逃げられない運命者
心のどこかで懸念していたことが現実になると、その不安から解放された安堵感はある。
だけど……そんな気持ちになりたくなかった。
「亜澄……あんた、どうして……!」
「どうして? そんなこと聞かないでほしいなぁ……亜澄が選ばれることに理由なんかいらない、だって、そういう運命なんだよ。香澄ちゃんもそれくらい分かるでしょ?」
亜澄は笑顔で『暦』を掲げ、そして、
「この剣のおかげで、亜澄は色々な夢をかなえることが出来るの。例えば……こんな感じで」
そう言って、彼女は静かにベッドから降りると……ベッドの下にあるスリッパを引っ張り出して、あたしの前に立つ。
「え……?」
亜澄が立っている。
言葉にすればそれだけのことだ。
だけど、あたしは……その場で腰が抜けるかと思ったんだ。
だって、だって、亜澄の足は――
「どうしたの香澄ちゃん、亜澄が立ってるんだよ、もっと喜んでよ」
彼女はあたしを笑顔で見つめて……眼前に、『暦』の切っ先を向ける。
「ほら、喜んでってば、香澄ちゃん」
「あ……あぁっ……!」
驚きが言葉にならない。心臓がうるさいほど早く動き、呼吸が乱れた。
「どうしたの? そんなに驚かなくても……香澄ちゃんだって、この剣を使うと、身体能力が上がるはずだよ。そんなことにも気が付いていないの?」
「そ、れは……でも、亜澄、あんたの足は――!」
亜澄の足は、あの時、あの時のあたしのせいで……。
「うん、そうだよ香澄ちゃん」
彼女は笑顔であたしの心にナイフを突き立てる。
「香澄ちゃんのせいで、亜澄の足は動かなくなっちゃったんだよ」
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椎葉を先頭にした『灰猫』メンバーに案内されたのは、久那センの地下にあるカラオケボックスだった。
どうやら既に話を通してあるらしく、受付に椎葉が声をかけると、あっさり部屋の番号と……ご丁寧にマイクとリモコンまで渡される。
絢芽はこういった場所に入るのが初めてらしく、周囲を警戒しながら、室内に響く爆音に顔をしかめていた。
「野蛮な場所ですわね……耳がおかしくなりそうですわ」
ぽつりと吐き捨てる絢芽を、椎葉が「まぁまぁ」となだめる。
「そんなこと言わないでよ。ここはこんな感じで音もうるさいし、個室ごとの防音もばっちりだから、会合にはうってつけなんだよ。高校生がカラオケっていうのも、怪しまれないでしょ?」
「そうでしょうか。未成年だけでこのような場所、不潔ですわ」
「ゴメン、星霜学園の絢芽ちゃんに同意を求めちゃいけなかった……」
椎葉はがくりと肩を落としながら、廊下の奥、突き当たりにある扉を開き、
「さ、どぞどぞ。飲み物はワンオーダー制だから、何か決めてね」
絢芽と悠樹を先に招きいれ、『灰猫』の二人が入ってから一度周囲を確認。そして、扉を閉める。
部屋は、10人ほどが集まれる大きめのものだった。室内の照明は薄暗く、天井には小さなミラーボールがある。部屋の扉近くに液晶モニターと通信カラオケの機材、壁に沿ってソファが並び、テーブルにはメニューと分厚いカタログ、そしておしぼり。
『干渉者』の二人が扉側に、『灰猫』の二人がその対面に座った。両方に属している椎葉は、ひと先ず『干渉者』側に座り、ポケットから携帯電話を取り出す。
「一応、香澄ちゃんにはこの場所のメール送るから。分かるよね」
「分からなかった電話でもするだろう……多分」
悠樹が眉をしかめた表情で返した。一切連絡のない香澄のことも気になるが、彼女がどこで何をしているのかさっぱり分からない以上、動きようがないのだ。
メールを送り終えた椎葉が、携帯電話を机上に置いて、
「んじゃ、先に自己紹介しますか。俺はいいとして……ほい、佐藤先輩から」
