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誤魔化しきれない傍観者

 現場は硬直していた。

 甲冑は、特に誰かを狙うわけでもなく……ウサギのように軽やかなステップでテーブルからテーブルに飛び移り、結果として同じところをぐるぐる回っている。鋼鉄を纏っている割に身軽じゃありませんか……?

 そして、問題の先輩と綾小路さんは……その場がら動かない。

 下手に動くと攻撃対象になると思っているのだろうか。確かにあの距離で仕掛けらると回避するのは難しいかもしれないけれど……。

「か……会長……会長っ……!」

 絢芽の後ろでがたがた震える御崎さん。そんな彼女をなだめつつ、あたしと絢芽は周囲を改めて確認する。

 このカフェテリアの入口は2か所。今、あたし達がいるところと、反対側。そこには男性教師やシスターらしき黒服の女性等が集まり、現状を見つめている。

 ガラス張りの天井に穴が1ヶ所、その真下に甲冑。そして……そこから10メートルほど後方、あたし達がいる入り口側に、先輩と綾小路さんがいる。

 あの甲冑の様子だと、綾小路さんを抱えて逃げようと思えば逃げられそうなものだけど……先輩が動かない理由が分からない。

 その場にいる誰もが飛びまわる甲冑を見つめ、手をこまねいていた。

 と……。

「雛菊……?」

 甲冑の奥、ガラスの向こう側は中庭になっていて、悠々と木々が生い茂っているが……その木陰でこちらの様子を伺う人影が、一つ。

 長い黒髪に和服、顔までは遠くて確認できないけれど……この校内であんな格好するのは、雛菊くらいだろう。

 ただ、一人だけでは確証が持てないので、隣で御崎さんをなだめている絢芽の肩を指でつつき、

「ねぇ絢芽、あれって雛菊?」

「え?」

 こちらを向いた彼女が、あたしの指さす方向を見て、

「……雛菊さんでしょうね。あんな格好をしていらっしゃる方、他に存じ上げませんもの」

 そう呟いた絢芽と、視線を交錯させる。

 雛菊がこの場にいるのだから……勝てる!

 近くにいるならさっさと『境界』を設定してくれればいいと思ったけれど、綾小路さんが近くにいるからまだダメってことだろうか。

「絢芽、あたしが注意をひきつけるから、奥村先輩と綾小路さんをこっちに誘導してくれる?」

 あたしの提案に、絢芽は一度だけ首を横に振った。

「逆にしましょう。私の方がこの場所には馴染みがあるので、いざというときに動きやすいと思いますわ」

 絢芽の方が危険度の高いことは一目瞭然だ。だけど、絢芽だったら上手く回避して時間を稼いでくれるような気もする。

「分かった。じゃあ、あたしが先輩の方へ行くね」

「お願いいたしますわ。くれぐれも綾小路先輩に粗相のないように」

「はいはい……」

 あたしを横目で見つめ、口元に笑みを浮かべる絢芽。

「さて、と……御崎さん」

「は、はいっ!」

 あたしが名前を呼ぶと、動揺していた御崎さんが全身で反応してあたしを見つめる。

 現実に起こったことを現実だと認められず、混乱した瞳が痛々しかった。

 同時に気合いが入る。負けられない、これ以上辛い思いを続けなくてもいいように、あたしが断ち切らなきゃ!

「ここで動かずに待っててほしいの。絶対に戻ってくるから」

「え? 待っててって……樋口さん!?」

 御崎さんの声を背中に、あたしと絢芽は同時に地面を蹴った。

 反対側の入り口にいた大人たちの悲鳴も聞こえたけれど、そんなこと気にしていられない!

