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休日の訪問者

 久那市を……というか全国を騒がせた久那センでの騒動は、近くにあった配電盤が何らかの原因でショートした、ということで落ち着きそうな気配。

 ……まぁ、勿論それは雛菊の裏工作があってのことだ。あの場に居合わせた人全員にも同じ情報を刷り込ませてある、とは本人談。ニュースを見ている限りでは事実のようだ。

 腕を燃やしていた男性も、彼女がいなくなった後に気が付いて……東原さんからのお説教を受けることになってしまった。

 どうやら、彼の言動が東原さんの怒りを買ってしまったらしい。最初は反抗的な態度を取っていた彼だが、言葉で追い詰められ、更に追い詰められ、味方などいるはずもなく……最後は項垂れて、ただただ頷くのみでしたよ。

 あたしも彼には言いたいことがあったので東原さんの隣で機会を伺っていたけど、無理でした。むしろ最後はあたしと椎葉で彼女をなだめていました。アーメン。

 そして……彼の態度や言動から、自分の腕が燃えたことは一切覚えていないことを全員が確認。

 昨日はそこで解散になったけれど、全員が言いようのない疑問や不安を抱いていることは明らかだった。

 だからと言って、『堕落者』は手を抜いてくれないだろう。この、何だかよく分からない事態の原因が明らかになって、終息するのはいつになることやら。

「……あふ」

 ベッドの上であくびをかみ殺した。

 見上げた天井は見慣れた自室のもの。当然だけど。

 枕元に置いた携帯電話を見ると、時刻は午前9時半を過ぎた頃。

 何やらメールの着信ランプが点滅しているけれど……まぁいいや、後で確認しよう。

 本日は土曜日で学校は休みなので、もう少しグダグダ過ごしたいところだが、

「洗濯……あたしが当番だったよねー……」

 午前中のうちに干しておきたい派なので、重たい体に命令をして起き上がる。

 窓から差し込む光が眩しくて、少しだけ目を細める。

 いい天気なのにどこか憂鬱なのは……疲れているのかな、あたしってば。

 今日はなるべく外に出ず、ゆっくり休みたい気分になって……着替えもしないまま、あたしは自室を後にする。


 そして。


「遅いぞ樋口。何時まで寝ているつもりだったんだ?」

 階段を下りてリビングに入った瞬間、ソファーの上で新聞を読んでいた奥村先輩が顔をあげた。


 ……。


 …………。


「……どうして?」

 唐突な現実に脳内処理が追いつかず、勿論パジャマのまま立ち尽くすあたし。

 夢か? いや、裸足で床が冷たいから夢じゃない。

 雛菊が仕組んだ悪い冗談か? いや、奥村先輩がそんな申し出に応じるとは思えない。

 とりあえず本人確認から始めよう。

「あ、あの……奥村先輩ですよね?」

「それ以外誰に見えるんだ?」

 先輩本人であることに間違いない。

 制服ではない、白いポロシャツにジーンズというラフで見たことのない格好なので、正直なところ半信半疑だったけれど。

 ただ、そうなると更に疑問が続く。

「あ、あの……どうして我が家に?」

「雛菊さんに呼び出されたんだよ。これから行くって、樋口にメールを送っただろう?」

 見てません!!……本文は!

