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悩める淑女にアプローチ

 椎葉――葉子の目は、完全に泳いでいただろう。

 無理もない。清楚可憐なお嬢様の花園の内部で、キャバクラのような光景を目の当たりにしてしまったのだから。

 そんな様子の彼女を一瞥した絢芽が、女生徒のスカートに手を入れようとしている三木に視線を向けて。

「申し訳ありませんが、私も彼女もこの部活のことが分かりませんの。まずはこの不可解な状況から、説明していただけますか? ここは、数学研究部のはずですわよね?」

 明らかな侮蔑を込めた口調に、有頂天の三木が気づいているかどうかは分からない。ただ、彼は手を止めると、上機嫌のまま説明を始めた。

「そう、ここは数学研究部。ご覧のように、彼女たちはパソコンを使って、受験対策としての勉学に励んでいるよ」

 そう言って彼が指さしたのは、うつろな瞳でノートパソコンを画面を見つめ、時折キーボードを叩く5人の女子生徒。

 室内の明かりは最低限度で薄暗く、俯いている彼女たちの顔を確認することは出来ない。ただ、生気は一切感じられなかった。淡々と仕事をこなすロボットのような印象。

「ただし、それは建前。本当は、僕の理想の世界を作るために集められた精鋭達さ」

「三木先生の、理想?」

 眉間にしわを寄せる絢芽に、彼は朗々と宣言する。

「そう、この僕を中心とするハーレム世界のね!!」

 刹那、拳を握りしめて一歩踏みだそうとした絢芽の肩を、葉子が必死に掴んで押しとどめた。

「絢芽ちゃん絢芽ちゃん、キープスマイリングっ!!」

「……失礼致しました」

 小声で諭す葉子に冷静さを取り戻した絢芽が、大きく息をつく。三木は自分語りに忙しく、そんな様子を気にもとめていなかった。

「ことの元凶はあの女だったよ……あいつが、僕の好意を蔑ろにしなければ、僕もこんな行動をしなくて済んだんだ。でもね、僕はあいつに感謝しなくちゃいけないのかもしれないね。僕は1人のものになってはいけない、僕は平等に、全員に愛を注ぐことが出来るんだ!」

「最近、星霜学園の生徒が歓楽街で見かけられている、という噂がありますが、それも貴方が?」

「噂になっちゃってるのか……ちょっと目立ちすぎたかな。でも、星霜のお嬢様はいい値段で売れるんだ。そのお金で僕が幸せになる、世界はよく出来ているよ」

 刹那、絢芽がもう片方の拳も握りしめる。葉子は彼女の肩に置いた手に力を込めた。まだダメだ、まだ、ここで彼のおしゃべりを止めるわけにはいかない。

 絢芽が歯ぎしりをした音が聞こえた。その横顔は、今までに見たことがないほど感情的で……怒りに包まれている。

 しかし、彼女は一度目を閉じると、一瞬で表情を切り替えた。感情を瞬時に抑えられるのが、絢芽の本当の凄さなのかもしれない。

「彼女たちは……どうして、貴方の意思に従っているのですか?」

「さあね、そのカラクリは僕にも分からないけど……ここにあるパソコンを使えば、僕の意のままに操ることが出来るようになる。数学の問題を説かせる間に、すっかり僕の虜になってしまっているというわけさ。だから僕の気分で、今日の奉仕者を決めることが出来る」

 そう言って彼がノートパソコンを指さした。詳しいカラクリは分からないが、そのパソコンに人間を洗脳するようなプログラムがインストールされている可能性がある。

 絢芽もまた、ノートパソコンに視線を移した。勿論破壊しなければならないが……1台はそのまま残しておいて、雛菊に引き渡したほうがいいかもしれない。そうなると、あまり派手に戦うわけにもいかなくなった。ここには、『境界』が設定されていないのだから。

