初体験の同行者
そんなこんなで、二足のわらじをはく日常が始まった。
……とは、いうものの。
「奥村先輩、具体的にどうすればいいんでしょうか」
翌日の昼休み、それぞれに昼食を食べた後、生徒会室にはイスに座っているあたしと奥村先輩。
雑務を片づけるためだろう、一人で生徒会室へ入っていく後姿を発見したあたしは、聞きたいことがあったので後をつけることにしたのだ。
今日の放課後は生徒会の活動予定が入っていない。だからこそ、今がチャンス!
結果、先輩の仕事を邪魔することになってしまっているが……昨日の今日だということで諦めてもらおう。
頑張って抵抗している先輩は、あたしへ背中を向けて、何やらパソコンをキーボードを叩いている。
邪魔されたくない、その空気を醸し出しているのは認めよう。
「せんぱーい、奥村せーんぱーい」
某お笑い芸人風にしつこく呼んでみた。
パソコンに向き合って座っていた先輩が、諦めて体をこちらへ向けてくれる。
「具体的に?」
「はい。えぇっと……例えば、あの剣をどうやって出せばいいのか、とか、あたし達で対応しなきゃいけない『堕落者』がやってきたらどうやって分かるのか、とか」
昨日から我が家に居座っている雛菊さん……もとい、雛菊は、パスタを食べたら満足した様子。しかし、その後は勝手にお風呂を沸かした揚句、客間に布団を敷いて寝てしまったのだ。
今日の朝、あたしの両親と顔を合わせても……「居候している親戚のお姉さん」っていう設定になっていて、何の違和感もなく母親と世間話をしていたのだった。
疎外感を感じたのはあたしだけという現実……もう諦めましたけど。
そんなことを最初に先輩へ相談したところ、実に的確なアドバイスをもらえました。
「諦めろ。雛菊さんはああいう性格だ」
先輩にそこまで言わせるとなると……こちらから何を言っても無駄なように思えてしまって、自然と諦めがついた。相談してよかった。
それはさておき。
あたしのもっともな疑問に、先輩は少し考え込み、
「剣を呼び出したいときは、名前を呼べばいいんだ」
「名前、ですか?」
剣の名前……そんなもの知らないのだが……。
訝しげに眉をひそめるあたしに、先輩が嘆息して一言。
「樋口、昨日は言えたじゃないか」
何ですって!?
「本当ですか!?」
「まぁ、力を解放するときにだが……俺には「はやて」って聞こえたぞ」
「……」
はやて……新幹線みたいな名前だな。
昨日はきっと無我夢中だったから記憶がすっ飛んでしまったのだろう。そういえば途中、ちょっとしたトランス状態になったような気もするし。
ものは試し。あたしは口の中の唾を飲み込むと、呼吸を整えて、
「――颯」
なぜか、自分の中でしっくりくる単語。
次の瞬間、あたしの右手に棒状のものを握っている感触があった。
「うわぁぁっ! 本当だっ!」
持ち上げて、それが鋭利すぎる日本刀であることを実感する。
細身で両刃の剣は、驚いたあたしの顔を鏡のように刀身に映し出していた。
「樋口! さっさと片付けろ!」
「はっ!?」
そういえば、誤魔化してくれる雛菊はいない!
生徒会室なので生徒の出入りは少ないが、それでも可能性がゼロでない以上、この姿は危険極まりないよ!
で、でも……どーするんだっけ!!
混乱してわたわたするあたしに、先輩の渇が飛ぶ。
「投げろ!」
「そうでした!」
慌てて空中に投げた。
刹那、一瞬だけ室内につむじ風が吹き抜け……剣が消える。
「……」
二人して無言のまま、大きく息をついた。
「樋口……これで分かったか?」
「はい、よーく分かりました」
むやみに使うと自分の首を絞めることがよく分かりました。
「『堕落者』については、雛菊さんからメールが来る」
「はい?」
先ほどの混乱から落ち着く間もなく、先輩から何とも不思議な言葉がやってきた。
メール? 雛菊から、あたし達個人に?