 ……まぁ、メールチェックを後回しにしたあたしが悪いんだけど。だから何も言い返せない。

 しかし、室内を見渡しても先輩の姿しか見当たらないのだ。

「あ、あのー……肝心の雛菊は?」

「外で洗濯物干してるぞ」

 そう言って窓の外を指さす先輩。

 窓の外には……確かに、あたしの制服のブラウスを干す雛菊の後ろ姿があった。

 夢じゃない、よね。彼女が率先して家事をしてくれるなんて、こんなの絶対おかしいと思うんだけど……。

 あたしが現実を受け入れられずに呆けて突っ立っていると、

「とりあえず……樋口」

「はい?」

「着替えてこい」

「分かりました……」

 奥村先輩の的確な指示により、すぐさま自室へ戻ることになったのでした。


 着替えと洗顔を済ませて再度リビングに入ると、先輩は勿論のこと、ダイニングテーブルに雛菊が座っていた。

 いつもの場所でいつもの和服、いつものお茶を飲む姿は、どこからどう見ても雛菊。

「おはようございます香澄さん。お寝坊さんですねー」

 笑顔で言われると、図星だから余計にムッとしてしまう。

「うるさいなぁ……」

 あたしは口をとがらせながら彼女の正面に座り、テーブル脇にあるコッペパンの袋を引っ張って手元に引き寄せ、その中身を取り出す。

「あら、そんなこと言っていいんですかぁ? 香澄さんが何時までも起きてこないから、私がお母さんに申し出てお洗濯を代わりに引き受けたというのに」

「それはそれはどうもありがとうござい……って、母さんいたの!?」

 あたしが驚いた声を上げると、雛菊は「ええ」と頷いて。

「先ほどまでいらっしゃいましたよ。悠樹さんにもご挨拶していらっしゃいましたけど」

「マジですか……」

 母さん、先輩に変なこと言ってなきゃいいけど……うぅ、怖くて聞き返せないチキンなあたし。

 気を紛らわすためにパンを一口かじったところで……口の中に水分が足りないので、むせ返りそうになった。

「あ……先輩、コーヒー飲みますか?」

 ついでに尋ねると、先輩が首を縦に振ったのが見えた。

 立ち上がって食器棚から適当にマグカップを取り出し、自分がいつも使っているものの隣りに置く。

 インスタントコーヒーの粉を各カップに入れて、ポットのお湯を注いだ。

「砂糖とミルクは必要ですか?」

「頼む」

 来客用のスティックシュガーとミルクを添えて、先輩のところまで持っていった。

 雛菊ってば、洗濯はしてくれたのに、先輩へはお茶の一杯も出していないんだから……。

 コーヒーの香りが湯気と一緒に立ち込めるカップを、先輩は無言で数秒見つめ、

「……樋口」

 自分の朝食に戻ろうとしたあたしを呼び止めた。

「何でしょうか?」

 振り返って尋ねると、先輩は……少しだけ気恥ずかしそうに、こう言う。

「その……砂糖、もう1本もらってもいいか?」

 ……へ?

 意外な言葉に、あたしはその場で目を丸くしたまま動きを止めてしまった。

 あたしの反応を確認した先輩が、更に視線をそらす。

 いやあの、勝手なイメージだけど……先輩ってばコーヒーはブラックで飲みそうなイメージだったんだもの!!

「……ダメか?」

 しゅんとした子犬みたいな先輩に、ペースが乱されるじゃないかっ!

「い、いえ、ダメじゃないですけど……正直に言ってください。あと1本でいいですか?」

 あたしの質問に、先輩は数秒考え込んで……。

「……あと2本」

「了解っす」


 そんな、先輩の意外な一面が分かったところで。

「さて、悠樹さんにお越しいただいたのは……昨日のことをお知らせしなければと思ったからです」

 先輩を手招きして、朝食を食べるあたしの隣りに座らせた雛菊が、本日の目的を切り出した。

「昨日、何があったのか?」

「先輩も知ってると思いますけど、昨日、久那センで爆発騒ぎがあったじゃないですか……」

 あたしと雛菊で事のあらましを説明すると、さすがの先輩も絶句。

「人間の腕に、炎が……?」

 目撃したわけでもないから、信じられないのも当然だけど……。

 雛菊はお茶を一口すすると、テーブルに置いた湯呑を両手で包んで、

「正直なところ、私も何が起こっているのか分からないのです……別の『管理者』にも探りを入れてみたんですけれども、そのような現象が起こっているのは、この久那市だけの様子でして……」

 雛菊は雛菊で、情報集めに奔走している様子だ。

「ただ、以前にお二人は……その、私に似た人物が話しかけてきたことがあると伺っていますが、本当でしょうか」

 以前は自分ではぐらかしておきながら、どこか神妙な面持ちで尋ねる雛菊。

 あたしと先輩がほぼ同じタイミングで首肯すると、彼女は……一度、小さくため息をついた。

「雛菊、やっぱりその人に心あたりがあるの?」

「心当たりといいますか……本来はこの場にいるはずのない存在なのです。だから私も半信半疑だったんですけれど……不可解な事態が続いていることが現実ですから、私も受け入れるしかないようです」