 そして絢芽は、三木の言う「奉仕者」が何を指しているのか……聞きたくもなかった。

「このパソコンは、亜澄さんから渡されたものですわね?」

「ああそうさ、あの時樋口さんに会った時は焦ったよ……まさか双子だったなんてね」

「と、いうことは、貴方は私達の事情を何一つ把握していない、ということですわね」

「東原さんの事情? そんなことに僕は興味がないよ。興味があるのは……君たちの体だけさ」

 そう言った三木は、絢芽と葉子を舐めるような目で見つめた。

「さあ、君たちも早速、僕からの問題を解いてもらうことにしようか」

 三木がそう言って手招きをする。絢芽は無言で肩の手を振り払うと、邪な光を放つ彼の目をまっすぐに見据えて、

「――貴方の狂った戯言に付き合うのは、この程度でよろしいかしら? これ以上お話を聞いていると、私の頭がおかしくなりそうですの」

「何だと……?」

 三木の目が絢芽を睨みつける。しかし彼女はこの程度で臆することもなく、よく通る声で言葉を続けた。

「とりあえず、貴方をこれ以上、学園内で放牧していくわけにはまいりませんわね。私の学友を侮辱したことを許すわけにはまいりませんもの」

「ははっ! 君が妙な力を使えることは知っているよ! でも、ここには君1人しかいないじゃないか。それに……こんな場所でその力を行使していいのかい?」

 どうやら三木は、葉子の正体には気がついていないらしい。そして、いざとなったらここにいる生徒を縦にしてもいい、そう言いたげだ。

 しかし、絢芽は口の端で笑ってこう返す。

「ご冗談を。私が貴方に直接手を下すとでも? お断りいたします、汚らわしい方に近づきたくもありませんわ」

「なっ……!」

 刹那、三木の両目が大きく見開かれる。それは、自分の思い通りにならない絢芽に対する急激な怒りだ。

 しかし、彼女は一ミリたりとも動じない。心の底から三木を見下した眼差しのまま、不意に、右手の親指と人差し指をパチンと鳴らして。

「あら、今回の入部希望者は私ではありませんわよ。有坂さん、どうぞ」

「へっ!?」

 急に話をふられた葉子は、「さあ、行け」と言わんばかりの態度の絢芽と、顔の血管が浮き出るほど怒りを露わにしている三木を交互に見やり、

「あ、あのー絢芽ちゃん、ここは展開的にも、絢芽ちゃんが自分から手を下すべきじゃないかなぁって葉子は思うんだけどなぁー?」

 流し目で絢芽を見つめるが、彼女はフンと勢い良く息をつくと、にべもなく言い放つ。

「嫌ですわ。こんなに下衆な方々とこれ以上関わりたくありませんもの」

「えぇ!? 俺なら関わってもいいってどういう意味!?」

 普段の絢芽らしくない物言いに、さすがの葉子も苦言を呈するために彼女の制服を引っ張った。

 その手を静かに払い落とす絢芽は、三木を見据えたまま、小声で呟く。

「……という冗談はさておき、この場で剣の力を引き出しているのは有坂さんですもの。あの方に引導を渡す役割はお任せいたしますわ。そうしないと……」

 葉子も、絢芽の肩を掴んだ時から気がついていた。

 彼女が終始、怒りで体を小刻みに震わせていたことに。

「私……自分の力が制御出来ずに、あの方の命まで奪ってしまいそうですもの」


 絢芽と葉子が即興の作戦会議を行っている間、当然のように置き去りにされるのは三木。

 彼は、自分が中心にいなければ納得出来ないタイプの人間らしい。今まで彼にすがっていた女子生徒を強引になぎ払うと、机の上に仁王立ちになり、絢芽と葉子を上から指さして激高した。

「僕を……僕を馬鹿にするなぁぁっ!!」

 そのまま跳躍して、自分を見据える絢芽に向けて拳を伸ばす。

 絢芽との距離は5メートルほどあるのだが、人外な跳躍力で一気に距離を詰める三木は、怒りに震える拳を絢芽の顔面へ叩き込もうとしていた。

 絢芽は動くことなく、ただ、彼を真っ直ぐに見据えている。そして、無言で自身の左手を眼前に構えると――三木が振り下ろした拳を、無言で受け止めた。

 一瞬、絢芽が腰を落とす。しかし、変化はそれだけ。

「なっ!?」

 自身の拳を女子高生の手のひらで受け止められた三木は、着地して体勢を整えつつ、空いている左手を絢芽に向けて伸ばした。

 しかし、冷静な手さばきによって絢芽へ届くことはなく、逆にねじりあげられて動きを封じられてしまう。

 ならば足で攻撃しようと試みるが、当然のように空を切るだけで、絢芽には決して届かなかった。

「くそっ、くそっ!! どうなってるんだ!」

「これが実力の差です。諦めてくださいませ」

「ちくしょう! 女のくせに生意気なんだよ! この学園の奴らはみんなそうだ! 全員が僕を馬鹿にしてるんだ!!」

 大声で怒鳴る三木に、絢芽は心底嫌そうな表情でこう言い返した。

「そりゃあ……馬鹿にしたくなりますわよ。貴方、低俗で低能、最低の人間ですもの」

「なんっ……!」

「だから、絶対に許しませんわ。自分勝手な振る舞いで私達の学園の品位を落としたこと、心の底から後悔していただきます!」

 そう言った絢芽が両手に力を込める。三木の顔が苦痛に歪んだ、次の瞬間。


「チェックメイトですわよ、三木センセ♪」


 三木の背後に回り込み、彼のうなじに『壇』の切っ先を向けた葉子が、笑顔で引導を渡した。


「――撼天動地(かんてんどうち)!!」


 背中を縦に斬られた三木は、その場でガクリと膝をつく。

 体を腕で抱えるようにして、必死に何かと戦っていたが……やがて、糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちてしまった。

 それに呼応するように、三木の周囲にいた女子生徒と、パソコンで勉強していた女子生徒が、一斉に気を失う。

「俺……女装した意味、あったかな。あったよな……」

 部屋の電気を全てつけて、まだ『壇』を持ったままの葉子が自問自答するが、誰も答えをくれないまま。

 絢芽は小走りで、机上に重なる3人の顔を確認した。

 次に、パソコンに突っ伏している生徒の顔も確認して……目を見開く。

 この場にいるとおもっていた彼女が、いない。

 背中に冷や汗が流れたような感覚を、久しぶりに感じた。

 嫌な予感が――強くなる。

「……ここにいないなんて……!」

「絢芽ちゃん?」

 焦るように扉へ向かう彼女の行動の意味が分からず、とりあえず持参していたロープで三木の両手両足を固定する葉子。

 そんな彼女に、絢芽は焦っている理由を説明した。

「有坂さんは、ここで雛菊さんの到着を待っていただけますか? この事件、まだ終わっていません」

「どういうこと?」

「いないんです……綾小路先輩がいない! 山岸さんの情報では、彼女はこの部活動の部長ということになっていたんですの。てっきりこの場にいると思っていましたわ……でも、いない。そして、亜澄さん側の『境界』が設定されていないところを見ると、三木は捨て駒のようなものです。本当の狙いが別にあって、彼女がそのために動いているのだとすれば……!」