 絢芽が甲冑の方へ近づいていく姿を横目に見つつ、あたしは先輩と綾小路さんへ駆け寄った。

「大丈夫ですか!?」

 見たところ、二人に大きな怪我はない様子だ。あたしの姿を確認した綾小路さんは、恐怖に染まっていた瞳に少しだけ安堵の色を浮かべる。

 ただ、彼女が座り込んで動かないところを見ると、足をひねったりして動けなかったのかもしれない。

「奥村先輩何やってるんですか! 今のうちに早く綾小路さんを連れて逃げてください!」

「あ、ああ……」

 ようやく我に返った様子の奥村先輩が、綾小路さんに背中を向けてしゃがみ込み、

「綾小路会長、俺に掴まれますか?」

「は、はい……」

 やはり綾小路さんの足は負傷している様子で、心なしか頬を染めながら先輩の背中を見つめ……おずおずと手を伸ばした。

 この二人は大丈夫そうなので、あたしは絢芽の方に向き直り……彼女の真上でチラチラ動く黒い影があることに気がついた。


 ……影?


 絢芽は、彼女を攻撃してくる様子のない、ただテーブルとテーブルを大きな音を立てて移動している甲冑に注意を払っている。手元に『雫』はない。そりゃそうだ、『境界』がまだないのだから。

 そういえばさっきから雛菊も動かないままだし……ったく、この状況で何やってるのよ!

 ひとまずその影を確認するために上を向いたあたしは――その影の正体を悟り、息をのんだ。


「絢芽、上!!」


 叫ぶと同時に地面を蹴る。刹那、ガラスの天井が大きな音を立てて再度砕け散った!


「はっ……颯!!」

 走りながらも名前を呼んで、右手に『颯』を握りしめるあたし。



 けたたましい音が合図だったようで、今まで絢芽に関心のなかった甲冑もその動きを止め、手に持ったサーベルの切っ先を彼女に向けて方向転換、猛然と距離を詰めてくる!

 逆光でよく見えないけれど、ガラス片と一緒に落ちてくるのは……別の甲冑。

 っていうかこの学園、美術館でもあるまいし(まぁ、敷地内にありそうだけど)あと何体こういうのがいるのよ!?

 上と横、ほぼ同時の攻撃に、さすがの絢芽も動きが硬直している……かと思いきや、彼女は呼吸一つ乱すことなくその場に佇み、


「――雫!」


 右手に剣を構えた。そして、

「樋口さん、上を!!」

「分かった!!」

 絢芽は自分へ向かって突進してくる相手のみを見据え、腰を落とす。

 あたしは走りながら颯を後ろに引き、左足を軸にして目の前にあるカフェテラスのテーブルに飛び乗った。

 着地した右足の衝撃をバネに、再度、今度は大きく前方にジャンプ!

 『颯』を持っているからだと思うけれど、あたしは悠々と絢芽の頭が見下ろせる高さまで跳躍した。

 そして丁度、落ちてくる甲冑と同じ高さになり、

「――踊れ、っていうか飛んで行け、颯!!」

 言葉と一緒に『颯』を後ろから前へ水平に振り、バッターがボールを打ち返すみたいに甲冑を吹き飛ばす!