佐藤先輩と呼んだ、『灰猫』側の彼に目配せを送る。
「俺っすか? まぁいいけど……奥村会長とはお会いしたことがあるっすね。東原さんとは初めまして、久那工業の佐藤真悟っていいます。久那工業の副会長と、第1エリアの『親猫』をやってるっす」
茶髪にピアス、掴みどころのない飄々とした態度で、にこりと笑顔を向ける。
絢芽はそんな彼を睨むように見つめ、悠樹もまた、何だか色々気がかりなので表情が硬い。
要するに……彼の態度に、空気は余計ピリピリしてしまったおだ。
「……椎葉、どうしてここに樋口ちゃんがいないっすか? 俺、恐ろしくアウェーなんすけど……」
「まぁまぁ先輩、そんなこと言わないでください。じゃあ次、司ちゃん」
椎葉に「司ちゃん」と呼ばれた彼女は、下にずれたノンフレームのメガネをなおしてから、
「……山岸司、久那商業2年。第3エリア『親猫』です」
明瞭簡潔に告げる。
ショートカットで、猫のような目をメガネで隠している。女性にしては身長が高く、歩いている時は171センチの悠樹とあまり差がないような印象。
冷静でもの静か、落ち着き払った雰囲気は、椎葉と真悟という他の『灰猫』メンバーの中では特に異質だった。
「じゃあ次、絢芽ちゃんね」
「……東原絢芽と申します。星霜学園の1年生ですわ」
どこまで話していいのか分からなかったので、ひと先ず名前と学年だけにとどめておいた。
「俺は奥村悠樹。久那高校の2年生だ」
悠樹もそんな彼女に習い、最低限の情報にとどめておく。
それに……今の悠樹は、悠長に彼らと交友を深める余裕がなかった。
「椎葉、樋口に何かあったのか?」
「うーん……今の香澄ちゃんに何が起こっているのかは分からないけど、心当たりはあるんだな」
「心当たり?」
苛立つ様子で問いかける悠樹に、「会長、覚えてるっすか?」と、真悟が割り込んできた。
「この間の『総会』の時、変質者が現れる近くでよく目撃される人物がいるって話、覚えてます?」
「あ、ああ……確か、髪を長くした樋口に似ているとか……」
「それっすよ。あれからちょっと気になって、樋口ちゃんの周囲を探らせてもらったんすけどね……樋口ちゃんに双子の妹さんがいること、知ってますか?」
「双子の?」
知らない情報に目を丸くした。初耳の絢芽も同じ表情で、彼の話の続きを待つ。
「知らなくて当然っす。その子……亜澄ちゃんって言うらしいんすけど、幼いころの事故が原因で、総合病院で入退院を繰り返してるらしいっす。しかも両足が不自由で、車椅子を使っての生活を余儀なくされているみたいなんすけどね……」
真悟は足を組み、真剣な顔で告げる。
「現場で目撃されている彼女は、完全に自分の足で立ってるっていう報告なんすよ。亜澄ちゃんが車椅子じゃないと生活出来ないことは、担当の看護師からの裏も取ってるんで間違いないっす。これがどうしても納得出来なくて無い知恵を絞ってるんですけどね……お二人、心当たりはありませんか?」
司は何も言わず、顔に疑問符を浮かべる悠樹と絢芽を見つめていた。
しかし……会ったこともない人間のことについて聞かれても、思い当たることなどあるはずもない。
「心当たりと言われても……俺も、樋口の妹の話は初耳なんだ」
「足が不自由なのに現場近くでは立っていた……まさか……」
まるで、魔法を使ったように不思議な現象。
だけど……そんな不思議に心当たりがある。
「『暦』……でしょ、絢芽ちゃん。俺も同じこと考えちゃったんだよね」
椎葉の言葉に無言で頷く絢芽。『暦』を知っている悠樹も目を見開くが、それを知らない『灰猫』側の2人は、どうして3人が納得しているのか分からず、顔をしかめた。
「ちょっとちょっと、そちらだけで納得しないでほしいっす。今日は俺達にも説明してくれるって話っすよね?」
