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全員参加のトレーニング

 亜澄の襲撃から数日後の土曜日、時刻は午前9時を少し過ぎたところ。

 夏の太陽がそろそろ本気を出し始める時間に、あたし達は絢芽の家の前に集合していた。

「揃いましたわね」

 珍しく、長い髪の毛をポニーテールに結いあげ、白いブラウスに濃紺の7分丈パンツという格好の絢芽が、いつも通りのTシャツにジーンズ、1泊用の荷物が入ったドラムバックを抱えているあたしをじぃっと見つめて。

「香澄さん、体の調子は大丈夫ですの?」

「うん、ありがとう。左足もバッチリ大丈夫!」

 嘘偽りなく断言すると、彼女が一度、安堵の息をついたのが分かった。

 あの日……亜澄との戦いを終えたあたしは、生徒会室で疲れのあまり寝落ちしてしまった。

 そこを戻ってきた奥村先輩と稲月先輩に発見され、とりあえず保健室で1時間の仮眠の後に仕事復帰。その後、この合宿に体調を万全にしておきたかったので、『堕落者』討伐のメンバーからも外してもらっていたのだ。

 おかげで体力・気力共に問題なし! 久しぶりに『颯』を思いっきり振り回すぞー!!

「樋口が回復して安心した。切り込み隊長だからな」

 モスグリーンのポロシャツに細身のジーンズ姿の奥村先輩が、あたしの隣で口元にニヤリと笑みを浮かべて横目で見やり、そんなことを言うので……思わず、眉をひそめた。

 切り込み隊長? 初めて聞いたんですけどそんな話。

「何ですかそれ、要するにあたしが無鉄砲だってことですか?」

「なんだ、自覚していたんだな」

「ひどくないですか!? ちょっと、絢芽も何かフォローしてよ!」

 正面の絢芽にフォローを求めるが、絢芽はきょとんとした表情でこう言う。

「あら、奥村さんの見解は至極真っ当だと思いますわ」

「絢芽までぇ……」

 ……まぁ、自分でもそう思うことはあるんだけど、客観的に言われるとちょっと凹むんだよ……。

 と、派手なTシャツに迷彩柄カーゴパンツの椎葉が、あたしと絢芽の間に割って入ってきた。

「香澄ちゃん、今日の食事のメニューは決まってるの?」

「食事のメニュー? えぇっと……お昼はこれからお弁当を買って行くし、夕食は絢芽と買い物に行ってから決めようと思ってるんだけど」

「あのさー、俺、コロッケ食べたいんだけど、作れる?」

「作れるけど……食事の決定権は絢芽にあるから、彼女に伺いを立ててね」

 何と言っても、今回の合宿の主催者であり、立役者なのだから。

 あたしが絢芽に目配せすると、椎葉は絢芽を上目遣いで見つめて理解を求める

「絢芽ちゃんも、コロッケ食べたいよねー?」

「いいえ特には」

「えーっ!? そんなこと言わないで、俺のコロッケ獲得のために協力してくれよー!」

「そんなこと今はどうでもいいですわ。日が高くなる前に出発いたしましょう」

 椎葉の妙なこだわりに一切興味がない絢芽が、嘆息した次の瞬間。

 私達が立っている東原家の前に、一台の車が滑りこんできた。

 銀色のセダンタイプの乗用車。運転席の窓が半分ほど開き、中から男性が顔をのぞかせる。

 見た目は20代中盤位だろうか。眼鏡越しでも分かる切れ長の瞳にサラサラの黒髪。見目麗しい日本男子、という言葉がしっくりきそうなほどの美形。絢芽を男性にしたらこんな感じだろうな、と、あたしがぼんやり思っていたら……絢芽がペコリと軽く会釈して、

