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決意が導くプログレス

「樋口、華奈、大丈夫か!?」

 私服のポロシャツとジーンズに着替えた先輩が、リビングに飛び込んできた。

 華奈ちゃんは鳴き声も上げずに、ただ、必死であたしにしがみついている。

 下から突き上げるような爆音と、建物への震動が続いている。その音に混じって聞こえる悲鳴に、あたしは唇をかみしめていた。

 今すぐに下へ駆け下りて、身勝手に破壊を繰り返す『堕落者』を討伐したい。だけど……こんな環境に華奈ちゃんを残して行けるはずもない!

 先輩も考えが同じだったようで、少しためらった後、意を決して口を開いた。

「樋口、お前はここに――」


「――お兄ちゃん、香澄ちゃん、華奈は大丈夫だよ」


 刹那、華奈ちゃんがあたしの腕からすり抜けて立ち上がり、屈託のない表情で笑いかけた。


「華奈……?」

 先輩がと窓に溢れた眼差しで華奈ちゃんを見つめる。あたしだって同じだ。何も知らないはずの華奈ちゃんが、どうして、あたし達を後押しするようなことを言ってくれるのだろうか。

「華奈、何を言ってるんだ。大丈夫なはずがないだろう?」

 入口近くにいた先輩がおぼつかない足取りで彼女に近づき、膝をついて視線の高さを合わせる。

「お兄ちゃんがちょっと様子を見てくるから、華奈は樋口とここにいてくれ」

 先輩から至近距離で見つめられても、華奈ちゃんの笑顔が崩れることは――なかった。

 ゆっくり首を横に振って、自分の思いを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。

「お兄ちゃん、華奈もね、どうしてこんな気持ちになるのか、分からないんだけど……前にもこんなこと、あった気がするんだ」

「っ!?」

 刹那、先輩も驚きを隠せなくなる。その反応で自分の行動が間違っていないことを察した華奈ちゃんは、先輩とあたしを交互に見つめて、

「前もね、こんな、怖いことがあった時に……お兄ちゃんと香澄ちゃんが守ってくれたの。その時、お兄ちゃんと香澄ちゃんは華奈の近くにいなかったけど……でも、絶対に守ってくれたの!!」

 何かの確信を得て力説する華奈ちゃんに、あたし達はかける言葉が見つからない。

 彼女はいったい何者なんだろうか。そんなことまで頭をよぎった。

「だからね、お兄ちゃん、また香澄ちゃんと一緒に、華奈やみんなを守ってほしいんだ。お兄ちゃんは約束を破らないもんね。だから……華奈はここで待ってるの。お兄ちゃん、絶対に返ってくるから、待ってるのっ!」

 握りしめた両手をかすかに震わせて、華奈ちゃんは最後まで言い切った。

 その間にも下から聞こえる爆音。誰よりも不安で押しつぶされそうなのに……華奈ちゃんはずっと、笑ってくれている。

 だったら――あたしに出来ることは、一つしかない。

 あたしは静かに立ち上がると、華奈ちゃんにピースサインを向けて、

「ちゃっちゃと片づけてくるから、帰ってきたら一緒にカレーを食べようね!」

「うんっ!」

 華奈ちゃんのピースサインを見届けたあたしは、「先に出ます」と先輩に告げて、部屋を後にした。

 その場に残ったのは……戸惑いが消えない先輩と、ピースサインを作ったままの華奈ちゃん。

 彼女はそのピースを、先輩の眼前にかざして、

「ほら、お兄ちゃんも。香澄ちゃん1人じゃ可哀そうだよ」

「華奈……」

 かける言葉が見つからない。そんな先輩に、華奈ちゃんはテーブルの上にあったテレビのリモコンを握って、

「華奈は見たいテレビがあるからお家で待ってるんだ。でも、お腹すいちゃってるから……香澄ちゃんと一緒に早く戻ってきてね。約束だよ?」

「……」

 約束。

 ここまで言ってくれる彼女のために、自分はどう動くべきなのか――

 先輩は無言で華奈ちゃんの頭に右手を置くと、そのまま静かに立ち上がって、

「分かった。樋口と一緒に戻ってくる……約束だ」

 その言葉に、華奈ちゃんは満足そうな表情で一度だけ頷いた。


 エレベータが緊急停止していたので、非常階段を2段飛ばしで駆け下りて1階の駐車場に降りてきたあたしは……周囲に立ち込めるガス臭さと煙に、非常口の扉を開けた瞬間に口をミニタオルで覆って顔をしかめた。

