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今は言えないインテンション

 この世界という『確定事項』を覆すこと。

 それは……この世界そのものの破滅に他ならない。


 その事実を改めて認識した瞬間、背中を嫌な汗が流れた感覚があった。クーラーが丁度良い温度を保ってくれているはずなのに、膝の上で握りしめた両手が、カタカタ震えていることに気づく。

「香澄さん、大丈夫ですか?」

 隣の絢芽が気遣ってくれるが、彼女の顔色も優れないようで。

 奥村先輩も言葉を探す中、椎葉が引きつった笑みを作って雛菊に問いかける。

「や、やだなー雛ちゃん、何言ってんの? 冗談でしょ?」

 しかし、雛菊は無言で首を横に振ると、顔を上げてあたし達を見渡した。

 その瞳に、憂いも嘆きもなく……ただ、あたし達の態度に呆れているようにも見える。

「残念ながら冗談ではありません。それに、皆さんはまさか、久那市だけを守るために戦っているつもりでしたか? 最初に申し上げたと思いますが、久那市は世界の『鬼門』に当たる場所です。恐らく蓮華は、久那市を『堕落者』で崩壊させてから、波及的に世界を壊そうと考えているのでしょう。そして、自分の意志に従う人間を集めた世界を新しく作る……大方そんなところでしょうね」

 話を聞きながら、あたしはぼんやり……蓮華が今の世界を壊すなら、新しい世界の亜澄は、事故にあうこともなく、普通の生活が送れるようになるのかもしれない、だから亜澄は蓮華の手を取ったんだ、と、亜澄の行動に納得してしまっていた。

 ただ、それが亜澄にとって理想の世界であったとしても……そのために、今の世界を壊していい理由なんかどこにもない。

 ここまで言い終えた雛菊は、それぞれ何かを思って無言のあたし達へ……静かに、頭を下げた。

「今回のことは、蓮華を止められなかった我々の責任です。皆さんにこんな重圧を背負わせるのが筋違いだということは……重々承知しています。ただ、それでも……お願いします、蓮華を……姉さんを、止めてください」

「雛菊……」

 この中で、自分の無力さを嘆くしかないのは、雛菊だけなのかもしれない。

 久那市の『監督者』という立場なのに、蓮華に自らが干渉することは出来ない。その理由はまだよく分からないけど、でも……。

「……雛菊、あたしはやるよ」

 沈黙を破って、雛菊を見据える。

 そう、あたしには……十分すぎるほど、戦う理由があるんだから。

「あたしは、亜澄を止めるって決めたの。この世界が彼女にとって生きづらい世界であること、あたしがその原因であることは分かってる。けど、その恨みをぶつける相手が大きすぎるからね。それは違うってちゃんと伝えて……亜澄と向き合えるように、頑張るよ」

「香澄さん……」

 隣の絢芽がふぅと息をつくと、顔を上げて雛菊を見据えた。

「私は最初から、退くつもりなどありませんわ。敵の目的がなんであれ、それを阻止するのが……東原に生まれ、『干渉者』として『雫』を握るものの務めですもの」

「お、俺だって今更辞めたりしないからな!」

 椎葉はその場に立ち上がると、右手を握りしめて、自分を鼓舞するように大きな声で宣言する。

「それくらい相手が強いほうが、俺達もやりがいがあるってもんだぜ! 世界も久那市も、まとめて俺が守ってやるさ!」

 目に強い決意を宿している椎葉を、絢芽があざ笑うような眼差しで見つめて、

「あら……私にも勝てない有坂さんが、そんなことを言って大丈夫ですの?」

「絢芽ちゃん、それは言わないで……」

 ガクリと椅子に戻る椎葉に、絢芽は「ただ」と付け加える。

「私に勝てなくても、亜澄さんや蓮華さんに勝てるならそれで構いませんもの。有坂さんの実力、信用させてくださいね」

 なんという飴と鞭スタイル! 刹那、椎葉の瞳に輝きが戻る。

「お、おうよ! 絢芽ちゃんの期待に応えてみせるぜ! なぁ悠樹!!」

 少し暑苦しい椎葉のトーンに、奥村先輩はジト目を向けつつ、

「俺は正直、世界がどうとか言われてもピンとこないな。ただ……俺はひとまず、この久那市を守りたいと思っている。今までどおり、自分たちが住んでいるこの町を守ることに全力を尽くせばいい、それだけのことだ」

 冷静にそう言った先輩は、雛菊に「そうですよね」と尋ねる。彼女が頷いたことを確認した彼は、壁の時計に視線を移した。

「もうすぐ5時だな。とりあえず、夕食の準備を全員で手分けしてやったほうがいいと思うんだが……樋口、仕切ってくれるか?」

「へっ!? あ、まぁ……そうですねー……」

 唐突に話をふられて、全員の注目を浴びながらしばし考えた結果……。

「絢芽と椎葉に確認したいんだけど、料理はどのくらい出来る? ふた手に分けたいから正直に教えて欲しいな」

 奥村先輩の実力はよく分かっているので聞く必要はない、雛菊は最初から戦力外なので頭数にも入っていない。

 あたしの問いかけに、隣の絢芽がオズオズと答える。

「私は……正直、家庭科の調理実習レベルですわ。レシピがあればその通りに作る、という感じですわね」

「いやいや、それで十分。奥村先輩ほどじゃないから落ち込まなくていいよ」

「樋口……」

 先輩から冷たい視線が飛んできたけれど、今はとりあえず無視!