「この度はお手を煩わせて申し訳ございません、お兄様」

「お兄さん!?」

 代表してあたしが驚きの声を上げておいた。椎葉も目を見開いて二人を交互に見やり、奥村先輩は冷静に「初めまして、お世話になります」と頭を下げている。

 一旦エンジンを止めて車から降りてきた彼は、それぞれの反応をしている4人を一度見渡してから。

「東原秋隆です。妹が世話になってるね」

 低すぎず、中性的にも感じる声のトーンで自己紹介をしてくれた。

 目の前に車があるということは、今回の合宿の送迎は、彼――秋隆さんにやってもらえるということなのだろう。助かる。

「皆さん、荷物はトランクにお願いしますわ」

 絢芽の言葉に従って、それぞれの荷物をトランクに入れた。

 忘れ物がないことを確認してトランクを閉めた彼女が、あたし達3人を一瞥して。

「さて、車の座席なのですけれど……男性が助手席の方がよろしいですわよね」

 そう言われたあたし達は、互いの顔を見やってから。

「椎葉だね」

「有坂だな」

「ですわね」

 3人で納得した。

「おいおいちょっと待ってくれよ! ここは年長者の悠樹に譲るぜ!?」

 一人だけ反論する椎葉に、奥村先輩が冷め切った視線を向ける。

「有坂には前科がある。この間のプールで樋口置き去りを画策したこと、忘れたわけじゃないだろう?」

「あ、あれは……結局未遂だったじゃねーか! それに、悠樹の方が香澄ちゃんにあんなことを……!」

「その話なら、既に樋口本人と決着がついている。それに……佐藤君に聞いてるぞ、あの後、プールで何があったのか」

「うげっ!?」

 刹那、椎葉の顔面から血の気が引き……彼はスゴスゴと助手席に乗り込んだ。

 このやりとりに、絢芽も「まぁ」と驚いた表情になって。

「有坂さん……何をしたんですの?」

「時効になったら本人から聞いてくれ。出発するんだろう?」

「え、あ、はい、そうですわね。参りましょうか」

 我に返った絢芽に促され、あたし達も後部座席に乗り込んだ。


 絢芽の家がある地区から、車で走ること1時間弱。

 途中で昼食用のお弁当を調達して、次第に民家が少なくなって、曲がりくねった山道を登って……目的地にたどり着いた。

「ついたー……」

 車から降りたあたしは、体を伸ばして空気を吸い込む。平地の蒸し暑い空気とは違う、清々しい冷たさが新鮮だ。少し山の中に入っただけで、こんなに気温差があるものなんだな……。

 目の前にあるのは、思っていたよりも行楽要素の薄い、こぢんまりした2階建ての建物だった。白い壁に木枠の窓がカワイイ。山の中にあるペンションということで、勝手にログハウス風の建物を想像していたけれど、ちょっと以外。

「樋口、自分の荷物は自分で持ってくれ」

 トランクから荷物を出していた先輩が、あたしのカバンを放り投げた。

 慌ててキャッチする。ちょっと扱いが雑じゃありませんかね奥村先輩……。

 あたしからのジト目に先輩が首をかしげている横で、絢芽は秋隆さんから建物の鍵を受け取って。

「明日の迎えは2時前でいいんだな?」

「はい、また連絡致しますわ。お気をつけて」

 絢芽が頭を下げた。奥村先輩と華奈ちゃんが距離の近い仲良し兄妹ならば、この二人は互いに一線を引いた大人の兄妹、というイメージ。実際そうなのだろう。絢芽が甘えているところなんて、あんまり想像出来ないし。

 荷物を持ってそんなことを思ってたあたしに、秋隆さんは視線を向けて。

「君が樋口香澄さん、だね。絢芽から話は聞いているよ」

「へ? 話?」

「お兄様!?」

 絢芽が焦ったような声を出したが、笑いをこらえている表情の秋隆さんは容赦なく言葉を続ける。

「絢芽が君のことを高く評価しているようでね。自分は屈折しているけれど、香澄さんは真っ直ぐで羨ましいって、何度となく聞かされたかな」

「絢芽が……」

 秋隆さんの隣に立っている絢芽は、顔を真っ赤にして顔を伏せてしまった。あら珍しい、図星らしい。

 と、次は、興奮して周囲を散策している椎葉に荷物をぶん投げた(そしてぶつけた)奥村先輩へ視線を向けて。

「君が奥村悠樹君、唯一の2年生でまとめ役だよね。妹は融通が利かないところがあるから、迷惑をかけているんじゃないかな」

 話をふられた奥村先輩は、一瞬、顔を伏せたままの絢芽を見やり……苦笑いを浮かべた。

「最初は正直近寄りがたかったですが、随分丸くなったと思いますよ。それに、東原の真面目な姿勢と確かな実力には何度も助けられています。彼女がいなければ、俺はこの場にいなかったかもしれない……頼りにしています」

