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変えるためのアドバンス

 刹那、あたし達4人の携帯電話が同時に振動する。

 それは――日常の中に潜んだ『非日常』が顕現したことを知らせるアラーム。


 同時に顔を見合わせたあたし達の様子から状況を悟った佐藤君が、隣の椎葉の肩をちょいちょいと指でつつき、

「任務っすか? ちなみに場所とか教えてもらえると嬉しいんすけどね」

 刹那、椎葉が絢芽に目線を向ける。彼女が一度頷いたことを確認した椎葉は、タッチパネル式のスマートフォンを操作しながらメール本文を確認。そして――目を見開いて立ちあがった。

「久那センの2階、改札口前だ!!」


 現場は騒然としていた。

 突然の事態。つい先ほどまでは遊び歩く学生や仕事の移動で電車を使うサラリーマン等が行き交っていた改札口前は……当事者の3人を残し、他の人々は遠巻きに事の成り行きを見守るだけだ。

 ショッピングセンターへの入口と、他のビルと接続されている歩道橋へと繋がる入口があるため、広場のように少し開けている。電車を乗り降りする人だけではなく、色々な人が通り過ぎていく場所。

 その中央で立ちつくし、眼下を見下ろすのは女子高生。肩口で切りそろえたショートヘアーに、ぱっつんの前髪。漆黒の星霜学園の制服が似合う。普段はきっと、女性らしい所作が似合う人だと思うけれど……虫を見るような目で見下ろす先には、同じ年と思われる2人の女子生徒が身を寄せ合うように座り込んでいた。

 1人は彼女と同じ、星霜学園の制服。黒髪をポニーテールに結いあげ、大きな瞳が印象的だが……今は恐怖に怯え、涙が滲んでいる。

 もう1人は、久那商業の制服に身を包み、金に近い脱色した茶髪。胸元でゆるくウェーブのかかった髪も、今は恐怖や涙とともに顔面に張り付き、悲壮感を煽っていた。

「……何か言い残したことはある?」

 ショートヘアーの彼女が、感情のない声で問いかける。

 その両手に、真紅の炎を握りしめて。

 2人が怯えきっている理由が、彼女のその両手にあるのは明らかだ。今まで見たこともない光景ということもあるかもしれないけれど……その炎が、明らかに自分たちを狙っているのだから。

「ひ、寛子……どうしたの? え? っていうかそれ何? マジなわけ?」

 茶髪の彼女が声を上ずらせながら問いかけると、寛子と呼ばれたショートヘアーの彼女は、表情を一切変えずに答える。

「悪いけど本気よ。私は、それだけの仕打ちを受けたってこと」

「仕打ちって、あんなの遊びだろ? マジにすんなって……」

「あなた達にとっては遊びだったかもしれないけれど、私にとってはそうじゃなかった。それだけよ」

 取りつく島もなく切りすてた彼女は――その両手を天井へ掲げ、

「……もう顔も見たくない! 今すぐ消えて!!」

 初めて響いた怒号と共に、2人へ向かって両手を振り下ろす!!


「――散れ、雫!!」


 彼女の手から解き放たれた炎の塊が、真横からぶつかってきた絢芽の水流によってその場で爆発したのは、その次の瞬間だった。


 全員の視線が、外に向かう出入口から飛び込んできたあたし達へと注がれる。

「ひっ……!」

 誰が発したのか分からない悲鳴が聞こえた。

 そりゃー……別々の制服を着た高校生4人がそれぞれに日本刀握っていれば、誰だって驚く。自分たちの味方であるという確証もないわけだし。

 先頭で技をふるった絢芽は、水滴の付いた雫を手首で振るうと、

「また、星霜学園の生徒ですか……我が校の評判を落とすような振る舞いは自重していただきたいものですわね」

 こちらを冷めた目で見つめる彼女に向けて、吐き捨てるように呟いた。

 佐藤君と山岸さんは、他の『灰猫』メンバーと協力してその場に居合わせた関係ない人を安全な場所へ誘導することになっているため別行動。自動扉を抜けてあたし達4人が現場に入ると、クーラーの涼しい空気に混じり、霧散しきれなかった蒸し暑い空気が流れているのを感じる。

