思いを秘めた先導者
蓮華があたし達に接触してきてから1週間……世間は恐ろしいほど普通だった。
今までは絶え間なく発生していた『堕落者』の気配もなく、あたしも奥村先輩も絢芽も椎葉も、ごく普通の高校生としての日常を過ごしているのが現状。
やはりあの後、絢芽と椎葉のところにも蓮華がやってきて、あたし達と同じ話を持ちかけられたそうだが……結果としては2人とも丁重にお断りしたということで、この4人の関係が崩れる危機は去った。
だからこそ、この平穏が逆に怖いけれど……だからと言ってこちらから仕掛けるような奇策もないまま、時間だけが過ぎていく。
そんなある日の放課後、あたしは珍しい人物に呼び出されていた。
「どうしたの? あたしに話があるなんて珍しい……」
生徒会の活動が休みの水曜日、用事もなくぽっかり時間が空いたところに飛び込んできた、お茶のお誘い。
あたしは彼女からの呼び出しに従い、久那セン内のドーナツ店にいた。
なんだか会うのは久しぶりな気がする。絢芽は品のあるセーラー服を完全に着こなし、艶のある黒髪をなびかせて、待ち合わせ場所でもある店舗の入り口に登場した。
あたしが先に来ていたのだけど、絢芽が現れた時、周囲が軽くざわついたことに……果たして当の本人は気付いているのやら。
そのまま2人で店の中に入って、注文を済ませ、今のように向かい合って座っているのである。
あたしの手元にはチョコレートがコーディングされたドーナツと、お代わり自由のカフェオレ。正面の彼女のお皿にも、いちごチョコがコーティングされたドーナツがあり、隣には紅茶。
店内は他の高校生や買い物に来ていたおばさま方など、フロア内に空席が見当たらないほど込み合っている。
そんな喧噪の中、彼女は静かに紅茶を一口すすって、
「ご足労をおかけしていますわ。本当は私一人で何とかしないところなんですけれども……ちょっと、困ったことになりましたの」
本気で眉の間にしわをよせ、ため息をつく絢芽。
そう、本日は絢芽からの呼び出しで、こんな庶民の楽園でお茶をしているのです!
何故って、理由はこれから聞くけれど……このシチュエーションに一番驚いているのはあたしです!!
ちなみに、今日は絢芽のおごりです!!!
……それはさておき。
あたしもカフェオレを一口すすって、神妙な表情の彼女に問いかける。
「珍しいこともあるんだねー……そんなに困ってるとこ、初めて見た」
「でしょうね。情けないお話ですが、私も初めてのことで……どう対処していいのか分かりませんの」
絢芽がここまで自分の無力さを認めるなんて、これは相当のことが発生したに違いない。
「まさか、蓮華が何か――!?」
「違いますわ。そんなことを貴女一人に相談したりしませんもの」
あたしの言葉をばっさり切り捨てつつ、話を切り出す絢芽。
「綾小路先輩、ご存知ですわよね。先日も「総会」という会合で会っていると聞いています」
「え? ああ、それは勿論」
星霜の生徒会長である綾小路さんのことだろう。面識があるので頷くあたし。
すると絢芽は、少し口ごもりながら……続ける。
「その……綾小路先輩が、奥村さんに好意を寄せていらっしゃることも?」
「知ってるけど」
ええ、知っていますとも。分かりやすいですから。
すんなり首肯するあたしに、どこか安心する絢芽。
「そうですか……ちなみに樋口さん、貴女は奥村さんに思いを寄せていらっしゃいますの?」
「えぇ!?」
意外な質問だったので、思わず声を上げてしまった。周囲の喧騒にかき消されるので特に注目されなかったけれど……な、何を聞くんだいきなり!!
