【外伝6・椎葉編】まだ誰も知らない、そんな未来へ
「と、いうわけで有坂さん、早速本陣に乗り込みますわよ」
普段以上に悪乗りが過ぎるお嬢様――絢芽ちゃんは、登場した時からすっかり戦闘モード。眼鏡の奥の瞳をいつも以上に分かりやすくギラギラさせて、俺――有坂椎葉を見つめる。
「いやいや絢芽ちゃん、ちょっと待ってね……」
見つめられた俺は、苦笑いで言葉を濁すしかなかった。
ここは、久那センの裏手にあたる場所。過去の建物と現在の建物が混在し、再開発が進んでいる、その一角。工事用の資材が無造作に並び、作業員の詰め所になっているプレハブ小屋が置いてある空き地の前で、俺達は先程からこんな問答を繰り返している。
時刻は午後7時過ぎ、夏でもさすがに日は暮れてしまった。住宅街でもないこの地区は、漏れる明かりも少なく、通り抜ける人ばかりになってしまう。
――誰も、気にもとめない。
でも、ここにいる彼女は、誰もが素通りするこの地区でも異彩を放つ。そんな、無意識の内に惹かれる強さを今日も全開にしていた。
……やっぱ『灰猫』には向いてないな、この子。既に後悔が押し寄せている。
「いやあのだからね絢芽ちゃん、俺達の活動の中心は諜報だから。諜報、ちょーほう。調べて調べて裏を取るのが目的だよ、分かってるよね?」
「ええ、分かっていますわ。ですので、あの小屋の中にいる男性方にお話を伺い、そこに星霜学園の女子生徒がいれば連れてくる、これでよろしいのでしょう?」
髪の毛を高い位置で結い上げ、Tシャツにジーンズ、肩からショルダーバックをたすきのようにかけ、足元はスニーカーという、それはもう行動的な絢芽ちゃんが、空き地の一角にあるプレハブ小屋に目線を向ける。珍しいのは服装だけでなく、今はなんとコンタクトレンズ着用というから俺もビックリだ。(まぁ、俺が頼んだからなんだけど)
そんな俺の格好は、ロングTシャツに七分丈のカーゴパンツ、足元はバッシュといういつもの格好。ちなみに、ズボンのベルト通しに引っ掛けているウェストポーチには、『灰猫』7つ道具が入っているのだ。さっき絢芽ちゃんに説明しようとして、笑顔で断られてしまったけどね!!
……それはさておき、見つめる先の建物は窓が明るく、時折動くものも見えるので、中に1人以上はいるはず。
とはいえ、こうも簡単に敵陣へ乗り込んでいいのやら……派手な揉め事に発展させたくないこともあり、どうしても尻込みしてしまう。
そんな俺の心情を、目の前の彼女は察してなどいないだろう。その目は普段以上に鋭く、そこにいるであろう獲物を捉えているような気さえしてきた。
「……俺が言うのもなんだけど、絢芽ちゃん、今日はやる気が凄いね」
「早く帰りたいのですから当然です。それに……私達が躊躇う時間が長ければ長いほど、彼女たちに危険が及んでしまう。だからこそ、こんな場所で立ち止まっていられませんの」
そう語る彼女の目は、相変わらず俺の方を見てはいないけど……でも、今はそれでいい。
俺も思い出した。この案件、これ以上時間をかけるわけにはいかないのだから。
「なるほど……それもそうだね。じゃあ、予定通り絢芽ちゃんに先行してもらうから。胸ポケットのICレコーダーは録音状態にしてね。あと、『堕落者』だったら容赦しなくていいって、雛ちゃんからも許可もらってるから」
「分かりましたわ。ご心配なく、私……自分の役割はキッチリこなさないと気が済まない性格ですの」
そう言って、俺の方をチラリとみやる絢芽ちゃん。その瞳の奥に、それはもう楽しそうな光が見えたことには……あえて突っ込まないでおくことにした。
話は数日前まで遡る。
『干渉者』の実力を底上げする合宿も終了し、久那高校でのオバケ騒動やら、香澄ちゃんと悠樹のつかず離れず事件など、この夏休みは特に色々なことがあったけれど……『灰猫』の有坂椎葉としては、この事件も見逃せない。
それは、久那市の中高生が一箇所に集まり、自分の性と若さを利用して、下品な大人から金銭を巻き上げる――要するに、売春行為だ。
具体的には今年の春頃から目に見えて情報が増えている。そんな、正真正銘の犯罪でありながら、今まで表立って騒がれなかった理由、それは……間違いなく『堕落者』が絡んでいる、と、俺は睨んでいる。
そして、それが決定的になったのが……先日、久那センで発生した、俺の能力の覚醒のキッカケにもなった事件だった。
「……例の件、大まかだけど、メンバーとアジトが分かった」