「どういうこと?」

 あたしが首をかしげると、雛菊は持っていた湯呑からお茶を一口すすって立ち上がり、

「ちょっと……本人に確認してきますね」

 いつもの笑顔を向けた。

「へっ!?」

 当然こちらは先輩ともども面くらってしまうのだが、雛菊は一度だけ、こちらにぺこりと頭を下げて、

「身勝手で申し訳ございません。皆さんにはきちんとした事実だけをお伝えしたいですから……不用意に情報を与えて混乱させたくないんです。そのためには、私から会いに行く必要がありそうです」

「じゃ、じゃあ、雛菊はその人の居場所に心当たりがあるの?」

「いいえ、どこに潜伏しているのか分かりませんが……気配をたどれば分かりますよ」

 雛菊は笑顔のまま……顔を伏せ気味にして、呟く。

「彼女の名前は蓮華れんげ、私と同じ『監視者』であり……前は私の双子の姉でした」


 ちょうど同時刻、久那市郊外にある運動公園。

 市民への運動を促進するために、グラウンドやジョギングコース、アスレチックが整備された施設だ。

 今日のような心地よい週末は、家族連れや地域の子ども会の遠足で賑わいを見せる。

 そんな施設内の一角、アスレチックを見渡せる小高い東屋に、人影が二つ。

「んー……外の空気って久しぶりかも」

 東屋内のベンチに座っている彼女は、風に長い髪をなびかせ、そのまま大きく背伸びをした。

 白いワンピースに灰色のパーカー、足元はスニーカーという、あまり運動には向かない格好。

「調子はどうじゃ?」

 隣で立っている女性の問いかけに、彼女は「うん」と頷いて、

「慣れてきたかも。こんなに上手くいってるのは初めてだよ。練習の成果ってやつ?」

「そうか、良かったな」

 女性はそのまま、眼下を見下ろした。

 アスレチックで無邪気に遊びまわる子ども、その周辺にシートを引いて、お弁当の準備をする大人。

 平穏な休日の風景だ。

 だけど、見つめる女性の目に、それらを慈しむ光はない。

 そこにあるは……冷たい、侮蔑とも感じられるような光。

「じゃあ、今日は亜澄がやってみればいい。分かるだろう?」

「うん、分かった。久しぶりだけど……やってみるねっ」

 亜澄、そう呼ばれた彼女は、その場からぴょこっと立ち上がって、

「時間を進めて――殺してあげるよ」

 その右手に日本刀を携えると、口元ににやりと笑みを浮かべた。


 何となく、『監視者』であることは予想していた。でも、前は双子の姉でしたって言われるとは思わなかったから。

 そういえば、『監督者』とは何が元になった存在なのか、雛菊は何も言っていないけれど、

「要するに、雛菊さんも俺たちと同じ『繁栄者』だったことがあるんだろうな」

 腕組みをした先輩が、ぽつりと呟いた。

「俺達はそもそも、『堕落者』の成り立ちも知らない。意志のない無機物にしか入り込めないのは、『堕落者』そのものが意志を持っているから……だったりしてな」

「ってことは、『堕落者』も元は人間……あたし達と同じってことですか?」

「その可能性が出てきたってだけだ。真相は、『監督者』しか知らないだろうさ」

 少しだけ投げやりに言葉を切ると、椅子から立ち上がる先輩。

「さて、俺はそろそろ……」

 帰る、そう言いかけた言葉は、スボンのポケットで震える携帯電話によって途切れた。

 震え続けているのでどうやら着信の様子。ポケットから取り出した携帯電話のディスプレイを見つめ、先輩が顔をしかめたのが分かった。

「公衆電話……?」

 どうやら、公衆電話からの着信らしい。首をかしげながら通話のボタンを押し、耳元に本体を近づけた。

「もしもし? ああ、華奈か、どうした? 今日は子ども会で久那スポに……」

 華奈?

 あたしには思いあたる人物がいないけれど、名前で呼ぶくらいだから相当親しいんだろう。

 ……彼女、とか?