動揺するあたしとは対照的に、絢芽は真剣な顔でこう言う。
「申し訳ございません。デリケートな問題だということは重々承知しておりますの。ですが、この返答次第では、貴女にこのお話を続けることが出来ないのです。私の『雫』に誓って、決して他言しませんから、教えていただけますか?」
どうやら一切ふざけていない様子だ。自然とあたしも背筋を伸ばして、
「え、えぇっと……そんなにかしこまらなくても……奥村先輩にはお世話になってるけど、恋愛感情はないよ。うん、あたしの『颯』に誓って!」
絢芽の言葉を真似してみた。
あたしの言動を値踏みするように無言で見つめる彼女に、何度も首を縦に振って嘘がないことをアピール。
数秒後、
「ありがとうございます。正直、お2人は仲が良いので心配していたのですけれど……では樋口さん、これからのお話は他言無用です。特に、奥村さんには絶対に知られないでくださいませ」
「は、はい……」
真顔で念押しされて、あたしは首を縦に動かすしかない。
喉が渇いたのでカップに残っていたカフェオレを一気に飲み干し、
「あ、お代わりください」
近くでテーブルを片づけていた店員さんに声をかけた。
そんなあたしの行動を観察しながら、周囲に人がいなくなったところを見計らい、
「実は……綾小路先輩、奥村さんのことが本当にお気に入りみたいで……ですけれど、会えるのはその「総会」のみということで、最近では生徒会の仕事にも身が入っていないご様子ですの」
「そんなに……奥村先輩のことを?」
「ええ。そんなに、ですわ」
嘆息して頷く絢芽。この様子を見る限りだと、
「何というか……心配っていうより、呆れてる?」
「そうですわね、多少は。私はそういう色恋沙汰に興味がありませんもの」
断言しつつ、彼女は手元のドーナツを紙ナプキンでつつみ、ナプキンの部分を手で持って一口かじる。
素手でドーナツを持って食べるあたしとは、やっぱり根本的に違うようだ……。
「綾小路先輩も、待っているだけの方ではございませんから、何とか会うような機会を作りたい、だけど、正式な会合でもない時に、外部の……特に男子生徒を校内へ入れてはいけない、という規則もありますから、先輩も悩んでいらっしゃいますの」
「なるほど……そこで、あたしの知り合いである東原さんに白羽の矢が立ったと」
「その通りですわ。ああもう、本当にどうすればいいのか……」
彼女は打開策が見当たらず、ずっと悩んでいるのだろう……紅茶を飲みほして、再度深いため息をついた。
「樋口さん、何か有効な作戦はございませんか?」
「いきなり言われても……次の「総会」は来月の頭だもんなぁ……それまでに一度会いたいってことでしょ?」
「恐らく。全く、そんなに会いたいならご自分で久那高校に乗り込めばいいのですわ。その方が手っ取り早いでしょうに……」
いやいや、さすがにそれは肉食系すぎるでしょう。
あの星霜学園の生徒会長だから、行動力もある女性だと思うけれど……さすがにそこまでやる度胸はないようで、安心した。ほら、お嬢様って自分の杓子で世間を測るような偏見があるからさ。
いきなり久那高校に乗り込まれて、「奥村会長、私のものになりなさい!」なーんて言い出したらどうすればいいのかと……。
「ただ、綾小路先輩が他の方にも相談されたところ、久那高校に乗り込んで奥村さんを連れ出し、おもてなしするのが一番だという意見が多かったということで、何だかその準備を進めていらっしゃいますので。先ほどは私も乗り込めばいいと口にしてしまいましたけれど、樋口さんはこのまま話を進めても良いと思われますか?」
「いやいやダメでしょう! 奥村先輩のことを完全に無視してるじゃない!」
先輩がリムジンで拉致される様子が頭に浮かび、あたしは全力で否定した。
その反応を見た絢芽が、「そうですわよね……」と、少し安心したように呟き、
「やはり、私の考えの方が、世間一般に近いですわよね。奥村さんの人権を無視するようなふるまいは、星霜の生徒として恥ずかしいと思いますもの」
いや、星霜の生徒以前に人としてもちょっとどうかと思うけれど……そこまでは口に出さず、ドーナツを一口かじるあたし。
「樋口さん、二人を連れ出す妙案はございませんか? このままでは本当に、綾小路先輩が久那高校に乗り込むことになってしまいます」
「ちょっと待って……それだけは避けたいからちょっと考えさせてっ……!」
どうしよう、先輩が拉致されないには、どうすればっ……!
