敵本拠地へのオペレーション
夏の日差しがまだまだ強い午後3時過ぎ。
一学期の終業式を終えたあたしは、昼食もそこそこに、制服のままでとある場所へ移動していた。
「あっちー……」
バスを降りた瞬間、むせ返るような熱風をあびてじわりと汗が吹き出す。バス停に屋根がついているとはいえ、所詮直射日光が降り注がないだけのこと。暑いものは暑いのだ。
私達以外にもここで降りる人は多く、そして、そのほとんどが同じ方向へ向かっていた。
浴衣姿の人もちらほら目立つ。こんな早くからご苦労様です。
「天気が悪くないのは良いことなんだけど……こんな暑さが夕方まで続いたら億劫ですね、『奥田』さん」
あたしの後ろからバスを降りてきた彼女に向かって話しかけるが、当の本人は無言のまま……結った髪の毛で顔を隠すように俯いた。
女子高生にしてはすらっとした長身。久那高校の制服に身を包み、長い髪を耳の横で結んでいる。俯いているので顔は見えないが、眼鏡をかけている様子。暑さのせいにできないくらい、赤面していた。
あのー……そんなに顔を隠して、前とか見えてます? っていうか、そろそろ諦めましょうよここまで来ちゃったんだから。
「……奥田さん?」
「は、はいっ!?」
上ずった声が響き、彼女が顔を上げた。そして、その声音に驚いたのは間違いなく当人で。
「あ……あれ、俺……ちゃんと女性になってるんだな……」
「はいストップ。俺って一人称ダメですよー……奥村、先輩」
どこからどう見ても女性化している、けれど中身は奥村先輩……彼がこうなってしまったのは、深い事情があるのであった……。
話は数日前に遡る。
「ひとまず……これを御覧くださいっ!!」
4人全員が疑問の眼差しを向ける中、雛菊がばばーんと取り出したのは、
星霜学園の制服×3
全員が硬直する中、雛菊は朗々と宣言する。
「さあ皆さん、敵陣への潜入調査ですっ!!」
「……え?」
全員を代表して、あたしが思いっきり首を傾げた。
いやだって、何を言い出すかと思えば……潜入調査? どこへ? 誰が?
ふと、奥村先輩の顔を見ると、顔面蒼白で思いっきりひきつっているではないか。
何か嫌な予感がしてたまらないのだろう。奥村先輩はピクピク震える手で、雛菊が持っている制服を指差しながら、
「あ、あの、雛菊さん……まさかとは思いますが、俺達にその制服を着て、星霜学園へ潜入しろ、とか、言うつもりですか?」
その質問に、雛菊は満面の笑みを浮かべて返答する。
「さっすが悠樹さんですね。ご名答です、パチパチー」
「でぇぇ!? 雛ちゃんマジかよーっ!! 俺、『灰猫』でも女装はNGにしてるんだぜ!?」
椎葉の絶叫にも雛菊は動じることなく、手に持っていた制服をダイニングテーブル上に置いて……っていうかコレ、どこからどうやって調達してきたんだろうか……。
「その辺はご安心ください。私の力を使って、見た目から声まで、どこからどーみても女性にしか見えないようにします。あ、香澄さんはそのままでお願いしますね。星霜学園の風紀に合うかどうかは分かりませんが、とりあえず女性ですし、私も無駄な力は使いたくないですから」
ヲイ雛菊。今、大分失礼なことを言わなかったか?