不満をにじませる真悟に、絢芽が冷静に言葉を返す。
「分かっていますわ。ただ……私達が追いかけていたものの手がかりがあっさり見つかったものですから、少し驚いただけです」
絢芽は彼らの情報網に舌を巻きながら……香澄がこの場所にいない理由を、何となく察していた。
タイミングが合いすぎているけれど、きっとそれが、因果なのだろう。
と……不意に、悠樹がその場で鞄を持って立ち上がった。3人の中で一番奥に座っていたので、絢芽と椎葉の前を通り抜け、扉の前に立つ。
「奥村会長? どうしたっすか?」
「佐藤君……樋口の妹さんが入院してるのは、総合病院なんだな?」
「そうっす。ここからだと久那センから15分おきにバスが出てますね。3番乗り場っす」
「ありがとう」
振り向かずに礼を告げると、そのまま部屋を飛び出した。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら……残った4人は自然と顔を見合わせて、
「椎葉、奥村会長って、あんなに熱い感じの人なんすか?」
「い、いやー……そんな印象じゃなかったんだけどなー……ほら、多分愛だよ愛、多分だけど」
「奥村さんにしては焦り過ぎですわ。せめて、樋口さんの居場所にもう少し確証が取れてからでも遅くないでしょうに……」
「……話、戻してもいい? 『暦』って、何?」
司の言葉に、全員が我に返る。
そして……絢芽が一度、深いため息をつき、
「私が説明いたしますわ。少し長くなりますし、非現実的としか思えないお話が続きますけれど……覚悟はよろしくて?」
試すように見つめる絢芽の視線に、真悟がニヤリと口角を上げて、
「上等っす。俺達も最近は、発火する若者が多くて苦労してるっすよ。でも……」
「でも?」
「その前に、何か飲み物頼まないっすか? 『灰猫』OBが経営してる店なんで、ワンドリンク無料っす」
そう言って、机上のメニューを指さした。
全員が無言で覗き込み、
「佐藤先輩、俺はジンジャーエール」
「ウーロン茶をお願いいたします」
「……メロンソーダ」
見事にバラバラのオーダーを受けて、真悟は自分の頭上にある受話器を手に取るのだった。
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亜澄が、目の前に立っている。
その事実を現実として受け入れられないあたしは……歯をガチガチと震わせながら、両手を爪がくいこむまで握りしめた。
対する亜澄は、『暦』の切っ先をあたしへ向けたまま……楽しそうに言葉を紡ぐ。
「ほら、香澄ちゃんも出せるんでしょ? 亜澄に見せてよ」
「あ……亜澄……!」
「ほらほら、早くしないと……香澄ちゃんの時間、戻しちゃうよっ!!」
刹那、亜澄が剣を大きく振り上げた。その軌跡は確実にあたしを狙っている。
ダメだ、斬られる――!
「『颯』!!」
無意識のうちに叫んだあたしは、『颯』の風圧で亜澄の体ごと後ろに弾き飛ばした。
「きゃぁっ!」
華奢な体が後方へ吹っ飛び、床に尻もちをつく亜澄。思わず駆け寄ろうとするが、彼女が自力で起き上がる姿を見て……足が、すくんだ。
亜澄は、立てる。その現実を頭の中で処理できない。
「へぇ……1人でもそこそこ強いんだね」
パジャマのズボンをぱしぱしと手で払いながら、困惑するあたしを真っすぐに見据える。
同じ顔、でも、違う……あたし達は正反対だから。
「確か、あと3人いるんだっけ、何だかカッコいい人もいたよね。香澄ちゃんと学校が同じっていう人。亜澄は、あの金髪の人よりもタイプだなー」
「え……?」
どうしてここで奥村先輩の話をするのか分からない。というか……どうして知ってるんだろう。蓮華だろうか。
色んな可能性が頭の中でぐるぐる回って……あたしを、締め付けていく。
息苦しい。誰か、誰か……!