 人影は見えない。というか、煙ばかりで何も見えない!

 炎が上がるというよりも、煙が立ち上り、燃えかすが燻っている印象。それでも、このまま放置しておけば、マンションの火災や……最悪、崩落に繋がりかねない!

 周囲に雛菊の『境界』を感じ、あたしはハンカチを口から離すと、

「――颯!!」

 右手に『颯』を握り、問答無用で振り下ろした。

「――踊れ、颯!!」

 振り下ろした『颯』から発生した竜巻が、周囲の煙を一斉に追い出していく。

 そして、眼下に広がる現実に……唇を噛みしめるしかない。

 駐車場に止めてあった車はことごとく鉄の塊になり果て、原形をとどめずにその場で燻っている。オイル臭い匂いとどす黒い煙を上げ、アスファルトに流れ出ているガソリンに引火したら、それだけでこのマンションは吹き飛びそうな気がした。

 でも、これだけのことが発生しているのに燃えているのが車だけっている現状を見ると……相手が使う力も、自分が触れたもの以外には何の効力も発揮しないのかもしれない。だとしても油断できないけれど。

 絢芽や椎葉の気配はない。それぞれが学校や家にいたのだとすれば、到着までにもう少し時間がかかるだろう。絢芽の『雫』で火を消したり、椎葉の『壇』で燃えた自動車のところを沈下させて二次被害を防ぎたいところだけど……今すぐ使えない手段にすがっても意味がない。あたしに出来ることをやらないと!

 そう思ったあたしは、頭が痛くなりそうな臭いの中を進み、今回の首謀者を探す。

 鉄筋の柱が並ぶ、無機質かつ薄暗い空間で、あたしは必死に違和感を探す。

 近くにいるはずだ。雛菊が『境界』を設定しているから外には出られない。だから絶対、この近くに――!

 そんなあたしの予感が、確信に変わる。

 駐車場の中央、白線に仕切られた長方形の真ん中に……女性が一人、佇んでいた。

 長い髪の毛はウェーブがかかっており、腰付近まで伸びている。両腕はだらりと肩からぶら下がり、今のところ燃えているとか凍っているとか、目に見えて不可思議な変化はない。薄暗いし俯いているから顔は見えないけれど、どこかで見たことのあるセーラー服を身にまとっているから、学生だろう。

 ……ん?

「って、あれ……星霜学園の制服!?」

 どこかで見たことあるって、そりゃあそうでしょう!

 絢芽と同じセーラー服を身にまとっている彼女が、あたしの声に反応して顔をあげた。

 あたしは知らないけれど、整った顔立ちの美人だ。だけど、こちらを見据える両目に温かい光はなく、代わりにあたしに対する敵意を感じる。

「……あなたも、私の邪魔するのね」

 不意に彼女がぼそりと呟いた。

 そして――次の瞬間、彼女は急に右手を前に突き出すと、そのままあたしへ向けて突進する!

「うわっ!?」

 超人的なスピードで一気に間合いをつめられたあたしは、反射的に自身の右側へ体をひねった。

 彼女の右手があたしの脇をかすめ、勢いあまってつんのめった先、アスファルトの地面にその手が触れる、瞬間、


 どんっ!!


 鈍い衝撃とともに足もとが揺れる。彼女の手が触れた地面は、その部分だけ10セントほど陥没して……細い煙を上げていた。

 しかし、周囲に漏れたガソリンに引火していない。彼女の手から出ているのは炎ではなくて、空気圧みたいな……どちらかといえば、あたしの能力に近いんじゃないだろうか?

