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予測できないスターター

 翌日の放課後、普段通り生徒会室へやってきて、普段通りのペースで仕事をする奥村先輩に……事情を一切しらない稲村先輩と皆瀬君は、最初こそ訝しげな表情だったけれど、

「奥村会長も虫の居所が悪いことくらいありますよね。人間だもの」

 ……という、皆瀬君のどこかできいたことがあるよーなセリフで無事解決。2週間後に開催される2度目の文化祭会議に向けて急ピッチ、資料作成の大詰めを迎えていた。

 ……え? どうして2週間後の会議の資料が急ピッチで大詰めなのか、って?

 そりゃあもう、今週の中盤から、放課後が使えなくなるからですよ。

 理由は……。

「そういえば樋口さん、世界史のテスト範囲広いよね。参っちゃうよ」

「そう! なにあれ、高校生になって2度目のテストだっていうのに、50ページ以上もあるなんて信じられないよね!!」

 資料の数値を確認しながら、隣にいる皆瀬君と愚痴大会開始。

 室内では奥村先輩が別の資料を確認中。稲月先輩は職員室でコピー中だ。

 そう……さ来週の中盤から、期末テストなのです。

 それに伴い、部活動や生徒会のような放課後の活動が、約2週間前の明後日から一切出来なくなるってことで……4人総出で作業中、というわけ。

 今回は期末テストなので、中間テストでは出てこなかった、美術や家庭科、保健体育というような5教科以外の科目が初登場。まぁ、その辺は直前に追い込みをかけるけれど……メインの5教科に全く自信がない!

 前回は入学して初めてのテストってことで、範囲や問題も甘くて何とかなったけれど……さすがに今回は違うだろう。ここは一応進学校ってジャンルに分類される学校だし、高校だから留年する可能性もゼロじゃないし……今まで義務教育というエスカレーターを自動で上がってきたので、自力で階段を登ることの厳しさを痛感しないよう、日々、努力していかなきゃいけないんだよね! うん、よく分かってるんだけど実行出来ないんだよね!!

 それに……今は、学業以外にも厄介事を抱えているからなぁ……誰か亜澄に頼んで、テスト期間中は『堕落者』を入れ込まないようにしてもらえないだろうか。割と切実に。

 そんなことを考えながら、世界史教師の非道っぷりと皆瀬君と嘆いていると、

「……嘆く前に勉強すればいいだろう?」

 あたし達の後ろに、別の資料を抱えた奥村先輩が呆れ顔で立っていた。

 2人してそんな先輩を見上げる。眼差しに羨望と嫌味を込めることは忘れない。

 だって、奥村先輩の頭が良いことは、この高校ならば誰しものが知っていることだ。生徒会の仕事を任せても学業にそこまで支障がないだろうってことで、会長に推薦されたみたいだし。

 そういえば……とあることがキッカケで、あたしは奥村先輩に誘われて副会長という大層な役割を与えられたんだけど……初めて会った時も、先輩は図書室で寡黙に勉強してたっけ。

 そんなことを思い返しつつ、あたしはため息交じりに呟く。

「そりゃあ、奥村先輩は勉強がお得意でしょうけれども……ご存知のようにあたしは苦手なんですよ。特に暗記系が」

「情けないですが、僕も樋口さんと同じくです……そんな奥村会長の得意科目は何ですか?」

「得意科目?」

 皆瀬君の質問に、先輩はあたしと皆瀬君の間に資料を置きつつ考え込み、

「今は……数学が楽しいな。頭の運動にもなるし」

 ナチュラルに言い放った先輩の言葉に、あたしと皆瀬君は目を見開いて、

「数学が、楽しい!?」

 異口同音に叫んでいた。

 いや、なんというか……一度でいいからどや顔で言ってみたいセリフっす先輩!! しかも、今の口調は明らかに素だったし!