「んで、椎葉は?」

「俺? そうだな……味噌汁くらいなら作れるぜ」

「をを意外! 椎葉はそういうの苦手だと思ってた!!」

 あたしの中のイメージだけで驚くと、椎葉が得意気に椅子の上で胸を反らした。

「最近の男子は、料理くらい出来ないとモテないんだぜ!!」

 理由がどことなく不純な気がしなくもないけど……椎葉が予想外に働いてくれそうな気配!

 本日のメインディッシュはコロッケだ。じゃがいもを潰すのに力が欲しい。残りはサラダと味噌汁のつもりで考えていたから……と、いうわけで。

「じゃあ椎葉、味噌汁とサラダと白米担当で、絢芽はその補佐で。奥村先輩はあたしを手伝ってください、主にじゃがいも潰す心意気で。あと……」

 3人に指示を出したあたしは、涼しい顔で座っている雛菊をジト目で睨み、

「雛菊、あんたはスーパーで唐揚げでも調達してきて」

 刹那、雛菊が満面の笑みでこう答えた。

「えー? どうして私がそんなことを? なんで一緒に買ってきてくれなかったんですか? 嫌がらせですか? 夕方のスーパーなんて、それはもうそれはもう面倒ですよー」

「つべこべ言わない! あたしだってさっきスーパーで一緒に買いたかったんだけど……次の揚げたては5時半って言われたの! 美味しいって評判だから食べたいの! 差し入れしてよ!!」

 そう、田舎の個人スーパーの名物お惣菜・ジューシー唐揚げ!!

 久那市郊外からも多くのお客さんが買いに来る名品なので、一度食べてみたかったんだ。

 力説するあたしに、雛菊がヤレヤレと溜息をつく。

「しょうがないですねぇ……私の寛大な心で受け止めて、香澄さんのワガママに付き合ってあげます」

 この上から目線がそこはかとなくムカつくんだけど……買ってきてくれるというのだから、これ以上突っかかるのはやめておこう。

 何だか自分、経験値を積んで大人になったなぁ……なんて思いながら、あたしは椅子から立ち上がり、台所へ移動するのだった。


 夕食の準備もつつがなく終わり、全員でワイワイと食卓を囲んでから、約1時間後。

「ふへー気持よかった……って、あれ? 奥村先輩だけですか?」

 お風呂から上がってきたあたしは、リビングのソファに一人で座っている先輩の背中に声をかける。

 携帯電話を操作していた先輩が、首だけをあたしの方に向けた。

「有坂なら、『灰猫』関係の連絡があるらしくて、上の部屋で電話してるぞ」

「そうですか……忙しいですね」

 喉が渇いたので台所に向かって歩きながら、あたしは2階の廊下を見上げた。

 ちなみに絢芽は、あたしと交代でお風呂に入っている。雛菊? 知らない。

「奥村先輩も麦茶飲みますか?」

「ああ、頼んでいいか?」

「了解っすー」

 冷蔵庫の近くにあったガラスコップに二人分の麦茶を注いで、先輩の前に置いた。折角なのであたしも、先輩の正面に腰を下ろす。

 手元の麦茶を一口すすって、嗚呼、やっぱり夏は麦茶だよねーと一人で幸せを噛み締めていると。


「あ、そういえば『香澄ちゃん』は……」

「げふぇっ!?」


 刹那、口の中に残っていたお茶が、喉とは違う方向へ流れる嫌な感覚があった。何とか呼吸を整えながら、コップを机上に置いたあたしは……今度こそ本当に奥村先輩に『堕落者』が入り込んだのかと思って、思わず先輩を睨みつけてしまう、が……。

「え? は? あ、えぇっと……俺、何言ってるんだろうな……」

 完全に動揺している奥村先輩が、真っ赤な顔のまま、自身の携帯電話を指さして言い訳を始めた。

「さっきまで華奈からのメールに返信していたから、そのせいだ……と、思う。驚かせて悪かったな」

「え、あ……げふっ、そういうことならしょうがない、ですね……多分」

 どうやら『堕落者』のせいではなく、無意識が招いた小っ恥ずかしい失態だったらしい。奥村先輩でもこんなことがあるんだなーと思いつつ、決まりが悪そうな表情で麦茶を飲む彼に、ちょっとした意地悪をしてみることにした。

「んで、奥村先輩、香澄ちゃんに何か用ですかー?」

 刹那、先輩が冷めた視線を向けるけど、今はちっとも怖くないもんねー。

 特殊な空間で妙に気が大きくなったあたしは、口から笑みがもれないように必死だった。

「……聞いて欲しい話があったんだが、今の樋口を見ていると話す気が失せるな」

「えー? そんなこと言わないでくださいよ。香澄ちゃん、何でも答えちゃいますよー?」

 奥村先輩の珍しい失態が面白くて茶化すあたしを、先輩は……不意に、真面目な眼差しで見据えて。


「樋口は……俺のこと、どう思う?」

「……は?」


 質問の意図が分からず、非常に間抜けな声で聞き返してしまった。

「奥村先輩のことをあたしがどう思うか、ですか……?」

 そして、先輩と同じ言葉を復唱してしまった。そんなあたしに彼が頷く。

「ああ。率直な感想を聞かせて欲しい」

 ど真面目な表情であたしを見つめる奥村先輩に……とてもじゃないけれど、色恋沙汰の気配はない。むしろ、どうした、何があったのかって思うくらいの切迫感さえ感じる。

 だからあたしも、自分の中に芽生えかけた色々な思いを大急ぎで精査。そして。

「そうですね……一言で言えば、信頼してます。そう、すっごく信用してます、頼りにしてます、これからも利用させていただきます……あれ、違うな、今のナシです」

「樋口……」

 買い物帰り、絢芽に対して言ったことと同じ内容を呟くと、奥村先輩はジト目の後、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたけれど……すぐにまた、真剣な顔つきに戻ってしまった。

 そして、一度躊躇うように口ごもったあと……意を決して、こんなことまで尋ねる。

「非常に厚かましいことを聞くことは重々承知しているんだが……そこに、恋愛感情はあるか?」

「はははいっ!?」

 刹那、あたしの声が思いっきり上ずった。やばい、顔が瞬時に赤くなってしまう……!!

