↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/19

―情状酌量はありません―・下


とりあえず一緒に暮らす家の条件を挙げてみようと、ゆめは一人ノートPCへと向かう。


レポート用紙には、思いついたものを書き記してある。

それを実際の賃貸情報を見ながら、現実にすりあわせていくことにした。


家は、学校の傍であることは譲れない。

問題は、講義棟を取るか、研究棟を取るか。


広すぎる学校ゆえ、エリアの選択肢が増える。


それから、部屋の数。


今なら二部屋あれば十分な気がするが、結婚を考えた時にそれで良いのかがわからない。


家電をどうするかの問題もある。

ゆめも郁人も、最低限の家電しかない。


洗濯機は買うとして、衣類乾燥機は必要?

それから、冷蔵庫はお互い備え付けの小さいものだけだけど、それも買わないといけないだろう。

でも、どのサイズが必要かは、わからない。


ベッドは新しくするべきなの?


調理家電をどこまで買う?


考えれば考えるほど、正解から遠ざかっていく気がした。


とりあえずインターネットでざっとこのあたりの家賃の平均と、それから敷金礼金などの必要経費、そして購入予定の家電などを適当に選んで試算する。


はじき出された金額が、大幅に想定を超えて頭を抱えてしまった。


どこを譲って、どこを譲らないか。


それすらも、答えが出なかった。



「ゆめ……?」


シャワーを終えた郁人が、PCの前で頭を抱えているゆめの姿を見つける。

少しだけ語尾の上がる疑問系で尋ねながら、画面を覗いた。


その画面を見て、「ああ……」と理解したような声音に変わる。


「試しに、色々わたしなりの条件で試算してみたんです。

 とてもじゃないですが、予算が足りませんでした。

 削っていい条件残す条件、郁人はどう思いますか?」


郁人は、しばらく画面を見たまま黙っていた。


「……正直に言うと」

少し間を置いて、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「俺は、何が必要かを、まだ決められていない」