いつも通りのカラオケボックスの一室にて。司がタブレット端末を机上に置き、久那セン周辺の地図を表示させる。
画面上に打たれたマーカーの位置に、司の隣に座ってコーラを飲んでいた慎吾が画面を覗き込み、首を傾げた。
「って……ココ、今度タワー型の駐車場になるところっすよね? 確か今は絶賛工事中っしょ?」
「……そう。普段は工事現場の人の休憩所になっている建物があるんだけど、工事が休みの日や作業が終了した時間にもかかわらず、若者が出入りしてるという情報があったの。恐らく、現場で働いている人間も関係者なんだと思う。売る側か買う側か、までは、分からないけれど」
皮肉交じりの言葉を吐き捨て、司は冷たい烏龍茶をすすった。
慎吾はまだ信じられないという表情で首を傾げる。無理もない。この場所はここから歩いて5分以内でたどり着ける市の中心部。木を隠すには森のなかとは言うけれど、それにしても……堂々とし過ぎているから。
「こんな中心部で堂々と……若者が出入りしてれば目立ちそうっすけどねぇ……」
胡散臭そうに自分の隣で呟く慎吾を、司がチラリと見やる。私の情報が信じられないのか、と、言外で訴えながら。
「……今までは、拠点が転々としていて掴み損ねてたけど、ここはちょっと長めに居座ってるみたい。この辺りの飲食店は夜にオープンすることが多いし、そもそも、見るからにガラの悪そうな人間には関わりたくないもの。そういう思いが、ここを放置してしまったんじゃないかしら」
「なるほど、一理あると思うっす。さて……椎葉、どうする?」
そう言って顔を上げた慎吾が、机を挟んで向かい側に座っていた俺を試すような目で見つめた。
当然――俺の中で結論は出ている。俺は口元にニヤリを笑みを浮かべ、こう、言うしかなかった。
「当然、俺が行ってくる。んでもって、夏が終わる前に終わらせてくるよ」
そう、これは……俺がどうしても自分でケリをつけたかった案件。
先日の久那センでの戦いで、俺は、自分と同じくらいの年代の女の子が、苦しみ、もがき、救いを求めながら……その手を誰も取らなかったことを思い知ったから。
『灰猫』が爪を立てる相手は、久那市の平穏を乱す存在。
爪を立て、引っ掻いて、逃げる……それが、俺達の役割だから。
……と、いうことを誰よりも分かっているはずの司から、先日、一本の電話が入った。
「……例の件、東原さんにも同行をお願いしたから」
それは、俺にとっても寝耳に水、というか冷水。どういうことかと努めて冷静に問いただす俺に、電話の向こうの司は淡々と話を進める。
「……相手がどんな武器を持っているか分からない以上、いくら街中とはいえ、単体での行動は避けるべきだと思う。あと、綾小路会長からも頼まれたの。星霜学園の生徒の不祥事は、星霜学園の人間で解決したいからって」
「いや、それはいいんだけど、どうして絢芽ちゃんなの? 学園には他にも『灰猫』のメンバーが……」
「どう考えても東原さんの方が優秀だもの。勿論、椎葉よりも」
「……」
図星なので言い返せなかった。
「……あと、もしも『例の力』を使わなければならなくなった時、相手が何も知らないメンバーだったら困るでしょう? 私にそちらの詳しい事情は分からないけれど、東原さんならば椎葉も対処しやすいと思ったの」
「それはまぁ……」
理路整然と説明されると、多少強引でも「そうかなー」と納得してしまう、そんな俺の性格を熟知している司に、舌戦で勝てるわけがないのだ。
ため息をつく俺に、司は最後の爆弾を投下して電話を切る。
「……あ、東原さんには椎葉が指名したって説明してあるから。宜しくね」
「ちょいちょいちょい!? つかっ……!!」
通話の終わったスマートフォンから、司の声は聞こえない。
俺は内心、盛大にため息をつきながら……でも、絢芽ちゃんはこの条件を承諾してくれたのか、と、思うと、彼女が何を考えているのか益々分からなくなって……もう一度、重たいため息をついたのだった。
話は戻って、数メートル先にいる絢芽ちゃんは、プレハブ小屋の入り口の前に立ち、扉をコンコンと軽くノックした。
引き戸を開いて出てきたのは、長い茶髪に口元のピアスが痛々しい、若い男が1人。最初は訝しげな表情ながら絢芽ちゃんを招き入れ、下品な笑みと共に扉を閉じる。
さて、と……今まで入り口の物陰に隠れていた俺も移動を開始。予め調べておいた、外からも中からも見えない壁際に陣取り、中の様子を伺う。