「っ!?」

 刹那、葉子はポケットから携帯電話を取り出した。

「俺が悠樹と香澄ちゃんには連絡するから、絢芽ちゃんは校内を探して!」

「お願いいたしますわ!」

 扉を開けて廊下へ走りだす彼女の背中を見つめながら、葉子は携帯電話を操作し、メールを送信した。

 そして、とりあえず扉を閉める。端から見ると異様な光景であることに代わりはないのだ。動かない三木に警戒しつつ、雛菊の到着を待つ。

 階下に見える講堂からは、眩しい明かりと陽気な音楽が聞こえてきた。

「頼むから……2人、一緒にいてくれよ……!」



「何だって……綾小路さんが……!?」

 出し物が続く講堂の隅で、葉子――椎葉から届いたメールの文面を確認した優子――奥村先輩は、自分の隣で日本舞踊のステージを見ている御崎さんに視線をうつした。

 彼女の横顔からは、中に『堕落者』が入り込んでいる様子も気配も感じ取れない。しかし、綾小路さんからの伝達を伝えてきたのは彼女であるし、先日、行方不明にもなっている。

 この場で1人、考えを巡らせても……時間を浪費するだけ。

 椎葉へ呼び出しの件を知らせた彼は、ステージに没頭する御崎さんの肩をトントンと叩いて、

「御崎さん……ゴメンナサイ、ちょっとお手洗いに行ってきます」

 今までで最も不自然ではない笑顔を作って、踵を返そうと……した。

 しかし、御崎さんは彼の腕を掴むと、笑顔でこう言う。

「ダメですよ、奥田さん。1人にするなって……会長から言われてますから」

 彼を見つめる御崎さんの目に、生気はなかった。



 その少し前、生徒会室前にやって来たあたしは、とりあえず扉をノックして、返事を待つ。

 一度来たことがあるので迷うことはなかったけれど、やはり、人気のない学校というのは不気味だ。それが、格式ある星霜学園ならば、迫力も3割増しというものだろう。

「――どうぞ」

 すぐに、部屋の中から声が聞こえる。引き戸を開いて中に入ったあたしを待っていたのは、

「樋口さん……お待ちしていましたわ」

 長方形の室内、奥にある机の上に足を組んで座っている綾小路さんと、

「本当に1人で来たんだ……もうちょっと警戒したほうがいいと思うなぁ、香澄ちゃん」

 机に寄りかかって立っている、白い布地に朝顔があしらわれた浴衣を着ている、亜澄だった。


「あす――!」

 唐突な事態に思考が停止した瞬間、後ろの引き戸が勝手に閉じる。

「え!?」

 慌てて扉を開こうとするけれど、扉は不自然なほどビクともしない。退路を絶たれたあたしは初めて、この場に自分がおびき出されたことを悟った。

 そして、蓮華の設定した『境界』の気配を感じる。ポケットから携帯電話を取り出したけれど、案の定、圏外。

「逃げられるわけないじゃん。最初から香澄ちゃんを呼び出すのが目的だったんだから」

 あたしの背後で亜澄が楽しそうに笑った。口の中にたまったつばを飲み込んだあたしは、とりあえず観念して彼女たちに向き直る。

 今のところ、室内にはあたしを含めて3人だけの様子だ。しかし、綾小路さんの瞳に自分の意思は感じられない。体制としては2対1である。

 とりあえず亜澄を見据え、彼女の目的を問いかけた。

 亜澄があたしを狙っていたなんて、思いもしなかったから。

「こんなまわりくどい方法であたしを呼び出すなんて、どういうこと?」

「決まってるじゃん。香澄ちゃんを亜澄陣営に引っ張り込もうと思ってんだ」

「そんなの無理。あたしが、そっち側につくなんてありえないから!」

 そう、あたしは覚悟を決めた。この戦いでは絶対に、亜澄と共闘することは……出来ない!

 自分の決意を態度で示そう。今のあたしにはそれしかないんだから!


「――颯!!」


 頼りになる相棒の名前を叫ぶ。

 声が……部屋の中で反響して、消えた。

 風が、起こらない。

 右手に、『颯』の重さは……ない。


 それを目の当たりにした瞬間、あたしの中から強烈な焦燥感が溢れだした。


「え? ちょっ……は、や……『颯』!!」

 震える唇で再度名前を呼ぶが、切れ味するどい相棒の姿はない。

 今までにこんなことはなかった。いくら蓮華の『境界』内でも、『颯』があたしの前に出てこないなんてこと、一度も……!