 そんな噂だって聞いたことがないけれど、先輩のことだ、そういうのは上手く隠していそうな気もするし……。

 あたしが隣で聞き耳を立てていると――刹那、先輩の声色が変わった。

「何だって!? それは……あ、ああ、分かった、華奈はそこにいろ。すぐに迎えに行くから、動くなよ」

 何やら切迫した気配がある。

「大丈夫だ。絶対行くから、そこで待っててくれ」

 先輩は最後にもう一度念を押すと、携帯電話のボタンを押して通話を終了した。

 そして、座っているあたしを見つめる。

 嫌な予感がした。

「樋口、今日は何か予定があるか?」

「え? あ、いや、別に何もありませんけど……何かあったんですか?」

 先輩の表情に余裕がないのだ。

 ここまで焦りを見てとれるなんて、至極珍しい光景。

 立ち上がったあたしに、先輩は悲痛な面持ちで言葉を紡ぐ。

「妹が……危ないみたいなんだ」

「妹さんが?」

「ああ、今日は子ども会で久那スポーツパークに遊びに行ってるんだが……突然、地面や木々が凍ったみたいなんだ。更に、逃げ遅れた人も凍り始めてるって……」

「なっ……!?」

 想像出来ないほど非現実的な話だけど、今のあたしには、それが事実にしか思えなかった。


 あたしの住んでいる地域から問題の久那スポまでは、バスで15分ほどのところにある。

 ただし、急いで現場に向かう必要があるので、

「樋口、道は分かるか?」

「任せてください! 飛ばすので……ついてきてくださいね!」

 先輩が我が家まで自転車で来ていたことが幸いだった。

 あたし達は住宅街の裏道をすっ飛ばし、国道を横切って、問題の久那スポを目指す。

 問題の場所へ近づくにつれて……車が久那市市街地方面へ渋滞を起こしていることが分かってきた。

 久那スポから逃げてきた家族連れだろうか、ちらりと見えた顔は顔面蒼白。徒歩や自転車ですれ違う人も、唇は青いし、顔色は白いし……異常な光景だった。

 そして、自転車を飛ばすこと15分。問題の久那スポ入口までたどり着いたものの、

「先輩……あれ、どうしますか?」

 大きな正面の入口は、警察らしき車両と武装した人々が完全に封鎖していた。

 とりあえず近くの駐輪場に自転車を止めてから、改めて周囲の様子を伺う。

 入口は警察の皆様が完全封鎖。勿論横からも入れるのだが……ロープが張られているのが見える。

 多分、他の所も同じ状態だろう。あたし達が中に入ろうとしても、危ないからと止められるのがオチだ。

 雛菊の気配は……まだ、ない。

 蓮華さんって人と談笑でもしているんだろうか。こんな大変な時に!!

 そんな入口の脇、大型バスが駐車する専用の駐車場に、中から逃げてきた人たちがそれぞれ輪になって、不安そうな表情を浮かべていた。

 その数は……50人以上いるだろうか。大勢の人が穏やかな休日を過ごしたくて、ぶち壊されたことが分かる。

 ……許せない。素直にそう思った。

 と、

「華奈!!」

 隣にいた先輩が、弾かれたように走り出した。

「あ、奥村先輩!?」

 慌てて後を追う。

 逃げてきた人たちの輪の中で、先輩の声に反応した女の子がいた。

「お兄……ちゃん……」

 小さな女の子だ。髪の毛を高い位置で二つに結いあげ、ぱっちりした瞳。キャラクターがプリントされているリュックサックを背負い、襟のついたポロシャツとキュロットがよく似合っているけれど……その顔には、安堵と疲れの色があった。