「で、ですので、私のお友達がここに……きゃぁっ!!」
「星霜学園のお嬢様は世間知らずで威勢がいいねー、そういう子、俺達も嫌いじゃないよー」
「そうそう、飛んで火に入る夏の虫ってね。しっかし、中々の上玉が飛び込んできたもんだぜ……」
中の会話を盗み聞いていると、中には男性が2人。肝心の星霜学園生はいないようだ。
今回潜入してもらった絢芽ちゃんは、「友達を助けようと1人で乗り込んできたお嬢様」を演じてもらうことにしている。最初から強く出ると何も引き出せない。奴らの中で、お嬢様は花のように可憐で、か弱い存在なのだから。
だからこそ、普段とは違う高めの声で喋り、コンタクトレンズを着用してもらっている。服装と髪型も、本当はお嬢様っぽいヒラヒラしたものをリクエストしたんだけど……「緊急時に動きづらい」と冷たく却下されてしまった。『堕落者』討伐はミュールで立ち回るくせに……ちょっと残念。
それはさておき……絢芽ちゃんの演技は続いているようだ。
「腕、痛っ……はなっ、離してっ……!!」
「いいねいいね、そういう表情大好きだよー。でも、もっと泣かせたくなってきちゃったなー」
男たちの下品な笑い声は外にいる俺にもバッチリ聞こえてきた。とはいえ、まだ、肝心なことが分からない。絢芽ちゃん、もうちょっと頑張って!!
「わっ……私の友達は、どこにいるんですか!?」
「んー、史香ちゃんのこと? あの子なら今頃、あの成金デブ社長とデートしてんじゃね? 確か、今日は最初に近くのイタリアンとか言ってたし……どっちみち、今日はもうここにはこないよ、残念だったねー」
成金デブ社長……ひどい言いがかりを聞いてしまった、かもしれない。そして、ターゲットがここに戻ってこないということは、これ以上、ここにいても意味が無いということだ。
先程から探っているけれど、『堕落者』の気配も感じない。
「――そうですか」
俺と同じことを察した室内の絢芽ちゃんが、声音を元に戻し、静かに呟く。
そして……。
数十秒後、いきなり静かになった室内へ俺がオズオズと潜入してみると……。
「……人を見かけで判断するものではありませんわよ」
気絶した成人男性を部屋の中にあったロープで腕と足を縛り上げ、ふぅとため息をつく絢芽ちゃん。
どうやって気絶させたのか……俺はあえて、詳しく尋ねないことにした。
10畳くらいの室内は長机が2つと、無数のパイプ椅子。机の上にはスマートフォンが2つとノートパソコンが1台置いてある。室内にはタバコの臭いが染み付いており、無意識の内に顔をしかめてしまった。
絢芽ちゃんは胸ポケットのICレコーダーを取り出し、録音を止める。それを受け取った俺はひとまずウエストポーチに片付けて、中にある自分のスマートフォンを取り出した。
ノートパソコンに表示されていたのは、地図。画面を写真を撮影しながら大急ぎで地域を特定する。
「ここは……うげ、分かってたけどホテル街かよ……」
ノートパソコンに表示されていたのは、郊外にある高速道路のインターチェンジ近辺だった。この辺りは工業団地とホテル街があり、全く行ったことがないわけでもないけど(『灰猫』の調査だよ、調査!!)俺も正直、担当エリア外ということもあって、裏道などに自信があるわけではない。
しかも、相手――成金デブ社長は恐らく車を使ってここまで移動するだろう。果たして、今から追いかけて追いつけるのだろうか? さすがに高校生2人がホテル街でウロウロするのは悪い意味で目立ってしまうから避けたいところなのだが――
「……イタリアン……」
机を挟んだ向かい側で、ボソリと呟いた絢芽ちゃん。そして何かを思い立ったように自分のスマートフォンを取り出すと、どこかへ電話をかけ始める。
「……もしもし、いつもお世話になっております、東原の家の者ですが……」
とりあえず予想がついたので絢芽ちゃんに任せつつ、俺は俺で仕事をしなければ。
ポーチから布手袋を取り出し、両手に装着。そして、パソコンの中に何かデータが眠っていないかと探してみる。
さすが、茶髪ロン毛ピアスな若者のパソコンはセキュリティもガバガバで、デスクトップに名簿へのショートカットが実装されているではないか!! 当然のようにロックはかかっていないのでそれを開き、これまたポーチから取り出したUSBメモリにコピーを取っておこう。どうせ、このパソコンも私物か盗品だろうから……ま、いいよね。(良い子は決して真似しないでね!!)