 憧れの眼差しのみで見つめるあたしと皆瀬君に、奥村先輩は理解できないとでも言いたそうな表情で首をかしげて、

「楽しいぞ、数学」

「分かりましたありがとうございますっ!」

 あたしと皆瀬君の懇願により、奥村先輩の数学トーク(?)は強制終了されたのだった。


 その日の活動終了後、久那センまでの道を1人歩きながら……無意識のうちにため息をついてしまった。

 今のところ壊滅的に分からない科目はないけれど……だからと言って、自信は全くない。

 日々の積み重ねが大事だということは重々承知しているんだけど……難しい。

「……頑張らなきゃなぁ……」

 自分の両肩に重くのしかかる何かを払拭したくて、あたしは一度深呼吸をしてみた。

 あたらしい空気を吸い込んで……うっし、ちょっと回復。

 一度悩んでやると決めたらうだうだ考えずに行動すべし!

 あたしは……そうやって生きることを選んだんだ。

「テストなんかに負けるかっ!」

 自分を奮い立たせるために呟いた言葉が、夕闇に溶けて消えた。


 しかし、そんなあたしの決意を揺らぐようなことが問答無用で発生する。

 家に帰ったあたしを待っていたのは、勿論、リビングで緑茶をすすってゴールデンタイムのバラエティーをたしなむ雛菊だ。

「お帰りなさい香澄さん。今日の夕食はカレーだそうですよ」

「へいへい、ありがと」

 床に鞄を置いて台所へ移動。本日は夜勤の母さんが夕食当番だったので、IHの上、お鍋の中には完成したカレーがあたしを待ってくれている。

「雛菊、食べるー?」

 キッチンカウンターから声のボリュームを上げて尋ねると、彼女は声だけで返事をした。

「はい。いただきます」

「了解」

 IHのスイッチを入れて、食器棚からカレー皿を2枚取り出す。炊飯器を開くと、立ちのぼる湯気が顔面を攻撃した。

 その攻撃をかいくぐってご飯をよそい、シンクとIHの間にある作業台にそのお皿を置く。鍋の蓋を取ってお玉で中をかき混ぜると、カレーの香りが鼻腔をくすぐった。

 カレーの表面にぽこぽこと泡が登ってきたので、IHのスイッチを切り、お皿に盛ったご飯の上にそれを盛る。ジャガイモとニンジンがゴロゴロしたカレーが、あたしの母さんが作るカレーの特徴だ。

「雛菊、テーブルに運ぶの手伝ってよ!」

 テレビの前から離れない雛菊に声を張り上げると、しぶしぶ立ちあがった彼女が軽い足取りでこちらへ近づいてきて、

「あら、美味しそうですね。さすがお母さんです」

 湯気が食欲をそそるカレー皿2枚を両手に持ち、そそくさとダイニングテーブルに移動。

 分かりやすい後姿を見つめながら、あたしは冷蔵庫を開け、牛乳と……を、中に準備されていた野菜サラダの入ったガラスボウルを取り出す。

「雛菊、牛乳飲む?」

「いりませーん」

 清々しい声で断られたので、あたしは再度食器棚を開き、サラダを分ける小皿2つとスプーンを2本と……ガラスコップを1つだけ取り出した。

 サラダと自分用の牛乳をおぼんにのせてテーブルに運ぶと、既に着席している雛菊が、あたしからサラダを受け取って両手を合わせる。

「いただきます」

 雛菊にならってあたしも両手を合わせ、スプーンでカレーとご飯を混ぜる。

 あたしは最初に混ぜてから食べるのだけど、雛菊は一切混ぜずにご飯とカレーをそれぞれすくって食べていた。

 互いに無言で口を動かすこと数分。画面の中でお笑い芸人がドッキリを仕掛けられている。アーメン。

「そういえば香澄さん、久しぶりに蓮華の関与していない『堕落者』が出そうな気配ですので、明後日の夜からのご協力をお願いします」

「へっ!? あ、うん、分かった……」

 口を動かしながら雛菊の言葉に頷き、何だか久しぶりだなぁとしみじみ思う。

 ……ん? でも、ちょっとまて。

「雛菊、明後日の夜「から」ってどういうこと?」

 そこはかとなく嫌な予感がするけれど、あたしは努めて冷静に聞き返した。

 そんなあたしの心境など知る由もない雛菊は、カレーに緑茶という常人には理解できないコラボレーションを楽しみながら、

「言葉通りの意味です。ただでさえこの土地は『堕落者』がぼこぼこ育つんですから……最近はずっと蓮華や亜澄さんに気を取られていましたけれど、皆さんの本業はこちらですからね」