でも……それだと、制服が星霜学園では都合が悪くなってしまう。
「ちょっと待ってよ雛菊。あたし、綾小路さんとかに顔がバレてるんだよ。今のあたしのままで星霜学園の制服着ても、すぐにバレちゃうよ」
「えぇー、香澄さんってば、絢芽さん以外のお知り合いがいらっしゃるんですかぁー?」
作戦に待ったをかけたあたしへ、雛菊のジト目が突き刺さる。ちょっと、そんな面倒そうに言わなくてもいいじゃん……。
と、ここで、今まで黙っていた絢芽が口を開いた。
「では……こうしませんこと? 今度、外部の方をお招きして納涼祭が開催されます。綾小路先輩から、久那高校へも招待状を出していると伺っておりますわ。樋口さんと奥村さんは外部のお客様として、私と有坂さんはお迎えするホスト側として潜入して、学園内を探るというのは」
納涼祭……確か今日、メールが届いていたアレか。終業式の日に行われるんだっけ。
確かにそれならば、あたしはちゃんとした招待客だ。
「樋口さんは三木先生に顔が知られてしまっていすが、女性になった奥村さんならば問題ないはずです。私と、あと1人なら常に一緒に行動していても怪しまれないかと思いますが、学園の構造を把握していない方々3人分のフォローは難しいですわ」
「絢芽に賛成。二手に分かれて調べられたほうが効率もいいよ」
「あら、そうですか? 折角皆さんお揃いの制服をと思って、労力を惜しまずに取り寄せたのに……」
残念そうにため息をつく雛菊。男性陣二人はコメントすることもなく……その目はどこか遠くを見つめている。必死に、自分が女装しなければならないという現実から逃避しているようにも見えた。
と、乾いた笑いを浮かべながら、椎葉が絢芽を見つめ、
「でもまぁ、絢芽ちゃんに俺を選んでもらえただけでも価値が有ることかな……ご指名とあれば逃げるわけにもいかなくなったんだぜ」
何とか希望を見つけようとするが、絢芽はそんな彼を鼻で笑う。
「あら、単なる消去法ですわよ。私個人としては当然奥村さんとご一緒したいところですが、樋口さんと有坂さんを一緒にしてはダメだと思いましたの。ですから、当日は勝手な行動をお控えくださいませ。お遊びではないのですからね」
「あ、そう……デスヨネー」
一刀両断に切り捨てられた椎葉は、それ以上、何も言わなかった。
そして当日。椎葉は絢芽と共に潜入済みのはず。あたしたちを門のところで出迎えてくれるはずだ。
信号を待つ間、脳内で打ち合わせした手順を確認する。
印刷したメールを見せれば、2人まで入れるとのことだった。特に個人の指定はなかったから利用させてもらうけど……綾小路さんは奥村先輩(男)を引きずり出して欲しかったんだろうなぁ。申し訳ない、代わりに奥田さん(女)を連れてきたから許して!
「今日の私は、奥田優子……奥田優子……一年生、一年生……」
あたしの隣で自分の偽名と設定をブツブツ呟く奥村先輩……ダメだ、余裕ないぞこの人!
「あ、あのー……奥田さん、そんなに切羽詰まった顔しなくても大丈夫ですよ。まさか今の貴女を見て、どこの誰も男だなんて思いませんから」
「……本当?」
半泣きでコチラを見る奥村先輩が、すがるような目を向ける。
しかし、あたしは嘘なんかついてない。今、あたしの隣にいるのは、どこからどーみてもスレンダーな女性だ。しかも道行く人が振り返るレベルの美少女!