 どちらにせよ、彼女の右手に触れられたら……色んな意味で終わりだ。

 ゾンビのようにゆらりと体勢を立て直した彼女は、攻撃をよけたあたしを恨めしそうな視線で睨み、

「……邪魔しないで……本気なんだから、邪魔しないで……!」

 何かに抗うような言葉を繰り返し、やはりあたしに敵意を向けている。

 あたしの『颯』の方がリーチは長いけれど……彼女がもし、『颯』を掴んでしまったら?

 何とか彼女を昏倒させて、その隙に切るしかない。

 あたしは『颯』を正面に構え、一度息を吸ってから、

「――踊れ、颯!!」

 なるだけ地面をえぐらないように普段より心もち浅く、素早く、『颯』を振り下ろした。

 渦を巻いた風がアスファルトや車の破片を巻き上げながら、問答無用で彼女に迫る!

「いやぁっ!!」

 反射的に恐怖を感じたのか、咄嗟に彼女は右手を眼前に突き出して――


 ばぐんっ!!


 接点で互いの力が弾ける!

 刹那、強烈なつむじ風が周囲に吹き荒れ、あたしは慌てて両足に力を入れた。

 ――壊れた車から外れたタイヤが、風にあおられてこちらに向かって飛んでくることに、一切気が付けずに。

「うわぁっ!!」

 それがあたしの腹部に直撃して初めて、気づけなかった自分に苛立ってしまう。だけど……遅い。

 予想以上の苦しさに一瞬目の前が真っ白になり、激しくせき込みながらその場で膝をついた。

「がはっ……げほっ……!!」

 両肩を大きく上下に動かし、必死に呼吸を整える。脂汗が浮かび、今になって下腹部に鈍い痛みが襲ってきた。

 血は出ていないけれど……すぐに立って戦えるような状況ではない。気を抜いたら倒れそうだ。でも、ここで倒れたら人間として色々嫌な最期を迎えることになりそうで嫌。だけど……。

 『颯』を杖代わりにして立ち上がろうと思ったけれど……手が震え、軸がぶれる。何とか切っ先を地面に突き立てて顔を上げると、

「――っ!?」

 全身が硬直する。彼女がすぐ近くまで迫っていた。ゆっくりと、でも確実に近づいてくる。完全にあたしを消し飛ばす意思を固めて。

「どうして……どうして、こんな、ことっ……!」

 体から声を絞り出して尋ねると、彼女はその場で足を止めて、顔を伏せて呟く。

「みんな、邪魔するんだもの……私が一番、あの人のことが好きなのに……!」

「あの人……?」

 その人が誰のことなのか分からないけれど、彼女は要するに……自分の恋路を邪魔されて、こんなに荒んでしまったのだろうか。

「でも、あの人はそんなあたしに力をくれたの。この力で、邪魔なものを全て吹き飛ばせばいいって。うふふ……今まで邪魔をしていたのに、あんなに嫌なことをしてきたくせに、人間って分かりやすいわね」

「あ、の人……?」

 彼女の言う「あの人」が、確かなキーワードになっていることは間違いない、だけど、それが誰なのか分からないし、まだ、戦う体力が戻っていないのが現実。

 話し終えた彼女が、再びあたしへ向けて歩いてくる。

 どうしよう、どうしよう……頭の中で同じ言葉がループするけれど、全身にどれだけ強い命令を送っても、どこからも反応が返ってこないんだ。

 意識が、遠のく。頬から滑り落ちたのは、汗なのか、それとも――


「――散れ、雫!!」


 刹那、あたしと彼女の間に割って入った水流の飛沫が髪や顔に飛んで、あたしの意識を引き戻してくれる。

「樋口さん!?」

「香澄ちゃん!!」

 同じ方向から2人の声。程なくして絢芽があたしと彼女の間に立ちはだかる。そして椎葉があたしの隣に座り、あたしの腕を自身の首から肩に回して、彼に体重をかけられるように支えてくれる。

