予想外のウィークポイント
怒涛のような『堕落者』討伐とテスト期間が終わり……夏休みへのカウントダウンも楽しみな蒸し暑い今日この頃。
……テストの成績?
全体的には中の上くらいだろうか。(頑張ったもん!)奥村先輩のおかげで、数学もクラス平均を超える点数は取ることが出来た。
そんな奥村先輩は……総合で学年首席だとか。何者だよまったく。本人はあたし達がいくらおだてても表情を一切変えないけど。
そうやって流れていく日々の中で、あたしは意外な招待を受けることになる。
キッカケは……とある放課後、生徒会室にて、あたしと先輩が2人で、来週に行われる『会合』の打ち合わせを終えた直後だった。
「あ、暑い……」
その言葉を呟くだけで、毛穴から汗がじんわり染み出してくる感覚。
「奥村せんぱーい、特別教室だけじゃなくて、一般教室にも空調を完備するように要望しましょうよ……節電節電って言われてますけど、このままじゃ溶けます……」
額ににじむ汗をミニタオルで拭くこと数十回。ブラウスが肌に張り付くような不快感を意図的に無視しながら……開け放たれた窓辺に椅子を移動させて涼を取ろうとしているあたし。
いっそ『颯』を取り出して風を起こそうかとも考えたが……色々な物を犠牲にしそうなので止めた。こんな時は絢芽の能力が羨ましくて仕方ない!(本人にしてみれば不謹慎だろうけど)
一方の先輩は、中央にある長机に今度の資料を広げ、最終チェックを行っている。
時刻は午後5時過ぎ。日は傾いているけれど……まだ涼しくないです!
グラウンドで走りまわる野球部やサッカー部が倒れないことを祈りつつ、あたしはちらりと先輩の方を見た。
彼はあたしの方を見ようともせず、ぶしつけに告げる。
「公立高校に期待するな。毎年、金がないの一言で粉砕されている要望だぞ」
「要望出す前から諦めないでください! あー……星霜が羨ましい……」
現に絢芽は、学園へ長そでのカーディガンを持参している。
何でも、「教室によっては空調が利きすぎて寒いんですの」……だってさ! 節電節電!!
椎葉が通う久那工業も私立なので、全教室の空調は整っているらしい。
……同じ公立である久那商業にこういう動きがないのか、次の『会合』で聞いてみようそうしよう。
あたしは一人で決意を固めつつ……ふと、椅子から立ち上がって先輩の方へ近づき、
「そういえば奥村先輩、迷惑かもしれないんですけど……」
「?」
顔をあげた先輩と、机を挟んで向かい合う。
「何か、お礼をさせてもらえませんか?」
「お礼?」
「はい。この間から数学を教えてもらって、凄く助かったので……」
奥村先輩があたしに数学を教えてくれたのは、あの図書室1回きりではない。その後もちょくちょくと先輩の指導を仰ぎ、何度も冷たい視線に耐えて……あの結果を手に入れられたのだから。
「そりゃあ、あたしが先輩より出来ることなんでないとは思うんですけど……何か役に立てることがあれば言ってください!」
このまま先輩に頼りきりでは、あたしが納得出来なかった。
意を決して提案したあたしに、先輩はしばし考え込んで……。
「樋口は……確か、家庭科が得意だったよな」
「え? あ、はい。両親が共働きで、料理はずっとやってましたし……」
ほとんど独学だけど、それでも続けてきたことには変わりない。
もともと手先が器用なので、小学生の頃から裁縫や料理の実習が体育と同じくらい楽しみで仕方なかった。
その頃からよく言われてるよなぁ……。
「イメージに合わなくてスイマセンね」
「そんなこと言ってないだろう? もっと自信を持っていいところだぞ」
自虐ネタに走るあたしを諌める先輩は、数秒言葉を探してから、
「なら……俺に料理を教えてくれないか?」
「……え?」
個人的にも意外な要望に、あたしは思わず目を丸くしてしまった。
そして……その週の週末、金曜日。
生徒会を早めに切り上げたあたしと奥村先輩は、2人で久那センの地下にあるスーパーの入口にいた。
時刻的にも夕食の買い物でマダム様率が著しく高い。タイムセール中もであるので、一部分の人口密度も半端ない様子だ。
そう……このスーパーの名物、金曜日のお肉タイムセール!!