「その人、蓮華からの誘いは断ったんだよね。だから今度は、亜澄からお願いしてみようと思って」
「亜澄……?」
「だって、香澄ちゃんばっかりずるいよ。亜澄だって仲間が欲しいもん。それに……1人くらいいいでしょ? 香澄ちゃんにはあと2人、雛菊って人を含めれば3人いるんだから、ね」
亜澄は片目を閉じると、小悪魔のような表情を浮かべて……囁く。
「あの人……亜澄に頂戴」
「――っ!!」
あたしの心が限界のサイレンを鳴らす。
耐えられなかった。
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悠樹がバスを降り立った時、周囲は薄暗く、バス停や街灯の明かりが周囲を照らしていた。
面会時間も終わったので、バスから降りる人数よりも乗り込む人数の方が多い。人をよけながら通路を抜け、病院の敷地内へ。
悠樹もまた、この病院には縁のある人物だった。院内の地理はある程度把握しているので、香澄がいそうな場所を思案する。
妹の亜澄は足が動かないらしい。だったら……まずは外科の可能性が高いように思えた。
名前が分かっているのだから受付で尋ねるのも悪くないかもしれないし、第一、面会時間が過ぎているのだからここにはもういないかもしれないのに……珍しく、今の彼はそこまで思い当たらない様子。
冷たい風が吹き抜けていく。足元を照らすライトに目を細めながら、悠樹が歩き始めた瞬間、
「……ぁ……」
かすれた声が届く。悠樹の視線の先には、
「……樋口!?」
目の前の病棟から出てきた人物に、大きな声を上げた。
呼ばれた彼女もまた、その場でびくりと立ちすくんで、
「お、奥村……先輩……?」
彼を見つめる目が怯えている。
悠樹が一歩近づくと、反射的に香澄が一歩下がった。
風が、吹き抜ける。
周囲に誰もいない病院の玄関口で、2人は無言のまま……立ち尽くしていた。
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亜澄の病室を飛び出したあたしは……自動販売機とベンチがある談話室で、必死に自分を落ち着かせていた。
他の椅子には入院患者と思われる若いパジャマ姿の男性と、隣に座って笑うスーツ姿の女性。小さな子どもにジュースを買ってあげるおじいちゃん……それぞれの時間を穏やかに過ごしているのに。
あたしは一人、気休めに買った炭酸飲料を握りしめ、椅子に座って呼吸を落ち着かせるしかなかった。
まずは整理しよう。様々な事実が一度に押し寄せて混乱しているんだ。
『暦』を持っていたのは亜澄、剣の出し方やその力の使い方を知っている様子だった。
あたし達側の情報も知っていると思っていいだろう。蓮華が間違いなく接触しているのだから。
そして……亜澄は、歩ける。仮初めだということは本人が一番よく分かっているはずだけど、それでも……自分の足で立てるんだ。
自分の足と交換出来ればいいのに、勇気がなくて言葉に出来なかったけれども本気で願ったことがある。
ただ、それは、仮初めなんだ。根本的には何も解決していなくて。
あたしが……その原因であることに、全く違いはない。
「……きついなぁ……」
ぽつりと呟いた一言は、面会時間の終わりを告げる放送にかき消された。
その場所にいられなくなったあたしが、うつむいて病院の外に出た瞬間。
「……樋口!?」
聞きなれた声に名前を呼ばれた。まさかいるはずがない、だけど聞き間違えるはずのない声。
弾かれるように顔を上げて前を見ると、薄暗い空間に浮かびあがった姿は、あたしの予想通り……だけど、予想外の人物だった。
「お、奥村……先輩……?」
確認するように名前を呼ぶ。先輩が一歩踏み出した瞬間、反射的に一歩下がってしまった。何をしているんだあたしは……先輩に怯えているわけじゃないのに、誤解されてしまうじゃないか。
いや、でも……どうしてここが分かったんだろう。あたし、誰にも亜澄のことは話をしていないのに。
「やっぱりここにいたんだな」
先輩はその場で足を止め、あたしを真っすぐに見据えた。