 顔面蒼白。両手を見つめて呆然と立ち尽くしているあたしを、亜澄が指さして大声で笑う。

「あははっ! 香澄ちゃん、残念でしたーっ☆ 今回の蓮華の『境界』内では、『颯』の力は無効化されちゃうんだよ! まーその分、他の属性の力には弱くなっちゃうみたいだけど……でも、いいんだそれで。だって、用事はすぐに終わるんだもん。他のみんながたどり着く前に、勝負を決めるよ」

 そういった亜澄の右手には、鈍い光を放っている――『暦』。

 彼女はその切っ先をあたしに向けると、悪魔の様な微笑みを浮かべてこう言った。

「……香澄ちゃんは、亜澄には敵わないんだよ、絶対にね」


 あたしは、亜澄に敵わない。

 今の状況はまさしくそれだ。

 気づけば亜澄が笑顔でこちらに近づいてきて、逃げ場を失ったあたしは、開かない扉に背中をくっつけて、どうしようかと全身で焦るだけ。

 でも……ふと、この状況に違和感を感じる。

 だって、亜澄があたしに狙いを定めるなんて思っていなかったのだ。亜澄ならば、奥村先輩や絢芽、椎葉から懐柔して、あたしから仲間を奪い、優越感に浸る……そうするだろうって思ってたし。

 あたしとの直接対決なんて、蓮華に提案されても絶対に避けるだろうと思っていたのだ。

「亜澄……どうして?」

 疑問はそのまま、口をついて出る。

「あんたがあたし達の中から誰かを引き抜かなきゃいけないことは分かってる。でも、それにあたしを選ぶなんてどういう風の吹き回しなの? あんたは……絶対に、あたしを手を組みたいなんて思ってないよね?」

 これは素直に浮かんだ疑問でもあるし、この状況を引き伸ばすための苦肉の策でもある。

 一度周囲を見渡して、他のメンバーの気配がないことを確認した亜澄は、こちらに向けていた『暦』を一度下ろすと、少しだけ、面白くなさそうな表情になった。

「蓮華が……そうしろって言うから」

「蓮華が?」

「正直、他のみんなはそれぞれの剣の力を開放してる。絢芽ちゃんはまだみたいだけど、時間の問題だよ。そうなると術者本人の防御力的なものもスキルアップしちゃって、、『暦』で一回斬ったくらいじゃ素直に言うことを聞いてくれなくなるんだって。だから、まだ覚醒の気配がない香澄ちゃんから仲間にしておけってさ。まぁ、練習台ってことで」

「なるほど、ね……」

 その提案を私情を挟んで拒絶しない亜澄は、その先にある大きな目的を見据えているということだろう。

 それは、もう……あたしと亜澄が戦うことが、決定してるってことだ。

 分かっていたことだけど、改めて自覚すると……少しだけ、辛い。

 思わず顔を伏せたあたしに、亜澄は改めて、『暦』の切っ先を向ける。

「と、いうわけだから……香澄ちゃんがパワーアップする前にケリを付けなきゃいけないの。智恵子ちゃんっていうコマをどこで使おうか考えていたんだけど……まさか、香澄ちゃんのために使うことになるなんて思わなかったなー」

 亜澄が呼んだ「智恵子」とは、確か、綾小路さんの下の名前だったはず……多分きっと。

 でも、あたしには彼女が何を言っているのかまだ分からない。

「どういうこと……?」

「本当は、絢芽ちゃんを追い詰めようと思って、智恵子ちゃんに『堕落者』を入れておいたの。三木センセも彼女の紹介で知り合ったみたいなものだし、香澄ちゃん達は三木センセしか見てなかったから、その隙に絢芽ちゃんを闇討ちしよーって……思ってたんだけどさ、ちょっと誤算」

「誤算?」

「亜澄が智恵子ちゃんと打ち合わせしてるとこ、副会長の女の子に見られちゃったんだ。その時に何も言わなかったんだけど、やっぱり不安要素は消しておいたほうがいいかなって思って、別の日に接触したの。バスから降りたところで声を掛けて、蓮華に記憶を操作してもらったんだけど、この土地の『監視者』じゃないから無駄に時間がかかっちゃったんだよ。そういえば香澄ちゃん達、行方位不明だって大騒ぎしてたね」

 悪びれることなく言葉を紡ぐ亜澄に、色々言いたいことはあった。

 ただ、彼女の言葉の中には、あたしが知らない情報が多すぎる。ここは口を挟むのをグッとこらえて、もう少し、情報を引き出しておきたかった。

 でも、御崎さんの件は綾小路さん(と、亜澄)が関わっていたなんて……男性を怖がる彼女が三木先生について行ったとは思えなかったから納得だけど、怖い思いさせちゃったかな。

 先ほどの彼女にそんな気配がなかったから、怖い思いは全て忘れていると思いたい。

 あたしが何も言い返さないのをいいことに、饒舌な亜澄はおしゃべりを止めない。

「でも、絢芽ちゃんって何を考えてるか分かんないよねー。智恵子ちゃんが必死に守ろうとしてるのに、全部突っぱねちゃって。可愛くないなー」

「守る……?」

「あれ、知らなかった? 絢芽ちゃん、この学校で割と浮いちゃってるの。まー、クールビューティーっていうか、近寄りがたい空気はあるけど、特に親しい友達もいないし、でも、勉強も運動も出来るから目立っちゃうし。だから智恵子ちゃんが気を遣って、生徒会に入れようとしたこともあるみたいだね。断られたって言ってたけど」

