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神喰いさまの契約花嫁 ―桃色吐息に秘めた恋―  作者: たかつど


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16話 異変の前兆

 幸せな日々が続いてから数週間後、花蓮が町を訪れた時、異様な静けさが辺りを支配していた。いつもなら子供たちの元気な声が響いているはずの通りが、不気味なほど静まり返っている。


「どうしたのでしょうか……」


 花蓮は不安を覚えながら市場に向かった。そこで商人の女性に声をかけると、相手は青ざめた顔で振り返った。


「あ、神様の奥方様……」


「皆さん、とてもお静かですが、何かございましたか?」


 女性は困ったような表情を見せた。


「実は……子供たちが次々と病に倒れているのです」


 花蓮は息を呑んだ。


「病気? どのような……」


「原因不明の熱病で、医者も手の施しようがないと……」


 女性の声が震えている。


「もう十人以上の子供が床に伏せっています」


 花蓮の心に不安が広がった。原因不明の病気が子供たちを襲っているとは。


「熱以外に、何か症状は?」


「高熱が続いて、時々うわ言を……」


 女性が声を落とす。


「『暗いものが来る』『古い神が怒っている』そんなことを言うのです」


 花蓮の背筋に冷たいものが走った。古い神——それは何を意味するのだろうか。


「お医者様は何と?」


「原因がわからないので、治療のしようがないと……」

 女性が涙を浮かべる。


「このままでは、子供たちが……」


 花蓮は胸を痛めた。無邪気な子供たちが苦しんでいるのを放っておくわけにはいかない。


「私にできることがあれば……」


「神様の奥方様、どうか神様にお願いしてください」


 女性が縋るような目で花蓮を見つめる。


「子供たちをお救いください」


 花蓮は頷いた。焔に相談してみなければならない。


 町を歩いていると、花蓮はさらに奇怪な光景を目にした。村の中央にある古い井戸の周りに、人々が心配そうに集まっている。


「あそこで何が……」


 花蓮が近づくと、井戸を覗き込んでいた男性が顔を上げた。


「これは神様の奥方様……実は、井戸の水が……」


 男性に促されて井戸を見ると、花蓮は驚愕した。清らかなはずの井戸水が、黒く濁っているのだ。


「いつからこのように?」


「昨日の朝からです」別の男性が答える。


「それまでは普通だったのに、突然このような状態に……」


 花蓮は井戸に顔を近づけた。黒く濁った水からは、何とも言えない異臭が立ち上っている。まるで腐った卵のような、鼻をつく臭いだった。


「臭いも……」


「ええ、とても飲めるような代物ではありません」


 村人たちの表情は暗い。この井戸は村の貴重な水源の一つだった。


「他の井戸は大丈夫なのですか?」


「今のところは……でも、いつこちらも同じようになるか」


 人々の不安は深刻だった。水がなければ生活できない。


「子供たちの病気と何か関係が……」


「わかりません。しかし、時期が時期だけに……」


 花蓮は考え込んだ。子供たちの原因不明の病気と、井戸水の異変。偶然の一致とは思えない。


 何か大きな異変が、この村に起ころうとしているのかもしれない。


 村の外れに向かう途中、花蓮はさらに不可解な光景を目撃した。空に大きな鳥の群れが舞っているのだが、その飛び方が異常だった。


 まるで何かから逃げるように、慌てふためいて飛び回っている。普段なら規則正しく隊列を組んで飛ぶ渡り鳥たちが、バラバラになって鳴き叫んでいる。


「何が起こっているのでしょう……」


 鳥たちの鳴き声は、恐怖に満ちていた。甲高い叫び声が空に響き、聞いているだけで不安になってくる。


 さらに歩いていると、今度は犬の遠吠えが聞こえてきた。一匹だけではない。村中の犬が、一斉に遠吠えを始めているのだ。


「ワオーン、ワオーン……」


 その声は悲しく、そして恐ろしかった。まるで何かの災いを予感して、警告しているかのように。


 花蓮は立ち止まって辺りを見回した。鳥は逃げ惑い、犬は遠吠えを続けている。動物たちが何かの危険を察知しているのは明らかだった。


「動物は、人間よりも敏感に異変を感じ取ると言いますが……」