「も、もうお兄様! いい加減にしてください!」

 焦りまくっている絢芽に「ハイハイ」と笑顔を向ける秋隆さんは、ニヤニヤが止まらないあたしと、彼女へ同情的な視線を向ける奥村先輩に、改めて頭を下げた。

「絢芽を含め、君たちにこの町の平穏を任せていることには感謝しているよ。出来る限りの協力はさせてもらうから、何かあれば絢芽を通して教えて欲しい」

 あたし達以外にも、この頑張りを知ってくれている人がいること、それを実感した瞬間、今までになかった力強さを感じる。

 勿論、絢芽の家が特殊だという事情はあるけれども……それを差し引いても、すごく嬉しくて。

 あたしは胸の前で右手を握りしめ、

「ありがとうございます! 久那市の平和はお任せくださいっ!!」

 ……なーんて、調子の乗ってしまったものだから、普段通り、絢芽から冷たい視線を向けられたのでした。


 一人で散策していた椎葉の首根っこを捕まえ、全員で秋隆さんを見送ってから、あたし達は本日お世話になるペンションへと足を踏み入れた。

「うわー……吹き抜けってやっぱり開放感があるねぇ……」

 玄関からすぐの扉を開くと、2階の天井まで吹き抜けのリビングが広がった。

 20畳くらいあるだろうか……中央に木造のテーブルとソファーがあり、2体2で向い合って座れるように配置されている。テレビは液晶の壁掛け……薄い!

 その向こうに見える窓ガラスは大きくて、更に先にはテラスが見える。バーベキューとかしたら楽しいだろうなぁ……今回は無理だけど。

 扉の右手には2階へ通じる階段があり、2階には寝室と思われる部屋の扉が2つ見える。

 キッチンは1階の奥にある様子だ。さて、どんな道具や調味料が揃っているのか、後で確認しておかなくちゃなぁ……。

 テレビのリモコンへ走っていった椎葉を、絢芽は冷ややかな視線で見送って。

「とりあえず、2階の寝室に荷物を置いて、またここに集まりましょう。当然ですが部屋は男女別、手前が奥村さんと有坂さん、奥が私と樋口さんですわ」

「うん、分かった。椎葉ー、置いていくよー」

 あたしと絢芽が階段を登り始めるが、ソファに座ってしまった椎葉が動く気配がない。

 奥村先輩がいるから大丈夫だろうと思って、あたしはとりあえず2階を目指した。

 ……うん、後ろで『焔』の気配なんかしなかった……しなかった……振り向いちゃダメ。


 5分後、再び1階のリビングに全員が集合。壁の掛け時計で時間を確認した絢芽が、とりあえずのスケジュールを提案した。

「今が10時、ですわね……とりあえず今から40分ほどは、準備運動も兼ねて、個人での鍛錬にしたいと考えていますの。この周辺には雛菊さんに『結界』を頼んでいますので、それぞれの不安材料を克服するために時間を使って、1時間後の11時からは、チームで1回目の模擬戦を行いたいと考えていますわ」

「模擬戦? あたしが絢芽と戦うってこと?」

「いいえ違います。チームを組んで、それぞれに与えられた敵を倒していきます。この模擬戦は、今日の午前中、今日の午後、明日の午前中の3回を予定しています。本当は夜も行いたいのですが、この辺りは夜が本当に暗いので、安全上の観点から夜は室内で過ごすのが懸命だと思いますわ」

 確かに、人里離れているこの場所は、日が沈んだら本当に真っ暗になってしまうだろう。

 夜中まで地獄の特訓が続くんじゃないか、内心そんな恐怖を感じていたあたしは、ホット一息、胸を撫で下ろす。

「話がそれてしまいましたけれど、今回は主に、味方の力を見極めてどのように戦うか、という感覚を養っていただきたいので、チームでの模擬戦を提案致しますわ。いかがでしょうか?」