 先ほどとは逆、今度はあたしが顔を赤くしたまま、奥村先輩を見つめた。対する先輩は……非常に切実な表情で、あたしの答えを待っている状態。

 奥村先輩がこんなことを聞く理由が、今のあたしには一切わからないけれど……どうしてだろう、胸が痛くなる。ここで仮に、万が一、億が一でも、あたしが「イエス」なんて言ってしまったら……きっと、間違いなく、奥村先輩を困らせてしまうこと、彼の戸惑った表情が容易に予想できた。


 だから。


「な、何を言い出すかと思えば唐突に何ですかそれは……申し訳ないですがありませんよ、っていうか、あってほしいんですか!? 彼女いらない、恋愛に興味ないみたいなことを言ってたくせに!」

 過去の発言を引っ張りだして、何とかテンションを保つ。そして、あたしの答えにどこか安心している先輩の顔を見るのが……どうしてだろう、少しだけ辛かった。

 でも、それ以上に聞いておきたいことは、先輩がこんなことを尋ねる理由だから。

「奥村先輩、何かあったんですか? こんなことを聞くなんて……らしくないと思います」

 あたしの指摘に彼は少しだけ無言になると……不意に天井を仰いで、浅く息をついた。

「……ここ最近、俺の身近な人から、俺に対する好意を告白されることが続いてる。だからもしかして、俺の日頃の態度に何か問題があるのかと思って……俺の近くにいる樋口がどう思ってるのか、確認してみたくなったんだ」

「あー……」

 それを聞いて思い当たるフシがある。綾小路さんと、稲月先輩のことだろう。

 綾小路さんは、星霜学園の夏祭りの日に。稲月先輩は、先日の戦いの後に、それぞれ奥村先輩へ告白していると聞いた。そして……先輩が、両方を選ばなかったことも。

 そんな一連の出来事を嬉しく思うのではなくて、自分が思わせぶりな態度を取っているのではないかと自分を責めてしまう、そんな考え方は実に先輩らしいと思う。

 だけど、ですね……あたしは麦茶を一口すすってから、先輩に苦笑いを向けた。

「それだけ先輩が他の女性に対して魅力的だという証拠ですよ。もっと自分に自身を持って、世界中の女は俺の女だー、的な、ハーレム王に俺はなる!、的な……身近なところで言うと椎葉みたいな生き方をした方が、楽しいんじゃないですか?」

 刹那、先輩がこれみよがしにため息をつく。

「そんな生き方、俺に出来るわけないだろう?」

「分かってますよ。そういうところが、奥村先輩の好かれる理由なんだと思いますからね」

 先輩が私を横目で見やる。

「樋口には嫌われてるみたいだけどな」

「えぇー? あたし、嫌いだなんて言ってないじゃないですか。奥村先輩は信頼できるので、これからも利用させていただきたいと思っているだけですよ。それとも……先輩は、香澄ちゃんに好かれたいんですかぁ?」

 意地悪な笑顔で尋ねると、奥村先輩は思いっきり視線をそらしてしまった。

 あらら、嫌われてしまったよ……なんて思いながら、先輩とこうして普通に会話出来る自分に、どこかホッとしていた。


 コレでいいんだ。

 コレで、よかったんだ。


「……え? 私が奥村さんをどう思っているか、ですか?」

 その後、お風呂からあがってきた絢芽に、同じことを聞いてみた。

 ちなみに今、奥村先輩は入浴中。椎葉はまだ2階から降りてきていない。先ほどまで先輩が座っていた場所に、今は絢芽が腰を下ろしている。

 先ほどのやり取りを説明して方問いかけてみるあたしに、髪の毛がしっとり落ち着いていて、紺色のパジャマ姿がどこか色っぽい絢芽は……少しだけ考えてから、これみよがしにため息をついた。

「そうですね……不器用な方だと思います。そして、不憫ですわ」

「不憫?」

 その意味を確認しようとしたあたしへ、絢芽よりも早く上から答えが降ってくる。

「いやだって香澄ちゃん、さっきの、間違いなく悠樹からの告白じゃねーの?」

「椎葉!?」

 スマホ片手に階段を下りてきた椎葉は、絢芽の隣の椅子を引いて腰を下ろし、意地悪な笑顔でこう続けた。

「何となく聞いてたけどさ……あれは絶対、悠樹からの告白だと思うのは俺だけじゃないよね、絢芽ちゃん?」

 笑顔の椎葉に、絢芽が静かに同意する。

「不本意ですが、有坂さんに同意しますわ。第一、奥村さんがそんなことを香澄さんに聞く意味が分かりませんもの。香澄さんの気持ちを確認するおつもりだったのではありませんか?」

「さっすが絢芽ちゃん、俺もその通りだと思うんだよねー!」

「え? は? えぇっ……!?」

 2人で同意する姿に、あたしは混乱を極めていた。

 いやあのだって、さっきから何を言ってるんだろうこの2人は……告白? 誰が? 奥村先輩が? 誰に?