「嘘なんかつくはずがないじゃないですか。むしろ、堂々としてないと不自然ですから、奥田さんには――」
「……優子」
「へ?」
「……悪いけど、下の名前で呼んでくれないか? 忘れそうになるんだ」
わざとらしく視線を逸らした奥村先輩の頼み事に、あたしは一度、ため息を付いて、
「……了解。じゃあ、今は敬語もやめるからね、優子」
信号が変わったことを確認して、一歩、足を前に踏み出した。
「お待ちしてましたわ、樋口さんに奥田さん。暑いところお疲れ様でした」
星霜学園の正門前で、営業用という名の化けの皮を被った絢芽が、あたし達を笑顔で出迎えた。
そして、
「やーっと来たのね。待ちくたびれちゃったわーん♪」
……絢芽の隣にはクネクネした女性がいる。おかっぱの黒髪につぶらな瞳。スカートはひざ下でいかにも純朴なお嬢様という外見だが……口を開くとすっごい残念なんですけど。
そんな彼女を、絢芽が氷のような目で一瞥して、
「有坂さん、しゃべらないでください。今すぐこの世界から消えていただきますわよ?」
「えぇーん、絢芽ちゃんったらー☆ そんなこと言わないでぇー。あとぉー、葉子のことは「よ・う・こ」って呼んでー♪」
「聞こえなかったのですか日本語が理解できませんかとにかくしゃべらないでください。まずは手始めに、その口から凍らせますわよ?」
「……ハイ、スイマセンデシタ……」
眼光鋭い絢芽に、シュンと肩を落とす葉子――もとい、椎葉。
お嬢様のキャラ作りが斜め上の方向に間違っている気がするけれど……コレ以上、絢芽の隣で変なことは喋らないだろう、多分きっと。
さて、いつまでもここで立ち往生出来ないな。中へ入るには、許可証をもらって首からぶら下げなければいけない。あたしは印刷したメールを絢芽に手渡そうとするが、彼女は首を横に振って、
「今回は、綾小路先輩からの招待のはずですわ。許可証を先輩から受け取る必要がありますの」
「へ? そうなの? じゃあ、綾小路さんを呼んできて欲しいんだけど……でないと入れないし」
「綾小路先輩は、裏門のところで来賓の方々の対応をしていらっしゃいますわ。裏門へは、この塀に添って歩けばたどり着けるはずです。樋口さんたちが来ることはお伝えしておきましたから、ひとまずそちらへ向かってくださいますか?」
「うん、分かった。中に入ったらどうすればいい?」
「とりあえず、適当に見て回ってくださいませ。折を見てご連絡致しますわ」
「了解。じゃあ優子、行こっか」
奥村先輩が頷いたことを確認して、あたしたちは行動を開始する。
裏門へ向かう2人の背中を見つめながら、絢芽は無意識のうちに腕を組んでいた。
先日、『灰猫』の山岸から、実に興味深い情報を手に入れている。今はまだ、彼女の中に留めているけれど……このまま何事もなければいいのだが。
そう考えていたことが、顔に出てしまったらしい。
「あれれ、どうかしたの絢芽ちゃん。難しい顔してるよ?」
「学園生は互いを苗字で呼び合う規則だと申し上げたはずですわよ、有坂さん」
目線を向けずに冷たい言葉を投げる絢芽。
「……スイマセン。でも、何か考えてるような顔をしてたからさ、何かあった?」
椎葉の問いかけに、絢芽は少し間を置いてから、こう呟いた。
「ちょっと……気になることがありますの。既に手は打ってありますわ。その結果を確認したいので、ついてきてくださいますか?」
絢芽や椎葉……もとい、葉子と別れた私達は、学園を取り囲む塀に添って歩き、裏門へとやって来た。
裏門、といっても、立派な門構えに警備の人の詰め所もある。正門と遜色ないほどの外観に見とれつつ、綾小路さんの姿を探していると……半歩後ろからついてきた優子(奥村先輩)が、あたしの制服のブラウスをちょいちょいと引っ張った。
「綾小路さんだ」
視線を門の奥へ向けると、スーツを着た男性と談笑している綾小路さんの姿がある。
しかも、今日は髪の毛をアップにまとめて、薄紫色の上品な浴衣をお召になっていらっしゃるではないか!