 花蓮は急いで祠へ戻ることにした。焔に相談しなければならない。この異変について、彼なら何か知っているかもしれない。


 足早に祠への道を歩きながら、花蓮の心は不安で一杯になった。幸せな日々に、暗い影が差し始めているような気がしてならない。


 祠に戻ると、焔は石段に座って空を見上げていた。その表情は、いつになく険しい。


「焔様、お帰りしました」


 花蓮が声をかけると、焔は振り返った。その瞳には、深い憂いが宿っている。


「花蓮……貴様も感じているか?」


「何をでしょうか?」


「不穏な気配だ」焔が立ち上がる。


「古い力が目覚めつつある」


 花蓮は息を呑んだ。やはり焔も異変を感じ取っていたのだ。


「町で奇怪なことが起こっています」


 花蓮は町で見聞きしたことを、焔に詳しく報告した。子供たちの病気、井戸の異変、動物たちの異常行動——すべてを聞いた焔の表情は、さらに厳しくなった。


「やはりか……」


「焔様、これは何なのでしょうか?」


 焔は長い沈黙の後、口を開いた。


「旧き神々が動き始めたのだろう」


「旧き神々?」


「我よりもさらに古い時代から存在する、原始の神々だ」焔の声が低くなる。


「人間が文明を築く前から、この地に根ざしていた古い力」


 花蓮は震え上がった。


「彼らは人間を敵視している。文明によって自然が破壊され、信仰を失ったことを恨んでいるのだ」


「それが今、なぜ……」


「我の封印が解けたことで、この地の霊的なバランスが崩れた」


 焔が苦い表情を見せる。


「それが引き金となって、旧き神々も目覚めたのだろう」


 花蓮は愕然とした。自分が焔の封印を解いたことが、この異変の原因だというのか。


「私が……私のせいで……」


「貴様のせいではない」焔が強い声で言った。


「これは遅かれ早かれ起こることだった」


 しかし、花蓮の心は重かった。無邪気な子供たちが病に苦しみ、村人たちが不安に怯えている。その原因の一端が自分にあるのかもしれない。


「旧き神々は何を望んでいるのでしょう?」


 焔の表情がさらに暗くなった。


「復讐だ。人間への、そして……」


 焔の言葉が途切れた。何かを言いかけて、躊躇っているようだった。


「焔様?」


 花蓮が促すと、焔は重々しく口を開いた。


「旧き神々は、我にも恨みを抱いている」


「焔様にも?」


「我は彼らの一部を喰らったことがある。力を求めていた頃の話だが……」


 焔の告白に、花蓮は衝撃を受けた。


「つまり、彼らの目的は復讐——人間と、我への復讐だ」


「それでは……」


「ああ。やがて彼らは、直接我に挑んでくるだろう」焔が花蓮を見つめる。


「そしてその時、貴様も狙われる可能性がある」


 花蓮の顔が青ざめた。


「我の弱点として、貴様を利用しようとするかもしれない」


 焔の言葉に、花蓮は身震いした。しかし、恐怖よりも心配の方が勝っていた。


「焔様は大丈夫なのでしょうか?」


「心配するな」焔が優しく言う。


「我は神喰いだ。そう簡単には負けない」


「でも……」


「だが、用心は必要だ」焔が真剣な表情で続ける。


「しばらくの間、一人で町には行かない方がよい」


「わかりました」


 花蓮は頷いたが、心の奥では別のことを考えていた。もし本当に自分のせいで村に災いが降りかかるなら、何かしなければならない。


「花蓮」


 焔が花蓮の手を取った。


「何があっても、我から離れるな。貴様を失うくらいなら、すべてを敵に回してもかまわない」


 焔の言葉に、花蓮の心は温かくなった。それと同時に、責任の重さも感じていた。


「はい、焔様」


 夜風が吹いて、桃色吐息の花を揺らした。しかし今夜の風は、どこか冷たく感じられる。


 嵐の前の静けさのような、重苦しい空気が祠を包んでいた。旧き神々の脅威は、確実に二人に迫ってきている。


 幸せな日々は、終わりを告げようとしていた。これから二人を待ち受けるのは、愛を試す過酷な試練である。


 しかし、花蓮の心には一つの決意があった。たとえどんな困難が待っていようとも、焔を守り抜くという決意が。


 星空の下、新たな戦いが始まろうとしていた。

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