夕方5時から6時までのお祭り騒ぎ。4割引き以上が当たり前という太っ腹なイベントなのだ!
だからこそ、あたしはまず、この店内奥にある精肉売り場に来たのだから!
彼女たちの勢いに茫然と立ち尽くす先輩の前に、あたしはカゴを突き出して、
「さあ、あたし達も行きますよ! タイムセールの牛肉をゲットします!」
「あ、あの中に混ざるのか!? 無理だ!!」
周囲の雰囲気と主婦の気迫に圧倒されている先輩に、あたしは親指を突き立てて、
「じゃあ、今日はあたしが手本を見せますから……見ていてください!」
「わ、分かった」
先輩の首が縦に動いたことを確認して、あたしは勇猛果敢に輪の中へ滑り込んでいく。
狙いは……カレー用と書いてある牛肉! 最初からサイコロ状に切ってあるとなお良し!!
隙間から奥へ奥へと進み、涼しい風が吹き付ける売り場前まで侵入成功。あたしの目の前にある豚バラは放っておいて、その右にある牛肉売場を目指し……たい、けど、動けない……。
横から、後ろから、容赦なく押され、たまに足を踏まれ……目的地がどんどん遠くなっていく。
そんなあたしの目の前に……カレー用にカットされた豚肉が飛び込んできた。
残り少ないパックと、しばし、目が合う。
「……これでいっか」
豚の方が安くて量も多いからね!
あたしはそのパックを手に取ると、早々に戦線を離脱したのだった。
「只今戻りました……」
生気を使い果たしたあたしは、先輩が持っているかごにそのパックを投げ込み……一息。
先輩は、あたしの戦利品をしげしげと眺め、
「牛肉じゃなかったのか?」
「肉であることに変わりありません」
あの戦場を知らない先輩には分かるまい。
気を取り直して野菜売り場へ移動するあたしを、先輩が首をかしげながら後を追うのだった。
王道なカレーの材料を買い、バスに乗って先輩の住んでいる地域へ移動する。
右肩に高校の鞄、左手にスーパーの袋を持ってバスに乗る先輩の姿……見慣れないなぁ。
自転車が盗まれて傷心継続中の先輩は、今もこうしてバス通学を続けているみたいだ。
「バスだと単語帳を読む時間が出来るから助かる」
「……」
その発想がないあたしは、爽やかな笑顔で語る先輩に何も言えなくなる。
バスに揺られること約10分。久那スポに通じる国道沿いのバス停を降りて、細道に入った先に……10階建てのマンションが飛び込んできた。
全体的に白で統一された外観。1階が駐車場になっていて、正面のエントランスはオートロックだ。
整備された植え込みの緑が眩しい。こういうマンションって、よく、新聞の折り込みチラシに「好評分譲中!」って書いてあるんだけど……実際に住んでる人に初めて会ったぞ、あたし。
「奥村先輩……ここですか?」
「ああ。あまり広くないけどな」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!? あたし、よくチラシでこういうマンション見て、凄いなーって思ってるんですから!!」
思わず本音が飛び出てしまった。一人で力説するあたしに、先輩は苦笑を浮かべながら……鞄のポケットから鍵を取り出し、
「とりあえず行くぞ」
「は、はいっ!」
あたしは両肩に妙な力を入れながら……正面の自動ドアをくぐり、先輩に続く。
どうしてあたしが奥村先輩の家に、カレーの材料を持って押し掛けることになったのか。
その理由は、先日の続きにある。
自分に料理を教えてほしい。そう言った先輩の言葉に、あたしは思わず間の抜けた返事を返してしまったけれど、
「料理、ですか?」
再度問い返すあたしに、先輩は少し恥ずかしそうな表情で頷いた。
「奥村先輩……何かあったんですか? いきなり料理だなんて……」
興味本位で理由を尋ねるあたしに、先輩はさらに恥ずかしそうな表情で視線を泳がせながら、
「その……俺自身は全く料理が出来ないんだが、今、母さんが入院していて……」
「入院!?」
唐突な事実にあたしも声を上げてしまったが……これで、何となく事情を察することが出来た。
「妹さんの夕食、ですか?」
「ああ。父さんも毎日帰りが早いわけじゃないから、父さんが遅い時はどうしても俺が準備しなくちゃいけないんだけど……どうしても、スーパーの総菜や弁当になってしまって……」
恥ずかしさから悔しさへ変わった先輩の表情に、あたしは何も言えなくなってしまう。
なるほど。真面目な先輩のことだから、妹さんに偏った食事はさせたくないんだろうけど……それが出来ない自分が悔しいんだろうな。
でも、それならば……あたしがいくらでも協力出来る!!