「絢芽が……」

 綾小路さんと絢芽は妙に親しいと思っていたけれど、そういう接点があったのか。

 それを亜澄の口から聞くとは思っていなかったけど……でも、絢芽が生徒会入りを断ったのは、成すべき使命があるからに他ならない。

 絢芽ならば、学校も『干渉者』も問題なくこなしてしまうと思うけど、真面目な彼女の心がそれを許さなかったのだろう。

 もしかしたら……今なら、その時とは違う結果になるかもしれないけど。何となくそう思った。

 あたしが心の中で絢芽の心を考えている間も、亜澄の口は止まらない。

「1人で『干渉者』としての役割を全部背負うみたいな悲壮感漂わせちゃってさー、確かに強いけど、この間も悠樹君に容赦なく攻撃してたし、人としてどーなのって思うよ。まぁ、勘は鋭いみたいだけど、それを自分でも解ってるから、「私は何でも知っています」って態度が妙にムカつくし。人を馬鹿にしながら自分の力に酔っちゃってるんじゃ……」


「――亜澄、それ以上絢芽の悪口を言うなら、さっさとあたしを斬ってよ」


 刹那、心の底からうんざりした声を出したあたしを、少し驚いた表情の亜澄が見つめる。

 そんな亜澄を、あたしは、睨みつけた。

 圧倒的に不利な状況、自分の立場はよく分かっているはずだったけれど……これ以上、黙っていられなかったんだ。

 しゃべり始めると止まらないのは、お互い様なんだから。

「絢芽が悲壮感を漂わせてる? 違うわよ、彼女は生まれた時から『雫』の存在を知って、自分が異質な存在と戦うかもしれないっていうプレッシャーと隣合わせで生きてきたの。絢芽は、そんな自分のことを不幸だなんて思ってない。真面目で……真面目過ぎることもあるけど、自分の運命に対して真っ直ぐ向き合ってるのよ」

 あたしを見つめる亜澄の眼差しが、すぅっと細くなった。

 つまんない、面白くない、表情がそう語っている。

 でも、あたしはこの程度で止まることなど出来るはずがない。

 絢芽を侮辱されて、黙っているわけにはいかなかったんだ。

「あと、自分に酔ったりもしない。自分の実力を誰よりも把握して、適正に行使してるわ。力の責任を全部自分で背負い込んで……もっとずる賢く生きることだって出来るのに、絢芽はそんなことしない。あたしは、そんな彼女を尊敬してるし、追いつきたいって思ってる。そして……認められたい、そう思ってる!」

「……ふぅん、だから?」

 あたしの右手に『颯』はいない。閉ざされた空間に風は起きないけれど……でも!

「絢芽のことを馬鹿にする人は許せない! 誰よりも頑張ってる彼女を馬鹿にするんだったら……あたしが、黙ってないんだから!!」

 刹那、亜澄が空いている左手を上に上げた。それが合図だったようで、それまで机の上に座って微動だにしなかった綾小路さんが、猛スピードであたしに迫ってくる!

「うわっ!?」

 とっさに右側へ回避したけれど、何か、鋭いものが、あたしの左足首を凪いだ。

「いっ……!」

 その場に崩れ落ちたあたしは、負傷した左足を確認する。綾小路さんが手元に仕込んでいたナイフでざっくり切られてしまったらしく、白いソックスは真っ赤に染まり、動かすことが出来なかった。

 そして、あたしに影が出来る。座り込んだまま見上げると、血がついたナイフを向けた綾小路さんが、うつろな眼差しのままポツリと呟いた。

「私は……学園、の、ために……」

「綾小路さん……」

「学園、を、守る、ために……乱すもの、を、はい、じょ……しなくては……」

 彼女もまた、学園の事を1人で背負いすぎてしまったのかもしれない。そこを付け込まれてしまった。でも……それは、卑劣なことだ。

 そして、そんな彼女の隣には亜澄が佇んでいる。片足を負傷したあたしに逃げることなど出来るはずがない。亜澄は一度、『暦』に視線を落とすと、吐き捨てるようにこう言った。

「絢芽ちゃんが香澄ちゃんの仲間だってアピールは分かったよ、でも、忘れないで、亜澄を1人にしたのは……香澄ちゃんだからね。亜澄の居場所だったかもしれない場所で孤独を知らずにのうのうと生きていくなんて、絶対に許さないから」

 そして、『暦』をあたしの頭上で大きく振りかぶって――



 ――次の瞬間、生徒会室の扉が大きな音を立ててぶち抜かれた。



 炭化してくすぶる扉を踏みつけて、室内に突入してきたのは……。

「樋口さん、いらっしゃいますか!?」

「絢芽!!」

 『雫』を握りしめ、髪を振り乱して大声をあげる絢芽が、座り込んでるあたしと、ナイフを持っている綾小路さん、そして、『暦』を持っている亜澄を確認する。

「――散れ・雫!!」

 間髪入れずに、あたしと2人の間に水流が割って入った。部屋の奥に飛び退くことで攻撃を回避する2人と入れ替わるように、あたしの前に絢芽が立ちはだかる。

 今は彼女の背中しか見えないけれど、今まで走っていたのか、珍しく、両肩を上下させて呼吸を整えていた。

 でも……今の絢芽には、これまでにない気迫がある。

 何というか……うん、すっげーキレてます、絢芽。

「奥村さん、樋口さんを保護してください!」

 絢芽の声に反応して室内に踏み込んできた奥村先輩(まだ女装中)が、座ることも出来ずに床に突っ伏しているあたしを後ろから抱き起こしてくれた。

「樋口、大丈夫か!?」

「先輩、絢芽……どうして……」

 あたしの足の怪我を確認した奥村先輩は、ポケットからハンカチを取り出すと、応急処置として傷口に巻いてくれる。

「有坂から三木がブラフだと連絡が来たんだ。急いで樋口を追いかけたかったけど、御崎さんに『堕落者』がついていて、放っておくわけにもいかなかったんだ。何とか彼女の『堕落者』を排除したら、綾小路会長が東原を殺そうとしてるから助けてくれって言われて……」