あたしは普段使わない脳内をフル回転させて、何かいい作戦はないかと思案を巡らせる。
そもそも、二人はまだ1度しか会ったことがないのだ。まずは互いのことを知るのが一番、綾小路さんだって、先輩の見た目から入ったわけだし……2人はもう少し互いについて知る必要がある、ような気がする!
と、なると、呼び出す口実としては、やはり生徒会を絡めた方がいいだろう。休みの日に会ってくださいなんて、あたしが仲介するには違和感がある。第一、休日のお嬢様がどんな過ごし方をしているのか想像も出来ない。
生徒会……生徒会……。
「……ねえ絢芽、星霜学園の学校見学って、やっぱり男子生徒はダメなの?」
「学校見学、ですか? さあ、詳しいことは綾小路先輩に聞いてみなければ分かりませんけれど……」
「実は、あたしと奥村先輩って、最近、生徒会に所属したばっかりなんだ。だから、他の学校のこともよく知らないから……星霜学園だと綾小路さんのフィールドでしょう? そこにあたしと先輩を勉強ってことで招いてもらえれば、あたしはいくらでも先輩を連れ出して、いくらでもとんずらするよ」
「なるほど……ところで樋口さん、とんずらとは何ですか?」
「え? あー……その場からいなくなるってこと」
綺麗じゃない言葉づかいで失礼しました。あたしの実にまともな提案に、絢芽も何度か頷き、
「やはり、いきなり別荘にお誘いするのは違うようですわね」
「それは絶対ダメ! 多分先輩は特にそういうの苦手だと思うから、最初はこういう学校関係を理由にした方が連れ出しやすいよ」
「なるほど……校内見学、ですわね。分かりました、早速提案してみますわ」
そう言いながら、鞄から取り出した携帯電話を操作する絢芽。メールでも送っているのだろうか……。
自分でも驚くほどまともな意見が出せたことに安心しつつ、あたしは残りのカフェオレを飲みきり、
「あ、お代わりください」
元を取りたいので3杯目にチャレンジするのだった。
そして翌日の放課後、いつもの生徒会室。
先週、体調を崩していた先輩だが……翌日には完全復活。今ではすっかり相変わらずの仕事をこなしている。
とはいうものの、一度全員で話し合って……奥村先輩一人で仕事を背負いこみ過ぎないことを約束。頼りなくてもあたしを頼るよう提案してみたところ、
「気持ちだけ受け取っておく」
と、言われたんですけど……これってやっぱり戦力外ってことだよねぇ……はぁ、もっと頑張ろう……。
現在、部屋の中には奥村先輩以外の3人がいる。奥村先輩は職員室に呼び出されたらしい。
時間がかかる文化祭への準備に本格着手しそうな今日この頃、第1回目の話し合いについての資料を3人でまとめていると……部屋の扉が開き、奥村先輩が入ってきた。
「あ、奥村会長、お疲れ様です。何かやらかしたんですか?」
部屋の中央でパソコンを使っていた皆瀬君が、ニヤニヤした表情を向ける。
先輩はため息をつきながら、部屋の隅で作業をしているあたしの方まで近付いてきた。
「皆瀬が期待するようなことはないぞ。むしろ……ガッカリするかもしれないな」
「僕がガッカリ? どういうことですか?」
先輩はそれには答えずあたしまで近付き、手元に持っていたプリントを突き出した。
「樋口、突然だが俺達は明日星霜学園へ行く」
「へ?」
「えー!? 樋口さんに奥村会長、ずるいですよー!」
間の抜けたあたしの声と、驚いてこちらへ駆け寄る皆瀬君の声が時間差で聞こえてきた。
あたしと近い場所で添付資料の折り込みをしていた稲月先輩も、何事かと近づいてくる。
3人で、先輩がとりだしたプリントを見つめた。代表してあたしがタイトルを読み上げようではないか。
「えーっと……星霜学園学校見学のお誘い、ですか?」
そこには、招待状とは思えないほど簡潔に内容が記されていた。
曰く、あたしと会長の任期が浅く、星霜学園には過去の「総会」資料があるので、一度見に来てはどうかということ。ついでに校内を案内しますということ。
招待されているのは、奥村生徒会長と樋口副会長の2名。
なるほど……考えたな綾小路さん。日付が明日ってとこが急だけどねっ!