 先輩は近くにいた付き添いの大人にも挨拶をしながら、しゃがみ込んで、妹さんに怪我がないかどうか確認する。

「無事で良かった……大丈夫だったか?」

 先輩の言葉に、妹さんはようやく笑顔で頷き、

「お兄ちゃん……本当に来てくれたんだ」

「当たり前だろう? だけど……よく電話出来たな。番号は知ってたのか?」

「うん。お財布の中にメモを入れておいたの」

 しっかりしてます。さすが、先輩の妹さん。

 と、先輩が付き添いの人から呼ばれたのでその場から離れ……妹さんの視線は、自然と、先輩の後ろにいたあたしへ移る。

「……お姉ちゃん、お兄ちゃんのお友達?」

「へ!? あ、うん、まぁ……そうかな。お兄ちゃんがここまでの道が分からないって言ったから、連れてきたの」

「本当? ありがとうお姉ちゃん、お兄ちゃんを連れてきてくれて」

 屈託のない笑顔に、思わずあたしの頬も緩んでしまった。

 と、そこに先輩が戻ってくる。

 そして再度、妹さんの目線までしゃがんで、

「華奈、これからみんなバスで帰るそうだ。兄ちゃんは自転車で来たから、華奈はみんなと一緒に帰るんだぞ」

 先輩の言葉に、妹さんは無言で頷く。

 ここで泣いたり駄々をこねたりしないところは、本当に良く出来た妹さんだと思った。

 けれど、その表情が陰ったことを見逃さない先輩は、妹さんの頭にぽんと優しく手をのせて、

「心配するな。家には父さんもいるし……兄ちゃんもさっさと帰る」

「本当?」

「ああ。兄ちゃんが嘘をついたことないだろう?」

 それを聞いた妹さんは、無言で頷く。

 その表情は、先ほどと違う……目の前の先輩を完全に信頼した笑顔だった。


 とはいうものの。

 状況は何も変わっていない。

 雛菊の気配はない。

 相変わらずあたし達は中に入る手段もなく、どこかに警備の穴はないかと移動を考えていた、その時。

「香澄ちゃん、悠樹!!」

 横から名前を呼ばれてそちらを向くと、こちらに走ってくる椎葉の姿が見えた。

 金髪なので目立って仕方がない彼は、ジーンズのジャケットを羽織り、足元は7分丈のカーゴパンツ。金髪でなければ彼だと気付けなかったかもしれない。

「雛ちゃんは、まだ来てないの?」

 確認するように問いかける椎葉に、あたしは首を縦に振って、

「そうなのよ……ったく、どこで油を売ってるんだか……!」

「そっか……とにかく、中がヤバいことになってる。抜け道があるからさっさと移動しようぜ」

「抜け道!?」

 思わず声を上げると、椎葉が「しーっ!」と、人差し指を口元にあてて、

「香澄ちゃん声がでかいよ! 他の人がついてきたら面倒っしょ?」

「ご、ごめん……でも椎葉、どうしてそんなこと……」

「まぁ、俺にも色々あるんだよ。絢芽ちゃんへの連絡は……まぁ、これは嫌でも気づくか。一応メールは送ってあげよっと」

 てきぱきと携帯を操作しつつ、ふと……椎葉はあたし達ににやりとした目線を向けて、

「っつーか、お二人さんは仲良しだねぇ……土曜日にデート?」

「ち、違うわよ! 昨日のことを先輩に説明してただけで……!」

「本当に?」

「嘘なんかつく理由がないじゃない!」

「ふーん……ま、そういうことしてあげよう」

「ぐぬぬ……!」

 あの顔は絶対にそう思ってない! ムキになって言い返すのは逆効果だって分かっているけど……何だか悔しい!