「生徒会室には蓮華さんの『境界』が設定されているので、間違いないと思いましたが……思ったよりも弱かったようです。奥村さんの力だけで外から破ることが出来ましたわ」

 そういえば、あたしの『颯』を封じるために、他の力には弱くなっちゃってるって言ってたっけ……。

「ごめ……あたし、『颯』を封じられて……」

 あたしの言葉に、絢芽は振り向かないまま、首を横にふる。

 あたしの後ろにいる奥村先輩は、足の痛みに麻痺して上手く動かせない体を自分にもたれかからせると、力なくしなだれているあたしの両手を、強く握った。

 意識を失うな、そう言われている気がする。

「俺達全員が迂闊だったんだ。雛菊さんも物理室の処理が終わったら来るから、もう少しだけ耐えてくれ」

「分かってます……」

 まだ完全に、蓮華の『境界』が消えたわけではない。ここであたしが意識を失ってしまうと、どんな影響を受けるのか分からないから。

 そんなあたし達の様子を、亜澄は、感情のない眼差しで見つめていた。

 馬鹿馬鹿しい、そう言いたそうに唇が動く。

「形勢逆転、なんて、思わないでね。確かに絢芽ちゃんは強いけど、そっちは負傷した戦力外と、戦力外を守る女装男子っていうお荷物を抱えた状態なんだから」

 確かにその通りなんだけど……絢芽は静かに、首を横にふる。

「訂正してください、お荷物ではありませんわ」

「戦えないんだからお荷物じゃん。何が違うの?」

 刹那、彼女は『雫』を正眼の位置に構えると、凛とした声でこう言った。

「私の――仲間です」


 そして、それを聞いた亜澄は、無造作に『暦』を虚空へ放り投げる。

「……バッカみたい。冷めちゃったから、後は適当にやっちゃってね」

 そう言い残すと、無言で窓を開き、そこから飛び降りた……って、ここ3階だよ!?

「亜澄!?」

 彼女の姿と気配は完全に消えた。着地した音さえ聞こえなかったんだけど……どうなっているんだろう。怪我はしていないだろうか?

 自分が怪我をさせられたのに亜澄の心配をしてしまう、そんな自分が少し情けないけど……嫌いじゃない。

 そして室内では、絢芽と綾小路さんが向かい合っていた。

 絢芽の手には『雫』、綾小路さんの手にはナイフ。絢芽の方が圧倒的にリーチが長いけれど、油断するわけにもいかないだろう。

 ただ、絢芽は足を踏み出さない。あたしの位置からは、彼女がどんな表情を浮かべているのか見えなかったけれど、でも、

「綾小路先輩……どうして、どうして貴女がこんなことに……!」

 絞り出したその声は、泣き出しそうだった。

 絢芽を見つめた綾小路さんの瞳に、一瞬、光が戻る。

「とう、ばら、さ……」

「私は貴女に憧れていました。私だけじゃない、学業も、運動も、生徒会も、ご実家のことも、全てを完璧にこなす貴女は、全校生徒の憧れの的です。でも……それが、貴女1人に負担を強いる結果になってしまったんですね……」

 刹那、綾小路さんは首を横にふった。その両目には、大粒の涙が溢れている。

「私が……弱かったんです。星霜学園の生徒はこうあるべきだ、という、固定観念に押しつぶされそうになって、誰にも相談出来なくて……少しだけ、欲望のままに行動してしまった。それを知られた三木先生を止められませんでしたわ。そして、東原さん……最近の貴女が羨ましかったの。学外に居場所を見つけている貴女が、羨ましかった……」

 綾小路さんは、あたし達のような普通の高校生とは、少しだけ次元が違う世界を見ている。

 でも、気づいて欲しかった。違いは「少しだけ」だということに。

 絢芽が一歩、彼女に近づいた。そして、左足を少し後ろに下げて、腰を落とす。

「綾小路先輩、目を閉じていただけますか? 次に目を開けた時には……全て、終わっていますから」

 彼女は持っていたナイフを床に捨てると、静かに目を閉じた。

 絢芽の足が床を蹴る。数歩踏み込んで彼女の懐に入り込むと、振り上げた『雫』を真っ直ぐに振り下ろした。


「――明鏡止水」


 一瞬、世界が水を打ったように音を消して……。

 意識を失い、その場に崩れ落ちる綾小路さんは、『雫』を放り投げた絢芽がしっかりと支えていた。


「これは……厄介な状況で怪我をなさいましたね、香澄さん」

 椎葉と共にやってきた雛菊が、あたしの怪我を見るなりため息を付いてこう言う。

「ありゃー香澄ちゃん……痛そうだねぇ。大丈夫?」

 椎葉(まだ女装)が、血に染まった足首のハンカチを見下ろし、顔をしかめた。

 いつの間にか蓮華の『境界』は消えていた。椎葉が周囲を捜索したけれど、発見することは出来なかったとのこと。

 奥村先輩と絢芽に両脇を支えられて立っているあたしは、雛菊の不吉な言葉に顔をひきつらせた。

「雛菊……どういうこと?」

「蓮華の『境界』は、香澄さんに対して圧倒的に不利な状況を作り上げていたみたいです。勿論、私の力で何とか出来ますけれど、回復が今までよりも遅くなると思います。しばらくは、左足に違和感が残るのではないかと」