「他校の様子を知ることは大切だし、折角の心遣いを無駄にはしたくない。樋口、明日は粗相がないように気をつけるんだぞ」
「ちょっ……! あたしだってやれば出来ますよ!」
ジト目が痛い、ジト目が痛いよ奥村先輩!!
かくして、明日の放課後、あたしは2度目の星霜学園訪問となった。
「2人だけずるいなー……稲月先輩、僕らも呼んでもらうように交渉しましょうよー」
「えぇ!? それは先方に迷惑だと思うけど……」
「……冗談です」
しゅんとしずむ皆瀬君に、今回の目的を知っているあたしは……苦笑いしか向けられなかった。
そして翌日の放課後……あたしと先輩は、2人して星霜学園の校門前にいた。
下校中の皆様からの視線も痛いけれど、今日はそんなこと気にしていられない!
門のところまで迎えに来てくれた綾小路さんが、近づいてくるあたし達を見つめて、深々とお辞儀をしてくれた。
「ごきげんよう。そして、ようこそ星霜学園へ。急なお誘いを受けてくださって嬉しいですわ」
つられるように、綾小路さんの隣りにいた女性もお辞儀をする。
うーん……先日の総会で会ったはずなんだけど……名前が思い出せないあたしはどこまでも失礼だなぁ……。
ゆるくウェーブのかかった髪の毛と制服との相乗効果で、今日も完璧に上品なお嬢様の綾小路さん。
そんな彼女の隣りにいるのは、おさげにメガネという……正直、申し訳ないけれど地味な生徒だった。
先ほどからうつむき加減なので、どんな顔なのかもよく見えない。
綾小路さんから校内に入るためのパスを受け取りながら、奥村先輩も完璧な外交スマイルで返す。
「いえ、優しいお気遣い、ありがとうございます」
「そ、そんな優しいだなんてっ……!」
顔がゆるんでますよ、綾小路さん!!
あたしからの視線に気がついた彼女は、はっと我にかえって緩んだ頬を引き締め、
「樋口さんも、ご足労いただきましてありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ……」
大丈夫ですよ綾小路さん、邪魔者は何とか理由をつけて退散しますから!
そう、今日のあたしの目的は……綾小路さんと奥村先輩を、どんな理由でもいいから自然と二人だけにすることである! 難しいけど頑張ります!!
と……あたしは、先ほどからうつむいてもじもじしている彼女に視線を向けた。何とかこの人も巻き込みたい……視線は邪である。
その視線に気がついた綾小路さんが、彼女の肩に優しく手を置いて、
「ほら、御崎さんもご挨拶を。先日もお会いしたでしょう?」
「は、はいっ! 申し訳ございません!!」
弾かれるように可愛い声を上げた彼女――御崎さんだったが、顔をあげた瞬間、すぐにまたうつむいてしまう。
な、なんだろう……あたし、睨んだわけじゃないんですけど……。
そのまま口ごもってしまった彼女に、「ごめんなさい」とフォローを入れる綾小路さん。
「彼女は御崎栞さん。学年は樋口さんと同じですわね。生徒会の副会長なんですけれど……殿方が極端に苦手なんです。奥村会長、気を悪くなさならいでくださいね」
「分かりました。俺も気をつけます」
そう言った先輩は、彼女から視線をそらした。
……男性が極端に苦手、だと?
ふむ、これは……使える!!
「奥村先輩、ここは二手に分かれませんか?」
あたしは手を上げて、全員へ提案する。
「分かれる?」
「そうです。御崎さんは男性が苦手なので、先輩は綾小路さんと、あたしが御崎さんと一緒に校内を見て回ればいいと思います!」
そう言った瞬間、綾小路さんの目が輝いたことを……あたしは見逃さない。
待っててください! 期待は裏切りませんからっ!!