 絢芽の提案に異論を唱えるメンバーはなく、「では」と、彼女は瞳に強い力を宿して。

「今からの時間は、お好きな場所を見つけて鍛錬をお願い致します。10時45分までに玄関前へ集合、飲み物や軽食は冷蔵庫にあるはずですから、体調をみて補給をしてくださいませ」

 この言葉を合図に、あたし達の強化合宿は本格的に始まったのだった。


 あたしは建物の裏にある雑木林の中で、『颯』を握りしめていた。

 周囲を散策していた椎葉によれば、更に山の上へ続く道の先に、ちょっとした川遊びが出来そうな川辺や、キャンプファイヤーが出来そうな広場もあったとのこと。

 ただ……初めての場所であまり動きまわると戻ってこれないかもしれないと思ったので、あたしは近い場所を選んだ。それに、木々の間にいれば……風の音がよく聞こえる。

 今のあたしがやるべきこと、それは、先日覚醒した……はずの力を完璧に自分のものにすること。障害物が多いこの場所で、自分が狙ったものを確実に仕留める正確さに磨きをかけたい。

 『堕落者』がいないのに『颯』を使うなんて、何だか慣れないけれど……やるしかない!

「頑張ろうね、『颯』。いくよ――!!」

 ひんやりした山の空気を吸い込み、空気が流れる音に耳を傾けて――あたしは、『颯』を振り上げた。

「――疾風怒濤!!」


 そして、時刻は10時50分。

 玄関前に戻ってきて、水分補給を終えたあたし達4人の前に、何だか久しぶりの雛菊登場。

「絢芽さんに頼まれたとおり、この建物を中心に、半径約100メートル四方に『結界』を設定し、『堕落者』っぽい仮想敵をうじゃうじゃ配置しておきました」

 薄紫色の上品な着物をきっちり着こなし、額に汗も見えない。相変わらず涼しい表情の雛菊は、くるりと踵を返して玄関の扉を開き、

「では、私は涼しい部屋の中で休憩していますので、頑張ってくださいねー」

 多くは語らず、いそいそと部屋の中へ消えていく。今回の雛菊は完全に裏方に徹する、と、昨日の夜に本人がそんなことを言っていたけど、それを実践しているんだろうな、多分きっと。

 改めて周囲に気を配ると、確かに、何やら怪しい気配が蠢いている、勿論複数。

 絢芽がタオルハンカチで額の汗を拭うと、それをズボンのポケットにねじ込んで。

「では、先程も提案させていただいた通り、これから約1時間、チームに分かれて行動していただきます。分け方は……まぁ、何でもいいですわよね。とりあえずじゃんけんをして、勝った二人と負けた二人、ということでよろしいですか?」

 彼女の提案に誰も異議を唱えず、その場でジャンケン勝負。

 結果、あたしと椎葉、奥村先輩と絢芽、という組み合わせになった。

「香澄ちゃんよろしくね。俺まで攻撃しないでくれよー」

「椎葉こそ、あたしを置いて一人でいなくなったりしないでよね」

 右手を上げた椎葉に、あたしもまた右手を上げて、パン、と、空中でハイタッチ。

「奥村さん、よろしくお願いしますわ」

「こちらこそ、お手柔らかに頼むよ」

 目配せをして言葉を交わすだけの二人だが、それで十分らしい。

 絢芽が右手の腕時計に視線を落とし、凛とした声で開始を告げた。

「では……1時間後、皆さん無事な姿でお会いいたしましょう」


 ……そして、1時間後、力の加減が分からずにとりあえず全力で頑張ったあたしと椎葉は気絶寸前。

「無事な姿でお会いしたかったのですけれど……」

 息も絶え絶えに地面へ転がるあたしと椎葉を、絢芽が呆れた表情で見下ろしたのだった。


 昼食を食べて、更に1時間の休憩を挟んだ、午後2時前。

 太陽がすっかり高くなったけれど、木々の影に隠れていればそこまで暑くなく、外でも快適に過ごすことが出来る。たまに吹き抜ける風が気持よくて、このまま昼寝でもしたくなってしまうよ……ダメだけど。