 雛菊の『境界』は……まだない。周囲にかすかに感じる蓮華の気配から、彼女の妨害にあっているのかもしれない。この場所を教えてくれたのは雛菊なのだから。

 現状は相変わらず不利だけど、今は、自分に出来ることをするしかない。

 絢芽が問題の彼女と対峙し、少し、目を細めた。

「貴女は……美田園さん、ですわよね。どうしてこのようなことを?」

 どうやら絢芽の顔見知りらしい。隣に並んだあたしが目くばせすると、「同じクラスですの」と一言。

 彼女――美田園さんもまた、顔見知りである綾芽に目を細めて、

「これはこれは東原さん。貴女も三木先生の『力』をもらえたの?」

「『力』?」

 三木先生、その名前に絢芽の語気が強くなる。

 そんな変化など気にせず、美田園さんは歌うように朗々と続けた。

「そうよ、『力』。自分を切り開くための『力』を、ね……ふふっ」

 笑みさえ浮かべた彼女は、再び視線を座り込んでいる2人へ向けて、

「私は、ずっと友達だと思ってた……でも、勘違いだった。悪く思わないでね。私にここまでさせたのは、あなた達のせいなんだから」

「ひぃっ……!」

 座りこんで動けない2人が上ずった声を上げる。

 すると……今まで絢芽の隣りで事の成り行きを見守っていた椎葉が地面を蹴って駆け出し、一気に両者の間へ割って入った。

「椎葉!!」

「有坂さん!?」

 先輩と絢芽が同時に声を上げるが、椎葉は気にせず、座り込んだ2人を守るように両手を広げ、

「友達と思ってた、ね。それなのにどうしてこんなことするのか、教えてもらえないかな?」

 表情はあくまでも通常営業のまま、敬妙な口調で語りかける。

 すると……助けが来たことに興奮したのか、座り込んでいた2人がこぞって椎葉へ近づいて、訴える。

「た、助けて! お願いだから助けて!!」

「私たちは悪気なんてなかったんだ! ただ、寛子が勝手にそう思いこんで……!」

「勝手に思い込んだんだ。何を?」

 椎葉は目線だけを彼女たちに向けて、普段の調子で尋ねる。

 すると、茶髪の彼女が何の悪びれもなくこう言った。

「エンコーくらい、この辺の女子高生なら誰でもやってんだよ! 特に、学園のお嬢様は高いんだ。私たちはただ、寛子も遊ぶ金が欲しいだろうって……!」

「……それで、彼女を売ったの?」

「ああそうだよ! でも、戻ってきたと思ったら、妙な力で私たちに襲いかかるんだぜ!? 金だってもらってるんだ、少しくらい分け前があってもいいのに、それなのに……!」

「分かった。見苦しいからそれ以上言わなくていいよ。君の評価はこれ以上下がらないけどね」

 椎葉はどこまでも優しい笑みのまま、茶髪の彼女を精神的に一刀両断。

 項垂れて無言になる彼女から視線をそらすと……正面にいる美田園さんを正面から見据えた。

 彼女の瞳は、どこか自嘲気味に椎葉を見据える。

「分かったでしょう? この2人は遊ぶ金欲しさに私を売ったの」

「そっか……何となくそんな噂も聞いたことはあったな。んじゃ、この2人のことは俺が引き受けるから、君がどうやってその『力』を得たのか、もっと詳しく教えてもらえないかな?」

 椎葉の言葉に、彼女は「ははっ!」と大声で笑うと――途端に鬼のような形相で椎葉を睨みつけた。

 調子のいいことを言うな、彼女の瞳が言外に語る。

「俺が引き受ける? 馬鹿なこと言わないで頂戴!! 誰も助けてくれなかった、誰も止めてくれなかった!! この2人は同じことを繰り返すわ! だから、私が制裁を下すの!!」

 刹那、激高した彼女の両手に宿った炎が、容赦なく椎葉を目指して放たれる!!

 あたしが反射的に剣を振り上げたが――それを絢芽が静かに制した。

「絢芽!?」

 踏切のようにあたしの前に降ろされた彼女の手を振りほどこうと掴んだ瞬間、冷静な絢芽があたしを諌める。

「樋口さんの力では広範囲に影響が及ぶ可能性がありますわ。でも……」

 そして、何の迷いもなく正面を見つめ、


「――唸れ、檀!!」


 椎葉の掛け声と共に、足元が隆起して……3人を守る壁を作った。

 炎はその壁に激しく衝突すると、行き場をなくしてその場で弾ける!!