コピーを終えたとき、絢芽ちゃんの電話も終わった。
「白鳥さんがどこにいるのか分かりました。この近所にあるイタリア料理店ですわ」
白鳥さん――星霜学園3年生の白鳥史香さんが、今回、俺達が探している星霜学園の生徒だ。
彼女の情報網と人脈に内心舌を巻きつつ、俺は苦笑いでノートパソコンの電源を落とす。
「すっごいね、絢芽ちゃん……あれだけの情報でよくお店まで特定できたもんだよ」
「難しいことではありませんわ。相手の目的を考えると、タクシーでの移動は目立ってしまうから自家用車で移動するはずです。しかも、女子高生と妙齢の男性の食事であれば、個室があるお店を選ぶのではないかと思いましたの。この辺りに駐車場があって、しかも個室があるイタリア料理店なんて、限られていますもの」
サラリと言い放つ絢芽ちゃんだが、短時間でこれだけのヒントを手繰り寄せ、答えにたどり着いたのはさすがと言うべきだと思う。
「でも、一発目で当てたのは凄いと思うよ。で、これから移動して乗り込む?」
俺の言葉に、彼女は首を横に振った。
「お店にあまり迷惑をかけたくありません。2人は30分ほど前に店に入り、現在はメインディッシュを食べているということですので、少なくともあと30分は出てこないと思う、と、言われましたわ。2人が食事を終えたら連絡をもらうよう頼んであります。それまでは近場で待機しておくのが懸命ですわね」
「なるほど……じゃあとりあえず、久那センのドーナツ屋さんで俺達も仲良くデートしますか?」
手袋を外した俺がいつもの調子で問いかけると、彼女もまた、いつもの調子で返答する。
「そういうことであればお断りします。私、4階の書店で時間を潰しますわ」
「冗談です……単独行動は色々面倒なので、お供させてください……」
と、いうわけで、一旦いつものドーナツ屋さんに引き上げてきた俺と絢芽ちゃん。ここに来るまでにそれぞれで簡単に食事は済ませているので、いつでも動けるこのお店が、今の俺達にはピッタリなのだ。
それぞれにドーナツと飲み物を注文し、一番扉に近い二人がけの席に、向い合って座っている。
とはいえ……夏休み真っ只中の夜、俺達の周囲は高校生や大学生のカップルが多く、正直、形見が狭いというか落ち着かないというか……。
「これはもう外してもいいですわよね……っと」
そんな、心が浮ついている俺など全く気にしない絢芽ちゃんは、つけていた使い捨てコンタクトレンズを外し、テーブル脇にある紙ナプキンを1枚取ると、とりあえずその上に置いた。
そして、ショルダーバックからメガネケースを取り出し、いつもの絢芽ちゃんに戻る。
「あれ、もう外しちゃうの? コンタクトでも十分可愛いのに」
「慣れないコンタクトレンズは角膜を傷つけてしまうかもしれませんし、何よりも目が疲れますわ。これは私の印象を変えるための道具ですから、もう、その役割は果たしたはずです」
「えー、俺の目の保養っていう大切な役割が……ゴメンナサイ……」
笑顔の彼女に睨まれ、俺は慌てて手元のアイスコーヒーをすすった。
そんな俺を、彼女は訝しげな瞳で見つめたまま。
「以前からお聞きしたかったのですけど……有坂さん、諜報員の割に派手過ぎませんこと?」
「え?」
「その頭髪とアクセサリーです。仮にも組織を束ねる立場にいるのに、少々目立ちすぎるのではありませんか?」
絢芽ちゃんの指摘は最もだと思う。確かに俺の金髪ピアスは、『灰猫』という諜報活動をするには目立ちすぎている。
でも……俺の場合は、むしろそのほうがいいと思っているから。
「まぁ、普通はそう思うよね。でも……『親猫』はこれでいいと思ってるんだ」
「どういう意味ですの?」
