」
「オレも行くよ。流石に一人で飯作って食うのは寂しすぎる」
「そうですか。僕らは部活があるので、すみませんが母さんたちには紅真さんから伝えてください」
「おう。分かった」
冬矢も昔少しだけ家の剣道教室に通ったことがあったが、どうも合わなかったらしくて今は弓道部に所属していた。
「でも良かったですね、姉さ──づぅ」
ごすっと、いきなり春菜が冬矢の後頭部を叩いた。痛みに冬矢が悶えている。
「おいおい、弟を殴んなよ。冬矢はお前と違ってそこまで頑丈じゃないんだから」
「加減はしてるわよ!」
いや、そういう問題じゃないと思うんだが。
二人は普段は仲の良い癖に、時折春菜が暴力を振るう。冬矢がからかうのが悪いらしいのだが、長い付き合いでも良く分らん。
なんやかんやで学校へと到着する。一年生である冬矢とは昇降口で別れ、オレと春菜は二階の教室に入る。クラスのほとんどが既に登校していたが、どこか倦怠感に似た雰囲気が教室に充満している。七月の上旬。期末テストは昨日で終わり、今日から終業式──教師がテストの採点を終えるまでの惰性のような期間だ。
グループごとにこれから訪れる夏休みの予定を話し合う者、部活関連で話している者、期末テストの結果を絶望視して意気消沈している者など、様々だ。
オレは勉強が得意じゃないが、じいちゃんがうるさいのでそれなりに努力している。結果もそれに見合った平均点程度になっていることだろう。
「おはよう紅真」
「おはよう」
仲の良い、もしくは席が近くのクラスメイトと挨拶を交わす。
すぐにチャイムが鳴り、ホームルームが始まる。
一コマ五十分の授業を特に問題無く六回受け、帰りのホームルームも無事終了。部活動をしていないオレは、帰宅するべく持ち帰る必要のある教科書やノート類一式を鞄に詰め込み、席を立つ。
「紅真、もう帰る?」
そこで春菜がやって来た。
「おう。残ってもやる事ねぇし」
しんどい期末テストが終わったというのに、自主的に居残り勉強するなんていう真面目さは持ち合わせていない。
「そっ。じゃあ、先生に夕飯の件伝えといて。あたしは部活あるから、また後でね」
「ああ。また後でな」
学校から家に帰って居間に入る。
「ただいまー」
「おかえり」
じいちゃんがオレの方に顔を上げて笑みを浮かべる。すぐに顔を下ろし、本を片手に将棋盤の上でパチッと駒を動かす。どうやら趣味の将棋をやっていたらしい。たまに相手をするが、相手が年の甲もあって全戦全敗を記録している。
「じいちゃん」
「どうした?」
本を閉じ、顔を上げたじいちゃんに今日の夕飯について小鳥遊家からのお誘いを伝えた。
「それで、行くって事で良いか?」
「ああ。折角の誘いを断るのも失礼じゃしな」
「了解。んじゃ、そう伝えとくわ」
居間を後に、自室で制服から着替えると、小鳥遊家に夕飯に行く旨を伝えた。
「はははっ、それで最近はどうなんじゃ? 仕事の方は順調にいっとるのか?」
「大学の方はぼちぼち、発掘の方は順調ですよ。先生の方はどうなんですか?」
夕食後に和やかなビールの注がれたコップを片手に談笑をするじいちゃんと秋人さん。秋人さんは近くの大学で教授をしていて、歴史や考古学を教えていた。同時に、高天市の郊外で発見された遺跡の発掘作業にも携わっているらしい。
「それなりじゃよ。最近小さい子たちが入ったんで、紅真に面倒を見させとる」
「あらあら、紅真くんも剣道を教えてるの?」
朗らかに笑いながら美夏さん──秋人さんの妻、春菜と冬矢の母親にあたる人が麦茶を運んできてくれた。
秋人さんは明るく活動的な人で、美夏さんは温厚で穏やかな人だから、春菜は秋人さんに似て冬矢は美夏さんに似たのだろう。外見は二人とも美人な美夏さんに似ていたが。
春菜と冬矢とテレビを見ながら夏休みの予定を話していたオレたちは、いったん休憩することにした。
「あっ、どうも。教えるってほどのもんじゃないですよ。せいぜい竹刀の持ち方や基本的な動作を教えるぐらいです」
麦茶を一口飲んでからそう告げる。実際師範代にいる人も何人かいるので、主な指導はその人達やじいちゃんが行う。段位は必要になったら取ればいいと言われているオレは、実力はともかく段も級も持ち合わせちゃいない。道場に通う人もそれを知っているので、俺が初心者の指導を任されても何も言われないというだけの話だった。