 先程はボロボロだったあたしと椎葉も、自分たちが思っていたより速いスピードで回復していた。

 4人で玄関前に集合し、それぞれに体をほぐしたりして準備を整える。

 さて、午後からの模擬戦の組み合わせはどうするか……絢芽が話を切りだす前に、何故が椎葉が口火を切った。

「今回の模擬戦は、俺と悠樹で組ませてくれないか?」

「有坂さんと奥村さん、ですわね。分かりましたわ、では、私と香澄さんで……」

「おぉっと話はまだ続くぜ絢芽ちゃん。今回は、俺達と絢芽ちゃん達で戦うようにしようじゃないか!」

 刹那、椎葉を見つめる絢芽の目が厳しくなる。

 彼の言葉が意味すること、それは――

「有坂さん、それはつまり……私達への宣戦布告、という解釈でよろしいのですか?」

「その通りだよ絢芽ちゃん、そろそろ下克上が出来るんじゃないかと思ってねぇ……」

 椎葉が絢芽を挑戦的な目で見つめた。

 あ、あれ? どうしてこんな話になってるんだ!? すっかり喧嘩上等の絢芽と椎葉の間に入ることが出来ず、あたしは奥村先輩に助けを求めることにする。

「お、奥村先輩、二人を止めなくていいんですか?」

「そうだな……まぁ、いいんじゃないか?」

「奥村先輩!?」

 予想外の先輩の答えに、あたしは目を見開いて彼を見上げた。

 視線で火花散らす絢芽と椎葉を生暖かい視線で見つめる奥村先輩は、不意に、オロオロするあたしをチラリと見下ろして。

「じゃあ俺は、樋口の相手をすることになりそうだな」

「あたしが先輩と戦うんですか!? か、勝てるわけないじゃないですか……」

 口でも力でも勝てるとは思えない。咄嗟に弱腰になるあたしへ、椎葉からの喧嘩を定価でお買い上げした絢芽が、「甘いですわよ香澄さん!」と、話に割って入ってくる。

「この闘いの勝者は、敗者に言うことを聞かせることが出来ることになりましたの! ですので香澄さん、死ぬ気で戦ってくださいませ!!」

「えぇっ!? なんで勝手にそんな約束……ちょっと椎葉! 絢芽をどう煽ったのよ!!」

 普段は冷静が服を着て歩いているような絢芽なのに、今は完全に頭に血が上っているじゃないか……あたしが非難じみた声で椎葉に詰め寄ると、彼はニヤリと口元に笑みを浮かべただけで。

「俺はただ、折角戦うなら、互いに屈辱的な罰を約束したほうが本気になるって言っただけだよ。ちなみに俺が勝ったら、絢芽ちゃんに背中を流してもらう約束なんだぜー」

「そんなことどうでもいいわっ!! いや待って、背中を流すとかどうでもよくないよ!! っていうか絢芽、とんでもない条件で試合受けたんじゃないの!?」

 話の展開についていけないあたしの悲痛な叫びに、当の本人(絢芽)は、しれっとした顔でこう答えた。

「負けなければよろしいんですわよ、香澄さん。というか、負けるはずがありませんもの。せめて、勝った時の報酬くらい、好きに夢を見て頂いて構わないではありませんか」

「その自信が羨ましい……じゃ、じゃあ、あたしと奥村先輩は、そういう条件なしで手合わせ願うってことで……」

 そういうのは二人でやってくれ、と、一抜けしようとしたあたしに、椎葉が、いつの間にか取り出していた『壇』の切っ先をビシっと向けて。

「いーやーいや、それはダメだよ香澄ちゃん。それに、悠樹はあるよな、香澄ちゃんをあーしたいとかこーしたいとか!」

「俺が、樋口を……?」

「真面目な顔して考えないでください奥村先輩! あーもう……こーなったらやってやりますよ! こっちこそ下克上です、来年の会長の座はいただきますからねっ!!」

 この場であたし一人だけが頑張って抵抗しているのがバカバカしくなってきた。啖呵を切って奥村先輩をキッと睨みつけると、先輩の目が一瞬、真剣になって……すぐに、意味ありげな笑みに変わる。