「ぐぬっ……!」

 一瞬、椎葉の顔が歪んだが、壁が炎に貫かれることはなかった。


「有坂さんの力ならば、被害の拡散を最小限に食い止めることが出来ます」

 自信満々の絢芽の言葉通りになってしまった。

 でも、椎葉が後手に回っていることも変わらない。後ろにいる2人を守りながら戦う必要があるのだから。

 あたし達が横から攻撃すればいいのかもしれないけど、劣勢に焦った彼女が力を乱発して、これ以上の被害を出すわけにもいかない。雛菊はまだ到着していないのだから。

 あたし達と真逆、バスセンターへ降りる大きな階段の近くでは、騒ぎを聞きつけた警察の皆様が固唾をのんで事の成り行きを見守っていた。

 一般の人は全て逃げたらしい。だからって安心は出来ないけれど。

 すると、絢芽の隣りにいる先輩が、あたしへ目配せをして、

「樋口、俺達はあの2人をバスセンターの方へ避難させよう」

「あたしと先輩で、ですか?」

 唐突な指名。理由が分からず問い返すと、先輩は周囲をぐるりと見渡しつつ、

「彼女が使うのは炎だ。同じ力を使う俺と、炎を煽る風を使う樋口は分が悪いと思う。正直、今の彼女は錯乱しかけてるから……東原がこの場に残った方がいい」

「賢明な判断ですわ」

 絢芽が満足そうな表情で先輩を見上げ、

「私が注意をひきつけますから、その隙にお願いしますわね」

 そう言って、絢芽は『雫』の切っ先を美田園さんへ向ける。

 彼女はまだ、椎葉を睨んだまま。

「そうやって都合のいいこと言って……また、私をだますんでしょう!? 私はもう信じない、絶対に信じないから!!」

 次の瞬間、絢芽の凛とした声が響き渡った。

「美田園さん、貴女の受けた屈辱には同情しますわ。ですけど……やっていいことと悪いことの分別がつかないのでは、そちらのお友達と同じですわよ!!」

 刹那、彼女の怒りの矛先が絢芽にシフトチェンジ。一番言われたくないことを朗々と言い放った絢芽へ、目をつり上げたまま絶叫する。

「こいつらと一緒にしないで!!」

 そして、自身の手に生み出した炎の塊を、絢芽へ向けて解き放った!!

 その瞬間、あたしと先輩は椎葉の方へ駈け出して……彼の後ろで震えている2人それぞれの手をとり、強制的に立ち上がらせる。


「走れ!!」

「――散れ、雫!!」


 先輩の声と絢芽の力が解き放たれたのは、同じタイミングだった。


 美田園さんが絢芽の力を受け止めている隙に、あたしと先輩は呆気にとられている2人を強引に走らせ、対岸へ――警察等の大人のいる側へ――たどり着くことが出来た。

 最初は物騒な代物(『颯』と『焔』)を持っているあたし達に警戒していた大人も、丸腰の女子高生2人は慌てて保護してくれた。

「この2人をお願いします」

 落ち着き払った口調で告げる先輩に、大人は何も言えずに頷くだけ。

 あたしは先輩の一歩後ろで周囲を見渡しつつ、雛菊の気配が少し近づいたことを感じる。

 ……大丈夫。あたし達の行動は何も間違っていない。

 例え、目の前にいる全員が、あたし達に奇異とも畏怖ともとれる視線を向けても。

「樋口、戻るぞ」

 一仕事終えた先輩が、綺麗なまわれ右の後、こちらを向いて告げた。

 とは、言われましても……あたしは先輩を見上げ、顔をしかめる。

「そう簡単に戻ると仰られましても……どうしましょう」


 そう、あたしの背後では……美田園さんが完全に絢芽と椎葉をすさまじい眼光で睨みつけていた。

 彼女への奇襲の後に椎葉と合流した絢芽は、椎葉が作った防壁の隣りに立ち、

「……見苦しい」

 吐き捨てるように一言呟くと、そのまま一歩、足を踏み出す。

 刹那、美田園さんが両手を絢芽へ向けた。間違いなく絢芽めがけて発射されようとする炎の塊。距離は5メートルほど離れているが、さすがの絢芽でも発射した瞬間に避けられる距離ではないだろう。