「……えぇっと……で、その『堕落者』討伐を、明後日から、毎日?」

「いえいえ、さすがに毎日は負担が大きいですし、皆さんも大分慣れてきましたので、1回につき2名のチームを組んで作業をしてもらおうと考えています。ですので、2日に1回くらいかと思いますよ」

 2日に1回って言われても……個人的には割と負担なんですけど切実に。

 だって、『堕落者』と戦った後は疲れている可能性が高いから……テスト勉強をする気力もないだろうし、頑張ったところで頭に入らない可能性もあるわけだし!?

 これがあたしに対するドッキリであってほしいのだけど……テレビのようにネタばらしをしてくれる人が入ってこない。当然だけどさ!!

 わずかな期待を込めながら、あたしは雛菊をちらりと見つめ、

「ね、ねぇ雛菊、あたし、テスト勉強があるから、なるだけ日数を減らしてほしいんだけど……」

 あたしの切実な願いに、雛菊は湯呑を両手で抱えてきょとんとした表情になる。

「勉強は毎日学校でしているじゃないですか。それで補える内容をテストするのではないんですか?」

「う……」

 ま、まぁ、それが正論なんだけどさ!!

 言い返せずカレーを口に含んだまま口ごもるあたしに、彼女は黙って湯呑を傾け、お茶を一口すすってから、

「それに、大変なのは皆さん同じなので贔屓出来ません。どうぞ、よろしくお願いしますね」

 一部の隙もない笑顔に、あたしが言い返せなかったことは言うまでもなく……口に含んだ牛乳を無言で飲むのだった。


 そして――2日後の夜。

 あたしは絢芽と2人で、久那南駅の裏側にある駐車場にいた。

 この駅は、久那センがある私鉄久那駅から1つ電車を乗った先にある。元々通勤や通学のために増設された駅であるし、久那駅の方が栄えているので、この駅そのものが基本自動改札のみで、駅員さんは朝と夕方しかいない。周辺にはコンビニと既に閉店したお惣菜屋さんくらいしか見当たらないのが現状。

 そして、そんな駅裏の駐車場は30台くらい停められるスペースが確保されていて……契約している車がちらほら停車しているが、白線の引かれたアスファルトの方が広いのが現実だ。

 意図的に誰もいない空間で……あたしは1人、両肩で呼吸を整え、右手にある『颯』を握る力を、少しだけ緩める。

「終わりましたわね」

 あたしと向かい合うように立っている絢芽が、手元の『雫』を放り投げて一息ついた。

 これで本日の戦いは終了。特に問題もなく、現れた『堕落者』を一刀両断にしたのだ。

 少し離れた場所で見守っていた雛菊もこちらへ近づき、それぞれの剣を放り投げたあたし達の様子を確認して、

「お2人とも、お疲れ様でした。『境界』を解除しますので、目を閉じていただけますか?」

 彼女のこの言葉に、あたし達は静かに目を閉じたのだった。


 そして、翌日の夜。

「――踊れ、颯!!」

 あたしが振り下ろした『颯』から発生した風の渦が、正面にいた『堕落者』を2体ほど巻き込み、巻き上げて……散っていく。

 病院の近くに、久那市の市役所があるのだが……あたし達がいるのは、その市役所の裏にあるちょっとした公園だった。

 マンションが立ち並ぶ住宅地も近いので、普段ならば子どもが元気に遊んでいる滑り台やジャングルジムというような遊具も……午後8時を過ぎた今では、点在する街灯に照らされてぼんやり浮かび上がるだけ。