郁人の目が、崩れた私物の方へと移った。


「今までの生活は、“困らない最低限”を積み上げただけだった。

 だから、何を優先するかと聞かれると……答えがよくわからない」


郁人は再び画面へと視線を移す。

ゆめの描いた条件が、一つずつ並んでいた。


「ただ、一つだけはっきりしている。

 “効率”を理由にした判断基準は、もう正解じゃない」


ゆめはその言葉に、彼の方を振り向いた。


彼の目線は、未だ画面に固定されていた。


「……家は、二人で話せる場所であってほしい」


郁人の目が、初めてゆめの方を見る。

今語る彼の言葉が、熟考された末のものだと伝わってくるような語り口だった。


「研究室みたいに、それぞれが黙って作業する場所じゃなくて。

 ちゃんと、生活の話をする余白を残したい」


「……それ、条件としては一番難しいですね」


冗談めかして言いながらも、その言葉は本心だった。


部屋数よりも何よりも、そこから生まれる関係性の問題だ。


「でも、たぶん。

 そこを決めないと、他も決められない気がします」


郁人は静かに頷く。


まだ、答えは出なかった。



とりあえずはプロに相談した方が良いだろうと思い、二人で不動産屋へ出向いていくつかの場所を内見した。


実際に見るのと、図面上で見たときの感じ方に大きく差があることはすぐにわかった。


二部屋でも、一部屋のサイズが四畳半なのは、二人が運用するには少し難しいと感じたこと。

家の立地が大きな道路沿い、壁が薄いなどで内見時すでに騒音が多いこと。

不動産屋はカーテンを着けると騒音は減ると言っていたけれど、この壁の薄さでは足音一つ扉の開閉一つに気を遣うだろう。


ブレーカーの契約アンペア問題。

コンセントの数と位置。


不動産屋で見た室内写真は、あくまで写真であること。


築年数も参考でしか無く、かなりの年数が経っていてもリノベーションされて中は快適に暮らしやすくなっていたり、その逆もまたあった。


実際の感じ方は見てみないとわからない面も大きく、日当たりや窓からの眺め、お隣の建物との距離間などは絶対内見必須だと感じた。


内見先で隣のマンションの廊下が広がった窓辺を見て、そこに洗濯物を干したいとは思えなかったし、カーテンを開けたいとも思えなかった。



「家探しって、難しいですね」


不動産屋からの帰り道。

並んで歩きながら、ゆめがため息交じりに呟いた。


大学に入るときは、こちらに住む叔母と母が姉妹で話しながら決めてくれたのを思い出す。

親が出してくるものの中から、気に入ったものを選ぶだけだったのに、そのときのゆめは自分で選んだつもりでいた。

実際はかなりお膳立てされた選択肢が与えられていたことに、今になって気が付く。


「ああ……悪くはないと思ったが、決定するほどのものもなかった」



ガチャリと家の玄関ドアを開く。

相変わらず積み上げられた服の山を前にして、ゆめは改めて考え込んだ。


今のこの状態がダメであることが判っていても、この服の仕舞い方がわからない。

畳んだとしても入れる場所もない。

クローゼットは一つしか無く、すでに埋まり気味。

そこにこの前は無理矢理服を詰め込んだことで事故った。


簡単な料理を作ろうとインターネットでレシピを検索したけれど、そもそもの調理器具が無く、大さじ小さじすら計れない。

フライパン一つすらないのも問題だが、この家のキッチンはそもそもお湯を沸かすための電熱線仕様の一口コンロしかない。

作業スペースなど皆無に近く、普通サイズのまな板すら置けない。


まなにレシピを教えて貰おうなどと思っていたが、自分が教えて貰う入り口にすら立てていなかったことに、やろうとして初めて気がついた。



思いつく改善案に、限界が見え始めたことをゆめは正確に感じ取っていた。



買ってきたお総菜をローテーブルに並べる。

それから、冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注いだ。

ペットボトルで済ませていた以前の状態から、ここだけはゆめが改善をした。


電気ケトルで沸かしたお湯を、容器に茶葉と一緒に注ぐだけでできあがる。

ペットボトルは一つずつは小さな金額だが、毎日となると大きな出費になる。

コップと容器を洗う手間を惜しまなくなったのは、ゆめの小さな第一歩であった。


ふと、コップを差し出しながらゆめは違和感に気がつく。


今までなら“効率的”だと気にしなかった、お総菜の並べ方。


洗い物を出さない工夫だった、開いたパックの有効活用。

蓋の部分にもおかずを分けて並べている今の状態を、改めて見つめてしまった。


ゆめは自分の子どもにこの食事を差し出す姿を想像して、ぞっとした。



この食事風景も誰にも見せられないなと、ゆめはまた一つため息をついた。


郁人は何も言葉を発さず、ただ静かに箸を動かすだけだった。



◇


研究室でレポートを纏めていると、がちゃりと奥の扉が開いた。


白衣を着た佐伯さんが、同じくPCの前で結果と向き合っている郁人に声を掛ける。


「すみません、教授、沢木さん。

 ちょっと聞いてもいいですか?」


研究結果を纏めたであろうレポート用紙片手に、すぐに真剣な議論を交わし合う。

うまく研究が組み立てられなくなったときに、分野をよく理解している第三者の目線を入れることが、いかに大切か。

教授だけでなく郁人の意見も取り入れようとする様子は、この研究室では珍しくない。


その姿を自分の作業をしながらも見つめることで、ゆめも今の生活の行き詰まりに対する出口の方向が、少しだけ見えてきた気がした。


佐伯さんは自分で何度も試行錯誤を繰り返している。

ただ意見を求めにいっているわけではないからこそ、教授も郁人も真剣に話をする。



帰宅後、ゆめは現時点での問題点を気がつけた分だけ紙に箇条書きで書き記していく。

そして、それに対して浮かんだ対応策と、迷っている対応策、答えが出ない対応策を、矢印を引いて横に書き出す。


それをじっくり見つめて考えながら、スマートフォンを取り出して文面として組み立てていった。




『件名:先日はありがとうございました(ご相談)