「それでも凄いと思うわよ」
「……あ、ありがとうございます」
褒められるのに慣れてないので、少し照れる。
「けど、あんたも部活もやって大会とかにも出れば良いのに」
「そうですね。ちょっと勿体無いです」
「ほっとけ。オレなりのこだわりだ」
道場は自分が継ぐことになるだろうから剣道教室で指導程度はともかく、部に所属して大会などに出る気は無い。オレが修めているのは断じて剣道と呼べるものではない。敵を破壊し、生き残る術だ。
そんなモノを修めた者が、真っ当に武道を志す者に混じる訳にはいかない。それが神薙紅真の信条だ。
それを伝えたことは無いが、何となく付き合いの中で察しているのか、春菜と冬矢は残念そうにしながらも何も言わなかった。
「?」
一人、その事を理解できていない美夏さんが首を傾げた時、小鳥遊家の電話が鳴った。
パタパタとスリッパを鳴らして美夏さんが電話に出る。
「はい、小鳥遊。……はい。分りました。少々お待ち下さい。──秋人さん。電話よ」
「俺? もしもし? ああ、君か。どうした? ……え? 面白い物が出た? 明日? 分った。朝一で行こう」
秋人さんが電話でなにやら話し込んでいる。
流れや発言から察するに、秋人さんが発掘に関わっている郊外の遺跡で何か出土品があって来て欲しい、といった所だろう。
「仕事の話かね?」
「ええ。まあ、そんなところです。遺跡で興面白いものが見つかったと連絡が。明日出向くことになりました」
ビンゴだった。
自分には関係ないかとテレビに向き直ろうとして、
「秋人くん、それならコレも連れて行ってくれ。発掘作業は手伝えんだろうが、力仕事は並み以上に役立つだろう」
「ぶっ!」
じいちゃんに指差された『コレ』であるオレは思わず噴出してしまった。
「ちょっ!? じいちゃん! 何でオレが!?」
「どうせ家に居ても暇そうにしとるだけじゃろうが、お前は。こうしてご馳走になっとる恩を返す良い機会と思え」
「……家事とか、道場の方はどうすんだよ?」
せっかくの休日にそんな事はしたくないのでせめてもの抵抗を試みるが、
「そんなもんは儂がやっておくわい」
無慈悲にも退路は断たれてしまった。
「あ~もう。分ったよ。行くよ、行きますよ」
「はははっ。まあ、簡単な荷物運びぐらいだけだから安心してくれていいよ」
「お願いね、紅真くん」
(ま、いっか)
秋人さんと美夏さんの笑顔を見ると、引き受けて良かったと、そう思うことができた。
「……で。何でお前らまでいるんだ?」
遺跡に向かう車の中にはなぜか春菜と冬矢の姿もあった。
春菜はカジュアルな感じのシャツにパンツルックでボーイッシュな雰囲気だが、彼女には良く似合っていた。
オレと冬矢はTシャツとジーンズというラフな格好だった。
「見学」
「面白い物が何なのか気になったので」
春菜が即答し、冬矢が補足する。
「そうか」
遺跡の出土品に興味を抱くとは、やはり親子ということだろうかと考えながら景色を見ながら車に揺られ、遺跡に到着した。
「小鳥遊さん」
車から降りると、秋人さんに声をかける人がいた。
白いものが混じり始めた頭をした、無精髭の中年の男性だった。
「やあ、霧島さん。おはよう」
秋人さんと男性が手を挙げて口の端を綻ばせていた。
初めて見る顔だった
が、恐らくこの遺跡の発掘に関わる人物なのだろう。
「そっちの子たちは?」
「ああ。今日荷物運びの手伝いをしてくれることになったボランティアの子と家の娘に息子です。見学したいと言うので連れて来ました」
「成る程。はじめまして、小鳥遊さんと同じ大学教授の霧島大悟だ」
「よろしく」と順に握手をして挨拶を交わす。
「いやしかし、君たちがいてくれて良かったよ。事情があって連れて来たんだが、この娘の話し相手がいないのが不安だったんでね」
「?」
頭を掻く霧島教授の後ろに、一人の少女がいたことに今気が付いた。
オレと目が合うと、少女は深く俯いて霧島教授の陰にさっと隠れてしまう。
「ったく、コイツは……」
霧島教授は嘆息して一歩横に退き、少女の背中を押した。
「あっ……」
「ほれ、自分で挨拶ぐらいしとけ」
促されてようやくといった感じで、恐る恐る顔を上げ、