 あたしはブランコの前で『堕落者』2体を迎え討ち、先ほどまとめて倒したところだ。

「ふぅ……終わった、よね?」

 『堕落者』の気配が消えたことを確認しながら息をついて……首だけを動かし、視線を後ろに向けた。

 あたしに背を向けて戦っていた椎葉が、力任せに『壇』を空中へ。どうやら向こうも終わったらしい。

「香澄ちゃん、お疲れ様」

 そのままこちらへかけてきた制服姿の椎葉は、自分で巻き上げた砂埃で、学ランが少し汚れていた。

 だけど、怪我をしている様子はない。

 あたしも『颯』を空に投げると、彼に向けて右手をあげた。

「お疲れ様。何だか順調だったね」

「おうよ。俺もようやく一人前ってところかな」

 得意げに笑う椎葉の後ろから……笑顔の雛菊が近づいてきて、

「お2人とも、お疲れ様でした。『境界』を解除しますので、目を閉じていただけますか?」

 彼女のこの言葉に、あたし達は静かに目を閉じたのだった。


 そして、その翌日、

「もういい加減にしてほしいんですけど……」

 昼休みに教室でこっそり携帯電話を確認したあたしは、その場でがくりとため息をついてしまった。

 いや、だって……3日連続なんですけど、どういうこと!?

 雛菊からの出動要請メールは、本日午後7時、久那大学の運動場に集合と記されている。

 久那大学かぁ……久那センからバスが出ているけれど、行ったことがないのでちゃんとたどり着けるのか不安だし、何よりも3日連続なんて……雛菊、約束が違うじゃない!

 案の定、一昨日からまともに家庭学習が出来ていない。テスト本番までまだ時間はあるけれど……うぅ、こんな状態が続いたらさすがに危ないかも!?


 そんなあたしの危機的状況を救うのは、やはり頼りになるあのお方なのでした。


 その日の放課後、あたしは奥村先輩に呼び出されて図書室にいた。

 あたしが雛菊からのメールに落胆した昼休み終了間際、同じ内容のメールを受け取った先輩があたしにクラスまでわざわざ来てくれて、

「とりあえず放課後、図書室に来てくれ」

 と、言われましたとさ。

 ……あれ? 本日の戦いのことじゃないの?

 顔に疑問符を浮かべているあたしへのフォローは特になく、先輩はさっさと自分のクラスへ戻ってしまいましたとさ。

 本日の問題スポットである久那大学への集合が夜の7時だから、一度家に帰って着替えようかと思っていたあたしの計画はあっさり崩壊。そして、

「……」

 放課後、手元の時計では4時25分。足音とシャーペンの音が静かに響く図書室にて。

 あたしと先輩は2人掛けの席で向かい合う位置に座り、それぞれの宿題やテスト勉強をしているのです。

 本棚の間に2人掛けと4人掛けのテーブルが点在している室内には、あたし達と同じ目的の生徒達がちらほらと見受けられる。

 久那高校ではテスト期間のみ、会議室を「自習室」として開放しているので、そちらで勉強する生徒の方が多いけれど……あたしは図書室の空気の方が落ち着くので、先輩がここを指定してくれて助かった。

 あたし達は比較的部屋の奥の方にいるので、勉強場所を探しにきた生徒がうっかり迷い込み、奥村先輩を見て驚く、ということが、今までの30分で3回ほどあった。

 ……それだけ校内では有名人なんですよ、この方。あたしが一緒にいるのは「生徒会絡み」ってことで、納得してくれるみたいだけどね。

 しかし……この数学の宿題が分からない。方程式なんて中学時代に二度と関わりたくないと思っていたのに、どうして高校生になってもあたしを追いかけてくるんだ!?(違う)

 高校では数学が2種類ある(数Ⅰと数A)から、ただでさえ頭が痛いというのに……!

 宿題につまづくこと約5分。あたしのペンが進んでいないことを音で悟った奥村先輩が、不意に顔を上げて、

「どこか分からないのか?」

 小声だけど、あたしにはしっかり聞こえる音量。

 唐突な言葉に、あたしはシャーペンを取り落としながら顔を上げて、

「へっ!? あ、えーっと……実は……」

 そういえば、先輩は「数学って楽しいぞ」という奇特な人材だった!