「香澄ちゃん、大丈夫?」

 彼の肩に頭を置いて、あたしは改めて呼吸を整えた。

「何とか……間に合ってくれてよかった……」

 椎葉はあたしとは反対側に持っている『壇』をふるい、周囲に土のシールドを作ってくれる。

「しっかし、香澄ちゃんがここまでやられるなんて、何があったの?」

「あれ、が、飛んできて……」

 あたしが自身の近くに転がっているタイヤを指さすと、椎葉が思わず「うわ」と呟いた。

「そりゃあ痛いわ……んで、あの子は何者なの? 知り合い?」

「分かんない……右手で触れたものが爆発しちゃう、から……」

「爆発とは穏やかじゃないねー……あれ、そういえば悠樹は?」

「先輩、は……」

 腹部の痛みが邪魔をして、上手く喋れない。椎葉はそんなあたしを「無理しないで」と制しつつ、

「気分が悪いとか、そういうのは大丈夫?」

「……おなか、痛い……」

「そりゃあ、あんな塊がぶつかってきたんだから、痛いに決まってるよ」

 あたしの背中をさすりながら、椎葉は目の前で彼女を食い止める絢芽の方を見やり、苦い表情で呟いた。

「絢芽ちゃんも苦戦してるみたいだね……」


 絢芽もまた、彼女への距離を詰めかねていた。

 見覚えのない顔だが、同じ学園の生徒であることは間違いない。最も、絢芽が躊躇う原因は、それとは全く異なる所にあった。

「厄介ですわね、あの能力……」

 先ほどから絢芽の放つ攻撃が、ことごとく彼女の右手に相殺され、空中で爆発を繰り返すだけになっているのだ。

 距離を詰めて一気に攻撃を畳みかけようかと思ったのだが、地面が油で滑りやすいこと、柱などの障害物が多いこと、最悪彼女の力に弾き飛ばされるのではないかと思うと、あまり思い切ったことが出来ないのが現状。

「でも、やるしかありませんわね……!」

 自分へ言い聞かせるように呟いてから、絢芽が一歩踏み出そうとした、次の瞬間、


「――滾れ、焔!」


 絢芽と彼女の間に、炎の渦が割り込んだ!

 驚いて足を止めた絢芽が、炎が飛んできた方を見やり……。

「……巻き込まれるかと思いましたわ、奥村さん」

 非常口で『焔』を構える奥村先輩に、嘆息したのだった。


「遅いですわよ、奥村さん」

 攻撃のタイミングを逃した絢芽が、わざと苛立ちを隠さない口調で先輩に声をかけた。

 距離にして綾芽から10メートルほど離れた場所にいる先輩は、ぐるりと周囲を一瞥して……。

「悪い。後は俺に任せてくれ」

 一言呟いてから、一歩ずつ絢芽へ近づいていく。

 その途中……壁を作ってガードしている椎葉と、彼に支えられて何とか呼吸をしているあたしを、ちらりと見降ろして、

「……椎葉、樋口を頼む」

「おうよ」

 男同士の会話は一言で終了。『焔』を握りなおした奥村先輩が、無言で絢芽の隣りに並び、

「今回の元凶は、あの女性なんだな」

「その通りですわ。非常に厄介な能力をお持ちですの」

「厄介?」

「ええ。彼女の右手が触れたものは、その場で空気爆発を起こしてしまいます。どちらかといえば樋口さんよりの寄りの能力ですわね……おかげで、私の『雫』が放った力も、ことごとく空中分解ですわ」