「……上等だ。かかってこい、副会長」

「よろしくお願いしますっ! と、いうわけで、模擬戦スタート!!」

 なし崩し的にあたしが開戦を宣言して……4人がそれぞれの間合いを取るために動き出した。


 そして、15分後。

「……あ、やめ、ちゃん……本当にスイマセン、でし、た……」

 ボロ雑巾になった椎葉が玄関先に崩れ落ちる。

 そんな彼を呼吸を荒らげずに見下ろす絢芽は、ため息を付いて、感想を一言。

「まぁ、頑張ったほうだと思いますけれど……雑念が多すぎたのではありませんこと? とにかく、約束は果たしていただきますので、よろしくお願いしますわね。さて……香澄さんの加勢にでも参りましょうか……」

 くるりと踵を返し、少し登った先の広場で勝負を続けるあたしと奥村先輩の様子を見に行くことに決めた。

 遠ざかる彼女の足音を聞きながら、椎葉は地面にうつ伏せの大の字で転がって。

「やっぱ、強いなー……俺も、頑張らないと……」

 どこか満足そうな口調で呟くと、このままの姿勢で雛菊の助けを待つことにした、の、だが……部屋の中で快適にテレビを見ていた雛菊が椎葉に気づくことは、なかった……。


 奥村先輩の火を強風で何とか消す、そんな戦いを続けていたあたし達だったが、絢芽が「私の水でどれほどの炎を消すことが出来るのか、試してみたいですわ」と乱入してきた結果、奥村先輩の火を私の風で増幅し、その火柱を絢芽が消火する、という訓練(?)を続けること、約20分。

「絢芽……ゴメン、そろそろ勘弁して……」

「……東原、すまないが、休憩を挟ませてくれないだろうか……」

 二人して白旗を揚げる結果となり、この勝負、絢芽の一人勝ち?


 そんなこんなで、今日の全体訓練はひとまず終了。

 ボロボロの椎葉が復活し、全員でおやつ休憩を取った後は……あたしと絢芽が食事の買い出し、奥村先輩と椎葉がお風呂掃除や棚の修繕等の雑務、という役割で動き出すこととなった。

 買い出しには男手があったほうが助かるといえば助かるのだけど、移動手段が自転車であり、土地勘があるのが絢芽だったので、調理担当の私の道案内として同行してもらうことにしたのだ。

 椎葉も『灰猫』だから、多少は地理に詳しいみたいだけど、山道までは専門外らしい。奥村先輩も車で通っただけの道に自信がないとのこと。

 かくして、山道を自転車で下ること15分。農協に隣接するスーパーで買い物はつづがなく終了。

 そう、行きは下りだったので楽ちんだったけれど、帰り道は当然、上り坂のオンパレードなわけでして……。

 最初から自転車を押して帰るつもりだったけど、カゴに野菜などを載せた状態で自転車を押すのは……うん、立派な訓練だよね! 頑張るよ!!

 車の往来がないので、違反かなと思いつつも絢芽と隣り合って歩いていた。木々が屋根のように枝葉を伸ばしているので、日暮れに近づく日光もここまでは届かず、時折吹き抜ける風が汗を乾かしていく。

「でも、意外だったなー。絢芽が椎葉の意見を聞き入れるなんて」

 あたしの言葉に、彼女は決まりが悪そうに視線を逸らした。

「勘違いしないでくださいませ。私も……コロッケが食べたい気分だったのですわ」

 そう、本日のメインディッシュは、絢芽の希望もあってコロッケに決定した。椎葉が出発前に騒いでいたことが現実になるのだ。あの絢芽が、椎葉に意見を合わせるなんて……珍しい。

 そうでなくても、今日の絢芽は普段の顔とは違う気がしていた。椎葉の挑発に乗っちゃうなんて、前の彼女では考えられなかったのに。

 あたしが呼吸を整えながらそんなことを考えていると、隣の絢芽が重苦しいため息をついた。

「……私、浮かれていますわよね……」

「浮かれてる?」

「今回の合宿は、決して遊びではないと分かっているつもりなんです。分かっているんですけど……どうしても、楽しい感情が先行してしまっているような気がしますわ。しっかりしなくては」

「絢芽……」

 顔を引き締めた彼女の横顔は、あたしがよく知っている、凛とした表情。

 でもさ、絢芽、今は……そんな表情を作らなくても大丈夫だよ。だって、あたししかいないんだから。

 だから、こんな冗談を言うことだって出来る!