 あたしは苦笑いを浮かべながら、問題が書いてある数学の教科書を先輩の方へ向けた。

「えぇっと、こことここ、なんですけど……」

 あたしが指さす問題を、先輩は数秒見つめて、

「これは、2次方程式の解の公式を使うんだ」

「解の公式……」

 そんなものがあったような、気がする……。

 目を丸くするあたしに、先輩はこれ見よがしに嘆息すると……教科書のページを少し戻してくれて、

「ほら、ここに書いてあるだろう。習ってないのか?」

「あ……あぁ、そっか! 思い出しました!」

 先輩の的確なヒントによって過去の授業を思い出したあたしは、その時のノートを見返しながら解答を導き出すことに成功……したはずだ、この答えで大丈夫だろう、多分きっと。

 その後も、あたしの手が止まるたびにこちらを覗き込んでくれる奥村先輩のおかげで、数学の宿題は予測していたよりも早く、しかも確実に終了した。

 時計を見ると、もうすぐ5時半になろうとしている。奥村先輩も自分の課題が一区切りついたらしく、右肩を回して疲れをほぐしていた。

 そんな先輩へ……あたしはおずおずと数学問題集を差し出して、

「ついでに、教えていただきたいところがあるんですけど……」

 あたしの手元にあるテキストに視線を落とし、

「……どこだ?」

「えっと……ここと、ここと、ここと……」

「何か所あるんだ!?」

 折ったページを次々と示すあたしに、先輩のもっともな突っ込みが入る。

 うぅ、だって……連鎖的に苦手なところなんだもん!

 半泣きのあたしに、先輩は嘆息しつつ、

「貸してくれ」

 あたしの手元から問題集を奪い取ると、問題個所をペラペラと確認して……あたしがノートの脇に置いていた教科書も手に取る。

「まずここは、教科書のここだ」

 どうしてすぐに答えを導き出せるんでしょうかこの人。

 あたしのそんな疑問など知る由もなく、そのまま丁寧に解説をしてくれる。

 自分の勉強があるというのに、何て使える……違う、優しい人だなぁ、と、改めて思う。

 先輩の好意を無駄にしないように、あたしは問題集に参照する教科書のページを書き込んだり、実際に問題を解いて答え合わせをしてみたり……自分なりに必死にくらいついた。

 そして、窓にかかるブラインドの隙間から夕日が差し込み始めた午後6時過ぎ。

 あたしの疑問に全て答えてくれた奥村先輩に、ただ、頭を下げるしかない。

「本当にありがとうございます。助かりました!」

 移動時間を考えて、6時半には学園を出なければいけない。時間として中途半端になってしまったので、どちらも特に勉強を進めるわけもなく、周囲の迷惑にならない音量で会話をしていた。

 机に額がつきそうな勢いで頭を下げたあたしに、先輩は意地悪な笑みを向けて、

「樋口からの質問が、今回で終わりだといいんだけどな」

「……スイマセン引き続きご教授いただけれると非常にありがたいです」

 本音を懇切丁寧に伝えると、先輩も「はいはい」と流すような返事を返す。

 そういえば……。

「奥村先輩と初めて会ったのって、図書室でしたよね」

「……ああ、そうだったな」

 椅子の背もたれに体重をかけながら、先輩が思い出すように呟いた。


 この久那高校の生徒会長になるためには、教職員1名と生徒5名の推薦を経て、選挙を行う必要がある。

 そして、ココからが少し変わっているんだけど……会長以外の3役――副会長、会計、総務――は、会長自身の推薦によって候補者が選ばれ、信任投票が行われるのだ。

 通常ならば、その選挙は毎年10月、文化祭が終わった頃に行われるのだけど……今年、ちょっとした事件が起こってしまったのだ。

 久那高校の体育祭は、毎年5月に開催されている。あたしにしてみれば入学早々に慌ただしかったけれど、クラスメイトの名前を覚えたり、クラスの結束を深めるにはいいキッカケになった。

 体育祭自体は特に問題なく終了したんだけど……その後、生徒会が有志を募って個人宅で行った打ち上げで、飲酒をしていた事実が発覚したのだ。

 打ち上げというイベントそのものは禁止されていたわけではないが、悪ノリが暴走して羽目を外し過ぎたらしい。その時の光景が携帯の写真にも残っていたこと、複数の証言者がいること等から、その時の生徒会メンバーが全員辞職という異例の事態に陥ってしまう。

 そして、体育祭終了直後、生徒会の選挙が行われることになった。

 ちなみに、稲月先輩は例外である。彼女自身がその場にいなかったこと、日頃の高校生活に一切問題がなかったこと、唐突な交代なのでサポートのためにも経験者がいた方がいいだろうという観点から、信任投票を経て昨年と同じ役割を続けている。

