【外伝4・星霜学園編】優雅で密かなる女子会
夏の、とある金曜日の昼下がり、時刻は13時を過ぎた頃。
私――東原絢芽は、在籍している星霜学園内にあるカフェテリアで、少し遅くなった昼食を食べ終えたところだった。
今日は午前中に課外授業が実施され、12時前まで普段通りの授業を受けていた。私は部活に所属していないので、普段ならば真っ直ぐ帰宅するところなのだけど……今日はちょっとした『会議』への出席を打診されているため、校内に残って時間を潰している。
星霜学園の生徒会長・綾小路先輩によると、会議が始まるのは13時半からだということだった。約30分後、それまではここで本でも読むか……そう思って、カバンから文庫本を取り出す。
夏休み期間は昼食のみの営業となっているカフェテリアは、既に閉店準備の真っ只中。厨房の奥では片付けが始まり、食器を片付ける音が響いている。
このテーブルは校舎が閉まるまでは自由に使っていいので、別に追い出されることはないけれど……私以外に生徒の姿はなく、何だか私も早々に移動したほうがいいような気がしてきた。
この場所は……以前、力を使った場所でもあるし。
今の時間ならば、会長も生徒会室にいるかもしれない。今回の『会議』の内容は何となく察しているけれど、私が知らない情報があるかもしれないから、早めに移動して資料くらい目を通しておくか……。
「……資料があれば、ですけどね」
ボソリと呟いた私の声は、食器が重なる甲高い音にかき消された。
さて、5分ほどで生徒会室に移動した私を待っていたのは……。
「あら、ごきげんよう東原さん。早かったですわね」
部屋の奥にある専用の机で作業をしていた綾小路先輩が、顔を上げて笑顔を向けてくれる。
暑い日々が続くからなのか、フワリと癖のある髪の毛を1つに結い上げ、夏場でもセーラー襟とスカーフ着用の星霜学園夏服を完璧に着こなしている、生徒ならば誰もが憧れる存在だ。
その手前にある別の机で作業をしていた、副会長の御崎さんも、私に気がついて軽く会釈をしてくれた。相変わらずのお下げが耳の横で揺れている。
今のところ室内にはこの2名のみ。星霜学園の生徒会は他にも、確か……あと3人はいたはずだ。この高校の生徒会は選挙でなく、やりたい人間が集まるという部活動に近い形式をとっているので、正式に何名在籍しているのかは、私も把握していないけれど。
とりあえず空いている場所――御崎さんの前――にある椅子を引いて腰を下ろした私は、自分を呼びつけた綾小路先輩を横目でみやり、話を切り出す。
「生徒会でない私に、わざわざ何の御用ですか、綾小路先輩」
事務的な口調になる私へ、綾小路先輩が整理をしていた書類の影から顔を覗かせ、どこかとぼけた口調でこう告げた。
「あら、東原さん……2学期から本格的に、生徒会へ入っていただけるのではないの?」
「検討します、とはお答えしましたが、入りますとは言っていませんわ」
「あら残念、東原さんがその気になってくれたと、御崎さんと2人で喜んでいたところだったのに……」
白いハンカチを取り出して、わざとらしく目元をおさえる綾小路先輩。この人……こんなコミカルなことをする女性だっただろうか?