「メールって……携帯のですか?」
「そうだ」
「あのすいません……雛菊って、携帯電話持ってるんですか? っていうか、雛菊さんにあたしのアドレスを教えた覚えがないんですけど」
「知らん。届くものは届くんだ」
先輩からの詳しい説明がないことから察するに、これ以上気にしたら負けらしい。
「どんなメールが届くんですか?」
「『堕落者』がいつ、どこに、何時頃現れるのか。全員揃って対処出来ればいいんだが、昨日みたいにそうはいかない時もあるからな。行けない場合は他のメンバーに連絡すると親切だぞ」
「そうですか……って、あたし、誰のアドレスも知りませんけど……」
そこまで正確に分かっているのに、雛菊は手が出せないのか。
……手「を」出「さない」わけじゃないよね。うん、昨日の説明を信じてあげないとねっ!
段々と彼女に対して疑い深くなってしまうのはしょうがないことだ。
頑張って自分を納得させるあたしに、先輩は「そうだったな」と一人で納得して、
「樋口、携帯は持ってきてるよな」
「確認なんですね……まぁ、教室のカバンの中にありますよ」
「俺のも含めて全員のアドレスを教えるから、放課後ここに持ってきてくれ」
「分かりました……って、奥村先輩、今日は生徒会活動休みですよね?」
週に一度、真ん中水曜日は原則として休みなのだ。まぁ、行事の直前等は例外があるけれど。
完全に友達と遊ぶつもりでいたあたしに、先輩は何やら意地悪な視線を向けて、
「ちょっと頼まれごとがあるからな……付き合ってもらうぞ、樋口。お前のためだ」
「明日じゃだめですか?」
「ダメだ。放課後、真っすぐここに来い」
「……分かりました」
あたしの予定や苦情を受け付ける隙がない。あたしはがくりと項垂れるのだった。
昼休みも残りわずかになり、あたしと先輩はそれぞれの教室へ。
生徒会室から下の階へ降りる、階段のその途中、
「香澄ちゃん」
「稲月先輩?」
後ろから呼び止められて振り返れば、少し慌てた様子の稲月先輩が、ツーテールをなびかせながら小走りで近づいてきた。
「どうしたんですか?」
「ごめんなさい。今日、お昼休みも集合だったの?」
「……へ?」
唐突に謝罪されて、あたしは目が点になる。
キョトンとするあたしの様子に自分の勘違いを悟ったのか、稲月先輩は「あ、あら?」と、目を丸くして、
「いえ、あの……奥村君と香澄ちゃんが、生徒会室から出てくるのが見えたから。もしかしたらお昼休みに何か集まらなきゃいけないことがあったのかと思ったのだけど……」
ああ、そういうことか。相変わらず真面目な先輩だ。
「違いますよ。あたしがちょっと奥村先輩に聞きたいことがあったんです」
「あ、そうだったのね……良かった……」
ほっと安心した表情になる先輩は、優しい笑顔をあたしに向けて、
「今日はお休みだから……また明日になっちゃうかな。またね」
くるりと踵を返し、自分の教室へ向けて慌てて駆け出すのだった。
その後ろ姿を見送りながら……。
「……って、あたしも急げよっ!」
自分自身に突っ込みを入れて、階段を2段飛ばしで駆け下りたのだった。
そして、放課後。毎度おなじみ生徒会室。
普段は4人の空間に、今日は2人きり。文字にすると甘酸っぱいシチュエーションも、この場にいる彼がそんな雰囲気を全く許さない。