 奥村先輩は、そんな危機的状況の中から担ぎ出されて……「この人なら大丈夫だろう。どうせ10月になれば自然と出てきた人物だろうし」と、あっさり信任されてしまった、非常に人望が厚い人。

 そしてあたしは、体育祭のリレーで活躍したことで、少しだけ有名になった1年生だった。

 仮入部ばかりで部活を決めていなかった5月の終わり、借りていた本を返しにきた図書室で、あたしは奥村先輩と初めて出会い……出会い頭に先輩が持っていた資料を豪快にぶちまけてしまったりしたけど。

 そこから話すようになり、ある日、先輩から唐突に打診されたのだ。

「生徒会に入らないか?」――と。


 あの時、どうして自分が誘われたのか……今でもあたしはよく分からない。

 先輩に聞いてもはぐらかされてばかりで……自分自身も「まぁいいや」と思っているからなぁ。

 だから、

「そういえば……先輩は、どうしてあたしを生徒会に誘ったんですか?」

 トータル何度目なのか分からない質問。無意識のうちに口から出た言葉に、先輩はしばし無言になり、

「……風が吹くような気がしたかな」

「へ?」

 まさか答えが返ってくると思わず、間の抜けた声を出してしまうあたし。

 しかも、風が吹くって……どういうこと?

 目を丸くして先輩を見つめるあたしに、本人は窓の方を見つめながら、思いだすように言葉を続ける。

「体育祭のブロック対抗リレーで、4人抜きをした樋口のことは何となく覚えていたんだ。それから、自分が会長に選ばれて、副会長に誰を推薦しようかと思った時、俺と対照的な人物の方がいいような気がしていた」

 そういえば、4人も抜いたっけ……最終的に勝てばいいと思って夢中だったから、自分の前に何人いたかなんて覚えていなかったけど。

「でも、俺の周囲にしっくりくる人がいなくて……そんな時、樋口に資料をぶちまけられた」

「……スイマセンでした」

「俺も不注意だったから気にするな。それから、樋口もちょくちょく図書室にいることが分かって……樋口が生徒会に入ったら、何か新しい風が吹くかもしれない。そう思ったんだ」

「……」

 自分が褒められるというのは、やはりどこか気恥ずかしい。

 先輩は手元のノートや教科書を片づけながら、あたしを普段通りの優しい苦笑で見つめ、

「その時はまさか……樋口が風を操ることになるとは、思ってなかったけどな」

「そりゃあそうでしょうね……」

 非日常へ移動をするために、あたしも机に散らばった教科書を片づけながら、

「奥村先輩がそんなことを思っていたなんて、知りませんでした」

「まさか、自分は学力で選ばれたと思っていたのか?」

「そんなことあるわけないじゃないですか!」

 そんなこと夢にも思っていませんから。えぇ決して!

 全力で否定するあたしに、先輩は勉強道具をカバンへ片づけながら、

「まぁこれも、何かの縁ってことだよ。お前は問題を起こしていなくならないでくれよ」

「分かってます」

 首を縦に振って、先輩の言葉に首肯。

 そして……すっかり机上を片づけてから、あたし達はほぼ同時に立ちあがっていた。

 時刻は午後6時20分。あたしはここから久那センへ移動して、そこからバスで大学まで向かうことになる。

「そういえば、先輩は自転車で移動するんですか?」

「いや、今日は俺もバスだ」

「へっ!?」

 またまた意外な言葉に、本日何度目か分からない反応を閉示すあたし。

 毎日自転車通学の先輩なので、今までは学校で別れてから現地で落ち合う、というパターンばかりだったのだ。

 理由を尋ねるあたしに、先輩はがくりと肩を落とし、表情を暗くする。

「……自転車が盗まれてな……現在捜索中だ」

「……ご愁傷様です」

 先輩にとってはイレギュラーな出来事だったと思うけど……そんなハプニングが、あたしにはどこか嬉しかった。

 そんなこと、口には出さないけどね。


 窓から差し込む夕日を背に、出入口へ歩くあたし達は……高校生としての日常から、『干渉者』としての非日常へ移動する。

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