自分の脳内にあるイメージが大急ぎで書き換えられていくのを感じつつ、気を取り直して、再び問いかける。
「ですので、今日は何の用事なのかと伺っているんです。私、14時30分以降は用事がありますので、それまでに終わるようお願いしますわ」
今日の午後、15時過ぎからは、『干渉者』としての招集がかかっている。一度自宅に帰って身支度を整えてから改めて戦地に赴きたいので、遅くとも14時30分には高校を出たいところだ。
私の都合を改めて伝えると、綾小路先輩はチラリと扉の方をみやり……「そろそろ来るはずですから、少し早いですが始めましょうか」と呟き、手元の書類を脇へ片付け始めた。
そして、何事かと改まる私を真っ直ぐに見つめ、こんなことを言う。
「ではこれより、『第1回・奥村会長と樋口さんの仲を微笑ましく見守る会』を始めますわ」
「……はい?」
数秒考えこんで口から出た私の声は、星霜学園の生徒としては恥ずかしいくらい……間の抜けた声だった。
一瞬、綾小路先輩が何を言っているのか理解出来なかったし、私を笑わせるための冗談かとも思った。
しかし、彼女の大きな瞳はどこまでも真剣に輝いていて……先ほどの宣言がその場しのぎでない、これまで地道に準備してきたことを伺わせる。
でも、いや、そもそもこれは……。
「綾小路先輩、1つ……確認しておきたいことがあるのですけれど……」
「はい、何でしょうか東原さん」
「この会議には、当事者である香澄さんや奥村さんは参加なさるのですか?」
「いいえ。むしろお二人には知られたくないので、東原さんも他言無用でお願いいたしますわ」
「はぁ……でしたら益々意味が分かりません。どうして当事者でもない私達がわざわざ集まって、香澄さん達の仲をとりもつようなことを考えなければならないのですか?」
夫婦喧嘩は犬も食わない、ともいうように(そもそも2人は夫婦ではないけれど)他人が干渉すべきではない……要するにお節介ではないのか、と、言外に含める私に、相変わらず根拠の見えない余裕を持った綾小路先輩が、優雅に反論する。
「確かに、私達の行動はお節介なのでしょうね。ですが……お二人の近くにいる東原さんならば感じているのではありませんか? あのお二人の焦れったさというか、客観的に見てどう考えても互いに相手を意識しているのにあと一歩踏み出せないもどかしさみたいな、そのような感情を」
「……」
図星だったので言い返せなくなる。
確かにあの2人は……まぁ、色々厄介というか、どちらでも良いから素直になって告白でもして、更に先の関係へ進んでも良いのでは、と、イラッとしてしまうことがないとはいえない。
でもそれが、香澄さんと奥村さんのリズムなのだ。それを外野が急かしてお膳立てするのは、やはり違う気がする。
それに……綾小路先輩は、先日の夏祭りで奥村さんに告白し、その思いが叶わなかったと聞いた。今回のことは、それに対する当て付けではないのか?
自然と、彼女を見る目が厳しくなってしまった私へ、綾小路先輩はどこか嬉しそうにこんなことを言う。
「東原さんが、自分以外の誰かをこんなに気遣うなんて……やはり、あのお二人との関わりは、貴女に良い影響を与えているみたいですわね」
この人は、こんなに脳天気なことを言う人だっただろうか? 意味不明な会合とも相まって、自然と、言葉が厳しくなってしまう。
「お言葉ですが綾小路先輩、私は普段からも、綾小路先輩や御崎さんを含め、自分の周囲にいる人のことは気遣ってきたつもりです」
「ええ、良く知っているわ。その気遣いが……一歩引いた、仕事をこなすようにどこか事務的なものだったということも」
「……」
自分でも気にしていたところを容赦なく指摘され、思わず口ごもった。
そこへ、私が良く知っている、理知的な綾小路先輩がたたみかける。
「私からも少し厳しいことを言わせていただきますと、入学当時の東原さんは、学内でも浮いていましたわよね。中等部の頃はそこまででもなかったけれど、春休みに何かあって、貴女を取り巻く空気が研ぎ澄まされすぎてしまった。その空気に圧倒されて近づけなかったクラスメイトがいること、気付いていなかったわけではないでしょう?」
「それは……」
「でも、最近の東原さんは違う。良い意味で丸くなって、心に余裕が出来たのではないかと感じることが多くなりました。それは、樋口さんや奥村さんなど、外部の方と深い交流を持つようになったからだと、私は考えていますの。私は東原さんを変えてくださった樋口さん達に感謝していますわ。だから何か力になりたい、それだけです」
笑顔で語る綾小路先輩だが……その裏にはまだ何か隠している。