「あの……えっと……霧島花音……です……」
消え入るような声で名乗った。
オレより歳は二つか三つ下といった所だろうか。肌は汚れの無い雪のように白く、軽く押した程度で骨が折れてしまうのではないか、と思ってしまうほどに線が細い。
可愛らしい顔立ちをしているが、怯えたような表情がその魅力を半減させていた。
「?」
その顔を見て、記憶のどこかに引っかかりを感じたが、思い出せない。
「あたしは小鳥遊春菜。よろしくね。こっちは弟の冬矢」
「小鳥遊冬矢です。よろしくお願いします」
内心首を傾げているうちに、小鳥遊姉弟が朗らかに笑いながら握手を求めた。
「あ……」
花音はおずおずと握手に応じると、春菜の溌剌とした笑顔に引かれたのか、ようやく俯き加減ではあったものの笑顔を浮かべた。
「ほら、あんたも自己紹介しなさいよ」
「あ、ああ……神薙紅真だ。よろしく」
春菜に肘で突かれて名乗り、会釈する。
花音は無言ながらも深々とお辞儀で返してくれた。白いリボンでまとめられたポニーテールの黒髪がふわりと柔らかく舞った。
「それじゃ、紅真くん。まずはこっちの道具類を運んでくれるかな?」
「分かりました」
「手伝います」
初めから見学だけじゃなく、手伝うつもりだったようで冬矢が進み出る。
「悪い。細々したヤツ頼むわ」
「はい」
考古学や発掘に関する知識がないので何に使うのか良く分らないものも多いが、それなりの数の道具類を担いで秋人さんと霧島教授の後に冬矢と共に続く。
背後では春菜が花音と話しながら付いて来る。
「ふーん。じゃあ、花音ちゃんは高一なんだ? 冬矢と同い年だね」
「……はい。背が低いんで下に見られがちですけど……」
耳届く会話で少し驚く。花音はもっと無口な娘のように考えていたが、どうやら人見知りするだけで無口でもなければ根暗でもないようだった。第一印象だけで勝手な印象を持っていた自分を恥じる。
「それにしても、姉さんは誰とでもすぐに打ち解けられますね」
冬矢が後ろを見ながら、しみじみとした口調でそう漏らす。
「そうだな。あれは春菜の特技で美徳だろうな」
とてもじゃないが、真似はできそうにない。特に花音のような大人し目の娘相手ではどう接すればいいのかさっぱり分らない。
「ほう! これはこれは」
秋人さんの驚きの声が聞こえた。
見ると、発掘で掘られた穴の手前で立ち止まっていた。そこに秋人さんが驚くような何かがあるのだろう。
そう思うと好奇心を掻き立てられ、道具類を置いてオレも近づいて穴の中を見下ろす。
「……え?」
オレも驚きのあまり声を失う。
穴の中では数人のスタッフが道具を手にそれの発掘作業をしていた。
恐らく、半分ほどはまだ土に埋もれた状態のそれは──
「……門……みたいですね。まだ大部分は土の中みたいですけど」
隣に立つ冬矢も珍しい物を見て驚いているのか、感心しているのか、溜め息を漏らす。
だが、オレの驚きは珍しい物を見た驚きとは違っていた。
「……これは、夢に出てくる……」
呆然と呟く。
掘り返された地面から上半分ほどが覗いていたのは、幾度となく見た夢に出てくる岩の門だった。
(夢に出てくる物が何で現実に?)
そんな疑問が脳裏をかすめたその時。ヴンッ、と機械が起動する時に似た音が耳朶を震わせると、岩の門が淡く白光を放ち始めた。
「な、何だ?」
常識離れしたその状況に嫌な予感を感じ、思わず後退りする。
「えっ!?」
「一体!?」
「これは!?」
周りのスタッフたちもこの状況に戸惑っているようだった。
「ねえ、どうしたの?」
「いや、オレにも良く解らな──」
追い付いて来た春菜と花音がオレの周りに集まった瞬間、岩の門が強烈な光を放った。
『うわぁぁああーーーー!!』
『きゃぁぁああーーーー!!』
白い光に呑み込まれ、周囲の光景が霞んでいく。白く染まった視界の中に青い光の柱が見えた。
抵抗する事もできず、身体は光の柱に引き寄せられていく。
エレベータが降りる時に感じるような、ジェットコースターが頂上から下り始める寸前のような独特の浮遊感を感じた。
『『行こう、遥かなる過去へ。我らの使命を果たすために』』
そんな二人分の、不思議と親しみのある声が脳裏に響く。
オレの意識はそこで途絶えた。