「奥村先輩、どうしてここが……」
「亜澄さんが入院してる病院がここなんだろう? 携帯電話の電源を切りそうな場所でもあるからな」
先輩の口から「亜澄」の名前が出てきた瞬間、あたしはどこか安心してしまった。
あたしから全て説明する必要が、なくなったような気がして。
「亜澄のこと……知ってたんですね」
「知ったのはついさっきだ。『灰猫』の情報でな」
「『灰猫』の……あ、そっか……スイマセン、『灰猫』との話し合い、すっぽかしちゃって……」
ようやく思い出す。それくらい、あたしには余裕がなかったらしい。
何とか苦笑いを作るあたしとは対照的に、先輩は厳しい表情で続けた。
「それなら東原達に任せてある。それよりも……樋口、一つ聞きたいんだが……」
更に一歩足を踏み出す先輩。あたしの苦笑いが崩れかけた刹那。
「ほら、やっぱりカッコいい人じゃない、香澄ちゃん。一人占めはずるいなぁ」
あたしの後ろから、あたしと同じ――でも、トーンの違う声が響いて。
本能的に全力で前へ飛びのいた次の瞬間……あたしが立っていた場所を、『暦』の切っ先が駆け抜けた。
「かはっ……!」
衝撃を緩和できずに地面へ転がったあたしを、病棟から出てきた彼女が笑顔で見下ろす。
ピンクのパジャマを着て、素足に病院のスリッパ。あたしより長い髪の毛をなびかせ……あたしと同じ顔で、悠然と微笑んだ。
その手に、見間違うはずのない『暦』を握って。
「君が――」
初めて亜澄を見た先輩も、思わず息をのんだ。しかし、すぐに我にかえってあたしに近づき、
「大丈夫か?」
「大丈夫、です……それより……」
制服についた砂を払いながら立ち上がったあたしは、余裕を崩さない亜澄を睨んだ。
「もぉ、そんなに怖い顔しなくってもいいじゃない」
そして、あたしの隣にいる先輩に視線を移し、
「初めまして、えっと……香澄ちゃんの先輩なんですよね。いつも香澄ちゃんがお世話になってます、双子の妹、樋口亜澄です」
「初めまして、奥村悠樹です。こんな形で会いたくなかったですね……」
先輩もまた、亜澄に警戒しながら……どこか寂しそうな表情で言葉を返した。
「君が、『暦』を持っていたんだな」
「そうです。ちょっと……この世界を叩き直すために頑張ってますっ!」
満面の笑みで返す彼女に、悪びれた様子は一切感じられない。むしろ、自分の行いが正しいことに揺るぎない自信を持っているように見えた。
この空間に他の気配はない。恐らく蓮華が『境界』を設定しているんだろう。それは……あたし達にとって不利な状況だ。外側からの援軍を期待したいところだけど……待っている時間を与えてくれるとも思えない。
「蓮華に聞きました。香澄ちゃんや……えっと、悠樹君が持ってる力を使えば、亜澄達がやりたいことはすぐに出来るって。だから協力して欲しいんですけど……悠樹君が協力してくれれば、香澄ちゃんもきっと考え直してくれると思うんです」
先輩を「悠樹君」と呼ぶ、相変わらず人懐っこい亜澄は、あたしには絶対出来ない上目遣いで先輩を見つめた。
見てられなくて、あたしは反射的に視線をそらしてしまう。自分に欠けている要素を同じ顔のもう一人が持っているなんて……劣等感以外の何も生まれないから。
そんなあたしを横目で見つつ、先輩は真っすぐに亜澄を見据えて尋ねた。
「確認していいかな。君の目的は……蓮華と同じで、世界の時間を戻すことなのか?」
「はい、その通りです」
「どうしてそんなことを?」
「どうして、ですか?」
きょとんとした表情で首を傾げる亜澄は……「うーん」と一言唸ってから、
「未来を変えたいから、でしょうか」
「未来を、変える?」
その答えに、今度は先輩が首をかしげた。
しかし、亜澄は自分で納得したようで……満面の笑みで理由を続ける。
「はい、そうです。ちまちま個人の時間を戻したところで、世界は何も変わりはしない。だから……世界を変えます」
「個人の時間を戻したところで世界は変わらない、か……ということは、君は個人の時間を戻したことがあるのか?」
「それは……秘密です。亜澄の仲間になったら教えてあげますよ」