正直、あたしはもっと近づかないと気づけなかったかもしれない。先輩、凄いなぁ。
「あ、本当だ。じゃあ、いよいよ潜入しますかっ!」
一度、自分に気合を入れた。何しろここは今の敵の本陣だ。いくら絢芽がいるからといっても安心できない。誰に『堕落者』が入り込んでいるのか分からないし。
とりあえず、詰め所にいた警備員さんに事情を話し、敷地内にいる綾小路さんを呼んでもらう。
あたし達の姿に気がついた彼女が、男性に会釈をしてからこちらへ歩いてきた。
私達の前で立ち止まった彼女は、手に持った入館証を手渡しつつ、普段通りの優しい笑顔で出迎えてくれる。
「本日はありがとうございます、樋口さん」
「こちらこそ、お招きありがとうございます。あと……奥村先輩がほんっとうにスイマセン……」
「?」
入館証を受け取った優子が隣で首を傾げたが、私は構わず綾小路さんに頭を下げた。
今回、奥村先輩が奥村先輩として参加出来ないことは事前に通達済み。本来ならば絶好のチャンスだというのに、こちらの都合でダメにしてしまって申し訳ない。
そんなあたしを見た綾小路さんが、「頭をお上げください、樋口さんが悪いわけではありませんわ」と、優しい言葉をかけてくれるけれど……その表情はどこか寂しそうに見える。
「ご家庭のご用事では仕方がありませんもの。そちらの方が、樋口さんのお友達ですか?」
綾小路さんに視線を向けられた優子が、分かりやすく肩をすくませて硬直した。
いや、だから、そんなに不自然な態度を取られるとあたしもフォローに困るんですけどねぇ……。
「は、初めまして、奥田です……」
消え入りそうな声で何とか挨拶をした優子は、赤面したまま俯いてしまう。
あーもー! あたしは慌てて2人の間に入ると、必死に取り繕うしかない。
「スイマセン、優子、初めてのところって緊張しちゃうから! もー、いくら綾小路さんが綺麗だからって、そんなに見とれなくてもいいでしょ!」
「へぁっ!? あ、そのー……ご、ゴメン……なさい」
萎縮して俯いたままの優子に、綾小路さんは「お気になさらずに」と、普段通りの笑顔を向けてくれて、
「そうだ、本日は武道場で浴衣のレンタルも実施しておりますの。その入館証を見せれば大丈夫ですから、是非とも体験してくださいませ」
「浴衣ですか。いいですね」
「申し訳ありませんが、私は他の来賓の方のおもてなしがございますので、一度失礼いたしますわ。校内には東原さんもいらっしゃるはずですから、是非、お三人の浴衣姿を写真に撮らせてくださいね」
そう言って踵を返す綾小路さん。そんな彼女にすぐ近づいた女生徒が、何やら手元の書類を渡して指示を受けていた。忙しそうだなぁ……。
入館証を首からぶら下げたあたしは、大きく息をついた優子をジト目で見つめ、
「あのさー……優子は人見知りの挙動不審キャラってことでいいですか?」
「しょっ……しょうがないだろ!? 樋口も一度雛菊さんの力で男になってみれば分かる!」
「そんな機会作らせませんから! さて、どうしますか?」
裏門から少し進んだところで立ち止まる私達。周囲は日が落ちて夕闇が迫り、設置されたぼんぼりが幻想的な雰囲気を作り上げていた。
あたし達と同じように外部から招待された人も多く、お目当てのイベント会場へ向かっている様子。
先ほど入り口でもらったプログラムを見ると、正門近くの武道場で浴衣着付けコーナー、そこから出て、校舎へ続くメインの通りでは露天、その先にある講堂で文化部の出し物(演劇、演奏等)が行われている様子。
カトリックな学園で日本の夏を楽しむ、というのも、何かチグハグな気がするけれど……でも、正直コレは、戦いとか関係のないところで楽しみたかったなぁ。
とはいえ、可能であれば今日中に星霜学園のゴタゴタにはケリを付けておきたい。手元のプログラムを見ていた優子が、少し目を細めてため息を付いた。
「とりあえず……講堂に移動するか。俺達は東原から連絡があるまで動けないんだからな」