 今までは一瞬で完治していたのが、数日かかるということだろうか。

 でも、その程度で済むならば構わない。だから、

「まぁ、治るなら何でもいいよ。マジで痛いから、お願い……」

「分かりました。では皆さん、いつもどおりに目を――」

「――って、あぁっ! ちょっとまって雛菊!」

 破損箇所の修復と、関係者の記憶を操作しようと意識を集中した雛菊に、あたしが大声で横槍を入れた。

 刹那、雛菊から笑顔で睨まれる。「何ですかいきなり。大きな声を出さないでくださいよ。うっかり世界を破壊したらどーするんですか」とでも言いたそうな笑顔である。

「どうしたんですか、香澄さん。うるさいです」

「あのさ、雛菊、ちょっとしたお願いがあるんだけど……」

 あたしは、先ほど思いついたことを雛菊に提案する。

 それを聞いた絢芽が、人知れず、笑顔でため息をついていた。


「では皆さん、全てを元に戻しますので……目を閉じていただけますか?」

 仕切りなおした雛菊の声に従って、あたし達は目を閉じた。



 星霜学園の納涼祭は、クライマックスへ向けて盛り上がっていた。

 仕事終わりに立ち寄るOGで露天が賑わい、地域から招待された浴衣姿の子どもが、かき氷を持って走り回っている。講堂からは吹奏楽部が素晴らしい演奏が聞こえてきた。

 プログラムでは、終わりに少しだけ花火も上がるとか……規模が違うなぁ。

 そしてここは、武道場前。浴衣の着付けを行っている場所である。出入口のところにあるベンチで、あたしと絢芽、元の姿に戻った椎葉は、あの人が出てくるのを待っていた。

 あたしの足の怪我は、見た目では全く分からないけれど……本人的には違和感がある。歩く時に引きずるような姿勢を取ってしまうし、体重をかけると鈍い痛みに襲われるので、可能な限り座っておくことにした。

 そういうことなので、浴衣の着付けは辞退させていただく。まぁ、お祭りはこれだけじゃないし、またいつか、着る機会があるといいなぁ……。

「絢芽は着なくていいの?」

 あたしの隣に座る絢芽に尋ねると、いつの間にか焼き鳥を食べている絢芽が、無言で首を横に降る。

「浴衣は部屋着ですもの。この場で改めて着るようなものではありませんわ」

「あ、そうですか……っていうか1人だけ焼き鳥ってズルいんじゃない!? 椎葉、買ってきてよー!!」

「どうして俺が!?」

 絢芽の隣で立っている椎葉がツッコミを入れた瞬間、武道場の入り口が少し騒がしくなる。主に女性の高い声で。

 声のする方を見やると、着付けをしてもらった奥村先輩(元に戻ってます)が、慣れない足取りでコチラへ近づいてきた。

 浅葱色のシンプルな浴衣が非常によく似合っている。本人は非常に恥ずかしそうだけどね。

 奥村先輩は座っているあたしを見下ろすと、決まりが悪そうな表情で問いかけた。

「樋口……これで本当にいいのか?」

「いいんです! でも、本番はこれからですよ! ちゃーんとリードしてあげてくださいね!」

「あ、ああ……」

 戸惑う奥村先輩を横目に見ながら、あたしは、そろそろこの場にやって来るであろう彼女の姿を探していた。

 すると、講堂の方から小走りで駆け寄る人影が、ひとつ。

「東原さん、こんなところに呼び出して一体何が――」

 絢芽に呼び出された綾小路さんは、浴衣姿の奥村先輩を発見すると、それはもう非常に分かりやすく硬直した。

 薄暗いからはっきり分からないけど……多分、耳まで真っ赤になっているに違いない。

 普段のスマートな彼女からは、想像もできない態度だ。

 ベンチから立ち上がった絢芽が、混乱している綾小路さんにニヤニヤした笑みを向けて、

「綾小路先輩、お忙しいのは承知していますけれど、ご自身で招待したお客様を放っておくのはホストとしてどうかと思いますわ。ここは、奥村さんをご案内して差し上げてはいかがでしょうか?」

 刹那、綾小路さんの口角が上がったことを、あたし達(奥村先輩以外)は見逃さなかった。

「えぇっ!? あ、あの、樋口さんは……?」

 ベンチに座っているあたしをチラリと見下ろす綾小路さん。あたしが口を開くより前に、絢芽が営業スマイルで話を進めていく。

「樋口さんはお疲れの様子です。私も初めてのことで疲れてしまったので、この辺りで待っていますわ」

 ここであたしとの連携プレー! 綾小路さんに満面の笑みを向けますっ!