 肩をすくめる絢芽。先輩の視線が正面にただずむ女性に向けられた。

 同年代の女性が、目を疑うような惨劇を引き起こしている。このまま、彼女の右手がマンションを支える柱に触れれば……想像したくなかった。

 先輩は一度首を振ると、『焔』を自身の正面に構えて、

「東原……後は俺にやらせてくれないか?」

 その言葉に、絢芽が腕を組んでにやりと笑う。

「あら、随分と自信がおありですのね。勝算は何割ですの?」

「決まってるだろう?」

 綾芽の横を抜けて、先輩が一歩、前に出た。

 そして、振りむかずに告げる。

「――10割だ」


 刹那、先輩の足が地面を蹴った。

 地面にしみ出たガソリンが跳ね、黒い飛沫があがる。

 靴が汚れることなどお構いなしのスピードで『焔』の間合いまで距離を詰めた先輩は……そのまま、怯えている彼女へ向けて『焔』を振り下ろし、

「――!!」

 何を言ったのかあたしは聞きとれなかったが、そのまま力を解放する!

 しかし、彼女は既に自身の戦い方を知っているので……叫び声も上げずに、無言で右手を前に突き出した。

「貴方も……この力で吹き飛ばしてあげる!!」


 ――ばぁんっ!!


 本日最大音量の爆音と、時間差で吹き荒れる熱風。あたしと椎葉、恐らく絢芽も、腕で顔をガードした。

 そして、あたし達が顔をあげたとき……先ほどの反動で地面に座り込んだ彼女と、そんな彼女の頭上に『焔』を向けて佇む先輩の姿がある。

 先ほどの爆発の影響など、一切受けていない様子だ。

「悪いな。今の俺の力は……外的にほとんど影響を与えないみたいなんだ。だから、君の手でも干渉することは出来ない」

「ど……どうし、て……どうして……!?」

 彼女は必死に後ずさりをしようと体を動かすが、一向にその場から離れられない。唯一の対抗手段が役に立たないことを悟れば、動揺して体も震えるし、動かなくなるだろう。

 そんな彼女を見下ろしながら、淡々と続ける先輩。

「さっきは『焔』が君の力に触れてしまったから、爆発を引き起こしてしまったけれど……次は、外さないぞ」

「え……ぇ……?」

 彼女は現状を理解できず、ただ、怯えきった目で先輩を見上げるだけだ。

 正直、外野からぼんやり見ているあたしも……何が起こったのか、よく分からないまま。

 ただ、先輩の周囲に渦巻く炎が、今までと違うのを何となく感じていた。

 今までよりも優しく、そして熱くなった……そんな、朧げで根拠のないことだけど。

 しかし、今まで同じ戦い方で勝利してきた彼女はすっかり戦意喪失。溢れそうな涙と共に見上げる瞳には、怯えと……後悔がある。

「私を……ころ、殺すの?」

 そんな彼女に……先輩は不意に、優しく微笑んで、

「じっとしていればいい。悪夢は……終わりだ」

 その言葉に、彼女の硬直が緩んだ。

 刹那、先輩が『焔』を再度振り上げて、最後の言葉を告げる。


「――炉火純青ろかじゅせい


 聞いたことのない言葉と共に、『焔』から発生した真紅の炎が、彼女の体を一瞬で包み――


「……上手くいって良かった」

 先輩が放り投げた『焔』が、戦いの終わりを知らせた。


「あらまぁ、これは……随分派手なことになってしまいましたねぇ……」

 数分後、現場にやってきた雛菊が……着物の袖で顔を覆いながら、ため息をついた。

「何ですかこの臭いは……鼻がおかしくなりそうです」

 あたし達は何となく麻痺しているので大丈夫だけど、外からやってきた雛菊には、蔓延するガソリンの臭いはきっつい様子。

 終始眉を潜めながら……椎葉の肩を借りて座り込んでいるあたしを見下ろして、

「今回の負傷者は、香澄さんだけですか?」

「そう、だけど……」

 雛菊があたしを見下ろす目は、笑顔の奥に相変わらず隠しきれない嫌悪感が丸出し。

「すり傷でも火傷でもなく、打撲……香澄さん、咄嗟のことにも対処できるようにしてくださいね」

「う、うるっさいなぁ! いだだっ!!」