「確かに、何かを調べている時は目立たないほうがいいよ。でも、誰にも知られずに活動したって、誰も『灰猫』のことを恐れなくなっちゃうよね。『灰猫』は人知れず調べているけど、確かに存在している……その証拠の1つが、俺達『親猫』なんだ。俺達が基本的に外部と交渉するから、一度でも俺達に関わって痛い目を見た連中は、『灰猫』=金髪の俺とか、クールな司とか、飄々と容赦しない慎吾とか、そういう印象があると思う。だから、俺は少し目立ってもいいと思ってるわけ」
「顔がバレているということは、それだけリスクが高くなりませんか?」
「そりゃあ、怖い目にあいそうになったことは何度かあるよ。だから学校外ではなるだけバイトとかして、人が多い場所にいるとか、護身術で最低でも自分の身は守れるようにしておくとか、注意と備えはしているつもりかな」
「そうですか……」
表情で「やっぱり理解出来ない」と訴える絢芽ちゃんは、手元のアイスカフェオレをすすり、ため息ひとつ。
「……最初から相容れない方だと思っていますが、お話を聞くと余計に混乱しますわね」
「うわ、それはちょっと失礼じゃない? 一応俺達、運命共同体なんだぜ?」
「そうかもしれませんがそれ以前に全く異なる個人ですから。とりあえず……無理はしないでくださいませ。私がフォロー出来なくなりますので」
「え? 絢芽ちゃん、俺のこと心配してくれちゃってるの!?」
予想外すぎる展開に、俺は思わず身を乗り出して彼女をマジマジと見つめてしまう。
しかし、相も変わらず夏なのに冷たい眼差しで俺を見つめる……というか睨んでいる彼女は、口をへの字に曲げて返答した。
「有坂さん、私と行動を共にする意味が分かっていますの? まさか……私の家からどんな職業の人間が排出されているか、知らないわけではないでしょうに……」
「え? 絢芽ちゃんの家から? そういえば……ちゃんと聞いたことなかったね。なになに? 旧家だから大地主とか? ご近所トラブルは……俺も専門外だからなぁ……」
そういえば俺は、絢芽ちゃんの家のことを何も知らない。
古い家、大きな家、昔から『干渉者』を育て、然るべき時に真っ先に排出する家……その程度だ。
うーむと考えこむ俺から視線をそらした彼女が、ウンザリした表情で飲み物を流しこむ。
「……ご存知ないのならば、そのうち山岸さんから聞いてください。とにかく、私の家は不祥事を嫌いますの。雛菊さんの手で隠蔽出来る事柄ならまだしも……今回はまだ、どちらに転がるか分からない。もしも『堕落者』が関与していなかった場合、相手は権力のある大人ですから、どんな手段で出るか分かりませんわよ」
「あー、その辺は俺も引き際は心得てるし、気をつけるよ。それに……」
「それに……?」
「そういう大人は、俺達子どもを舐めきってる。仔猫だと思ってるからね。確かに俺達は相手ほどの権力もコネもないけど、俺達は、そこにある火種に燃料を投下して、見えなかった暗がりを明るくするだけでいいと思ってるんだ。そうすれば……後は勝手によく燃えるからね」
「……そうですか」
そっけない返事を返す彼女の横顔は、何も知らなければドキッとするくらい綺麗なんだけど……色々知っているから、「あーあ、ちょっと不機嫌になっちゃったなー」という後悔が残る。
よし、話をそらそう。
「そういえば、絢芽ちゃんにもメールは送ってたよね。例の、悠樹のメールについて」
先日、俺のスマートフォンに届いた悠樹からのメールは、俺をニヤつかせるには十分すぎる破壊力を持っていた。
『香澄は渡さない』
あれからちゃんと悠樹には会えていないけど、しつこく電話をして聞き出した結果、香澄ちゃんへ特別な感情を抱いていることがようやく確定したところなのだ。
「絢芽ちゃんは、あの2人……いつごろくっつくと思う?」
「さぁ」
「さぁ、って……素っ気ないなー。もっと食いついてくれないとつまんないぜー」
ぶーっと口を尖らせる俺の方をようやく見てくれた絢芽ちゃんだが、その眼差しは虫を見るように冷たい。
「関係ない外野がどうこう言う問題ではありませんわ。私達は何もしないほうが得策ですわよ」