 ――あたしに!?


「ありえない!!」

 刹那、あたしは自分でも驚くほどの大声を出して、机を蹴り飛ばす勢いで立ち上がっていた。

 その勢いに驚いた2人が、キョトンとした表情でコチラの様子を伺っている。

 でも、あたしには確かな根拠というか……確固たる自信があった。

「先輩は……あたしの知ってる奥村先輩は、そんな人じゃ……!」

 奥村先輩は……少なくとも、あたしの知っている奥村先輩は、そんな回りくどい人じゃない。直球勝負しか知らないような、真正面からちゃんとぶつかってくれる人なんだから!!

 だから……頭に血が上って沸騰したあたしは、自分でも驚くほどとんでもない行動に出てしまうのだ。

「……証明する」

「香澄さん?」

「奥村先輩の口から違うって言ってもらえればいいんでしょう!? いいわよ、あたしが直接その言葉を引き出してみせるからっ!!」

 そう宣言して、あたしは脱衣所へ向かった。

 そう、先輩は今お風呂に入っている。とはいえ、きっともうお風呂は終わって脱衣場にいるだろうから……あたしから出向いて真実を確認してやろうじゃないか!!

「いやいやちょっと香澄ちゃん!? 落ち着こう、落ち着こうぜ? なっ?」

「香澄さん落ち着いてください!! さすがにそれは……ちょっと……」

 慌てて立ち上がった2人もあたしの後を追うけれど……残念、あたしのほうが早いんだから!!