 大声を出したら腹部に強烈な痛みを感じたので、そのままうずくまるあたし。横にいる椎葉が「そんなに大声出しちゃダメでしょー?」と、呆れた声で諭しつつ、

「雛ちゃん、確認したいんだけど……マンションの周囲にも、怪我をした人はいないんだね」

「はい。無機物の損害は激しいですが……『繁栄者』の怪我や犠牲はありませんでした。そこが、あの方の良心だったのかもしれません」

 少し離れた場所で気絶している彼女は、どこか、ほっとした表情をしているように見えた。

 あたし、結局何も出来なかったけど……。

「ねぇ雛菊、彼女、気になることを言っていたんだけどさ」

 痛みをこらえて、彼女の言葉を思い出し、口に出してみた。


「みんな、邪魔するんだもの……私が一番、あの人のことが好きなのに……!」


「でも、あの人はそんなあたしに力をくれたの。この力で、邪魔なものを全て吹き飛ばせばいいって。うふふ……今まで邪魔をしていたのに、あんなに嫌なことをしてきたくせに、人間って分かりやすいわね」


 あの人。

 これが誰なのか分からない限り、同じようなことが続いてしまう気がしてならないのだ。

「綾芽、何か心当たりはない?」

 あたしの問いかけに、彼女はゆっくり首を振って、

「ただ……気になるのは、「みんな邪魔する」、「あの人のことが好き」という言葉ですわね。星霜学園の生徒は、異性間交友を厳しく禁止されていますの。ましてや恋人なんて、両親が認めた許婚以外は言語道断。それなのに「邪魔」という言葉が出てくるなんて……外部で逢引している可能性が高いと思いますわ」

 あ、逢引っすか絢芽さん……そこはデートって言ってくれた方が分かりやすいし若者っぽいんですけど……まぁいいや。

 絢芽の言葉を受けて、椎葉が「よっし」と目を輝かせ、

「その辺の情報収集は任せてくれよ。完全に俺達の領分だぜっ!」

 そんな椎葉に、絢芽が笑顔でエールを送る。

「期待しませんが頑張ってくださいませ」

「ひ、ひどいぜ絢芽ちゃん……」

 がくりと項垂れた椎葉に、絢芽の楽しそうな笑みは見えない。

 ……うん、楽しんでますこの人。割とひどいと思います。

 そんなあたし達のところへ、本日の功労者・奥村先輩が近づいてきた。

「樋口……大丈夫か?」

 まだ立ち上がれないあたしへ視線をあわせるようにしゃがみ、心配そうな眼差しを向けてくれる。

 あたしに出来ることは、そんな心配へ笑った顔でピースサインを見せること。

「これくらい、大丈夫です。それよりも……」

 そう、それよりも気になることがある。

「奥村先輩、さっきの小難しい言葉は……」

「あ、ああ……」

 あたしを含め、全員にはっきり聞こえた。


 炉火純青。

 聞いたことのない文言。


「俺にもよく分からないんだが……気がついたら「知っていた」んだ」

「知って、いた?」

 オウム返しにたずねるあたしに、先輩も狼狽した様子で言葉を続ける。

「何というか……その、気がついたら頭の中にこの言葉があって、これが導く結果も分かっていた。あの言葉で放出された力は、対象者のみに有効なんだ。だから、周囲のものを巻き込まない」

 そういえば、そんな現状だったような……気がする。よく見えなかったけれど。

 困惑する先輩に向けて、雛菊が満面の笑みを向ける。

「おめでとうございます、悠樹さん。その力こそ、私が以前お知らせしたものです」

「それは……蓮華に対抗するためのってことか?」

 先輩のといかけに、雛菊はゆっくり首を縦に振って、

「炉火純青――炉の火炎が純青になると温度も最高に達する。転じて学問や技芸が最高の域に達すること。名人の域に達するたとえとして用いられる言葉です。意識をしての制御は、最初こそ難しいかもしれませんが……この力を使いこなせば、『焔』の力を最大まで引き出すことが出来ます」

「『焔』の、力を……」

 雛菊の言葉を反すうし、自信の両手を見つめる先輩。

 彼女の言葉から察するに、あれでもまだ全力じゃないってこと?

