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―飽和した努力を結晶に変えましょう―・下


鹿児島から帰ってきた次の週。

さっそく二人で作り直したレポート用紙片手に、不動産屋を訪れた。


部屋数は二部屋。LDKつき。


二部屋の理由を聞かれ、研究資料の管理のためと理由をあげると、それでしたら……と不動産屋が出してきたのは1SLDKと呼ばれる物件だった。


「S……?」


「サービスルームと呼ばれている、居室とはまた違うお部屋……倉庫があると思ってください」


プリントアウトされた数枚の図面を見てみると、どれも三畳程度の部屋が配置されている。


「建築基準法で居室と認められない部屋なので、換気の面とか採光の面で問題があることが多いです。

部屋としてはカウントされないのですが、日を当てたくない趣味のものを置いたりされる方には重宝されていたりします」


「……見てみないとわからないよね」


「ああ、そうだな。

 2LDKと1SLDKで見比べて、良いと思うところを探そう」


二人が頷いたのを見て、不動産屋は実際に内見をする物件を纏め始める。

図面の段階で引っかかりがあったものを除外していく。

四カ所ほどをピックアップし、実際に内見に行った。


一カ所目の1SLDKは、いかにもな倉庫だった。

入った瞬間に、少しカビのような匂いもする。


郁人がそれを口にすると不動産屋もそれを否定しなかった。



二件目は2LDKのマンションの一室だった。

分譲タイプのマンションの一部を賃貸に出しており、エントランスなどの防犯面はバッチリだ。

中も新しめで綺麗だが、床が全面クッションフロアになっていて、少し作り物めいた違和感はある。

収納も多めで、広いダイニングとリビング、それに繋がる対面キッチン。


とりあえず良いモノも見ておこうと思って入れたその部屋は、家賃も他三件からは飛び抜けて高かった。



三件目は再び1SLDK。

こちらのサービスルームは、しっかりと換気扇が付いていてかび臭さなどは感じなかった。

窓は無く、ダウンライトが室内を照らす。

可動式の棚が設置してあり、工夫次第ではウォークインクローゼットとしても使えると言われた。

研究資料を置くにはベストな場所である。


部屋の方も、洋室は八畳と広く、机とベッドを同時に置いてもそこまで問題はなさそうだった。

LDKは開放的で、なにより他よりもキッチンの作業台の広さが魅力的だった。


「まなちゃんの家と同じくらいの広さがありそうだね」


郁人がスケールで長さを測る。


メモを取り出し、照合しながら「同じサイズで間違いない」と頷く。


不動産屋の人はしっかり調べられていてすごいですね、と笑いながらキッチンは規定サイズがあるので、賃貸で広めキッチンとなると同じサイズになりやすいと説明した。


「その作業スペースを検討されるとなると、お二人でキッチンに立つ前提の方なのですね。

キッチンの高さは奥様向けなので……ご主人が立たれると少し低いかもしれません。

ご希望でしたら、もう少し高いサイズのキッチンが置いてある物件もありますよ」


夫婦扱いにドキリとして郁人の顔を見る。


「ゆめが一番使いやすいならそれでいい」


郁人の方は相変わらず、淡々とした声だった。


洗面・脱衣所のスペースを見て置ける洗濯機のサイズを想定したり、トイレに案内されたときは陸の言葉を思い出して扉が近すぎないかを思わずチェックした。


コンセントの位置やブレーカーなど、後から困りそうな部分を先に確認して行く。


エレベーター付きの物件ではあるが、三階の部屋なので使わなくても何とかなる。

今のゆめの家はエレベーターなしの三階だが、特に苦も無く生活できていた。


「……ここ、良いですね」


ゆめが口にすると、郁人も頷く。


「……一つだけ、問題をあげるとするなら。

 学校からは、今より少し遠くなる」


「確かに!」



最後に見たのは、再び2LDKだった。

こちらは現実的な家賃のほうで、六畳の部屋が二つに、同じくらいの広さのLDK。

どうしてもLDKが小さく見えてしまうのだが、しっかり二部屋あるのが魅力の物件である。

キッチンは普通サイズで、特に大きく引っかかる点はなかった。



その場で即決はせずに、一度持ち帰ってから二人で改めて話し合った。


第一印象というものはやはり大きく、結局三番目に見た物件を契約した。



ゆめは契約を終えたその日、郁人の母にメールを送った。


家が決まったことと、その間取り写真を添付して。


彼の母からは、了解しました、とだけ返信が返ってきた。



◇


新居へ持って行くものを二人で話し合った。

ベッドは、ゆめのものを使うことにした。

郁人のベッドは最低限で選んだものらしく、寝心地の点ではゆめの方が優れていた。