先日はお時間をいただき、ありがとうございました。


あの後、二人で実際に不動産屋へ行き、いくつか内見をしました。

図面や条件だけでは見えなかった問題点も多く、生活を前提にした判断の難しさを実感しています。


現在、

・住環境の優先順位

・初期費用と継続費用のバランス

・生活導線の取り方


この三点で判断が止まっています。


もし可能でしたら、

「どこまでを自分たちで決めるべきか」という観点で一度ご意見を伺えないでしょうか。


お忙しいところ恐れ入りますが、ご都合のよい形で構いません。


よろしくお願いいたします。


保坂 夢』



一度文面を作成してから、保存を押す。


本当にこのようなことを相談しても良いものか、文面に失礼はないか、一瞬だけ臆病が顔を出した。


それを振り切るように首を振ると、テキストを開いている郁人の隣へと移動する。


「郁人、今良いかな?」


彼はすぐにテキストから顔を上げると、頷いた。


「……お母様にご連絡をしたいと考えています。

メールアドレスを、教えて貰えませんか?」


その言葉は予想していなかったようで、わずかに彼の目が揺らぐ。


一拍の間。


「……ああ、わかった」


郁人は、自分のスマートフォンを操作し、メモリーを呼び出す。

表示されたアドレスを、ゆめは一字一句間違うことがないように、繰り返し確認しながら丁寧に入力した。


「ありがとうございます」

微笑むゆめに、少し遅れて郁人の頷きが返ってくる。


ゆめはもう一度、文面を見つめた。


(……よし、朝改めて見てから、問題がなかったら送ろう)


スマートフォンを手放すと、大きく伸びをした。



翌朝、ゆめは送信ボタンをそっと押した。



――返信が来たのは、それから数日を挟んだ朝だった。



メールの受信通知を見て、ゆめが緊張から息を飲み込む。


気持ちを落ち着けてから、静かに開いた。



『件名:Re: 先日はありがとうございました(ご相談)


ご連絡ありがとうございます。

内容は拝見しました。


まず一つだけ。

「どこまでを自分たちで決めるべきか」という問いは、現時点では少し早いと感じます。


あなたが挙げた三点は、すべて「判断が必要な項目」ではありますが、まだ「基準」が定まっていないように見受けられます。


質問を変えましょう。


・今の生活で、すでに破綻している点はどこですか

・それを放置した場合、誰が困りますか

・困るのは「今」か「将来」か、どちらですか


この三点について、あなた自身の言葉で整理してみてください。


正解を書く必要はありません。

考えた痕跡がわかる形であれば十分です。


それを見てから、次の話をしましょう』



届いたメールを何度も見返す。

真剣に受け取って返してくれたその文面を見て、ゆめはまだ何も進んではいないけれど“見捨てられていない”という安心感を抱いた。


早速、以前問題を書き出したレポート用紙を見つめながら、提起された質問について考え始めた。


破綻している点は、衣食住の不安定。

合理的だと思っていた部分が、すべて“その場しのぎ”だった。

将来にわたって継続した場合、真っ先に困るのは、自分たちは当たり前として将来の家族などの第三者、そしてそれが原因で体調を崩した場合、研究や仕事の関係者も含まれてくる。


将来困るというのはわかっていたが、再度見つめ直すことで、“今”も生活が破綻している面が多い。


ゆっくりと授業の準備を始めると、スマートフォンを一旦閉じた。



ゆっくりと時間を掛けて作成した文面を、何度も読み返す。


『件名:返信ありがとうございました


現時点で、まだ整理途中ではありますが、ご指摘いただいた三点について考えた内容をまとめます。


【すでに破綻している点】

・衣類や食事、住環境が「その場しのぎ」で成立しており、継続する前提で設計されていない

・体調不良や予定変更があった場合、一人が無理をすることでしか成り立たない


【放置した場合に困る人】

・まずは自分たち

・次に、研究や仕事に関わる周囲

・将来的には、家族になるかもしれない第三者


【今か、将来か】

・これまでは「将来困る」と思っていましたが、生活を具体的に書き出す中で、すでに「今」成立していない部分が多いと感じました。


まだ判断基準を言語化できていませんが、何が問題なのかを見ないふりにしない、という点だけは自分の中で決めました』



スマートフォンに向かって真剣な目を向けているゆめを、郁人はそっと見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。