 真横からの猛烈な風圧を拡散出来なかった甲冑は、ガラスの壁を突き破って外に飛び出し……各パーツごとに空中分解。ガラガラと大きな音を立てて地面に転がった。

 あたしは床に向かって落ちながらその様子を見届けて……着地どうしようと今更のように後悔するのである。


 時は少し戻り、あたしが絢芽よりも大きく跳躍した瞬間。

 彼女は、自分へ向かってくる銀色の甲冑を真っすぐに見据えていた。

 校内で『雫』をふるうことに躊躇がなかったと言えばウソになる。だけど、これ以外に最善の方法が思い浮かばないのだからしょうがないじゃないか。

 ……何だか思考が誰かに似てきたような気がして、内心ため息をつく。その口元はしっかり笑っているけれど。

 迫りくる甲冑がリーチの長いサーベルを突き出した。そのまま串刺しにしようという算段か。

「……甘いですわね」

 一言呟いた後に体をひねり、自分の方へ伸びてきたサーベルをかわす。

 素早くサーベルの上から『雫』の柄で垂直方向に力を加え、相手の武器を床にたたき落とした。

 丸腰の甲冑が彼女に近づき、

「――散れ、雫」

 お返しとばかりに絢芽が前へつきだした『雫』は、鋼鉄の甲冑を貫き……次の瞬間、甲冑の隙間から氷の柱が飛び出して、動きが完全に止まる。

 さながらモニュメントのような状態のままで静止した甲冑、突き刺さった『雫』を抜き、剣に張り付いた氷の粒を払い落す。

 そして、

「――うわあぁっ!!」

 絢芽の背後、何とか勢いを削ぎながらもテーブルの上に崩れ落ちたあたしを、首だけ動かして相変わらずの冷たい目で見つめるのだった。


 とはいうものの、事件はあまり解決していない。

 何とかテーブルの上に着地(落下?)したあたしは、そのままガラス壁の向こうにいる人物を見据えた。

 裏庭の木陰に佇む彼女は、黒髪をなびかせ、口元に不敵な笑みを浮かべていた。

 ……違う、雛菊はあんな表情を浮かべたりしない。

 あれは……。

「蓮華……!」

 あたしはどうやら、致命的なミスを犯してしまったらしい。

 だから、彼女はその場に突っ立っているだけで、あたし達に協力してくれる気配すらなく……この状況を傍観している。


 静まり返る空間。

 割れた天井と壁、屋外と屋内に甲冑が各1体、割とボロボロ。

 そして……日本刀を持って戦った、キルビル的な女子高生が二人。

 周囲は明らかにあたし達に怯えている。

 さて、どうしたものか……肝心の雛菊、早く来いよぉぉ……。


 現場は……先ほどとは違う意味で、硬直していた。

 甲冑が動かなくなったものの、この不思議現象をなかったことにしてくれる彼女がこの場にいない。

 会場の中央には、あたしと絢芽。2人で横並びのまま立ち尽くす。

 無事に避難した奥村先輩と、その背中にいる綾小路さんをはじめ、その場に集まってしまった星霜学園の生徒や教師が、あたし達に困った視線を向けていた。

 正体がばれちゃいけないのにばれてしまった正義の味方ってこんな心境なんだろうか……。

 視界の端にいる蓮華は、面白そうに笑ったまま。

 もういっそ、正面のガラスを突き破って蓮華に斬りかかろうかとさえ思った次の瞬間、

「と、東原……と、君、他校の生徒じゃないか。これは一体……」

 最前列で事の顛末を見守っていた男性教師が、代表として一歩近づいた。

 30歳くらいだろうか……グレーのスーツが似合う爽やかな印象の先生だが、普段は優しいであろう顔には困惑のみ。

 まぁ、そりゃあ……今度はあたし達が襲いかかってくるかもしれないんだからねぇ。

 絢芽が男性教師の方に視線を向けた。