「奥村先輩!!」

「はっ!?」

 引き戸を豪快に開いたあたしは、お風呂あがりで下着姿、タオルで頭を拭いていた奥村先輩に詰め寄った。

 当然、事態を把握しきれない先輩は反射的に脱衣所の奥へと逃げていき……結果、お風呂の扉とあたしに挟まれた状態になる。

 あたしは風呂へ続く扉に右手を付いて先輩を威嚇しつつ、戸惑いを隠しきれずにこちらを見下ろす彼を……思いっきり据わった目で睨んだ。

「あ、あの、樋口……? どうかしたのか? 俺が何か……」

「奥村先輩は、卑怯な人じゃありませんよね!?」

 そう言って、両足を踏ん張るあたし。

 あたしの気迫に若干気圧されつつ……先輩は頑張って質問に答えてくれる。

「は? 卑怯? 卑怯……そうだな、えぇっと……な、なるだけ誠実に生きようと心がけているつもりだが……」

「そうです! 先輩は誠実な人なんです! だから……先輩があたしのことを好きだなんてありえないんです!! よね!?」

「申し訳ない話が全く分からないんだが……東原に有坂、そこで傍観してないで助けてくれ。というか、この状況は何なんだ!?」

 脱衣場の入り口で苦笑いを浮かべている絢芽と椎葉は、先輩の悲痛な叫びに……互いに顔を見合わせて。

「香澄さんが暴走した責任は……半分は奥村さんにあるのではないでしょうか?」

「俺もそう思う。お前がはっきり言わないからだぞ、悠樹」

 2人で納得して現状から目をそらした。

「だから何の話なんだ!? おい樋口、頼むから説明してくれ、一体何が……」

 遠くの2人が頼りにならないことを痛感した奥村先輩は、近くのあたしへ標的を変える、が……。

「樋口……?」

 先輩がここで、あたしの様子がおかしいことに気づく。

 あ、ダメだ……頭がふらついて……。

「樋口!?」

 バランスを崩して大きく右に倒れたあたしの体を、間一髪のところで先輩が抱きとめてくれた。

「おい、大丈夫か?」

「す、すいま……せん……なんか、ふらついて……」

 一緒にゆっくりとしゃがんでくれた先輩は、右手で額を抑えるあたしを覗き込んだ。

 一瞬、視界がぐにゃっと歪んで……何だろう、地味に気持ち悪い。

「具合が悪いのか? 無理していたんなら早めに言ってくれないと分からないぞ」

「いえ、えっと……あれ? なーんか……フワフワします……」

「フワフワ?」

「って……あれ、あたし……こんなところで何を……あれ……?」


「――すいませーん、どなたか、私の使ったコップを使っていませんかー? あれ、私が飲んだ割と強い日本酒が残っていたかと思うんですけどー?」

 絢芽と椎葉の間から割り込んだ雛菊の言葉が、どこか遠くに聞こえた……気がする。


「……本当にスイマセンでした……」

 あれから数十分後、ようやく色々なものが体から抜けたあたしは……コップの水(4杯目)を飲み干して、正面に座っている奥村先輩に改めて頭を下げた。

 場所は再びリビング。椎葉は入浴中のため、ソファに3人が集合している。先輩が正面、絢芽はあたしの隣に座っているけれど……雛菊? 知らない。

 あの後……ふらつくあたしは絢芽に支えられてリビングに戻り、水攻め(水を普段以上に飲んだ、という意味)。奥村先輩は身支度を整えて椎葉と交代。雛菊? 知らない。

 ようやく体から倦怠感が抜けてきたあたしは、正面の先輩へしどろもどろになりつつ、頑張って言葉を紡ぐ。

「えぇっと……正直ほとんど覚えてないんですが……あたし、奥村先輩に色々と失礼な振る舞いをしてしまったんですよね……というか、変なことしか言ってないですよね……」

 先日とは立場がすっかり逆になってしまった。萎縮して落ち込むあたしへ、隣に座っている絢芽がチラリと先輩をみやり、こう尋ねる。

「私はお風呂を頂いていたので聞いていなかったのですが……香澄さんの言動はそんなにおかしなものでしたの?」

 絢芽の問いかけに、先輩は首を横に振った。

「いや、正直俺も気づかなかったというか、特に違和感はなかったぞ……最後以外」

「だ、そうですわよ香澄さん。良かったじゃないですか、破廉恥だったのは最後だけですわ」

「最後最後言わないでよ! その最後が一番問題なんだからね!! もうやだ……」

 あたしは机に突っ伏して両手を上げ、大きくため息を付いた。

 先輩の話を総合すれば、あたしは先輩をいい気分でからかい、その後、脱衣所で半裸の先輩に壁ドンをしたことになる。あれ、でも、どうしてあたし、脱衣所に乗り込んだんだっけ……?

 ……詳細を思い出せないし、思い出さないほうが幸せかもしれない。あたしはそれ以上の詮索を諦めて顔を上げると、コップの水をもう一口飲んでおいた。

 そこへ、風呂あがりの椎葉がやって来る。先輩の隣に腰をおろした椎葉は、自己嫌悪のマイナスオーラが隠し切れないあたしへ、ニヤニヤした視線を向けて……こう尋ねるではないか。

「お、香澄ちゃん、悠樹の真意は聞けたの?」

「へ? 先輩の、真意?」

 何を言っているか分からない彼に首を傾げると、椎葉はニヤニヤしたまま、隣に座る先輩を指差した。

「そうだよ香澄ちゃん、さっき、悠樹から告白まがいのこと言われてたじゃん」

「ふへはこっ!?」

 刹那、あたしは吸い込んでいた息を吐き出し、正面の先輩に目を見開いた。

 対する先輩もまた、椎葉の言葉に目を白黒させている。

 隣の絢芽は無言で事の成り行きを見守っていて……ちょっと待って、絢芽が冷淡に突っ込まないということは、椎葉の言ったことは事実なの!?

 いや、まさか、そんな……。

「いや、まさか、、そんな……」

 心の声がそのまま口に出ていた。狼狽えるあたしより先に冷静さを取り戻した先輩が、引きつった顔で椎葉に尋ねる。

「有坂、俺はお前が何を言っているのかさっぱり心当たりがないんだが……お前は一体何を言って……」

 普段ならバッサリ切り捨てられるであろう椎葉だが、今日は自信満々、食い気味に返答した。

「いやいや、俺は電話しながら聞いてたんだって! 悠樹、お前、香澄ちゃんに自分に対して恋愛感情があるかどうか聞いてただろ? それって遠回しで回りくどくて分かりづらいけどどう考えても告白じゃん!!」

「はぁっ!? いや、あれは……!」

 刹那、顔を真っ赤にした先輩が首をふりながら椎葉に詰め寄る姿を見ながら……あたしは何となく、あの時のやり取りを思い出すことが出来ていた。


 あの時……華奈ちゃんからのメールにつられてあたしを「ちゃん」付で呼んだり、綾小路さんや稲月先輩から立て続けに告白されたことで、身の振り方を悩む先輩の姿を。


「非常に厚かましいことを聞くことは重々承知しているんだが……そこに、恋愛感情はあるか?」

「……ここ最近、俺の身近な人から、俺に対する好意を告白されることが続いているんだ。だからもしかして、俺の日頃の態度に何か問題があるのかと思って……俺の近くにいる樋口がどう思ってるのか、確認してみたくなったんだ」


 真面目に悩む先輩に、ふざけた答えは出来ない。

 真面目すぎる先輩には、仮に、仮に、万が一の可能性であっても、あたしからも色恋沙汰なんて……迷惑以外の何ものでもない。


 それに――



 ――あたしが誰かに好かれる資格なんて……ないんだから。

 分かってる、分かってるよ。



「――違うよ、椎葉」

 ため息混じりに呟いたあたしの言葉は、全員の注目を集める。

 あたしは腕を組んで対角線上にいる椎葉にジト目を向け、もう一度、分かりやすくため息を付いた。そして。

「奥村先輩は真剣に考えて、恥を忍んで聞いただけだよ。椎葉だって聞いてたでしょ? 最近、知り合いから立て続けに告白されたことで、自分の身の振り方に悩んでるって」

 冷静に言い返すあたしが予想外だったのか、椎葉がうろたえつつ反論しようとした。

「そりゃあ聞いてたけどよ、でも……」

「ハイハイ、この話はもうオシマイ! 当事者同士が納得してるんだから、これ以上掘り下げても何も出てこないよ。ですよね、先輩?」

 そう言って、正面にいる先輩を見つめた。彼は一瞬、何か言いたそうに口を開きかけたが……口をつぐみ、一度頷いてからボソリと呟く。

「……俺の言い方は、やはり色々な誤解を招くようだな。以後気をつけようと思う。樋口、すまなかった」

「気にしないでください。全ては……茶化してひっかき回そうとした椎葉が悪いんです」

 そう言って、再び椎葉にジト目を向ける。椎葉は苦笑いを浮かべながらそれ以上何も言わず……たまに、隣に座る先輩を横目で見つめていた。


「とりあえず絢芽、明日のスケジュールを確認させて。どう動けばいい?」

 あたしは場を仕切りなおすために、隣に座る彼女に目線を向けた。

 全員の視線を向けられた彼女は、ふむ、と、一度思案して……。

「明日は、午前中にもう一戦、模擬戦をしなければなりませんから……遅くとも9時には全ての準備を整えておきたいところですわ。そうなると……香澄さん、朝食は8時でよろしいですか?」

 食事担当のあたしは首を縦に動かす。

「了解。じゃあ……絢芽、7時に起こして♪」

 樋口香澄の朝は弱い。普段の目覚まし時計ではない、携帯電話のアラーム頼りという心もとない戦力を補強しておきたかったのだが……この中で最も正確な目覚ましになり得るであろう絢芽は、冷めた瞳であたしを見つめた。

「高校生なんですから、自力で起きてくださいませ。私、毎朝6時過ぎから走っていますので、7時に確実にここにいるという保証が出来ませんわ」

 刹那、あたしは目を見開いて……絶望する!!