「分かりました。あたしに出来ることなら何でも協力します!」
と、いうわけで。
あたしの料理教室が始まったのである。
オートロックのエントランスを抜けて、エレベータで5階まで上がる。
そこから廊下を20メートルほど進んだ先にある扉の前で、奥村先輩は足を止めた。
鍵穴に鍵を差し込んで半回転。がちゃりという音が聞こえたことを確認して、扉を開く。
白いタイル張りの玄関に、脱ぎすてられた小さな靴があった。
そして、フローリングの廊下の奥、扉のすりガラスの前に影が出来て、
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
甲高い声と共に、元気な女の子が顔を出した。
二の腕まで伸びた髪の毛が揺れて、女の子向けのキャラクターがプリントされたTシャツと、7分丈のジーンズが可愛らしい。
そして、その大きな瞳が……先輩の後ろにいるあたしを見つけた。
「はれ? お客さん?」
「ああ。華奈、挨拶しなさい」
玄関脇の靴箱からあたし用のスリッパを出しながら、先輩が妹さんに自己紹介を促した。
妹さんはパタパタとこちらへ近づき、あたしの顔をまじまじと見つめてから、
「初めまして。奥村華奈です」
行儀よくぺこりとお辞儀をしてくれる。厳密には初めて会うわけではないけれど……あの時は久那スポで大変なことが起こっていたから、雛菊の隠ぺい工作の中で、あたしとの出会いについても忘れさせられたってわけか……。
靴を脱いでスリッパに足を通したあたしは、彼女の前に立って頭を下げて、
「初めまして、樋口香澄です」
「香澄……ちゃん?」
「そ。あたしも華奈ちゃんって呼んでいいかな」
「うん、いいよ!」
刹那、華奈ちゃんの表情がぱぁっと明るくなる。純粋で可愛い様子に、思わず頬がゆるんでしまった。
と、華奈ちゃんが先輩の持っているスーパーの袋に気が付いて、
「はれ? お兄ちゃん……お野菜が入ってるよ。どしたの?」
「あ、ああ……これは……」
困惑する先輩の後ろから、助け船を出すことにしよう。
「今日はお兄ちゃんと一緒に美味しい夕御飯を作ろうと思ってるんだ」
あたしが笑顔でこう言うと、華奈ちゃんは大きな目を丸くしてあたしを見つめる。
「お兄ちゃんと一緒に? でもね香澄ちゃん、お兄ちゃんはお料理出来ないんだよ?」
邪気のない言葉ではっきり言われた先輩が、がくりと肩を落としたのが分かった。
まぁ、毎日お惣菜が続けば嫌でも気づくよな……。
でも……そのためにあたしがここにいるっ! あたしは自分に気合いを入れると、華奈ちゃんにピースを見せて、
「どーんとあたしに任せて! 今日は華奈ちゃんnおいしい晩御飯を食べてもらうからね!」
「本当!? やったぁ!!」
嬉しそうな笑顔でぴょんぴょん跳ねる姿を見せられては、あたしも全力で取りかかるしかない。
「奥村先輩、あたしの本気を見せてあげます!!」
あたしの真似をした華奈ちゃんも、「おー!」と言いながら右手を天上へ向けて振り上げたのだった。
突き当たりの扉の向こうには、20畳ほどのリビングが広がっている。
壁際のローボードに液晶テレビとレコーダーが配置され、大きな窓の向こうにはベランダが見える。
無駄なものがほとんどない、実にシンプルな室内だ。さすが先輩の家。
その中央にある机の上に、華奈ちゃんの宿題らしきドリルが広げられていた。
「ちゃんと宿題してたんだな」