 眼鏡越しでも全てを射抜くような鋭い光に、大の大人も一瞬立ちすくみ、

「く……詳しい話は職員室で聞こう。一緒に来てくれるね」

 必死に奮い起した勇気と共に、絢芽へ向かって手を伸ばした。

 絢芽はその手をちらりと一瞥して、

「お断りいたします」

 凛とした声が響く。

 刹那、周囲がざわついた。しかし、絢芽は臆せず続ける。

「理由は……皆さんに説明しても無駄だからですわ」

「東原、そんなことを言うな。これは一大事だ。当事者の話を聞かなければ何も分からないだろう?」

「お言葉ですが先生、仮に全てお話ししたところで、事態は何も解決いたしません」

 きっぱりと断言する絢芽に、先生は何も言えなくなる。

 と……今までその先生の後ろにいた女性が前に出てきた。

 漆黒の装束を纏った妙齢のシスターは、絢芽を軽蔑するような目で見つめ、

「東原さん、三木先生の言葉に従いなさい。年上を敬う淑女になるようにと、何度も言っているでしょう?」

 威厳のある低めの女声。しかし、絢芽も負けてはいない。

「今回のことは、お話すべきではありませんわ。ここまで大事にしてしまったことは私のミスですが……これ以上、関係のない方々を巻き込みたくないのです」

「聞きわけなさい! 東原さん……貴女、最近、他校の生徒と遊んでいるという噂があるけれど、ひょっとしてそちらの女性やあちらの男性のことかしら?」

 刹那、会場の視線があたしと先輩に注がれる。どこからともなくヒソヒソと話す声も聞こえてきた。

 不謹慎、やはりあの噂は本当だった、清潔感の笑顔の裏は不良だったのか、エトセトラ……多分、真剣に耳を傾けない方がいい。

 先輩の背中にいる綾小路さんが何かを言おうとしたが、それよりも早く、シスターが言葉を続けた。

「東原さん、今回のことも……実は貴女がそちらの方々と仕組んで行ったことではなくって? 悪魔にでも憑かれたのかしら……全く、他校の生徒にたぶらかされるなんて情けない。恥を知りなさい! これだから最近の生徒は――」


「あーもー外野がごちゃごちゃうるさーいっ!!」


 シスターの言葉を、あたしの大声が遮った。

 全員の視線が集まったのを確認して、手元の『颯』を大きく、全員に見えるよう掲げて、

「悪いけど、あたしはご覧のとおり他校の生徒だもの。この学校の規律なんか関係ないから……言いたいこと言わせてもらうけどさっ!」

 『颯』を掲げているのは、威嚇だった。何か言えば剣を振り下ろす、実際にそんなことはしないけれど、ナイフ以外の刃物など見たことがないお嬢様方をビビらせるには丁度いい。

「絢芽は……少なくとも、この場にいる全員を守りたくて行動しただです。感謝こそされたって、非難される筋合いはないですね。心配しなくても、この場はしっかり元に戻しますから」

 あたしの言葉に、シスターが鼻で笑った。

「元に戻す? 貴女ねぇ、この建物の修繕に一体いくらかかるとお思いかしら。一般家庭で一度に払えるような額では……」

「誰もお金の話なんかしていないです。あー……もう色々説明とか面倒なので、しばらくそこで黙っててもらえませんか?」

 まぁ、まともに払えば高そうだけど……残念ながら、あたしは一文だって払う必要がない。

 あたしの正直な言葉に、シスターの顔が真っ赤になったのが分かった。

 ただ、後一言だけ言わせてほしい。

 きっと……幸せなことに、今日のことは全て忘れてしまうけどね、シスター。

「ここにいる全員のために命をかけた絢芽をこれ以上侮辱するなんて、気分が悪いのでやめてもらえませんか? 何だったら……陰口をたたいた人も含めて、片っぱしから斬ってもいいんですよ?」