口元に人差し指をあて、小悪魔っぽい表情で返す亜澄。
こんなに堂々としゃべったり、表情豊かな子だったっけ……初めて見る彼女の姿に、あたしは言葉を失って茫然と見守るしかなかった。
……心のどこかでは気が付いてた。これが、本当の亜澄だ。あたしが見ようとしなかった……亜澄だ。
「未来を変える……立派な心がけだな」
不意に、先輩が呟いた。
その言葉に亜澄の表情が明るくなり、あたしは反射的に目をつぶってしまう。
けれど、
「だが……その方法が問題だ。俺は、そんな力でねじ負けられた世界に賛同出来ない」
刹那、亜澄の笑顔が崩れて、その目が細くなる。それは、相手を敵か味方か見極める作業。
「それはつまり……亜澄の味方にはなってくれないってことですか?」
確認するように問いかける彼女に、先輩は首を縦に振って、
「申し訳ないがその通りだ。君こそ、俺達と一緒に戦うつもりはないのか?」
先輩の申し出に、亜澄は取り戻した笑顔で首を横に振った。
「嫌です。だって……亜澄、香澄ちゃんのこと、大嫌いですから」
そこまで言われると、こちらとしても清々しい。
……そう開き直らなきゃ、言葉の重みに潰されてしまいそうだった。
「自分の姉を、そんな風に言うもんじゃないぞ」
先輩が諌めるように呟く。しかし、亜澄は首を横に振って、
「ごめんなさい。亜澄は……香澄ちゃんと違って、嘘とか付けないんです」
この言葉に悪意はない。彼女は自分と周囲に正直なだけだ。
それを分かっているから……余計に、苦しい。
亜澄は一呼吸つくと、手元の『暦』をあたし達に向けた。
「こんな方法、亜澄も嫌なんですけど……しょうがないですね。この際。悠樹君でも香澄ちゃんでもどっちでもいいから……仲間になってもらいますっ!」
口元ににやりと笑みを浮かべて、腰を落とす亜澄。
「仲間にって……亜澄、どういうこと……?」
「こうなることは何となく予想出来たから……亜澄は亜澄のやり方でやらせてもらうんだ」
『暦』の切っ先は、完全にあたし達を狙っている。
「あたし達を攻撃して、剣を奪うつもりなの?」
「違うよ香澄ちゃん。剣だけもらっても使いづらいから、器ごともらうの。『暦』を使って」
「器って……あたし達のこと!?」
「そうだよ。だから今まで練習してたの。コツも掴んだから大丈夫……他の人みたいに、失敗したりしないよ」
他の人みたいに失敗したりしない。
その言葉で確信した。でも、信じたくない。
「亜澄……あんた、今までに何度も久那市の人を斬ってきたの」
「うん」
「どうして……?」
「どうして、って……亜澄が『暦』の力に慣れるためだよ。人の時間を止めて、その間に亜澄がどこまで干渉出来るのか、色々実験してみたの。脱がせた洋服とか戻すのが面倒だったから、そのまま放置しちゃったこともあるけどね」
「ぬ、脱がせたって……」
亜澄が一体何をしたのか分からないけれど……久那市で起こっている共通点無き変質者の原因は、亜澄だったわけだ。
彼女が『暦』で時間を止めて、その間に、そのー……どこまで干渉出来るのか確認していた。恐らく周囲には蓮華の『境界』があり、目的を達成して『境界』がなくなった時に……時間を止められたいた人は唐突に現実へ戻ってくる。その時の状況や格好から、変質者として事件になってしまった……と言うところだろうか。
亜澄が一歩こちらへ近づく。あたしと先輩も身構えて、
「――颯!」
「――焔」
それぞれの名前を呼び、利き手に握りしめた。
亜澄がその様子に目を丸くして、
「へぇー、それが2人の剣なんだね。うん、いいよ……相手してあげる!」
刹那、亜澄から地面を蹴って距離を詰めた。
予想外のスピードに対処出来ないあたしに……横から大きな力が加わってよろけてしまう。
「うわぁっ!!」
先輩に突き飛ばされたことに気がついたのは、あたしが本日2度目、地面に転がって上を見上げた時。
「奥村先輩!?」
口元についた砂を払いながら先輩を見上げて……息を、のむ。
亜澄が突き出した『暦』が、先輩の胸を完全に貫いていたのだ。