どちらも同じセミダブルのサイズ。

二人で寝られないサイズではないのは、もう検証済みである。


ローテーブルも、ゆめのものを使う。


こだわって選んだお気に入りではあったので、それを選んでもらえたことが嬉しかった。


郁人の家から持って行くものは、衣服と研究資料・学校関連のテキスト以外はほとんど無かった。


ベッドも中途半端なサイズのソファーも要らないという彼の判断に、素直に頷いた。


大型の家具だけ業者に依頼し、後はほとんどを自分で運んだ。

引っ越し作業と並行して、服の山は消えていった。

インターネットである程度見当をつけ、家電量販店で実物を見て決定した家電類は、纏めて複数買ったことで割り引いて貰えた。



講義が夏休みに入る頃には、二拠点生活に終わりを告げた。


初めて完全にこちらで生活を始めた日。

二人で教えて貰った生姜焼きを作った。

たれを絡めた後に少し火力が強すぎたようで、ちょっと焦げてしまったけれど。


ちゃんと作れたことが嬉しかった。


郁人の母に、生活を始めた報告と合わせて一緒に作った生姜焼きの写真を送る。


その日のうちに、返信が届いた。


『写真、拝見しました。


 甘いだけではなく、金平糖のように芯ができ始めていますね。


 それで十分です』



方向性は、間違っていなかったのだとスマートフォンを抱きしめる。

不思議そうにこちらを見ている彼にも、画面を見せた。


彼もまた、頷いた。


一歩だけど、確実にまた前に進めた。



◇


夏休みは丸一日研究に没頭できる。


郁人もゆめも、朝二人で研究室に向かう。


ゆめが作った朝ごはんを二人で食べて、郁人が洗い物をする。


お昼には、昨夜のうちに詰めた残り物入りのお弁当。


いつもだったら郁人とギリギリまで研究していたゆめだけど、一足早く他のメンバーが帰宅する時間に合わせて帰宅し、買い物をして夕飯作りに取りかかっていた。

郁人も合わせて帰ろうかと尋ねてきたけど、郁人の集中を切らせたくなかったからそれは断った。


役割分担が上手く回っているはずだと思うと、ゆめは少し嬉しかった。



朝。

郁人が、コーヒーを淹れながら言った。


「今日はパンでいい。

昨日、遅かっただろう」


ゆめは一瞬だけ考えてから、首を振る。


「大丈夫。

その分、夜は早く寝るから」


郁人は、それ以上言わなかった。


――けれど、その「夜」が、実際に早くなることはなかった。


今朝も、同じように並んだ朝ごはんに手を合わせた。

焼き鮭が少しだけ焼きすぎなのは、ご愛嬌である。



研究室に向かうと、昨日の実験結果を纏める。

ノートPCに集中して向き合っていると、すっと横から見慣れたクマのマグカップが置かれた。


「すみません、勝手に淹れました。

 保坂さん、なんだか疲れて見えて。

 要らなかったら捨てて」


「いえ、ありがとうございます」


村瀬さんが、少し心配の色が滲む声で話しかけてくる。

肯定も否定もせず、お礼だけ伝えて受け取った。


カップの温かさとコーヒーの苦みが、思ったよりも心地よく身体に沁みた。



家に帰り、夕飯を並べようとしていたところで玄関の鍵が開く音がする。


ちょうど手が空いたタイミングだったので、玄関の方へと歩いて行った。


「おかえりなさい」


郁人は、ゆめが出迎えに来てくれたことに少しだけ驚いた様子だった。

返事が一拍遅れる。


「……ただいま」


「こうして出迎えるのは初めてですね。

 少し恥ずかしいです」


ゆめの言葉に、郁人の口角が数ミリ上がったことに、ゆめだけが気がついた。


ゆめだけがわかる笑顔を見た瞬間、飛びつきたいと思ってしまった。


「まぁ……そのうち慣れる」


いつもの調子の郁人の声。


ふと、気がついてしまった。


GWのあの後から。

彼とそういう恋人同士の触れ合いが、一切なかったことに。


彼だけのせいではない。


ゆめだってそんな気持ちになれなかったのだから、今まで気がつかなかった。

郁人も同じだろう。


だけど、気がついてしまった。

このまま自然に触れ合いが無くなってしまうのは、ゆめの望むところでは無かった。



(……一ヶ月、今の生活がきちんと継続できたら)


(……そのときは、わたしからキスしたい)



郁人の知らないところで目標を掲げ、再び食事を並べるためにキッチンへと戻っていった。



◇


九月が近付き、やっと一ヶ月を乗り越えられそうだと思っていたその時。


ゆめの身体は静かに限界を迎えた。



最初に気がついたのは郁人だった。


真夜中、眠っている彼女の呼吸が小刻みで、そして浅い。


触れた肩から伝わってくる体温は、いつもの比じゃないくらい、熱かった。


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