 にやりと、わざと悪人っぽく笑みを浮かべると、真っ赤だったはずのシスターの顔面が、みるみる真っ青になっていく。

 いやー、実はやってみたかったんです、こういうこと。

 気がつけば、絢芽があたしをジト目で見つめていて、

「樋口さん……ちょっとふざけ過ぎですわ」

 でも、その眼に冷たい拒絶はない。

 相変わらず何をしているのかという呆れと、諦めだ。

「あはは……でもさ、どうせみんな忘れちゃうんだし……絢芽も言いたいこと言ってみれば? すっきりすると思うよ」

「言いたいこと……そうですわね」

 あたしの提案に、彼女は少し考えてから、

「他校の方と会うことさえ許されない、そんな時代遅れの風習は何とかした方がいいと思いますわ。世間知らずのお嬢様だと思って舐められても、しょうがないですもの」

 嘲笑うような口調で言い切ると、そのまま『雫』を虚空に投げた。

 事情を知らない皆さんは一瞬身構えたが、『雫』が霧散したことを確認して目を丸くする。

 それは、戦いが終わった合図。

 絢芽がそうしたことには、明確な根拠があった。


「あらあら……これはまた、派手に壊したものですねー……『修復』、大変なんですよー」

「雛ちゃん、俺達……ひょっとして遅かった?」


 先輩達がいる入口から、ギャラリーを押しのけて会場入りする雛菊と椎葉。

 完全に他校の制服姿である椎葉の手には『壇』が握られていたので、新たな人物と凶器の登場にギャラリーが再度ざわついた。

 雛菊は最初に奥村先輩がおぶっている綾小路さんを見て、次に、部屋の中央にいるあたしと絢芽を見やる。

 そして……つかつかとあたし達の方へ近づき、くるりと振り返ってから、

「お騒がせしました、『繁栄者』の皆様。とりあえず……全部忘れるまで起きないでくださいねー」

 笑顔と共に、両手を叩いた。

 ぱんっと、乾いた音が一度だけ反響して……次の瞬間、あたし達以外の『繁栄者』が、バタバタと床に崩れ落ちていく。

 勇気を出した男性教師も、お局様みたいなシスターも……電池が切れたおもちゃのように、がくりとその場に倒れこんだ。

「雛菊、遅いってば!」

 あたしが思わず声を大きくすると、雛菊はくるりとこちらに向き直り、申し訳なさそうな表情で釈明する。

「申し訳ありません……周囲に蓮華の『境界』があったものですから、突破するのに手間取ってしまいました」

「蓮華!? そうだ、蓮華が今あそこに――!」

 あたしが慌てて彼女が佇んでいた方を指さすが……既に人影はなく、木々が風に揺れているだけだった。

「あ、あれ……?」

「逃げられましたわね。まぁ、当然でしょうけど」

 絢芽も嘆息して、後ろから近付いてきた椎葉を見つめ、

「有坂さんも『境界』に阻まれていましたの?」

「そうなんだよー。何とか雛ちゃんと合流して、どうしようかと思ってた時に、『境界』の一部が破綻したって雛ちゃんが言うから、そこを攻撃して何とか滑り込んだってわけさ」

「破綻?」

 首を傾げる絢芽に、雛菊が補足する。

「どなたかが、蓮華の『境界』にご自分の力か何かをぶつけたのではありませんか? 割と大きな衝撃でしたけれど……」

 何かをぶつけたような衝撃……。

「あ、多分あたしだ」

 多分、あたしが甲冑をホームランした時だろう。まさかそんな相乗効果を生んでいたとは……。

 絢芽を巻きこまないようと思ってやったことだけど、いい結果に結びついてよかった。

 そこへ、身軽になった先輩が合流する。

 綾小路さんは、入口の柱にもたれかかって気を失っていた。

 そんな彼へ、椎葉はニヤニヤした視線を向けながら、

「香澄ちゃんと絢芽ちゃんが戦ってる間に、悠樹大先輩はお嬢様と仲良くしてたってわけか……羨ましいぜっ!」

「変なこと言うな、そんなわけじゃ……」

「だったら、どうして加勢しなかったんだ?」

 椎葉の言葉に、奥村先輩は真顔で切り返す。

「俺の加勢が必要なメンツだと思うのか?」

 その言葉に、椎葉はあたしと絢芽を交互に見つめ、

「俺が間違ってました」

 納得して謝罪。

 ……って、ちょっと待て!

「奥村先輩、さりげなく失礼なこと言わないでください! それに……先輩の動きが鈍かったことは事実なんですから!」

「それは……その、すまない」

「う……」

 素直に頭を下げた先輩にこれ以上突っ込むと、あたしが悪者みたいになってしまうじゃないか。

 何だか微妙な空気の中で口ごもるあたし達に、雛菊が「はいはい」と割り込んできて、

「では、この空間を『修復』します。この場に本来いてはいけないのは……椎葉さんだけですよね」

 椎葉が一度頷くのを確認すると、雛菊は笑顔のまま呼吸を整えて、

「ではでは、目を閉じてください……椎葉さんは門の外まで移動しますから、無重力を感じても動揺しないでくださいねー」

「無重力? ま、まぁ……努力するよ」

 椎葉が顔を引きつらせつつ、その場で目を閉じた。

 あたしも目を閉じて、ようやく終息している今回の騒動を振り返る。

 ……甲冑なんて嫌いだ。


 何事もない日常が戻ってきたカフェテリアは、勉強や歓談する学生で賑わっていた。

 ガラス張りの壁と天井から、外の緑と青空が見える。恐ろしく開放的な空間。

 御崎さんに案内されるままにたどり着いて、とりあえずコーヒーを頼んだ。

 何とまぁ……ここ、あたしみたいな部外者でも全品無料なんだそうな……も、もっと高そうなものにすればよかったと後悔しつつ、カウンターでトレイを受け取る。

 自宅のインスタントコーヒーとは格が違う香りが鼻腔をくすぐり、まぁいいやと思ったあたしは間違いなく庶民です!