 それを臆することなく、瞬きさえせずに見つめる絢芽は……正直、この中で誰よりも異質な存在にさえ思える。

「こ、これ以上来たら撃つわ!!」

 美田園さんは水平に掲げた両手を小刻みに震わせながら叫んだ。しかし、絢芽は口元にニヒルな笑みを浮かべると、

「どうぞご自由に。勿論、私も容赦しませんわ」

 その言葉は、底しれぬ自信の表れなのか、それともはったりなのか。

 危険な真似はよせ、外野から低い叫び声が届く。絢芽はちらりと声の方を一瞥すると、すぐに視線を美田園さんに戻して、

「御心配なく。美田園さんのご友人には、社会的な制裁を受けていただきますわ。そして貴女は……ご自分に都合の良い夢から覚める勇気を持ってくださいな」

「なっ……!?」

 刹那、美田園さんが目を見開いて絢芽を睨んだ。しかし絢芽は悠然とした笑みを浮かべたまま続ける。

「同情はします、でも、貴女のやっていることは許されない。それだけですわ。そうでしょう……有坂さん?」

 不意に絢芽が視線を隣に移した。

 刹那、話を振られた椎葉は、無言で『壇』を上下にふるい、周囲に展開していた壁を消し去った。

「椎葉!?」

 周囲からもざわついた声が聞こえてくる。そして、今までは黙って事の成り行きを見守るだけだったあたしも、思わず声を上げてしまった。

 いや、だって、よりによって壁を消しちゃうなんて……!

 そんなあたしの位置からは彼の自信に満ちた横顔しか見えないけれど……ど、どうしてそんなに揺るぎない自信があるの!?

 反射的に駆け出そうとしたあたしを、隣にいる先輩が手で制した。

「奥村先輩!?」

「落ちついてくれ。俺達が不用意に刺激すると厄介だ。それに、東原や椎葉にも考えがあっての行動だろうから……今はでしゃばるべきじゃない」

「そう、ですけどっ……!」

 悔しい。その一言に尽きる。無意識のうちに『颯』を握る手が強くなった。

 そんなあたし達の背後から……不意に、手が伸びてきて。

「……お2人とも、ちょっといいっすか?」

 普段通りの彼が、口元ににやりと笑みを浮かべてあたし達を誘う。


 一方、

「俺もそろそろ……防戦一方はやめよっかな」

 こちらも普段通り、美田園さんから攻撃されるかもしれないという恐怖など微塵も感じさせずに、椎葉は猫のような瞳のまま、笑顔で彼女を見据え、

「えぇっと……寛子ちゃん、だっけ。君が受けたみたいな苦痛を味わってほしくないから、俺達は必死に頑張ってるつもりだった。だけど……まだまだだった、そういうことだよね」

「な、にを……?」

 椎葉はおそらく『灰猫』のことを言っているんだろうけど、美田園さんに真意が伝わるはずもなく……突然饒舌に語り始めた彼に、思わず何度も瞬きしてしまう。

 しかし、次の瞬間――彼女は大きく目を見開いた。

 敵意など感じない彼の剣の切っ先が、真っすぐに自分に向いているから。

「守れなくてゴメン。でも、次はない。約束するよ」

「何を……何を言っているの、貴方は……」

「んー、自己満足。そして、君が知る必要のない事情だよ。君はただ、そこに立って……夢から覚めればいいんだ」

 夢から覚めればいい。

 それは、彼女自身から今の能力をはく奪するということ。

 察した美田園さんの目が急に怒気を帯びた。両手に再び熱が集まっていく様子が分かる。急速に渦を巻き、中央にある紅の光がゆらゆらと揺らめいていた。

「私は……この夢から覚めない! ようやく手に入れた力だもの……誰にも邪魔なんかさせないわ!」

 それは椎葉に向けた宣戦布告。しかし、肝心の彼も、それどころか隣にいる絢芽さえも、特に防御をする気配がない。ただ、それぞれに自信たっぷりの表情で美田園ざんを見つめていた。

 どうぞ、好きなだけ攻撃してください――そう言わんばかりの表情で。

「まずは……邪魔なあなた達から吹き飛ばしてあげる!!」

 そう叫んだ彼女の手の中で、形成された炎が勢いよく揺らめいた。

 解放を待っている、そんな印象。

 そして、彼女はためらいなく両手を振り上げると、そのまま一気に振り下ろした!!