 つくづく……あたし達は非常に物騒なものを相棒にして戦っているんだなと思う。

 ただ、それくらいの力がないと、対抗できないのも事実で。

「やったな悠樹! すげーじゃん!! どうしたら俺にも使えるようになるんだ?」

「聞かないでくれよ……俺だって夢中で……」

 力の引き出し方をせっつく椎葉に、困惑するしかない奥村先輩。

 そんな様子を見ている絢芽が、これ見よがしに嘆息しても……2人の問答はしばらく収まりそうにない。

 その姿を見ながら……あたしは、以前、自分が使ったという力を思い出した。

 あたしの中に潜んでいる言葉は、まだ、見えない……。


 それから……雛菊が『修復』を行い、世界は元の姿を取り戻した。

 今回の、名前も知らない彼女が……これ以上傷つくことがないように、そんな願いが届くかどうか分からないけれど。


 ……まぁ、無理やりシリアスにしてもダメだね、分かってるんだけどさぁ……!!


「椎葉!? あんた食べ過ぎなのよ!! これ以上ダメだからね!!」

「ケチなこと言うなよー。白米ならそこのコンビニで買ってくるってば」

「ルーがなくなるのよ! 明日の分までと思って多めに作ったんだから……!」

 テーブルを挟んで睨みあうあたしと椎葉。その隣で粛々とスプーンを口に運ぶ絢芽と、彼女の正面であきれ顔の先輩、そして、全てを見渡せる場所で笑顔の華奈ちゃん。

 あの後……空腹を訴えた椎葉の強行により、4人で先輩宅におしかけ、カレーパーティー状態なのである。

 綾芽も最初は渋い顔をしていたけれど……なし崩し的にここに来た割には、「牛乳が足りない」だの「サラダのドレッシングは和風がいい」だの、注文が多い!!

 そして、椎葉が3杯目のお代わりをしようと立ちあがったので、見かねたあたしが止めに入ったところなのだ。

 現にもう、炊飯器の中に白米はない。大なべいっぱいに作ったカレーも、今では底が見えるくらいまで減ってしまっていた。

「奥村先輩! 家主から一言言ってやってくださいよ!!」

 あたしに話を振られた先輩は、心底迷惑そうな表情であたし達を見やり、

「……椎葉、近所のコンビニで唐揚げとフライドポテトを人数分買ってきてくれたら食べていいぞ」

「了解!」

 先輩の言葉を受けた椎葉が、財布を持って玄関の外へと消えていく。

 後姿を追うことも出来なかったあたしは……隣で静かに牛乳を飲む先輩を見やり、

「先輩……いいんですか?」

 あたしの言葉に、先輩は顔色を変えずに続けた。

「また樋口に作ってもらうから構わないだろ?」

「ちょっと!? 次は自分で作る努力をお願いしますよ……」


 そんなあたし達の様子を、華奈ちゃんは終始ニコニコした笑顔で見つめていた。

 そして、不意に、

「ねぇ、絢芽ちゃん」

「……何ですか?」

 さすがに小学生へきつい顔は向けないらしい。絢芽が口元のカレーをティッシュで拭きながら、優しい表情で華奈ちゃんへ視線を向ける。

 華奈ちゃんは……絢芽ではなく、部屋全体を愛おしそうに見渡しながら、

「また、香澄ちゃんや椎葉君や絢芽ちゃんと……みんなでご飯食べたいなぁ。お兄ちゃんやお父さんと食べるの楽しいけど……だから、絢芽ちゃんもまた来てくれる?」

 そこで初めて、絢芽をじっと見つめた。

 そんな彼女の眼差しから、絢芽はふっと視線をそらし、

「……前向きに検討させていただきますわね」

 まんざらでもない表情で、天井を見上げたのだった。

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