「そんなぁ……あたしが起きなかったらみんなのご飯ないんだよ!? それでもいいの!?」

 そんなあたしへ助け舟(?)を出すのは、苦笑いから華麗に復活した有坂椎葉!!

「フッフッフ、俺に任せなよ香澄ちゃん。優しく、優しーくマッサージでもしながら起こしてあげるぜ? なんだったら……添い寝してあげようか?」

「いや、そこまでしてもらわなくても……ん?」

 先輩と絢芽が椎葉を冷めた目で見やる中、あたしは1人、とっておきの妙案を思いついてしまった。

 それは、椎葉の願いとあたしの願いを同時に叶えることが出来る、そして、こういう合宿ならではの妙案。

 いち早くあたしの悪巧みを察した奥村先輩が、正直な言葉で問いかける。

「樋口、目が気持ち悪いんだが……何を考えているんだ?」

「先輩、今の言葉すっごく失礼なんですけど……まぁいいです。じゃあとりあえず、今日はもう何もすることがないってことで……」

 あたしは椅子から立ち上がり、自分の座っていた椅子をひっくり返して机の上に乗せた。そして、他の3人にも同じようにするよう促してから……2階へ避難するように告げる。

 1人、1階に残ったあたしは、軽く目を閉じ、右手を開いた。

「――颯!」

 刹那、握った右手に相棒の感覚。普段より随分とラフな格好で構える『颯』は、いつも以上にミスマッチだ。

 吹き抜けになっているので、あたしの姿は2階廊下にいる絢芽からも丸見えである。何事かと身構える3人には、「心配ないから、そこから動かないでね」と釘を差しておこう。

「香澄さん、何をなさるおつもりですの? くれぐれもここの家具を壊すようなことは……」

「分かってるよ、上手くやるから……まぁ見ててって♪」

 背中を向けて返答したあたしは、一度、呼吸を整えてから……『颯』の切っ先を、ひっくり返った椅子が乗っているダイニングテーブルと、その先にあるソファ、低くてどっしりした木造のテーブルへ向ける。

 集中、集中。力の向く先は――あたしが動かしたい家具だけ!


「――疾風怒濤・弱っ!!」


 勝手にアレンジした技名を唱えると、脳内ロックオンした家具達がふわりと浮かび上がった。そして、それらはフワフワとゆっくり部屋の隅へ移動していき……ピタリと密着して着地。数秒足らずで、広いワンルームが完成する。

 おおっ、中々上手くいったんじゃないの?

 あたしはその足で階段を駆け上がると、廊下で顔をしかめている絢芽に……一度、ニヤリとした視線を向けた。

 そして、まずは自分たちの部屋の扉を開き、部屋の奥に『颯』の切っ先を向ける。


「もう一度! 疾風怒濤・弱!!」


 その声に導かれるように室内から浮いて出てきたのは……ベッドに置いてあった布団✕2組。

 それを静かに1階まで降ろしてから、今度は男性陣の部屋の扉を開き、同じことをする。

「ちょっ……樋口!?」

 慌てて止めに入ろうとした先輩の右腕を、ニヤニヤした表情の椎葉がガッツリ掴んで離さない。

「止めるなよ悠樹、止めて良いのは、食事当番の香澄ちゃんに逆らうだけの料理の腕はある奴だけだ」

「そんなもの俺にはないが……ちょっと、これはなぁ……」

 あたしのやりたいことを察した奥村先輩が、階下を見下ろし……大きなため息をついた。

 そして、絢芽もまた、現状から導き出される結論を察して……血の気が引いた顔になる。

「なっ、何ということですの!? お、同じ部屋で妙齢の男女が……男女が……!?」

 呆然と立ち尽くす絢芽の横を、楽しそうな椎葉が駆け抜けていった。

 いち早く1階に戻って来た椎葉が、4組並んでいる布団を見やり、2階にいるあたしに向けて親指を突き立てる。

「おおっ、凄いな香澄ちゃん。新しい力を完璧に制御してるんじゃん!!」

「上手くいって良かったー♪ 合宿となれば、全員が布団を並べて枕投げだよね!!」

 『颯』を片付けたあたしもまた、階段を駆け下りた。

 あたしがやりたかったこと、それはズバリ……全員が同じ空間で布団を並べて寝る、という、合宿でしか出来ないお楽しみだ。

 昼の特訓で、自分の中にほとんど新しい力が染みこんできたのを感じていた。その力は全体ではなく、あたしが念じた個別に作用する、ということは……風の力を使って重たいものを運んだりすることも出来るのではないか、という思いつきをぶっつけ本番で実行してみた。

 よし、これであたしが寝坊する危険性は低くなったよね!