「分かった。っていうか……その言葉遣い、男性にしか思えないから何とかして!」
あたしのもっともな指摘に、優子は再び萎縮したのでした。
その少し前、絢芽と葉子は、人気のない校舎を歩いていた。
主なイベントは全て校舎外で行われているし、ここは部外者の立ち入りが禁止されているので、招待客の姿もない。
木造の趣ある廊下を歩きながら、葉子はキョロキョロと周囲を見渡していた。
「絢芽ちゃん、どうしたんですかぁー? 私、さっきチラ見した焼き鳥が食べたいんですわよー」
「全てが終わってからにしていただけますか? もう少し緊張感を持って行動してくださいませ」
「……へいへーい」
口を尖らせつつ、指示に従うしかない葉子。やがて校舎の突き当り、「物理実験室」と書いてある教室の前についた。
部屋の中が明るいのが分かる。微かに話し声も聞こえるから、誰かが中にいる様子。
様子を伺うように背伸びする葉子へ、制服の襟を正した絢芽が指示を出した。
「胸ポケットのレコーダー、用意してください」
「ん? ああ、分かった」
葉子の胸ポケットには、薄型のICレコーダーが入り込んでいた。これで中の会話を確認して、三木の悪事の証拠を残そうという作戦である。これを葉子が持っているのは、単純に、使い慣れているからだ。
上部にある電源ボタンを押し、その隣にある録音ボタンを押す。充電も問題ないし、外部メモリを入れているので、最低でも24時間は録音出来るはずだ。
葉子が頷いたことを確認した絢芽は、引き戸の取ってに自分の手をかけて。
「ここが、数学研究部の活動場所ですわ。ここから先、敵の本陣だと思ってください」
「え? マジで?」
「ええ。普段は部外者は立入禁止なのですが、私が根回ししておきましたの。まぁ、今ところ『境界』は設定されていないみたいですけれど、油断出来ませんわ」
「なるほど……で、この私、葉子の役割は?」
「有坂さんは私の隣で笑っていてくれれば構いません。この部活へ入部する条件が、三木先生の側に置く新しい女子生徒を連れてくる、ということでしたの。宜しくお願いいたしますわね」
「え……ってちょっと!?」
葉子が内容を噛み砕いて心構えをする前に、絢芽は無言で引き戸を開く。
そのままツカツカと中に入る絢芽に続いた葉子は……目の前の異様な光景に、思わず、目を疑った。
そこは特別教室らしく、6人掛けの大きな机が縦2列、横3列に並んでいる。
明かりが教卓の上しか点灯していないので、室内は後方ほど闇が深くなっている。出入口の右側に教卓があり、その奥には戸棚が見えた。校舎は古めかしいが、室内には最新のパソコンやプロジェクターも確認出来る。
しかし、葉子が驚いたのはそこではない。薄暗い室内にぼんやり浮かび上がったのは、出入口に最も近い机の上にあぐらをかいている男性が1人、そして、彼の左右から抱きついている女子生徒と、彼の後ろから抱きついている女子生徒……計3人。
男性は三木、女性は顔がはっきり見えないけれど、全員、星霜学園の制服を着ていた。
そして、隣の机では、5人の女子生徒が、それぞれにノートパソコンに向かって何か作業を行っている。
どう見ても異様な光景だった。しかし誰も、この光景に疑問を呈さない。
葉子は違和感しか感じていなかった。異様な空気と光景が、神経を麻痺させるような錯覚さえ抱かせる。
絢芽が静かに扉を閉めた。そこで初めて、三木の視線が絢芽に向けられる。
「やあ、東原さんいらっしゃい。遂に僕の愛を受け入れてくれるんだね、嬉しいよ」
葉子の背中を嫌な汗が滴り落ちた。王様のように女子生徒を侍らせている彼の瞳には、邪な光しか感じ取れなかったから。
絢芽は表情を変えないまま、一歩、彼らに近づく。
「ようやく、私をこの部屋へ入れてくださいましたね。ありがとうございます」