「絢芽ちゃんは本当、こういう話にのってこないよなー……女子高生は大好物なはずだぜ?」
「女子高生にも個人差がありますから」
「そういう絢芽ちゃんは、好きな奴とか……いないわけ?」
「必要ありません。私の生涯の伴侶は……私が決めることではありませんから」
「へ?」
予想外の展開に、俺は心の底から間の抜けた声を出してしまう。
対する絢芽ちゃんはどこまでも冷静に、コップに半分ほど残っているアイスコーヒーをすすりながら、淡々と話を続けた。
「将来的に、東原の家を継ぐのは私になるでしょう。御存知の通り、兄はいますが……『雫』を使っているのは私です。代々、東原は女性頭首が子孫を残し、『雫』を使う能力を伝承してきましたので、私もそれに習いますわ」
「ちょい待ち!! じゃあ余計に、絢芽ちゃんの意思が反映されるんじゃないの?」
「いいえ。現当主の意向を汲んで、質の高い能力者を残せると判断された男性とお見合いをすることになるでしょうね。具体的な選び方までは分かりませんが……それで家が、『雫』が残るなら、それで構いませんから」
「……本当に?」
俺は絢芽ちゃんを真っ直ぐに見据えて、静かに問いかける。
「本当に……それでいいって、思ってる?」
店の喧騒の中、数秒だけ見つめ合った後……彼女は俺から視線をそらし、ふぅ、と、ため息ひとつ。
「最近は……色々ありまして、この将来に疑問を抱くこともありますわ。でも、そうしなければ『雫』を次に繋ぐことが出来ない。私の意思だけではどうしようもない事情があるんです」
「絢芽ちゃんのおメガネに叶う男は、必然的にそういう能力が高いんじゃないの? ほら、スタンド使いは惹かれ合うって言うじゃん」
「何をおっしゃっているのかよく分かりませんが、そんな都合のいい相手と巡り合えればいいですわね……」
そう言って頬杖をつき、もう一度ため息をつく絢芽ちゃん。
そんな彼女の横顔に、俺は……意を決して、こんな提案をしてみる。
「例えば、これは本当に例えばの話だけど……俺や悠樹が相手だったら、東原家は万々歳なの?」
「いいえ、むしろ真逆です」
視線も合わせず即答されてしまった。さすがにちょっと凹む。
「それは……単に絢芽ちゃんが俺を毛嫌いしているからでは……」
「それも確かにありますが根本は違いますわ」
否定しないのが彼女らしいけれど、不意に俺を真顔で見つめる彼女が「このことは……他言無用にしていただきたいのですが」と念を押してから、驚くべき理由を説明してくれる。
「私達『干渉者』同士が血縁関係になることは、東原の家としては、絶対に避けたいことなのです。これは喩え話ですけれど、東原は水の、有坂さんの家は大地の力を受け継いでいます。それが途中で混ざってしまえば……取り返しの付かない不純物になってしまうかもしれない。東原の家も、そして、恐らく雛菊さんも、この事態を最も恐れているはずです」
「へ? 雛ちゃんも? じゃ、じゃあ……香澄ちゃんと悠樹はどうなるんだ?」
「正直……その辺りが私にも分かりませんの。ただ、もしも雛菊さんが、香澄さんと奥村さんが今以上に親しくなることを望んでいなければ……何か仕掛けてくる可能性もありますわね」
「マジかよ……」
ここにきて、まさか、雛ちゃんが2人の障害になる可能性が浮上してしまった。
予想以上の壁にため息をつく俺に、涼しい顔の絢芽ちゃんが残りのアイスコーヒーをすする。
「だから、私達は何もしない方が得策なのです。私達が余計に干渉して、話がややこしいことになってしまったり……最悪、お二人にとって悲しい結末になってしまったら、悔やんでしまいそうですから」
「……了解。俺もちょっと気をつけるよ。教えてくれてありがとうね」
「いいえ。これはあくまでも憶測ですから、重ねて他言無用でお願いしますわよ」
「任せてって。俺、口は堅いんだぜ」