 ――今だ!!

 自身の正面で準備が調ったことを確信したあたしは数歩前に踏み出し、迷うことなく『颯』を振り下ろした。

 正面――外へ回り込んで他のビルへ抜けるための入口を開いてくれた奥村先輩へ向けて!!

「踊れ、颯!!」


 『颯』から解き放たれた風から垂直に力が加わり、美田園さんの手から離れた爆炎×2の軌道を変える。

 速度だけ増してしまった炎の塊が駅から外へ飛び抜け――先輩へ迫る!

 ただ、先輩は勿論動じることもなく……一歩、左足を後ろに引いて、


「――炉火純青!!」


 言葉とともに『焔』を横に薙いだ。刹那、『焔』と接触した爆炎×2が音もなく消える。

 爆発が起こると身構えた全員が、予想外の結果に茫然と立ち尽くした。


 その隙に、椎葉が床を蹴って美田園ざんとの距離を一気に詰めた。

 表情は先ほどから一切変えていない。人懐っこい目に、飄々とした笑顔。

 気がつけは手が届く距離にいた椎葉に、美田園さんの顔が恐怖に歪んだ。

「……違うよ」

 彼は笑顔で首を振り、ぽつりと呟く。

 そしてそのまま、持っている『壇』を美田園さんの足元に突き立てて、


「――撼天動地っ!!」


 刹那、彼女がびくりと全身を震わせて……糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。

 彼女が頭をぶつけないよう、空いている左手で咄嗟に支えた椎葉の横顔は……やっぱり笑顔だった。


 それから……現場に雛菊が到着して、例の如く、その場にいた全員の記憶を抹消し、上書きした。

 そして――元の姿を取り戻した久那駅では、人々がそれぞれの目的地へ急ぐ。

 まるで、先ほどの騒動など無かったかのように……いや、実際なかったことにしたんだけどさ。

 あたし達4人は、先輩が爆炎をなかったことにした地点の近く、他ビルへ続く歩道の脇にあるベンチにそれぞれ腰を下ろし、日常を取り戻した風景を見つめていた。

「いやー、無事に終息してよかったな」

 先輩の隣りに座って足を組み替えた椎葉が、流れる雲を見上げながら他人事のように呟く。

「しっかし、香澄ちゃんと悠樹はよくあんな手を思いついたよな。大分無茶苦茶だけど」

「あ、それは……」

 ベンチを挟んで彼の隣りにいたあたしは、助言をしてくれた彼のことを説明した。


 あのとき。

「……お2人とも、ちょっといいっすか?」

 いつの間にかあたしと先輩の背後にいた佐藤君が、「振り向かずに聞いてほしいっす」と前置きをして続ける。

「正直、こっちには何が何だか分かんないっす。ただ、この場を打開するにはあの星霜学園のお嬢様を4人の中の誰かが攻撃しなくちゃいけない、違いますか?」

「その通りだ」

 先輩が静かに首肯した。

「怖いのは、こっちから攻撃を仕掛けても向こうが力をためていて倍返しにされる……っつー展開っす。その可能性が低いのは、向こうが攻撃を終えた直後。要するに、彼女が攻撃を終えたと同時にこっちから突っ込めばいいと思うんすけど……奥村会長、どうっすかね?」

「確かにそれが出来ればいいんだが……」

 佐藤君の提案は理想的な作戦だ。だけど、それを完遂するためには、この状況でどう動けばいいのか。

「多分椎葉もそれを狙って、今から彼女を煽ると思うっす。椎葉は自分が攻撃を受け止めた時に、東原さんか樋口さんあたりに攻撃を仕掛けてほしいと思うんすけど……不意をついた方が動揺して次の手が考えられなくなる。ってことは、正面にいる椎葉が受け止めるよりも、横にいる樋口さんが彼女の攻撃を吹き飛ばして、その隙に椎葉か東原さんが攻撃した方が、反撃される可能性は低いと思うんっすよ……って、全部司の考えたことっすけど」

 なるほど。妙に納得したあたし達だが……じゃあ、そのためにどうすればいい?