「ゴメンね東原さん、君は一度、僕の誘いを断っているし……僕の知らない連中とつるんでるって噂もあったからね。でも、君の真摯な思いは僕に伝わっていたよ。おや……そちらの彼女が」
「先日のご要望にお応えして、私と同じ、入部希望者ですわ」
三木の視線が葉子に向けられた。頑張って営業スマイルを向ける葉子を、値踏みするような視線で見つめること数十秒。
「まぁ……レベルは高くないけど、東原さんの紹介ってことで、許可しよう」
随分上から目線である。思わずムッとした表情を浮かべそうになった頬にあわてて命令を送った。
しかし、この部屋では一体何が行われているというのだろうか……絢芽は全てを把握しているようだが、葉子には何が何やら分からない。
そして……彼女はようやく、感じていた違和感の正体に気がつく。
「この部屋……なんでまだ『境界』が設定されてねぇんだよ……」
これだけ大々的に『堕落者』関連のことが行われているにも関わらず、今日の蓮華が『境界』を設定していないことに、葉子は言いようのない違和感を感じていた。
絢芽からの連絡がないので、とりあえずお祭を楽しむことにした私達。
露天で飲み物を買い、歩きながら周囲を警戒する。しかし今のところ、怪しい気配も、肝心の三木の姿も見当たらないままだ。
絢芽のことだからピンチを招いていることはないと思うけれど、少し、心配になってくる。
「そういえば樋口、聞いてもいいか?」
「何ですか?」
結局、2人で行動している時は普段の口調に戻ってしまうあたし達なのだ。まぁ、どうせみんなお祭を楽しむことしか考えていないから、あたし達のしゃべり方なんて気にしないだろう。
「さっき、綾小路さんに何を謝っていたんだ? 俺が会長として参加出来なかったことか?」
「へっ!? あ、あー……まぁ、そんな感じです。一応、生徒会として招待を受けたわけですからね」
本当は、奥村先輩を担ぎだして綾小路さんと二人っきりにさせられなかったことへの謝罪だったんだけど、そんなこと、言えるわけないじゃないか。
何とか誤魔化したあたしが内心ホッとしていると、
「――あ、見つけた、樋口さん!」
急に後ろから名前を呼ばれて振り返ると、息を切らせながらコチラへ駆け寄ってくる御崎さんの姿があった。
彼女も髪の毛を1つにまとめて、薄紅色の浴衣を着ている。慣れない格好で足元がおぼつかないまま、あたしの前にやって来た。
「御崎さん! この間は大丈夫だった?」
御崎さんと会うのは、彼女の行方不明事件が発生してから初めてだった。心配するあたしに、呼吸を整えながら深々と頭を下げる彼女。
「はい、先日は大変ご迷惑を……おかけ、しましたっ……」
どうやら、隣にいるのが優子なので、あまり緊張せずに話すことができている様子。
あたしは彼女に頭をあげるよう言うと、改めて、彼女の全身を見つめた。うん、特に変わった様子はなさそうだ。
「無事ならいいんだけど、どうしたの?」
「は、はい……会長が、樋口さんに渡したいものがあるから、生徒会室に来て欲しいとおっしゃっているのですが、今日は生徒会ではない方と一緒ということで、樋口さんが生徒会室に行っている間、その方のお相手を、私がするように、と……」
彼女はそう言って、優子に申し訳無さそうな表情を向ける。
「優子も一緒じゃダメなの?」
「スイマセン、部外者の立ち入りはご遠慮ください、との……ことでした」
ペコリと頭を下げて私を見つめる御崎さん。何だろう、さっきはそんなこと一言も言っていなかったけど……でも、綾小路さんからの呼び出しならしょうがない。
生徒会室の場所は分かっているので、あたし一人でもたどり着ける……はずだ、多分きっと!
あたしは御崎さんに一度頷くと、持っていたジュースを優子に手渡した。
「ゴメン、ちょっと行ってくる。用事が済んだら連絡するね」
「分かっ……りました。気を、つけてね」
顔を引きつらせながら見送ってくれる優子に背を向けて、あたしは、人気のない校舎へ向かって走りだしたのであった。