直感的にそう思った私は、ジロリと冷めた目で見つめ、カマをかけてみることにした。
「……本当にそれだけですか?」
私の言葉を受けた彼女は、しばらく笑顔だったけれど……やがで表情を崩し、はぁ、と、重たいため息をひとつ。
「まぁ、今は正直……三木先生の問題を生徒会としてどう認識して片付けようか、そのことだけで頭が痛いですわね。だから、これくらい現実逃避しないと、疲れきってしまいますの」
あの綾小路先輩に「現実逃避」したいと思わせている目下の問題は……先日、私達『干渉者』的には綺麗に片付いた、星霜学園を中心に発生していた諸々の事件だった。
本人の記憶は消したけれど、目の前にいる綾小路先輩も、その事件には深く関わっていて……結果、私は彼女が感じていた孤独を少しだけ感じることが出来た。
だから今、私はなるだけ生徒会に顔を出すようにしている。綾小路先輩の経過観察という意味もあるけれど、それ以上に……また、彼女に負担と責任を強いて、孤独にしないように。
それはさておき、三木先生の歪んだ願望が力を得て暴走した結果、彼は引き返せない罪を犯した。それは亜澄さんや蓮華さんの思惑からも外れ、雛菊さんの隠蔽からも外れてしまったため、彼には現実世界でそれ相応の処罰が下される。間違いなく逮捕されるため、社会的信用の失墜は免れないだろう。
そしてそれは……この星霜学園にとっても忌々しき事態だ。これまで数多くの淑女を輩出してきた名門お嬢様学校の男性教師が、女子高生の売春容疑で逮捕されてしまうのだから。
勿論、この罪は学園とは直接関係がない。だが……学園内の生徒でも彼の影響下で、今まさにグレーゾーンからアウトの領域へ自ら足を踏み入れようとしている生徒がいるのだ。雛菊さんでも、自主的に道を踏み外す『繁栄者』を助ける義理はない。だから、この問題は私たちで解決しなければならない。
『灰猫』の皆さんがその前調査を行っていて、間もなく結果が出る。それをもとに久那市に残る売春斡旋組織を壊滅させ、そこにある星霜学園生徒の痕跡を消すこと……これが今、綾小路先輩が山岸さんたち『灰猫』に依頼していることだった。
今日の会合で、その調査結果が伝えられるのかと思ったけれど、ならば私のような部外者(立派な関係者のようなものだと自分でも思うけれど)は排斥したいはずだ。綾小路先輩が同席を許可しているということは、きっと本当に、本筋とは関係ない雑談なのだろう。帰りたい。
……そんな私の心情など、目の前の綾小路先輩は察していないだろう。もしくは、気づかないふりを続けるつもりなのだろう。要するに、この部屋に入った私が諦めるしかないのだ。
そう思い込んで自分を納得させ、ため息をついた瞬間……扉が軽く3回ノックされて。
「……失礼します」
扉を開いて入ってきたのは、『灰猫』の中核メンバーの一人でもある山岸司さん。
一人だけ違う、ブラウスに紺色のスカートという久那商業高校の夏服に身を包み、ショートカットが涼しげで眼鏡の奥にある瞳もいつも通りの冷静さを保っている。彼女を見て思わずホッとしてしまった私は……綾小路先輩に対して大分失礼だと思うけれど。
部屋の中にいる私を確認した彼女が、ペコリと小さく会釈をした。
「ごきげんよう、山岸さん。ご無理を言って申し訳ございませんでした。御崎さん、貴女と東原さんの間に一つ、椅子を用意していただけるかしら?」
立ち上がった綾小路先輩が彼女に頭を下げ、御崎さんに指示を出す。彼女が壁に立てかけてある椅子を用意する間、山岸さんは持っていたトートバックからクリアファイルを取り出し、綾小路先輩に手渡した。
そして、右隣に座っている私をチラリと一瞥する。
「……綾小路会長、東原さんが同席ということは……」
「ええ、私から直接お願いするつもりですわ」
「……承知しました」
二人の間で何やら私の知らない話が進行しているようだが、いずれ知ることになりそうなので今は深く追及せずにいよう。
私が足を組み替えた次の瞬間、山岸さんが隣に腰を下ろした。これで4人が内側を向き、互いの顔を見て座っている状態になる。
さて、何が始まるのやら……時刻は間もなく13時半になろうとしている。私は腕時計をチラリと確認して、この会議が長引かないようにと願うのだった。
全員の表情を確認した綾小路先輩が、コホンと咳払いをしてから、本格的に会議を始める。
「では、改めて……本日はお忙しいところご足労いただき、ありがとうございます。メンバーは全員顔見知りですので、自己紹介は割愛しますわ。早速ですけれど……東原さん、貴女に1つ、お願いしたいことがあるのです」