 そんなあたし達の様子を、先輩はジト目で見守っていたのだが……。

「……東原へのメールが終わったら行くぞ。まだなのか?」

 その一言で、椎葉の指の動きが速くなるのでした。


 椎葉が案内してくれたのは、正面の入口から施設の外周を4分の1ほど進んだ所にあるフェンスの前だった。

 フェンスの向こうは久那スポの敷地内。雑草や木々が覆い茂っているエリアで、人が足を踏み入れた形跡はない。

今いる道を挟んでの反対側には、工場のような灰色の細長い建物が建っているので、人に見られる可能性も低い。

 だけど、

「椎葉、本当に大丈夫なの?」

 あれだけの包囲網が敷かれているというのに……ここだけ穴があいているだろうか。

 疑問の目を向けるあたしに、彼は親指を突き立てて、

「大丈夫。ここは現場から遠いから。それに、俺もここから出てきたんたぜ」

「……まぁ、いいけど」

 今は彼を信じるしかない。あたしと先輩はそれぞれフェンスの金網に足をかけて、そのままよじ登っていく。

 椎葉も周囲を見渡しつつ。するするとフェンスをよじ登って、上から軽やかに着地。

 踏みしめた小枝がぱきっと音を立てて折れる。

「椎葉……身軽なんだね」

 一歩遅れてよたよた着地したあたしは、彼の底知れぬ能力に感嘆の声をもらす。

 彼はくるりと振り返ると、そんなあたしをニヤニヤした表情で見つめて、

「凄い? もしかして惚れちゃった?」

「んなわけあるかっ!」

 やっぱり彼は彼なのだった。


 あまり手入れされていない雑木林を抜けて、椎葉の案内のもと、現場を目指す。

「彼が大騒ぎしてるのは遊具があるところだけど……割とショッキングな映像だから、覚悟してね」

 遊具のある広場までは、ここから直線距離で100メートルくらいだ。

 普通に遊歩道を通って行けばすぐなんだけど、あまりおおっぴろげに行動出来ない現実が立ちはだかる。

 椎葉を先頭に、あたし、先輩という順番で縦に並んで動く。

 草むらに隠れたりして、慎重に警備をかいくぐりながら、椎葉がぽつりと呟いた。

「ショッキング?」

 あたしの言葉に、前を行く椎葉は首を縦に振って、

「人が凍ってるから。いやもうマジでね」

 彼の口調は、努めてふだんの調子から外れないようにしているような気がする。

「凍ってる……その場で?」

「ああ。逃げ遅れたり、本人に向かって行った人々はことごとくやられてる。正直、警察も手を出せないんじゃないかな」

 そう言いながら周囲を見渡し、最善の道を選択している椎葉。

 見通しの悪い茂みや、通ったことのない裏道まで……椎葉、ここに住んでいるのかと疑いたくなるほど、園内を熟知している。

 今だって、昼間なのにどこか薄暗くて、決まった道のない雑木林を迷いなく歩き続ける椎葉。

 それに疑問を抱いたのは、あたしだけではなくて。

「椎葉、お前、詳しすぎないか?」

 後ろを気にしながら、先輩が彼に問いかけた。

 その質問に、椎葉は歩みを止めることなく、一言。

「そりゃそうですよ。俺、こーゆーこと頑張ってますから」

 あたし達がその言葉の意味を知るのは、まだ、もう少しだけ先のこと。

 だって……先輩がその言葉に突っ込もうとした瞬間、空気が変わったのを肌で感じたからだ。

 全員が薄手の長袖を着ているけれど、その上からでも凍てつく寒さをひしひしと感じる。

 確かに今は日の光がまばらなところを進んでいるけれど……呼吸がうっすら白い。顔に冷気が張り付いて、パリパリした。

 足元の落ち葉や小枝も冷たくなって、踏みしめる音が軽快になっている。

 あたしと先輩が異常としか思えない変化に言葉を失っていると、不意に、椎葉が足を止めて、

「とりあえず……見てみなよ」

 あたし達を彼の隣で誘導した。

 雑木林の切れ目、身をかがめながら外を覗きこんで……言葉を失う。


 あたし達がいる場所は、アスレチックがある公園よりも高い位置にあり、全体を見渡すことが出来る。

 あたしも、久那スポには来たことがあるし、アスレチックで遊んだことがあるけれど……。


「何、これ……」


 そう言うのがやっとだった。

 季節はずれも甚だしい氷の世界。地面にはうっすらと霜が降り、大型のローラー滑り台や、木で作られたやぐらのようなアスレチック、遊具の間に生えている木等、問答無用でアニメみたいに全てが凍りつき……その近くや遊具の中にいた人もまた、氷の中に閉じ込められている状態だ。

 その数、10人は超えているだろうか。死角もあるから定かではないけれど。

 思わず目をそらした。申し訳ないけれど……あまりにも生々しい表情を、見ていられなかったから。

 警察も近づけず、この広場への入り口で立ち往生したまま。

 そして……やぐらのてっぺん、凍らずに仁王立ちしている人の姿がある。

 年齢までは分からないけれど、細身でひょろひょろの印象。前髪が長く、表情は分からないけれど……醜悪な笑みを浮かべているように見えた。

「どうだ雑魚ども、思い知ったか!!」

 刹那、問題の彼が警察の方を向いて奇声を発した。

 その姿はまるで、何か悪いものにとり憑かれているようにも見える。

「僕は力を手に入れたんだ! もう誰も、僕の邪魔をさせない! お前ら全員氷漬けにしてやんよ!!」

 彼の両手には、じんわりと青い何かがまとわりついていた。

 あの手で触れたものを凍らせてしまうのだろうか。

 この異常事態、雛菊の気配は……まだ、ない。


 さあ、どうする?

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