「そういうことです! うちの会長をよろしくお願いしますっ!」

 そして、奥村先輩に「行け!」と目で合図を送る。まだ気恥ずかしそうな彼だったが、呼吸を整えてから綾小路さんの前に立ち、軽く頭を下げた。

「今日は、ご招待いただいてありがとうございます。俺だけにお手をわずらわせるのは申し訳ないのですが、案内していただけますか?」

「はっ、はい! 喜んで!」

 完全に舞い上がっている綾小路さんだが、奥村先輩も自分のことで一生懸命なので、彼女の変化には気づいていない様子。

 並ぶと非常に絵になる2人の背中を見送りながら……椎葉が大きなため息をついた。

「あーあ、なんだよ悠樹ばっかりよー。俺も星霜学園のお嬢様と浴衣デートしたいぜ……」

 この、一見すると華やかな浴衣デートは、先ほど、あたしが雛菊に頼んだ隠蔽工作の一種なのだ。

 あたしは雛菊に、納涼祭にやって来たのは、あたしと、いつもの奥村先輩だったことにして欲しいと頼んだ。そして奥村先輩に、浴衣を着て、綾小路さんと一緒に見て回ってくれないかと提案する。

 奥村先輩は、どうして自分がそんなことを……と、消極的だったけれど、綾小路さんだって、たまには生徒会長としてではなく、ごく普通の高校生として、こういうお祭りを楽しんでみたいんじゃないか、その隣にいるのは、顔見知りで同じ学年の奥村先輩が適任だと、猛烈にプッシュ。絢芽まで無言で頭を下げたので、彼はため息を付きながら了承してくれた。

 しかし、取り残された椎葉は面白くないらしい。そんな、周囲を見渡してブツブツ呟いている彼へ、絢芽から強烈なカウンターが飛んでくる。

「やめてください。学園の品位が下がりますわ」

「絢芽ちゃんヒドい!! 友達を紹介してくれてもいいんだぜ!?」

「申し訳ありません。有坂さんに紹介出来るわけがありませんわ」

 爽やかな笑顔で椎葉を一刀両断にした絢芽は、食べ終えた焼き鳥のクシを持っていた袋に入れながら、不思議そうに呟いた。

「皆さんは何も召し上がらないのですか? 許可証を見せれば、お店のものを頂くことが出来ますのに……」

 刹那、あたしと椎葉の目がキラリと輝く。

 そりゃあ食べたかったけど、きっとお高いんだろうなと思って遠慮してたんだよ!

 色々解決したので、安心したら急にお腹が空いてしまった。

「まーじーでっ!? じゃあ俺、何かもらってくるぜ! 香澄ちゃん、リクエストは?」

「焼き鳥焼き鳥! あと、たこ焼きと焼きそばとかき氷!」

「それは一気に食べ過ぎな気もするけど……絢芽ちゃんは?」

「そうですわね……では、マカロン9個セットを」

「マカロン!? さ、さすが星霜学園だぜ……じゃあ、ちょっくら行ってくるぜー!」

 あたし達のオーダーを承った椎葉が、颯爽と人波の中に消えていく。

 この場に残されたのは、あたしと、絢芽。

 絢芽とベンチに並んで座っている、というのも、今では全く苦痛にならなくなった。

 そうだ、あの時のお礼をまだ伝えていなかったっけ……あたしは顔を絢芽に向けると、ペコリと一度頭を下げる。

「絢芽、さっきはありがとう。仲間だって思ってもらえて……嬉しかった」

「っ!?」

 絢芽は露骨に視線をそらすと、口ごもりながら言葉を紡いだ。

「……大したことではありませんわ。事実を述べただけ、ですもの。それに……」

 彼女はそっぽを向いたまま、あたしにしか聞こえないようなボリュームで、言葉を続ける。

「私も……お礼を言わなければいけませんわね。亜澄さんからの誹謗中傷に反論してくださって……ありがとう、ございました」

「え!? 聞こえてたの!?」

「香澄さんの声は大きいですから、嫌でも聞こえますわ」

「そりゃあ確かに叫んじゃったけど……って、あれ?」

 嫌味の混じった言葉に反論しようとして、気づいた。

 絢芽、今、あたしのこと……。

 確かに聞こえた。聞こえたんだから、もう、聞こえなかったことになんてしないよ!

「絢芽、あたしのこと、下の名前で……」

「べっ、別に問題はありませんわよね!? 私と、香澄さん、は、運命共同体ですし仲間ですし、それに……」

 相変わらず、彼女はあたしの方を見てはくれなかったけど。

 でも、そう言ってくれたことが、今のあたしには何よりも嬉しい。

「……友達、ですから」

 ――刹那、絢芽の声をかき消すように、頭上に、大きな花火が咲いた。


「香澄ちゃん、ゴメン……焼き鳥はあったんだけど、たこ焼きと焼きそばとかき氷が見当たらなくてさ。サイコロステーキとカルボナーラとジェラートで勘弁して?」

「ちょっと待って、星霜学園の露店って……どーなってるの!?」

 あたしと椎葉が星霜学園のズレた露店に疑問符を浮かべている間、涼しい顔でマカロンを食べる絢芽なのだった。

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