そう言って、右隣にいる私を改めて見つめる綾小路先輩。自ずと、残り2人の視線も私に注がれることになる。
「承諾するかどうかはお話を伺ってから判断します、それでもよろしいですか?」
「ええ、当然ですわ。では早速本題に入ります。東原さんもある程度ご存知だと山岸さんから伺っていますけれど……夏休み明け、わが校の職員が逮捕、そして生徒が補導される可能性が高くなりました。しかも罪状は未成年者との淫行……まぁ、基本的な対応は理事長や職員に任せることになりますけれど、我々としても出来ることはしておいて、これ以上のスキャンダルは食い止めたいのが本音ですの。そして今、まさにこの夏休みという休暇を利用して、己と引き換えに金銭を授受しようとしているわが校の生徒がいることも、ある程度分かっていますわ。なんとまぁ……由々しき事態です」
「……」
まだそんなことを考えている生徒が本当にいたのか、と、私は内心で大きなため息をついた。
これが、全国的な知名度も決して低くないお嬢様学校・星霜学園の現状なのだ。
時代が変わり、お嬢様教育というのがそもそも今の時代にそぐわないのかもしれない。苦しすぎる制約から抜け出すため、それが例え非合法の快楽であったとしても、そこに大きな魅力を感じて没頭してしまう生徒がいるのが、今の星霜学園なのだ。
しかし……現代の淑女教育を受けるお嬢様は、この事態を泣きながら見守るだけではない。
綾小路会長は目に力を宿し、言葉を続ける。
「そこで、生徒会としても私個人としても、道を踏み外そうとしている学生を正したいと思っています。とはいえ、証拠が不十分なまま警察に相談すると、更に厄介で大事になってしまうかもしれない……そこで、『灰猫』の皆さんのお力を借りて、今、その諸悪の根源の潜伏先と活動時間などを掴みましたわ。後はそちらへ伺って、可能であれば平和的に私どもの生徒を解放して欲しいと考えています」
「平和的に、ですか……」
「可能であれば、ですわ。恐らく相手は応じないでしょう。星霜学園という名前が若干一人歩きしているとはいえ、この学園の生徒であるということは一種のステータスです。当然、そのような聖域を犯したいと考える方がいてもおかしくはない。そして、そのために支払われる対価は……きっと、私達が思っている以上に多いのだと思いますわ。でなければ、新たに志願する生徒がいるとは思えませんもの。それに、今はまだ対価が金銭で済んでいますが、これが薬物にでもなったら……考えるだけでおぞましいですわ」
そう言って、綾小路先輩は軽く頭を振った。そして一度息をつき、改めて、私を見つめる。
「東原さん、貴女の身体能力は非常に高く、個人における危機回避能力も学園随一のものだと思っていますわ。そんな東原さんを見込んで……お願いです、後に指定された日時に相手方の潜伏先に乗り込み、星霜学園に関わらないよう、釘を差してきていただけないでしょうか?」
それは予想外の頼み事だった。言い方は悪いけれど、綾小路先輩はこれまで『灰猫』に調査を依頼し、自分以外の自校の生徒はなるだけ関わらせないようにしてきたように感じていたから。
それに……私は自分の中に浮かんだ率直な疑問を、最近覚えた言葉と一緒に吐き出してみる。
「それは……私で務まる役目なのでしょうか? 正直なところ、私では、その……ナメられるといいますか、軽くあしらわれて終わるだけだと思いますけれど……あまり本気を出すと、刑事事件に発展しそうで……」
私はまだ精神的にも未熟なので、例え『雫』を使わなくても、目の前にいる反社会的な人間には容赦出来ないかもしれない。先日は止めてくれる人がいたから大丈夫だっただけ、次があるかどうか……自分でも保証出来ないのだから。
その結果、学園や家に迷惑をかけることだけは、絶対に避けなければならないから。
私の疑問を恐らく想定していたであろう綾小路先輩が、サラサラと淀みなく言葉を返す。
「山岸さん達の情報によれば、現在、久那市でそれらの斡旋をしているのは、年長者でも20歳を超えたくらいの若い男性だそうです。彼らは己を強く見せることで、下にいる人間に逆らえない雰囲気を作っているそうですわ。そんな彼らが、年下の、しかもお嬢様学校の女子高生に負けたとなれば、少なくともこの周辺ではしばらく大人しくしているのではないかと思います。彼らが台頭してきたのは本当にごく最近のことですから、今のうちに叩いておけば、しばらく浮上してくることはないと考えていますわ」
ごく最近になって出てきた、未成年を惑わす反社会的勢力……まさかこれも、『堕落者』の影響なのだろうか?