 全てを悟って呆然と立ち尽くす絢芽の隣に、苦笑いの奥村先輩が並ぶ。

「東原……その、大丈夫か?」

 刹那、絢芽が先輩を睨みつけた。

「奥村さん……樋口さんには歳相応の恥じらいというものがないのですか!? 小学生ならまだしも、高校生にもなってあんなにはしゃいで……!!」

「それは……正直、俺も驚いているんだが、俺たちに限って何も問題はないと思うぞ?」

「当然です!! 子孫を残して良いのは少なくともこの戦いが一段落してからですわ!!」

「いや、それも何か激しく違うような気が……それはさておき、東原が嫌なら、俺から2人に釘を差して元に戻させるぞ。どうする?」

 尋ねられた絢芽は、憮然とした表情で階下を見下ろし……4人分の敷布団を一列に並べて敷き詰め、早速枕を投げ合っているあたしと椎葉に、大きなため息をついた。

 その横顔は、全てを諦めて……でも、どこか楽しそうな感情を隠せない、魅力的な表情。

「……もういいです。枕でも何でも投げ合って、黙らせますわ」

「穏便にな……」

 階段を降りる絢芽の背中を、終始苦笑いの奥村先輩が追いかける。

 そして……。


 全員参加で始まった枕投げは、絢芽のえげつない、それでいて容赦無い攻撃により彼女の一人勝ち。

「情けない……この程度で終わりですの?」

 そう言いながらも、どこか楽しそうな絢芽の姿を見ることが出来たから……今回の計画は成功だったと思うことにしよう!

 そして、絢芽、あたし、奥村先輩、椎葉と並んで眠りにつき……一日目は終了した。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



 ――あたしは、嘘をついたのかもしれない。


 あの時、何よりも自分の体裁を大切にして……自分の本音に鍵をかけた。

 それは、相手を傷つけたくない以上に、自分を守るためなのかもしれない。


『香澄ちゃんっていっつもそうだよね。上っ面ばっかり愛想よくって、建前ばっかり』

 不意に、亜澄があたしを睨みつけてこう言った。


 ――違う、違うの、そんなつもりじゃ……!


 言い訳するあたしを蔑んだような視線で見つめる亜澄は、段々とその声に感情をのせていく。

『だってそうでしょ? あの時だって……本当のこと、言わなかったくせに。香澄ちゃんのせいで亜澄が事故に遭ったって、誰にも言わなかったくせに!!』


 ――違っ……!!


『違わないもん!! 香澄ちゃんは誰にも本当のことを話してない!! 悠樹君にだって……!!』


 ――あたしは、奥村先輩にも嘘を付いている?

「奥村、先輩……」


 思い出したのは、あの夜のこと。

 あたしと亜澄の間にある確かな確執、それを隠さずに話すことが出来た後……先輩が伝えてくれた、あの言葉だ。

『最初は演じていたかもしれないが、そこまで出来れば上出来だと思う。俺は……その、ここにいるのが今の樋口で良かったと思っただけだっ!』


 ――あの時は、正直に話すことが出来た。それが、今のあたしの自信にもなっている。

 ――じゃあ、昨日は?


『な、何を言い出すかと思えば唐突に何ですかそれは……申し訳ないですがありませんよ、っていうか、あってほしいんですか!? 彼女いらない、恋愛に興味ないみたいなことを言ってたくせに!』


 ――これは、本音?


 ――正直、分からない。


「分かんないよ……先輩……」


 あたしは両手を強く握りしめ、その場に立ち尽くしていた。



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



 ……という夢をみたところで、目が覚めた。


「ふ……」

 息を吐くと同時に瞼を動かす。もうしばらくまどろみの中でウダウダしていたけれど……何だかそろそろ起きなきゃいけないような気がするんだよねー……。

 意識が覚醒していくと同時に、違和感も覚えていた。

 あたしの両手が、何かを握りしめている。布? でも、何だか暖かいものがすぐ近くにあるような……安心できる大きな何かに寄り添っているような……安心感と違和感。

 反射的に力を入れて引き寄せてみると、頭上で「うぐっ……」という、くぐもった声が聞こえた。

 ……うぐ?

 違和感に脳内で首を傾げながら、まぶたを開く。目の前にあるのは……何だこれ、タオルケット、じゃない……骨格……腕……肩?

「これ……」

「……樋口、そろそろ半袖シャツの袖を引っ張り続けるのは勘弁して欲しいんだが……」

「はっ!?」

 刹那、あたしの意識は猛スピードで覚醒した。

 そして気がつく。あたしが握りしめていたのは、奥村先輩の左腕。着ているパジャマの肩から袖にかけてを、あろうことかあたしは自分の体を横向きにして、両手で全力で握りしめているではないか!!

「す、スイマセンあたしってば、すぐ離れっ……!」

 慌てて彼の服から手を離した瞬間……猛烈な痺れが両手を襲う!!

 どうやら、自分でも思った以上に力を入れて握りしめていたらしく……腕を満足に動かせずにその場で身悶えするあたしを、奥村先輩が冷めた目で見下ろしている。

 そして、ゴロリと寝返りをうつように体を動かし、あたしと向かいあう体勢になった。

 あたしを見つめる彼の目は……それはもう、何かを企んでいる気満々で……!?