「校内を見て回ったら、生徒会室とかで落ち合えばいいと思います。奥村先輩だって、御崎さんを困らせたくないでしょ?」
「それは……」
先輩だってこういうことは苦手だろうから、しばし渋い表情を浮かべていたが……綾小路さんの隣でうつむく御崎さんの態度が変わらないことに、自分が妥協することを選んだ。
「それがよさそうだな。綾小路会長、いかがでしょうか?」
「え!? ええ、私は大歓迎ですわ。むしろ……配慮していただきましてありがとうございます、樋口さん」
「気にしないでください。あたしも同じ学年同士なら気が楽ですから」
本音も交えながら……満面の笑みを浮かべた綾小路さんに、心の中でエールを送った。
かくして。同じ役職同士がペアを組み、45分ほどの散策の後に、カフェテリア(カッコいい!!)に集まることになった。
奥村先輩と綾小路さん、という、美男美女コンビが出発するのを見送りつつ、
「えっと……御崎さん、ごめんなさい。急にこんなことになっちゃって……」
隣にいる小柄な彼女を見た。
ようやく顔を上げてくれた御崎さんは、あたしの言葉に首を大きく振る。お下げがあたしの腕にバシバシ当たっていることは……うん、気づかないフリをしておこう。絶対に悪意ないもん。
「……い、いえ、私こそ……迷惑をかけてしまってごめんなさい……っ!」
このまま緊張で弾け飛ぶんじゃないかと思うほど緊張している様子が伝わってきた。
だから、ここはあたしから。
「あたしは、樋口香澄。同じ学年だから敬語も使わなくていいよ。その代わりにあたしも使わないけど、いい?」
「は、はいっ! よろしくお願いします、樋口さん!!」
敬語は……まぁいいや。多分、生まれが違うだろうから。
細かく突っ込むことはしない。その代わりに笑顔を向けよう。
「じゃあ、案内をよろしく!」
「わっ……分かりました! よろしくお願いいたします!!」
額と膝がくっつくんじゃないかと思うくらい頭を下げる御崎さんに視線が集まって……うん、正直、ちょっと恥ずかしかったです。
「はへー……」
学園内を歩くのは2度目だけど、どうしても感嘆の声を上げてしまう。
バレーコートが2面取れそうな広さの武道場、その半分を使って練習しているフェンシング部の様子を見学させてもらったのだが……張り詰めた緊張感に息がつまりそうだった。
というか、高校でフェンシング部って……御崎さんの説明では全国大会の常連だということだが、多分、何もしなくても県の代表だと思う。いや、勿論強いと思うけど……。
反対側では、新体操部の人だろうか。柔軟をしたり、リボンをくるくる回して演技の練習をしていた。
あ、今気づいたけど……向こう側の壁が鏡になってる! 演技をチェックするためだろうか……これって当たり前の設備? 久那高校にはそんなの見当たりませんけど……いや、そもそも新体操部ってあったっけ?