俺が気持ちを切り替えて何とかいつもの笑顔を作った次の瞬間――机上に置いていた絢芽ちゃんの携帯電話に着信が入る。
彼女が小さく頷いたことを確認して、俺は残りのドーナツを急いで口に入れたのだった。
そのイタリア料理店は、先ほど小競り合い(?)が繰り広げられた工事現場から、本当に目と鼻の先にあった。
「――っ!?」
各店舗の明かりが寄せ集まり、かろうじて照らしている店の前の歩道で佇む俺と絢芽ちゃん。その姿に気がついた彼女――白鳥さんが、ことさら、絢芽ちゃんの顔を見て顔面を引きつらせたのが、薄暗い中でもはっきり確認出来た。
刹那、俺はスマートフォンのカメラ機能を使ってシャッターをきる。あえてシャッター音を消すアプリを使ったりはしない。写真を撮影した、その事実も相手に突きつけたいのだから。
念の為に数枚撮影して、画面を確認する。ナイトモードに設定しているとはいえ、薄暗くて鮮明ではないけれど……顔ははっきり特定できるから、現代のスマートフォンは本当に使える。
俺のシャッター音にビビったのか、男のほうが数歩後ずさりをした。今の俺の位置からは暗がりで顔がよく見えない、小太りの男性と連れ立って出てきたのは……黒くて艶のある髪の毛をアップでまとめた、大人っぽい『子ども』だった。ノースリーブのドレスワンピースが、スレンダーな彼女の肢体を浮かび上がらせている。でも、それでも……まだ残る幼さや怯えを、隠しきれていないから。
立ち止まる2人へ、絢芽ちゃんが近づいていく。
「私が同じ学園生だということは、ご存知のようですわね、白鳥先輩」
「あ、の……これ、はっ……!!」
「先に申し上げておきますけれど、隣の男性が父親だとかご自分の身内だとか、つまらない嘘で塗り固めても無意味ですわよ。私達はお二人のことを知った上で、ここにいますの。それがどういうことか、お分かりですわよね?」
絢芽ちゃんが話を進めてくれている間に、俺は周囲に『堕落者』がいないかとアンテナを張り巡らせるけれど……残念というべきかなんというべきか、この周囲にそれらしき気配は感じられなかった。
要するに――今回のこの事件は、純粋に人間の悪意や好奇心が生み出したものだ。
それが分かると……少しだけ、どこかやるせない気分になってしまうけれど。
俺は背後から絢芽ちゃんの右肩を、トントンと2回叩く。それは、今回の件に『堕落者』が関わっていないことを知らせる合図。
すぐに気づいた絢芽ちゃんが前を向いたまま軽く頷き……大きなため息をついた。
「……とはいえ、今回はまだ未遂のようですし……ここで解散するのであれば、これ以上大事にするつもりはありませんわ。白鳥先輩は確か、星霜学園大学への推薦入学をご希望だと伺っておりますし……隣の男性も、どうせ家族がいらっしゃるのでしょう? 罪にするのかしないのか、今すぐ決めてくださいませ」
突き放すように言い放った絢芽ちゃんに、黙っていた男性が初めて口を開く。
「さっきの……さっきの写真は、消してくれるんだろうな!?」
「さあ」
「さあって……!!」
「それだけやましいことをしている自覚があるのでしたら、結論は……もう、出ていらっしゃいますわよね。それに、これ以上やり取りを続けて注目を集めて困るのは、私達ではありませんわよ」
俺の位置から彼女の顔は見えなかったけど……普段より鋭い口調で結論を迫る背中が、彼女の怒り具合を俺にも伝えてくれる。
しゃんと背筋をのばし、体格以上の存在感で相手に迫る絢芽ちゃんは、絶対に敵に回したくないな、と、俺は内心で強く思っていた。
でも……同時に、自分の動揺を敵に悟られないようにするため、普段以上に饒舌になっているようにも感じたんだ。
その後、例の2人は現地解散。互いの連絡先を消去したことまでは確認しない。続けたければ続ければいい、けど、次に見つけたら情けはかけない――それが、俺達のやり方だから。