だとすれば、確かに1人くらい剣を使える人材がいたほうが良いと思うけど……ならば、有坂さんで十分ではないだろうか。彼のほうが場慣れしているというか、今回のような事態への対処方法も心得ているだろうし。
どうして私なのだろうか、と、口に出そうとした次の瞬間、山岸さんが補足を始めた。
「……今回、部外者である東原さんへお願いする理由が3つあります。1つ目は先程も綾小路会長から説明があったように、東原さんの危機回避能力が高いこと、2つ目は、東原さんのご実家は久那市……いえ、県内でも有数の警察一家です、何かあった時にもみ消しがきくことがあります」
山岸さんの言葉に、私は無意識のうちに唇を噛み締めていた。
少し調べれば分かることだから驚きはない。私の家――東原家は、久那市を、そしてこの地域を表立って守るため、その親族の多くが警察関係、もしくは公的な仕事をしている。更に早期退職をして、市議会議員や県議会議員になる人物もいる。
けっして、それ以上には――国家公務員や国会議員にはならない。国政に関わると、久那市を守ることが出来なくなってしまうから。
だから、私の周囲には武道に長けた人材がゴロゴロしているのだ。幼い頃から稽古をつけてくれている母も、祖母も、みんな同じ道を通ってきたから。
「なるほど……確かに、多少のことなら何とか出来るでしょうね」
私の態度と口調を感じ取った山岸さんが、軽く頭を下げた。
「……お気を悪くされたのであれば謝罪します。ですが、使える手段は使うというのが『灰猫』の主義ですので、ご理解ください」
「構いませんわ。むしろ、今まで頼られなかったのが不思議なくらいですもの。それで、3つ目の理由は何ですか?」
どうせ3つ目は、私に『干渉者』としての役割を期待しているのだろう。口元を緩めて尋ねる私に、山岸さんは意外すぎる答えをくれる。
「……3つ目は、有坂椎葉からの指名です」
「…………はい?」
思わず間を置いて尋ね返してしまったではないか。綾小路先輩の瞳がキラっと輝いたことが、嫌になるほど分かるくらいに。
「山岸さん……『灰猫』という組織は、いつから外部の女子を指名する下賤な組織に成り下がってしまったのですか?」
「……今回は反論のしようがありませんが、この件は、椎葉が積極的に追いかけている案件なんです。先日、久那センで女子高生の痴話喧嘩がちょっとした騒ぎになったことはご存知ですよね。あの出来事をキッカケに椎葉が中心になって情報を集め、今に至っています」
「あの時の……」
それは、有坂さんの能力を開花させた事件。女子高生同士の上下関係が歪み、『堕落者』に利用され、崩壊した――そんな、事件。
「守れなくてゴメン。でも、次はない。約束するよ」
「寛子ちゃんみたいな思いをする人をなくしたい。そのために俺達は動き続けるんだ」
あの時の彼の言葉が脳裏をかすめた。そうか、彼はあの後……動き続けていたんだ。
学生と『灰猫』と『干渉者』、それ以外にも多くの役割をこなしながら、ずっと。
そんな彼がどうして私を指名しているのか、詳しいことは知らないし特に知りたいとも思わないけれど。
「絢芽ちゃんには多分理解出来ないと思うけど、要するに俺は、『壇』と一緒に戦えて楽しいし、俺に人とは違う経験をさせてくれたことを感謝さえしてるんだ。勿論、戦う時は本気でやってるぜ。でもこれは、俺が望んでいたことだから……だから基本的に笑っていられるんだと思う」
「俺のこと……もっと、知りたい?」
前回と同じ言葉を投げられても、私は全力で拒否するだろう。
だって、現時点での貴方を知ったところで……貴方はまた変わってしまう気がするから。
そして――私も。