 1階と2階にそれぞれテーブル席があり、何だか上品な木造りのテーブルと椅子が並んでいる。

 その一角、4人掛けの丸いテーブルに、何だが居心地が悪そうな奥村先輩と、楽しそうな綾小路さんがいた。

 まぁ、そりゃー……注目の的だよね。他校の男子生徒なんて。

 お嬢様方のひそひそ話をすり抜けながら移動して、

「お待たせしましたー」

 一応久那高校から来たので、奥村先輩の隣りに座る。

 その隣に腰かけた御崎さんは、正面の奥村先輩を見るなり……思いっきり顔をそむけた。

「ご、ごめんなさいぃ……」

 委縮しながら何度も頭を下げる彼女。

 予想済みだった先輩は、苦笑いで応じる。

「樋口さん、我が星霜学園はいかがですか?」

 正面の綾小路さんに期待を込めて尋ねられた。

 あたしは手元のスプーンでコーヒーを混ぜながら……一言。

「甲冑は、しばらく片づけた方がいいと思います」


 それから、星霜学園の生徒会室で過去の資料などを見せてもらい……気がつけば6時。

「本日は遅くまでお疲れ様でした。もっと見ておきたい資料などございましたら、コピーをお送り出来ますので、遠慮なくおっしゃってくださいませ」

 校門のところであたしと先輩の入館証を回収した綾小路さんが、校舎をバックに綺麗な笑みを浮かべる。

 隣の御崎さんは……相変わらず、彼女の影に隠れてうつむいていた。

 鞄を持ち直した奥村先輩が、二人へ軽く一礼して、

「こちらこそ、遅くまですいませんでした」

「い、いいえ! 改めてお話出来て嬉しかったですわ」

 声のトーンが半分上がる綾小路さん。あー良かった、あたしと絢芽の役割はこれで終わったー……。

 今のあたしはそんな安心感で一杯だ。

 あたし達はバスで久那センへ戻るため、バス停の方へ向かう。送るという申し出は丁重にお断りしましたとも……土足で乗っちゃいけないような車が出てきたら心臓に悪いし。

 学園の校門を背にして歩きだしたあたしは……半歩先を歩く先輩を見上げた。

 綾小路さんがあんなに嬉しそうだったってことは……何かしらの発展があったのだろうか。

 先輩に聞いたって教えてくれないに決まってるから、いずれ絢芽経由で事の詳細を教えてもらうっと……。

「……お?」

 目線の先、屋根のあるバス停のベンチに腰かけ文庫本に視線を落とす絢芽。

 バス停には彼女以外の姿もなく、目の前の道を絶え間なく車が通り過ぎていく。

 あれ? あのままさっさと帰宅したと思ったのに……。

「絢芽、まだ残ってたんだ」

 あたしから声をかけて近づくと、彼女は眼鏡越しにちらりとこちらを見て、本にしおりを挟む。

「図書室で勉強です。香澄さんのように遊んでいたわけではありませんわ」

「ちょっと!? あたしは別に遊んでいたわけじゃ……」


 ……あれ?

 あたし、今、何て呼ばれた?


「絢芽」

 座っている彼女の隣りに立った。

「何でしょうか」

「今……あたしのこと、何て呼んだ?」

「樋口さん」

 彼女は正面を向いたまま、涼しい顔で言い放つ。

「嘘!? あー、聞き間違えたのかー……せっかく名前で呼ばれたと思ったのにー……」

 がくりと項垂れるあたしの後ろから、苦笑いを浮かべた先輩が歩み寄り、

「素直じゃないな」

「あら、何のことでしょうか?」

 表情を変えずに絢芽が返した時……バスが滑り込んできた。

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