「うん! お兄ちゃんとの約束だもんね!」
笑顔で首肯する華奈ちゃんの頭に、先輩が優しく手をのせて撫でていた。
そんな仲良し兄妹よりも……学校から帰ったらまず宿題、これが約束されていることに見えない差を感じてしまったのはあたしだけだろうか? まぁいいや。
広いリビングに入って右手前、カウンターの向こうにIHのシステムキッチンが見える。
勿論家財道具一式はそろっているので、今すぐに料理を始められるけれど、
「あ、あのー……先輩、飲み物もらえると嬉しいんですけど……」
容赦ない気温の中を歩いてきたので、体の渇きがとかく限界。
それは先輩も同じだった様子で、カウンターの伏せられたコップを二つ取ると、冷蔵庫から麦茶を取り出し、注いでくれる。
「いただきますっ!」
もぎ取るようにコップを手に取り、中身を一気に流し込んだ。
「……はー……生き返ります」
「もう一杯いるか?」
「お願いしますっ!」
遠慮のかけらもない態度だったけど、先輩はどこか諦めたような優しい苦笑で、もう一杯注いでくれた。
そして、ここからあたしと先輩による料理作戦が始まる。
初心者でも材料を切って煮込んでルーを入れて煮込めば出来るってことで、今日のメニューはカレーにしてみたんだけど……。
「……あ、あのー……先輩、ピーラーの歯の向きが逆です」
「すいません先輩、ジャガイモは煮てるうちに小さくなるのでもっと大きく切ってください! へ? 縦横何センチかって? そんなもの適当ですよ適当!」
「あぁ先輩!? お米に洗剤かけるのだけはやめてーっ!!」
……等等、あたしが予測不可能の方向へ暴走しようとする先輩を制止するだけで一苦労。宿題をしながら心配そうにこちらを見ている華奈ちゃんの視線が痛い!!
でも、さすがにキッチンから美味しそうな香りが漂ってくると、こちらへパタパタと駆け寄ってきて、
「香澄ちゃん、今日はカレーなんだね! 華奈、大好きなんだ!!」
「そっか。何杯でもお代わりしていいからね」
「わぁい!!」
心底嬉しそうな表情で笑ってくれる華奈ちゃんを見ていると、あたしまで幸せになってくる。
ちらりと隣にいる先輩に視線を向けると、鍋の中身を物珍しそうに見つめていた。
既にカレールーまで投入しているので、後は少し煮込んで終わり。少し量を多めに作っているので、明日の朝まで余裕で食べられるはずだ。
「先輩?」
「あ、いや……樋口がいれば俺でも何とかなるもんだな、と……」
信じられない、という様子で呟く先輩を見ていると、本当に料理が苦手なんだなぁと改めて思う。
何でも完璧に、そつなくこなす人だと思っていた。料理だって、フランス料理のフルコースとか作っちゃうんじゃないかって、勝手に思っていたけど。
だけど……そんな先輩にも、苦手なことがあって。
当然かもしれないけど……完璧な人間なんていないだな、って。
ちらりと壁にかかった時計を見た。時刻は午後6時を過ぎたところで、室内にも明るい西日が暑さを助長するように差し込んでいる。
とりあえずここで今日は終わりかな。あたしはIHのスイッチを切って、先輩の方へ向き直り、
「後は食べる前にもう一度温め直してください。その時にお玉で底からかき混ぜてくださいね。でないと、底がこげちゃいますから」
「わ、分かった」
表情に動揺を見せながらも頷く先輩。さすがにこれくらいはこなしてくれると思いたいけれど……だ、大丈夫だよね? 信用していいよね奥村先輩!!