「作戦はこうっす。椎葉が彼女を煽って攻撃を仕掛けた瞬間、樋口さんがその攻撃を……向こうの扉へ向けて弾き飛ばすっす」

「扉って……あの出口?」

 あたしは顎で、自身の正面にあるガラスの自動ドアをさした。

「そうっす。そこにはあらかじめ待機しておいた奥村会長が扉を開いて待ち伏せして……まぁ、飛んできた攻撃には全力で対処してほしいっす」

「なるほどな……最後が雑だが」

「申し訳ないっす……」

 たはは、と、苦笑いを浮かべた佐藤君に、先輩はちらりと視線を向けて、

「その作戦に乗ろう。ここから反対側まで行く最短距離を案内してくれ」

「了解っす」

 足音を立てずにその場から移動を始めたのだった。


「……と、いうわけ。要するに今回は、『灰猫』のおかげで何とかなったんだよね」

「2人が椎葉の行動を正確に予測して、最短で事態を収束させる作戦を提示してくれたんだ。流石だな」

 あたしと先輩がそれぞれに『灰猫』を称賛すると、この場の代表である椎葉が「いやー、それほどでも」と後ろ手で頭をかきつつ、

「にしても、2人ともよく賭けたな。俺が予想通りに攻撃するなんて保証もないのにさ」

 照れ隠しの言葉に、先輩が余裕の笑みで言葉を返す。

「俺たちより付き合いが長くて、トラブルをくぐり抜けた彼らが、あんな訳のわからない現実を目の当たりにしても自信満々で言うんだぞ。失敗しても賭けてみたくなるだろ?」

「そ、そうか……」

 気恥かしくなった椎葉は、ぎこちなくあたし達から視線をそらすと、

「だけど、今回はさすがにアウトだったか。正直……ちょっと残念かな」

 苦笑いを浮かべ、ぽつりと呟いた。

 今回の事態で雛菊が記憶を操作したのは、あたし達4人以外全員。

 要するに……佐藤君や山岸さんもまた、この事件のことは覚えていない。あたし達が特殊な存在であることを知っている事実まではセーフだけど……『颯』やそれぞれの力を目の当たりにしたことは、雛菊的にアウトらしい。

 そんな『灰猫』の2人は、今回の事態を引き起こしたといっても過言ではない……美田園さんと一緒にいた女子高生2人の行動の裏を取るために動き始めた。この情報は勿論椎葉がリークしたもので、近いうちに2人は補導されるだろう、とは、椎葉談。

「寛子ちゃんみたいな思いをする人をなくしたい。そのために俺達は動き続けるんだ」

 そう言った彼の笑顔には、今までとは違う深みがあった。

 ……そうだ、力といえば、

「っていうか椎葉まで、何やら小難しい言葉でカッコよく決めちゃってたじゃない! どういうこと!?」

「あー……そうだっけ?」

「とぼけないでよ! 先輩に続いて椎葉まで……何だか悔しい!」

 何て言ったのか難しくて聞きとれなかったけどね!

 敵愾心満々の視線を向けるあたしへ、普段の調子を取り戻した椎葉が、飄々とした表情で適当に手を振ると、

「まぁ……これは俺の実力ってことで。香澄ちゃんも頑張ってねー♪」

「何その上から目線! 腹立たしいんですけど!?」

「実際上から目線ですが何か?」

「むかつくー!」

 どや顔の椎葉と足をジタバタさせるあたし、無言でため息をつく先輩。

 そんな中、神妙な面持ちの絢芽が……自分の前に立っている雛菊を見上げ、

「はっきりしたことは……星霜学園の三木先生が一連の騒動の鍵ということですわね」

 真っすぐ見つめられた先、相変わらず着物を身にまとって周囲から浮きまくっている雛菊は、自身の到着が遅れたことに対する謝罪など一言も口にすることはなく、ただ、少しだけシリアスな口調で絢芽に念を押した。

「そうみたいですね。でも、彼の正体が分からずに仕掛けるのは危険ですよ、絢芽さん。蓮華側かもしれませんから」

「分かっていますわ。ただ、私は……」

 刹那、彼女の口元が悔しそうな表情と共に歪む。

 自分の近くに黒幕がいるのに踏み込めない、冷静な彼女にしてみれば珍しいほど焦っているように感じたあたしだが、かける言葉が見つからず……風になびく黒髪と、悲痛な表情で両手を握りしめる彼女の横顔を見つめることしか出来なかった。

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