20話 旧き神々の襲来
再び愛を確認し合った二人の上に、夜が訪れた。しかし、この夜は普通の夜ではなかった。月も星も姿を隠し、まるで世界から光が失われたかのような、異様な闇に包まれていた。
「来るぞ……」
焔が低く呟いた。祠の前に立つ彼の全身から、緊張感が伝わってくる。
「焔様……」
花蓮は焔の隣に並んで立った。胸に抱いた桃色吐息の花が、わずかな光を放っているように見える。
突然、地面が激しく揺れ始めた。地震とは違う、何か巨大な存在が地中から現れようとするような振動だった。
「ググググ……」
低い唸り声が大地の底から響いてくる。それは人間の耳では聞き取れないほど低い音で、骨の髄まで震わせるような恐ろしい響きだった。
祠の前の地面に亀裂が入り、そこから紫色の瘴気が立ち上がった。腐敗した花の匂いと、死者の息のような異臭が辺りに漂う。
「ついに現れたな……旧き神々よ」
焔の声には、覚悟が込められていた。
瘴気の中から、巨大な影がゆっくりと立ち上がってくる。それは人の形をしているようでもあり、巨大な樹木のようでもあった。全体が苔むした古い岩のような質感で、所々に腐った花が咲いている。
「久しいな……神喰い焔よ」
影から響く声は、何千年もの時を経た古木がきしむような、深く重い響きだった。
「我らが眠りを妨げた報い、受けてもらおうか」
花蓮は恐怖で身を震わせたが、焔の隣から動こうとはしなかった。
「貴様らが勝手に眠っていただけだ」焔が応じる。「この世界は既に変わった。貴様らの時代ではない」
「変わった?」旧き神が嘲笑を浮かべる。
「人間どもが大地を汚し、森を破壊し、我らを忘れ去っただけのことよ」
その時、他の方向からも地割れの音が響いた。一体だけではない。複数の旧き神々が、祠を取り囲むように現れ始めていた。
東から現れたのは、巨大な猪のような姿をした神だった。全身が刺だらけで、その刺の先端からは毒々しい液体が滴り落ちている。
西からは、鳥のような翼を持ちながら下半身が蛇の姿をした神が舞い降りてきた。その羽ばたきのたびに、嵐のような突風が吹き荒れる。
南からは、無数の触手を持った海の化け物のような神が這い上がってきた。触手の先端にはそれぞれ口があり、不気味にうごめいている。
「四体……」焔が数を確認する。
「本気で来たようだな」
四体の旧き神々が祠を完全に包囲すると、最初に現れた樹木のような神が口を開いた。
「我らの名は忘れられて久しい。しかし覚えておくがよい」
その声が響くと、辺りの空気がさらに重くなった。
「我は森羅万象を司りし神、グロート」
「我は大地の怒りを司りし神、バールゼン」猪のような神が名乗る。
「我は嵐と混沌を司りし神、ザフィーラ」鳥と蛇の神が続いた。
「我は深淵と貪欲を司りし神、クラーケス」触手の神が最後に名乗った。
四柱の古い神々の名が告げられると、周囲の自然までもが反応した。木々がざわめき、風が不気味にうなり、大地が小刻みに震え続ける。
「そして貴様は、我らの同族を喰らった神喰い焔」グロートが続ける。
「その罪、今こそ償ってもらう時が来た」
「罪?」焔が冷笑する。
「貴様らこそ、人間を苦しめている罪はどうなる」
「人間?」バールゼンが鼻を鳴らした。
「あのような下等な生物に、何の価値がある」
「我らこそが、この世界の真の支配者だ」
ザフィーラが翼を広げる。
「人間どもは我らに仕える存在でしかない」
しかし、クラーケスが触手をうねらせながら口を開いた時、その要求は予想を超えて恐ろしいものだった。
「だが、神喰いよ。我らとて慈悲はある」
「慈悲だと?」
「貴様が我らに従い、人間どもを我らに差し出すならば、貴様の命だけは助けてやろう」
焔の表情が険しくなった。
「人間を差し出せだと?」
「そうだ」グロートが不気味に笑った。
「特に、その小娘をな」
旧き神々の視線が、一斉に花蓮に向けられた。その瞬間、花蓮は全身に凍りつくような恐怖を感じた。
「あの娘の生命力は特別だ」
クラーケスが触手を花蓮の方に伸ばす。
「我らの力の糧になる」
「それ以外の人間どもは、我らの下僕として働かせてやろう」
バールゼンが続ける。
「従順ならば、生かしておいてやる」
焔の怒りが爆発した。
「ふざけるな!」
焔の周囲に黒い炎が立ち上がった。その炎は、これまで見たことがないほど激しく燃え上がっている。
「花蓮に指一本触れることは許さない!」
旧き神々の恐ろしい要求を聞いて、花蓮は震え上がった。しかし、その恐怖よりも強い感情が胸の奥から湧き上がってきた。
「焔様……」
花蓮が焔の袖を引いた。