「はれ? 香澄ちゃんは一緒に食べないの?」
華奈ちゃんがあたしのスカートを引っ張り、残念そうな表情で首をかしげた。
カレーを作ったら帰るつもりだったので、意外な申し出にあたしは戸惑いながら、
「そ、そうだなー……せ、先輩、どうしましょう?」
「俺聞かれても……第一、樋口は樋口で夕食が準備されてるんじゃないのか?」
「あ、いえ、それが……今日の夕食当番はあたしで、夜もあたし一人なので、どこかで何か買って帰ろうかと思っていたところなんですよねー……」
雛菊は……うん、大丈夫だよ! 雛菊だから!
すると、華奈ちゃんがぐいぐいと制服のスカートを引っ張って、
「じゃあ、香澄ちゃんも一緒にカレー食べよう! ね? ね?」
懇願するような眼差しで見つめられて……断れるはずがない。
こうしてあたしは、初めてやってきた先輩の家で、夕食まで食べていくことになったのだった。
先輩が自室へ着替えに行っている間、あたしは華奈ちゃんと2人並んで座り、夕方の教育番組を見ていた。
あたしが幼い頃から放送しているアニメが、今でも変わらず続いている。ちょっと感動。
宿題を終えた華奈ちゃんも、麦茶の入ったコップを片手に、ニコニコと終始笑顔でテレビを楽しんでいる。
しかし……可愛い。どこから見ても可愛い。
妹があたしにもいるけれど……こんなに仲良くないのが現状なので、余計に眩しいのかもしれない。
そんなあたしの視線に気づいたのか、華奈ちゃんがあたしの顔を見上げて、
「香澄ちゃんは……お兄ちゃんのこと、好き?」
「はいっ!?」
予想さえしていなかった質問に、あたしは手元のコップをテーブルに倒しそうになった。
か、華奈ちゃん……今、何を!?
「す、好きって……いきなりどうしてそんなこと聞くの!?」
「だって、お兄ちゃんがお友達を連れてくることなんて今までなかったの。だから、お兄ちゃんは香澄ちゃんのことが好きなんだろうなって、華奈はそう思ったんだ」
どこまでも裏のない言葉は、あたしと先輩の関係をからかおうとしている様子などあるはずもない。
単純に、華奈ちゃん自身が気になったのかもしれない。
華奈ちゃんが好きなお兄ちゃんが連れてきた人は、自分のお兄ちゃんのことが好きなのかどうか。
だから、あたしも嘘はつかずに答えよう。
「あたしは……先輩、華奈ちゃんのお兄ちゃんに、いっつも助けてもらっているんだ。華奈ちゃんのお兄ちゃんは、学校で何でも出来るから、いつも頼ってばっかりで……凄いんだよ」
先輩の高校での様子を聞くのは初めてだったのか、華奈ちゃんは身を乗り出してうんうんと頷いた。
「好きとか嫌いとか、そういうのじゃなくて……いっぱい助けてもらってるの。だから、今日はあたしが少しでも先輩を助けたくて……ここに来たんだ」
何か出来ることがあれば力になりたい。先輩には殊更迷惑をかけているから……強くそう思うのかもしれない。
あたしの言葉を受けた華奈ちゃんは、少しだけ、あたしをじっと見つめてから、
「うん……香澄ちゃんがお兄ちゃんのこと、嫌いじゃないならそれでいいんだっ!」
屈託のない笑顔で笑ってくれるから、あたしもつられて笑ってしまった。
華奈ちゃんはコップのお茶をすすり、笑顔のまま呟く。
「でも、お兄ちゃんがご飯を作ってくれるなんて久しぶりだなぁ、嬉しいなぁ……」