「なーんだ、あたしはてっきり、絢芽が椎葉のことを好きになっちゃったりしたいのかと思って、密かに期待したんだけどなー」

「なっ……!?」

 刹那、絢芽が両目を見開いてあたしを見つめた。しかし、一瞬でジト目になり、ニヤニヤしているあたしを睨む。

「……ありえませんわね。あと、今後は冗談でもそのようなことを言わないでくださいませ、非常に、この上なく、超絶に不愉快ですわ」

「いや、その言い方はヒドいよ……」

 本気で嫌がっている声音に、あたしはそれ以上茶化すことが出来なくなってしまったではないか……。

 このネタで数分引っ張ろうと思っていたあたしは、諦めて次の話題を探すことにしたのだが……ここで、絢芽から強烈なカウンターが飛んでくる。

「香澄さんこそ、奥村さんに告白なさらないのですか?」

「ふへっ!? うわぁっ!!」

 喉から変な声が出てしまった。動揺して自転車のハンドルを切ってしまい、カゴの重さもあって自転車が倒れそうになる。慌てて踏ん張って立て直し、軌道修正をするあたし。

 び、びっくりした……絢芽、何を言い出すかと思えば変なことを……!

「あた、あたしが……奥村先輩に? どうして?」

 絢芽からこんな話が飛び出すとは思っていなかった。ここ最近、奥村先輩や絢芽の印象が変わる出来事が多すぎて、記憶の上書きが追いつかなくなりそうだ。

 しかし、彼女がこんな話をするのは……雛菊のおかげで、先日の空白を取り戻したからだと思う。久那高校生徒会室にいた理由と、あのプールであたしと奥村先輩に何があったのか、それを聞いた稲月先輩の反応等、忘れていた、欠落していたことを取り返すことが出来たのだ。

 ただ、今はこの場に二人だけとはいえ……絢芽からこんな話が飛び出すなんて……。

 動揺を隠そうとして、彼女の前では無駄だということに気がついた。だから、落ち着いてもう一度聞いてみる。

「あたし、奥村先輩のこと……好きに見える?」

 自分が客観的に見てそんな態度をとっているとは思いたくなかった。恐る恐る尋ねてみると、彼女から返ってきたのは意外な回答。

「どちらかといえば、奥村さんの方が気にかけている印象が強いですわね。ただ、あの方は自分から言い出すのに時間がかかりそうなので、香澄さんから言ったほうが進展が早いのではないかと思いましたの。成功すると思いますし」

「無理無理! っていうかそれこそありえないよ! 奥村先輩に好きな人がいるわけないし、万が一いたとしてもあたしじゃないよ!」

「ここで「無理」とおっしゃるということは、香澄さんの気持ちも奥村さんに向いているわけですわね」

「えぇっ!? あ、いや、それは……」

 畳み掛ける絢芽に、あたしは何も言い返せなくなって……俯いた。

 日差しが少しずつ弱くなり、吹き抜ける風に冷気が混ざり始める。

 絢芽になら話してもいいかな、今のあたしの……本音を。

「……正直、分かんないんだ。『干渉者』になってから、奥村先輩と一緒にいる時間が増えたこともあるし、この間の……プールのことがあって、あたしから忘れよう、今まで通りでって提案したんだけど、正直、難しかったと思う」

「過去形……ですわね。その理由を伺ってもよろしいですか?」

 そう、正直言って(自分から言い出したんだけど)、何事もなかったかのように振る舞う、というのは、しんどいだろうなって思ってた。奥村先輩はあたしの気持ちを尊重して、今までと何も変わらない態度で接してくれただろうけど……もしも生徒会室で二人きりになってしまったら、考えるだけで嫌な汗が出た。。

 ただ、そんなあたしの襟を正すというか、あたしが一人で色呆けする前に、今の自分がやるべきことを自覚させてくれる出来事があった。

 ――亜澄との、直接対決だ。

「あの時、亜澄と初めて直接戦ってみて、あたしがやるべきことを再確認したの。あたしは、亜澄を止める。『確定事項』とかいうものに縛られている亜澄を、開放してみせるって」

「『確定事項』……?」

 刹那、絢芽が怪訝そうな表情であたしを見つめた。あ、あれ? あたし、この間亜澄から聞いたこと、誰にも話してなかったっけ!?