「よし、来たな」
「来ましたよ……」
部屋の中央で仁王立ちの先輩に、ジト目を向けながら返すあたし。
まだ、こんなに明るい時間だというのに……あたしの心が暗くなっているのは何でだろう。でも、原因を考えるともっと悲しくなりそうだからやめておこう。
「先輩、何ですか?」
今日は雛菊のリクエストでハンバーグの予定だ。昨日のパスタより手間がかかるので、あまり遅くなりたくもない。
そんなあたしの心情など、全く察していないだろう。先輩は足もとに置いてあったカバンを持ち上げると、肩に担いで一言。
「樋口、これから実地訓練だ」
その言葉に、正直な感想が口をついて出る。
「またですか!?」
先輩に連れてこられたのは……体育館裏だった。
壊れた跳び箱や錆びついたハードル等が無造作に折り重なる、肌寒い空間。
向かって右側に体育館、左側は校舎という場所なので、日の光だって届かない。吹き抜ける風も冷たい。
こんなに暗くて薄気味悪い場所だったかな……ほとんど近づかない所なので、挙動不審に周囲を見渡してしまった。まぁ、特に目新しいものもないけれど。
人の気配もなく、なぜだか体育館からの部活音も聞こえてこないのは……まさかとは思うけど……。
そして、その場には勿論、
「お疲れ様です。ようこそいらっしゃいました」
満面の笑みで雛菊が出迎えてくれた。
やっぱりか、やっぱりそうなるのか……突っ込む気力と余裕が既に底をついていた。
先輩は雛菊に向けて軽く会釈をすると、ぽつりと一言。
「――焔」
刹那、先輩の右手に日本刀があった。明らかな戦闘準備に嫌な予感が膨らんでいく。
これから何が起こるのか分からないのは、やっぱりあたしだけらしい。まぁ、何となく予想はついているけれど。
「さて、香澄さんも剣を出していただけますか? あ、心配しないでください。既に『境界』は設定しています」
気づかないうちに仕事ができる技量は素晴らしいけど……先が見えない展開に流されていいのか、不安が募って崩れそうだ。
「……颯」
言われるまま、半分渋々剣を取り出す。右手にしっくりくる感覚に慣れそうな自分が悔しい。
剣道だってやったことがないので、とりあえず見よう見まねで眼前に構えてみた。
様になって……ないだろう、間違いなく。
そんなあたしの不安をよそに、雛菊は「ぽむっ」と胸の前で両手を重ねて、
「あらー♪ よかった、完璧ですね。さすが、私の見込んだ『干渉者』です」
あたし、雛菊に見込まれたのか……あぁもう、話を広げることも面倒くさい。
それに……緊張感が足りなくなる!
そんなあたしの心配は、次の雛菊の言葉で完全な思い過ごしだったと悟る。
「ではでは、この空間にいる『堕落者』の討伐、お願いしますねー」
「えぇっ!? ここにいるの!?」
「はい。気がつきませんでしたか?」
したり顔で返されて言葉に詰まる。そんなあたしとは対照的に、先輩は、剣を両手で握り、その場で腰を落としていた。
明らかな戦闘態勢、否応にもその世界に引きずられる。
「――来るぞ」
それは、非常に正確な警告。
刹那、近くに積み重なっていた跳び箱の山が轟音を立てて虚空高く舞い上がり……雨のようにあたし達へ降り注ぐ!?
って、こんな狭い場所でその攻撃は反則でしょーがっ!