「良かったね、華奈ちゃん」
あたしも笑顔を向けると……不意に、華奈ちゃんが笑顔を崩す。
何かを思い出したのか、表情に影が落ちた。
「華奈ちゃん?」
「お兄ちゃん……華奈のせいで、お料理しなくなっちゃったから……」
「華奈ちゃんの、せい?」
意味が分からずに聞き返してしまった。華奈ちゃんは少し自嘲気味に話を続けてくれる。
「華奈のお母さんが入院したばっかりの頃にね、お兄ちゃんも頑張って、華奈のために晩御飯を作ってくれたの。でも、上手くいかなくて、何だか怖い顔になってたから、華奈が元気をあげようって思って、台所に行ったんだ。そしたら……お兄ちゃん、華奈に驚いてお湯をこぼしちゃって、それが、華奈の頭や首にかかっちゃったの」
「え……?」
思っていたよりもシビアなエピソードに、あたしは言葉に詰まってしまった。
今のところ、半そでを着ている華奈ちゃんに、目立った火傷のあとは見えないけれど……。
「華奈ちゃん、今は大丈夫なの?」
「うん。最初は痛かったけど、もう大丈夫なの!」
すぐに笑顔を見せてくれた華奈ちゃんは……あたしから視線をそらし、テレビに流れるアニメをぼんやり見つめながら、
「それから……お兄ちゃん、華奈の前でお料理しなくなっちゃった。華奈がいない時に練習してるみたいなんだけど、今日みたいに華奈の前でお料理してくれたのは、本当に久しぶりだったの」
それは、先輩なりの贖罪。二度と同じ過ちを繰り返さないための措置であると同時に……料理が出来ない自分から脱却出来ない証拠にもなってしまっていたんじゃないだろうか。
そして、華奈ちゃんは決して台所に近づかなくなった。あたし達がカレーを作っている時も、ニコニコした笑顔でテーブルから見つめていただけなんだから。
好奇心旺盛な彼女なりの思いやりなんだろうな。
だから、あたしの提案があったとはいえ、自分から台所に立つ先輩の覚悟は……並々ならないものがあったに違いない。
だから、あたしは彼女に問いかける。
「華奈ちゃん……これからも、たまにだけど、あたしがお兄ちゃんの料理を手伝ってもいいかな?」
今はまだ、華奈ちゃんを台所に立たせることを先輩は許してくれないと思うけど……いつか、華奈ちゃんにも手伝えるような、包丁やお湯を使わないような簡単メニューも伝授しなければ!
あたしの言葉に、華奈ちゃんはこちらを見つめて……今日一番の笑顔で頷いてくれた。
刹那、スカートのポケットに入れていた携帯電話が振動する。
何事かと思ってサブ画面を見ると……雛菊からメールが届いていた。
嫌な予感がする。反射的に顔が強張ってしまったのか、華奈ちゃんが「どうしたの?」と尋ねてきた。
「ん、ちょっと……いきなりメールが届いてびっくりしたんだー」
何とか笑って誤魔化しつつ、折りたたみ式の電話を開き、
「……え?」
その内容に目を見開く。だって、よりにもよってどうして――!?
刹那、階下から爆音が轟き……部屋が軋む。
突然の出来事に、華奈ちゃんが驚いて悲鳴を上げる。階下で続く爆音と振動から少しでも守れるよう、とっさに彼女を頭から抱きしめて……あたしは、先ほどのメールの内容を思い出していた。
『悠樹さんの家の周辺に、『堕落者』が出ました。彼は人の姿を取り、触れるものを次々と爆発させています!』