「絢芽、1つ教えて欲しいんだけど……あたし、亜澄から聞いた『亜澄が戦う理由』を、話したっけ?」

 苦笑いで尋ねるあたし、絢芽はジト目で首を横に振った。

「いいえ、全く聞いた覚えがありませんわ」

「嘘ぉっ!! ご、ゴメン、戻ったらみんなの前で話すよ……雛菊にも聞いて欲しいし」

 あの時は自分の疲労が凄まじく、その後、今日まで『干渉者』から離れていたからすっかり忘れてた!!

 自分の迂闊さにため息をつくあたしに、絢芽は「その話は戻ったらゆっくり聞かせていただきますわ」と、浅く息をついて。

「話を戻しますが、今の香澄さんは亜澄さんのことを最優先に考えていらっしゃるから、恋愛事にうつつを抜かす余裕が無い、ということでよろしいですか?」

「まぁ、そういうことになるかな。正直、亜澄は強いよ。あたしの気持ちに迷いがあったら絶対に勝てない。でも、負けるわけにいかないって思ったら……奥村先輩と、前と同じように接することが出来た。だから、良かったなー……って」

 今の奥村先輩は、あたしにとって……頼りになる仲間。背中を、命を預けることが出来る、心から信頼できる存在だ。

 それに、あたしが悩んだり迷ったりすれば、そこに付け込まれてしまうだろう。明るく元気で前向きに、そうやって……あの日から生きてきたはずだ。それを、今まで通りに実行すればいいだけのこと。

 顔を上げる、坂道の先に建物が見えてきた。

「それにしても、絢芽がそこまで突っ込んだことを聞くなんて、申し訳ないけど珍しいね。どうかしたの?」

 ラストスパートでハンドルを握る手に力を込めつつ尋ねると、絢芽は何かを思い出したのか、いたずらっぽく微笑んだ。

「……綾小路先輩から頼まれていますの。奥村さんの彼女候補筆頭である香澄さんの気持ちを確認してきて欲しいって」

「えぇっ!? な、何それ……絢芽もそんな役割引き受けないでよねー……」

「あら、よろしいではありませんか。自分が関係ない他人の恋愛話は面白いですわね。他の皆さんが夢中になる理由がわかった気がしますわ」

「絢芽が汚れた俗世間に染まっていくーっ!!」

 あたしの悲痛な叫びが、静かな山の中にこだましたのだった。


 別荘に戻ったあたしは、それぞれに作業をしていた先輩と椎葉をリビングに集めて、先日、亜澄から聞いた話を打ち明けた。

 あたしの隣に絢芽が座り、絢芽の正面に奥村先輩、隣(あたしの正面)に椎葉、という席次。

 そして、絢芽と先輩の隣、いわゆる誕生日席――ドラマの再放送を見るためにテレビの真正面に座っていた雛菊は、ひとしきり話を聞いた後、冷茶を一口すすって……はぁ、と、わざとらしく大きなため息をつく。

「香澄さん、いくら先日の戦いが大変だったからとはいえ、そういうことはもっと早くにお話いただきたかったですねー。私はずっと、香澄さんと同じ家にいたというのに」

「だ、だからゴメンってば! あたしもすっかり話した気分になってて……!」

「ですけど……まぁいいでしょう。亜澄さんが戦う理由も、何となくそんなことだろうと思っていましたが、やはり、蓮華はあの『確定事項』をひっくり返そうとしているみたいですね」

 何かを確信した雛菊が、目を伏せて、もう一度……今度は憂い混じりのため息をついた。

 そして。

「蓮華が崩そうとしている『確定事項』は、恐らく……この世界そのものの存在だと思います」

 雛菊が呟いた言葉は……正直、意味がわからなかった。

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