貴方の方を向いたりはしない。お互いが前を見なければ、前には進めないのだから。
「――分かりました。私に出来ることをやりますわ」
ため息混じりに吐き出した私の言葉に、山岸さんがもう一度頭を下げた。
どうせ綾小路先輩は、私が了承することを見越していたのだと思う。嫌味を込めた視線で彼女を見やると、驚くほど真っ直ぐな視線を向けられ、少し驚いてしまった。
「綾小路先輩……?」
私が軽く目を見開くと、彼女は立ち上がり、深々と頭を下げた。結い上げた髪の毛が、サラサラと彼女の体にかかっていく。
「どうか……学園生を、よろしくお願いします」
言葉の端々から、自分がこれ以上何も出来ない悔しさを感じた。だから私も立ち上がって、体ごと彼女の方を向く。そして。
「――顔を上げてくださいませ、そして、後はお任せください。粛々と役割をこなして、早々にご報告にあがりますわ」
軽く会釈し、顔を上げ、私は笑顔を向けるのだ。
だって、成功させることしか考えていないのだから。
しかし……ここから、ちょっとした誤算が発生する。
頭を上げた綾小路先輩が、満足そうな表情で全体を見渡し、手元に開いていたファイルをパタンと閉じた。
そして……。
「とりあえず、今回の件に関してはまとまりましたわめ。今後も何か進展があれば、ご報告くださいませ。と、いうわけで……移動しますわよ、東原さん」
「移動、ですか……? 一体どちらへ? というか、私はこれから用事が――」
「――それは、私からの誘いを断るほど重要なものですか? どうせ、樋口さん達と会って楽しくお喋りをするお約束でしょう?」
「……」
私の言葉を遮る綾小路先輩の言葉に、言い返せなかった。まぁ……半分くらい事実だから。
そんな私の反応で自分の言葉が正しいことを悟った綾小路先輩が、ビシっと私を指差し、よく通る声でこんなことを言う。
「東原さん、本日は私どもの女子会に参加していただきますわ!!」
「じょ、女子会……?」
「そうです、女性が集まってお茶やお菓子を囲んで楽しく談笑する会合です!! ご心配なく、会場は御崎さんのご実家でもある喫茶店の一角を既に予約してありますわ!!」
だからこの場に彼女がいたのか……内心で納得しつつ、先程から一切発言をしない御崎さんにチラリと視線を向けると、苦笑いを浮かべている彼女と目が合った。
しかし、御崎さんの家は喫茶店だったのか……どこのお店だろう。彼女の佇まいから察するに、きっと、落ち着いて良い雰囲気のお店なのではないだろうか。
それに……今日の『干渉者』は私以外の3人も揃うはずだ。だったら……私が急に行けなくなっても問題ない。だって、先輩からの呼び出しには従順に従うのが、後輩のお勤めなのだから。
私は本日何度目か分からないため息をつき、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
「……今日は行けない、と、連絡しておきますわ」
苦情は全て綾小路先輩へお願いします、と、付け加えておく。これで誰も文句は言わないだろう。
「ありがとうございます、東原さん♪ さあ皆さん、片付けて移動しましょう。御崎さんのお店のコーヒーとチーズケーキは絶品ですもの、楽しみですわ」
綾小路先輩の笑顔に、恐縮して頭を振る御崎さん。チラリと山岸さんにその真偽を尋ねると、「……間違いありません。価格も良心的なので、本当に良いお店です」という太鼓判をもらうことが出来た。
そうか、ならばと期待を膨らませつつ、私は香澄さん達へのメッセージを作り始める。
以前では考えられなかった日常に、まだ少しだけ、戸惑うこともあるけれど。
でも……以前よりずっと、楽しいと感じることが増えたから。
私はこれからも、この日常を守っていこうと思う。