「私が……私が身代わりになります」
「何を言っている!」
焔が振り返ると、花蓮の瞳には覚悟が宿っていた。
「町の人たちや子供たちを救うために、私が犠牲になれば……」
「馬鹿を言うな!」
焔は花蓮の肩を掴んだ。
「貴様を失うくらいなら、人間など全員死んでもかまわない!」
花蓮は涙を浮かべながら首を振った。
「でも、このままでは皆が……」
「我が守る!」焔が強く言った。
「貴様も、人間どもも、すべて我が守ってみせる!」
その時、グロートの不気味な笑い声が響いた。
「美しい愛情だな、神喰いよ」
「黙れ!」
「だが、その愛が仇となろう」
グロートが触手のような枝を伸ばす。
「愛する者を守ろうとするあまり、力を分散させることになる」
「我らは数で勝る」ザフィーラが高く舞い上がる。
「一対一ならば貴様も強かろうが、四対一では勝ち目はない」
「その上、守らねばならない者がいるとなれば……」
クラーケスが触手をうねらせる。
「勝負は見えているな」
焔は歯を食いしばった。確かに旧き神々の言う通りだった。一対一なら勝てる相手でも、四体を同時に相手にして、さらに花蓮を守りながらとなると、勝算は低い。
しかし、引き下がるわけにはいかなかった。
「花蓮」
「はい」
「我を信じているか?」
花蓮は迷わず頷いた。
「もちろんです」
「ならば、絶対に我の側を離れるな」
「はい」
焔は花蓮の手を握った。その手は温かく、勇気を与えてくれる。
「我たちは負けない」
花蓮も焔の手を握り返した。
「はい。きっと勝てます」
二人の絆を見て、旧き神々の怒りがさらに増した。
「では、最後通牒だ」グロートが宣言した。「小娘を我らに差し出すか、それとも我らと戦って共に滅びるか」
焔の答えは明快だった。
「戦う」
「愚かな……」
「愚かで結構だ」焔が前に出る。
「我は花蓮を愛している。その愛のために戦う」
「愛などという感情に囚われるから、貴様は弱いのだ」バールゼンが嘲笑った。
「弱い?」焔の瞳が怒りに燃えた。
「愛こそが最も強い力だということを教えてやろう」
焔の全身から、これまでにない強大な力が発せられ始めた。愛する者を守るという意志が、彼の力を何倍にも増幅させている。
「来い! 旧き神々よ!」
焔の挑発に、四柱の神々が一斉に動き出した。
グロートが巨大な枝を振り回し、バールゼンが地面を蹴って突進してくる。空からはザフィーラが嵐を巻き起こし、クラーケスの無数の触手が四方から襲いかかってきた。
「花蓮、伏せろ!」
焔が花蓮を庇うように立ちはだかると、黒い炎の壁を作り出した。旧き神々の攻撃が炎の壁に当たり、激しい爆音が響く。
「すごい……」
花蓮は焔の背中を見つめていた。愛する人を守るために戦う焔の姿は、どんな時よりも美しく、力強く見えた。
しかし、四体の敵は強大だった。焔の炎の壁にひびが入り、徐々に崩れ始めている。
「焔様!」
花蓮が心配そうに声をかけると、焔が振り返って微笑んだ。
「大丈夫だ。必ず勝つ」
その笑顔を見て、花蓮の心に確信が生まれた。二人なら、必ずこの試練を乗り越えられる。
「ハハハ、所詮は一体の神喰い」グロートが嘲笑う。「我らに敵うはずがない」
しかし、焔の表情には余裕があった。
「貴様らは一つ見落としている」
「何だと?」
焔が花蓮の手を取った。
「我は一人ではない」
その瞬間、花蓮の胸にある桃色吐息の花が、美しい光を放ち始めた。その光は焔にも伝わり、二人を包み込んでいく。
「これは……」
旧き神々が驚愕した。
「真の心の力だ」焔が宣言した。
「貴様らのような憎しみに囚われた古い神には理解できまい」
花蓮の花の光と焔の炎が融合し、今まで見たことがない美しい炎が生まれた。それは黒い炎でありながら、桃色の輝きを放っている。
「貴様らの時代は終わった」
焔が二人分の力を込めて叫んだ。
「新しい時代は、愛によって作られるのだ!」
桃色の炎が一気に広がり、旧き神々を包み込んでいく。
「バカな……こんな力が……」
四柱の神々が慌てふためいた。彼らの持つ古い力では、愛によって生まれた新しい力に対抗できないのだ。
「花蓮!」
「はい、焔様!」
二人は手を取り合い、力を合わせた。その瞬間、桃色の炎がさらに激しく燃え上がった。
最終決戦が始まった。
愛の力を信じる焔と花蓮、そして古い時代に囚われた旧き神々。
どちらが勝利するかは、まだわからない。しかし、二人の愛の炎は確実に燃え続けていた。
戦いの結末は、エピローグで明らかになる。
夜空に響く戦闘の音が、新しい時代の始まりを告げているようだった。