「ほほぅ……よし樋口、俺がその両手をマッサージしてやろう」

「嫌ですやめて触らなぐふぁぁぁぁっ!!」

 先輩の手が意図的にあたしの手を包み込み……言いようのない不快感に身悶えすることしか出来ないあたしなのだった。


「おっ……奥村先輩がそんな人だとは思いませんでした!! ひどいです……あたしを弄んで楽しいですか!?」

 数分後、ようやく手のしびれが取れてきたあたしは、枕に突っ伏してわざとらしく泣き真似をしてみる。

 隙間からチラチラと彼の様子を伺ってみるけれど……先輩は仰向けで寝転がり、視線のみをあたしに向けていた。

「樋口に掴まれて身動きも取れずに、東原と有坂に上からからかわれた俺のささやかな復讐だ。大目に見てくれ」

「ふっ、振り払えばよかったじゃないですか! そんな律儀に握られてなくたって……!」

「無意識の樋口が、手がしびれるくらいの全力で、しかも両手で握ってるんだぞ。振り払えなかったんだよ」

「それは……スイマセン、でした……」

 突っ伏したままボソリと呟いたあたしは、そのまま手を枕の上に伸ばし、自分の携帯電話を手繰り寄せた。

 画面で時間を確認すると、6時50分。起きるのは7時でいいし、どうせアラームが鳴るから……あと10分、グダグダしようと思う。先輩が起きる気配もないしね。

 携帯電話を元の場所に戻し、うつ伏せから仰向けに体勢を変えてから……天井を見上げ、ため息1つ。

 昨日は普段以上に連続して力を使ったからなのか……変な夢を見てしまった。



『香澄ちゃんは誰にも本当のことを話してない!!』



 亜澄の言葉が重たくて……うぅ、朝からちょっとしんどい。

 あたしは、考える前に体が動くタイプだ。特に『堕落者』と刃を交える時なんかは、ほとんど本能と『颯』に従って体を動かしている。

 そんなあたしの口から出てくる言葉も、考える前に発しているというか……嘘偽りない、本音だと思っていたのに。

 ……違うのだろうか。何だか、頭で考えてもちっとも分からないぞ。

 ぼんやり天井を見上げるあたしへ、奥村先輩が視線を向けたまま、声をかけてくれる。

「樋口の夢のなかに……俺がいたのか?」

「へっ? ど、どうしてですか?」

「いや、寝言で呼ばれたから……表情から察しても、楽しそうな夢じゃなさそうだったぞ。大丈夫か?」

 寝言を、よりによって先輩に聞かれていたという凄まじく恥ずかしい現状ではあるのだけど。

 優しい声に少しだけ助けて欲しくて、あたしは寝返りをうち、先輩の方を向いた。

 先輩は首を動かして、肩越しにあたしを見つめてくれる。

 1人で心にとどめておくことも出来たし、普段だったらそうしていただろう。でも、今のあたしにはそれも大分しんどくて……つい、言葉が口をついて出る。

「先輩……あたし、嘘つきですか?」

「嘘つき? 樋口が?」

「はい。夢の中で……亜澄に散々そういうことを言われた気がします。あたしは図星で、満足に言い返せなくて……。先輩は最近のあたしを近くで見てますよね、そんな先輩から見たあたしは、どうでしょうか……」

「樋口は誰かに嘘をついた自覚があるのか?」

「……分かりません」

 素直に呟いたあたしへ、先輩は不意に自分の左手を伸ばし――そっと、頭に手を添えてくれる。

 そして。

「俺は、樋口が嘘つきだんて思ったことはないぞ」

「奥村先輩……」

「少なくとも俺に対しては、樋口はいつも正直に対応してくれていると思う。俺の顔色を伺うこともなく暴走して、俺に相談することもなく突っ走って……」

 ……あ、あれ?

 何だかいい言葉が返ってくるかと思いきや……結局のところ日頃の愚痴ですか奥村先輩!?

 添えられた手の優しさを感じられず、思わず目を丸くして彼を見つめた。そんなあたしを一瞥した先輩は……その視線を天井に戻し、言葉を続ける。

「俺も最近は、それが『樋口香澄』なんだと思うようになったよ。樋口はいつも、自分の中にある感情に正直に動いている……と、俺は思っている。そこに嘘も偽りもない、仮にあったとしても俺は気付けていないわけだから、まぁ……いいんじゃないか?」

「要するに……嘘だとバレなきゃ大丈夫、ってことですか?」

 刹那、先輩があたしの頭上から手を引っ込め、寝返りをうってから改めてあたしと向かい合う。

 至近距離からジト目で見られて……今度は、あたしの視線が定まらない。

「言葉尻だけを取ってそんな言い方するなよ。まぁ、そういうことなんだが……」

「何ですかそのまとめ方……でも、何となくスッキリしました、朝からスイマセン」

「いいよ。樋口はもっと誰かに頼るべきなんだから……役に立てて何よりだ」

 そう言って笑顔をみせてくれた先輩に、あたしは心の中で……謝っていた。


 ゴメンなさい、奥村先輩。

 よく分かりました、あたし、やっぱり嘘つきみたいです。だって――


「さて、そろそろ起きるか……しかしあの2人、どこまで行ったんだ……?」

 上半身を起こした先輩に続くように、あたしもムクリと体を起こす。

 刹那、アラームが鳴り響き……本日の始まりを告げた。

「樋口、布団と家具は元通りにしておけよ」

「えー、奥村先輩も『焔』で手伝ってくださいよー」

「俺が手伝ったら全部燃えるだろうが……」

 布団一式を三つ折に畳み、ジト目を向ける奥村先輩。

 そんな彼に苦笑いを向けながら……あたしは、心の中で溜息をつく。


 ――ようやく分かった気がします。でもまだ、はっきりはしていないけれど。

 あたしは――やっぱり、奥村先輩のことが……好きかもしれないって。

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