「うわぁぁっ!!」
非現実的な現実に、足がすくんで何も出来ない。
反射的に目をつぶって、身を固くした。
「――滾れ、焔」
頭上で先輩の声が聞こえ――爆音。
吹き付ける熱風に負けじとそちらを見やると、弧を描くように剣を振るった先輩の真横に、黒い墨になった跳び箱の破片が落ちていくところだった。
「うわっ!」
あたしの隣りにも木炭になったものが次々落ちてくるので、慌てて避ける。
触れると火傷しそうなそれは、ぶすぶすと音を立てて燻っているように見えた。
まるで、この世界に未練があるみたいだ。
だけど、そんな感傷に浸る余裕など……ない。
「樋口、来るぞ!」
先輩の声に我に返ると、あたしと先輩の間を仕切るように、高く積み重なったハードルがあった。
優に3メートルは超えているだろうか……トーテムポールのように重なって、あたしを見下ろしているようだ。
先輩が剣を構えなおすが、木炭になったはずの跳び箱が再び浮遊し、先輩を狙っているようだ。
助けは、来ない。
そして、このハードルは……あたしを、狙っている。
直感で悟る。
入れ替わるために、この世界で生きるために。
怖い。
両手が……いや、全身が震えているのが分かる。
漫画の中の正義の味方は、こんな状況でも果敢に敵へ攻撃出来るというのに……。
あたしは、ダメなのかな。
ダメ、なのかな。
ハードルが迫る。先ほどの跳び箱のように、上から押しつぶされたらひとたまりもないだろう。
「樋口!?」
先輩の声が、どこか遠くに聞こえた。
『堕落者』
その烙印を押された存在は、きっと、この世界にやりきれない思いを抱えているんだと思う。
分かってほしいのか、気づいてほしいのか……それさえも感じ取ることが出来ない。
「彼らは主に、地上にある無機物に入り込み、仮初めの命として実体化します。最終的にはこの世界のものに成り替わろうとしますね。本当は『繁栄者』の体内に入り込んで精神ごと入れ替わりたいのでしょうけれど……彼らはこの世界の物を通さなければ、『繁栄者』に触れることが出来ない。てっとり早く魂を持たない無機物からこの世界に入り込もうとするのです」
雛菊の言葉を思い出す。
仮初めから本物へ……裏から、表へ。
……まるで、自分のことじゃないか。
誰かが囁いた。
「樋口!!」
だけど。
だからこそ。
こういうやり方は……誰かを消してなり替わるなんて、あたしが一番許せない方法だ!
――覚悟を、決めよう。
迫りくるハードルの塔からあたしが数歩下がって間合いを広げると、上からバラバラと幾つものハードルが降り注いだ。
まるで爆弾のような勢いのそれらは、あたしを潰そうと容赦なく落ちてくる。
「邪魔っ!!」
右手に握った剣を、下から上へ大きく振り上げた。発生した風圧が、降り注ぐそれらを木っ端微塵に打ち砕く。
そのままの勢いでがむしゃらに距離を詰めたあたしは、ハードルの塔の根元、固い地面にしっかりと剣を突き立てて、
「――踊れ、颯!!」
遠慮なく力を解き放つ。
刹那、剣を中心に巻き上がった竜巻が、空中に舞い踊ったハードルを塵になるまで切り刻んだ。
終わった、それを悟った全身から力が抜けそうになる。
荒い呼吸を整えながら……あたしは、握りしめたままの剣を見つめた。
出来た、の、かな……荒削りではあるけれど。
「大丈夫か?」
ハードルの向こう側にいた先輩が駆け寄り、あたしに怪我がないことを確認。
先輩の顔を見ると、頬や制服に黒い煤がついているが、目立った怪我はしていないようだ。
良かった、再び力が抜けそうになる。
周囲にはさらに黒くなった木炭が煙を上げているけれど……それらが攻撃してくる様子はなかった。
先輩が更に力を加えて制圧したことが分かる。あたしのことを気遣いながらの戦いは、今まで以上に大変だったはずなのに。
「あまり驚かせないでくれよ……」
心底安心した様子を見せてくれる先輩が、あたしには嬉しかった。
「お疲れ様でした。今日も完璧なお仕事、ありがとうございます」
今までどこに避難していたのか、どこからともなく再登場する雛菊。
あたしがジト目を向けたところで、彼女にとっては痛くもかゆくもないだろう。
彼女は周囲をぐるりと見渡し、事態が収束していることを確認。
「香澄さん、実戦感覚は何となくつかめましたか?」
こんなことを笑顔で聞いてくるから、どっど疲れが湧き出てくる。
「そんなこと言われても……たった2日でマスター出来るわけがないじゃない」
「そうですよねー、そう言ってもらえると思いました★」
……え?
嫌な予感しかしないのはあたしだけだろうか?
先ほどの感慨に浸る余裕も反省する時間もないまま、雛菊は笑顔で次の指令を出す。
「香澄さんにはこれから毎日、こんな感じでどなたかとペアを組んで、『堕落者』を討伐していただきますので、よろしくお願いいたしますね」
毎日って……今、毎日って言ったんですけどこの人!?
驚愕と絶望で目を見開くあたしを、先輩が哀れそうな目で見つめていたのだった。