その場から離れてもう一度久那センのドーナツ屋へ避難してきた俺達は、互いに飲み物のみを注文して、向かい合わせに座っていた。
とりあえず、先ほどの写真は司へ転送しておく。その前にゲットした資料とあわせてあの男性の素性を調べあげ、必要であれば(他にも余罪があるようならば)本人やしかるべき機関へ通告することになるだろう。
もしかしたら、久那市の人間ではないかもしれないけど……でも、俺達の縄張りでハメを外そうとうしたのが運の尽きだと思って、素直に反省してもらいたいものだ。
……なーんて思いながらメールの送信を終え、顔を上げると……どこか憂鬱な表情の絢芽ちゃんが、無言でアイスコーヒーをすすっていた。
「とりあえず、お疲れ様。絢芽ちゃんがいてくれたおかげで、俺も超助かっちゃったぜ!!」
「そうですか……」
「うっわ、元気ないねー。拍子抜けしちゃうよ」
俺はコーラをストローですすり、一度ため息をついた彼女へ、苦笑いを向ける。
「やっぱ……ショックだった? 『堕落者』とか関係なく、ああいうことをしている学生や大人がいたこと」
「……ええ」
彼女は短く返事をすると、少し疲れた表情で俺を見つめる。
「正直……心のどこかで考えていましたの。今、久那市の治安が悪くなっているのは、全て『堕落者』が干渉しているせいだと。星霜学園の時のように、全ては裏で『堕落者』が糸を引いていて、心の弱い女性を獲物にしているのだと……そう、思っていました」
「まぁ、久那センでのこともあるし、今回のことも、もっと突き詰めれば『堕落者』が関与してるかもしれないけどね」
「そうかもしれませんわね。でも……先ほど私の目の前で起こったことは、そうじゃなかったんです」
「……そうだね」
「私は、自分が厳しい世界で生きてきたのだと思っていました。幼い頃から修行をして、『雫』を使って、幼稚園から星霜学園で……確かに厳しかった、でも、それは優しい大人が見守ってくれていた中にある厳しさだったんですわね。私はある意味、管理された厳しさの中で己を高めてきた。だから、管理されていない世界を見せつけられて、こんなに動揺しているのだと思います」
そう言って、机上に置いた両手を握りしめる絢芽ちゃん。
そう、確かに彼女の生きてきた世界は厳しいものだ。だけど……それは一本筋の通った、厳格て、美しい世界。
その世界から一歩外に出ると、世界は――歪んでいて、汚なくて、理不尽で、どうしようもないと絶望することもある、そんな世界になることがある。
俺もかつて、そんな世界で生きてきた。
大人は誰も信じられない。でも、大人がいなければ生きていけないから……表面で笑って、取り繕い、相手の本性や本音を探る。
世界が汚いことは十分知っていた。自分の思い通りにならないことも嫌になるほど経験してきた。
だから――『灰猫』で、そんな世界を裏からこっそり変えたいと思ったんだ。
白いものを白い、黒いものを黒いと言いづらくなった、全てが曖昧で灰色のこの世界を……変えたいって。
「……あの程度で動揺するなんて、私もまだまだですわね」
絢芽ちゃんは不意に、握っていた両手を開いた。
そして、俺が良く知っている凛とした表情で、どこか不敵に、こう言ってのける。
「私にも、もっと知るべき世界があることが分かりました。今回のことが良い経験になりましたわ。ありがとうございます」
そう言って、軽く会釈をする彼女からは、先ほど感じた動揺は消え去っていて。
強く、思ったんだ。
君は――俺と同じ方向を向いて、一緒に世界を変えてくれるんじゃないか、って。
だから、前言を撤回するよ。
「……絢芽ちゃんはさすが、自己分析とか完璧だね」
俺の言葉に、彼女は静かにアイスコーヒーをすする。
じゃあ――俺がこんなことを提案したら、君はどんな返事をするだろうか?
「ねぇ、絢芽ちゃん……正式に、俺達の仲間になってくれない?」