あたしがそんなことを考えながら練習風景を見つめていると、その様子を見上げた御崎さんが尋ねる。
「久那高校さんは、スポーツは盛んですか?」
「へっ!? あ、いやー……そんなことないんですよ。水泳部と剣道部が県大会に行くくらいだったかな?」
「それは素晴らしいと思います」
屈託のない笑顔で返され、こっちが恐縮してしまった。
こういう品があるのは、やっぱり星霜学園の生徒なんだなぁと思う。
「えぇっと……次行きましょう次!」
これ以上の会話が見つからず、あたしは見学させてもらった皆さんに軽く頭を下げて、新体操部側にある出入口の方へ向かった。
スリッパを脱いで靴に履き替え、外に出ると、
「あ……絢芽!」
「あら……樋口さん、ごきげんよう」
外に出て校門から続く大通りに飛び出したあたしは、下校しようとしている絢芽を見つけて声をかけた。
絢芽もまた、営業用のお嬢様スマイルで優雅に受け応える。
そして、あたしを追いかけてきた御崎さんにも気が付いて、
「御崎さんもいらっしゃるということは……本日は生徒会のご用事でしょうか」
「そうだよ。綾小路会長にお呼ばれして……会長は会長同士、仲良く校内を回ってるはず」
「そうですか。それは素晴らしいですわ」
今の言葉で現状を察してくれた絢芽が、心からの笑みを向けてくれた。
追いついた御崎さんが、談笑するあたしと絢芽を交互に見やり、
「東原さんとお知り合いなのですか?」
その質問には、絢芽が答えてくれる。
「ええ。御崎さんにはご迷惑をおかけするかと思いますが……樋口さんのこと、しっかり見張っていてくださいね」
「ちょっと絢芽!? 失礼ないこと言わないでよ!」
「あら、私は常に正しいことしか口にしていませんわ」
にべもなく言い放つ絢芽に、あたしが言い返そうとした刹那、
――違和感を、感じた。
しかも、ここから非常に近い距離から。
あたしと絢芽が同時に眉をしかめた、次の瞬間、
がしゃあんっ!!!
何かがけたたましい音を立てて砕け落ちた音が響き、時間差で女性の悲鳴。
突然の物音に、御崎さんがびくりと体をすくませた。
慌てて周囲を見渡すが、特にガラスが割れている様子はない。
「絢芽、今のどこだか分かる?」
「あのガラスの割れ方……恐らくカフェですわ! 参りましょう!!」
先頭を切って走り出す彼女に続き、あたしは校内を疾走した。
校舎と校舎の間、中庭に面した空間に、そのカフェテリアはあった。
広さは教室4つ分ほどで、2階まで吹き抜け、しかもガラス張りの壁と天井という開放的な空間。奴はその天井のガラスをぶち破って、室内に侵入していた。
1階の席数は30席くらいだろうか。茶色い木造りの丸テーブルと、同じデザインの椅子が配置されている。奥にらせん階段が見えるので、この天井の上も飲食スペースになっているんだろう……多分。
大きく穴が空いた天井の真下、テーブルの上に土足で(?)着地し、周囲を見渡すように頭の部分を動かす。その度に金属がこすれ、がちゃがちゃと大きな音を響かせていた。
その手には立派なサーベル。模造だと分かっていても、先がとがった切っ先を前にすれば恐怖も感じる。
しかも……普段は絶対に動くはずのないものが動いているから、なおさらだ。
入口に到着したあたしは、ガラス片等で滅茶苦茶になった現場を見やり、
「な……何あれ、甲冑!?」
そう、それが動いているということよりもこの学園に甲冑があることに驚いてしまう。
いや、だって……学校に甲冑なんかないでしょ、普通。
絢芽も驚いた様子で呟く。
「あれは大廊下の……でも、動いているのが1体でよかったですわ」
「まだあるの!?」
あたしの突っ込みをよそに、テレビの世界遺産から飛び出たような立ち姿の甲冑は、バキバキとガラスを踏みながら、テーブルからテーブルへ飛び移っていく。割と身軽。
いつもならば放課後の生徒で賑わっているであろうカフェに生徒の姿はなく、連絡を受けた教職員が反対側の入口から現実離れした光景を間に当たりにして、絶句している様子が見えた。
このままだと、他の生徒や先生方が集まってしまう。明らかに『堕落者』のみなので早急に対象しようと、あたしと絢芽が視線を合わせた刹那、
「か……会長!!」
遅れて到着した御崎さんが悲鳴を上げる。
慌てて彼女の視線の先を探すと……そこには、逃げ遅れたのか床に座り込んだ綾小路さんと、彼女の前に立っている奥村先輩の姿が。
甲冑との距離は10メートルくらいだ。決して遠くない。
そんな危険な状況で、あたしと絢芽は……どうして奥村先輩が一緒にいて逃げ遅れたのかと、彼を問い詰めたい衝動に駆られていたのだった。