15話 芽生える想い
新しい愛を誓い合った翌朝、花蓮は目覚めと共に不思議な感覚に包まれていた。胸の奥に温かな光があり、世界がこれまでとは違って見える。
「焔様……」
隣で眠る焔の寝顔を見つめながら、花蓮は昨夜の出来事を思い返していた。契約から始まった関係が、今では真実の愛へと変わっている。
焔の美しい顔立ち、長い睫毛、穏やかな寝息。すべてが愛おしくて、ずっと見ていたいと思う。これが恋なのだと、花蓮は改めて実感していた。
「起きているのか?」
焔が薄目を開けて、花蓮を見つめた。その瞳にも、昨夜と同じ優しさが宿っている。
「はい。焔様のお顔を見ていました」
花蓮の素直な告白に、焔の頬がわずかに染まった。
「見つめられていると、照れくさいものだな」
「照れくさい?」花蓮が首を傾げる。
「焔様も、そのようなお気持ちになられるのですね」
「貴様といると、知らなかった感情がいくつも芽生える」
焔が苦笑した。
「照れるということがこれほど甘い感覚だとは知らなかった」
花蓮は嬉しくなった。恐ろしい神として恐れられた焔が、自分の前でだけは人間らしい感情を見せてくれる。それが何よりも特別に感じられる。
「私も同じです」花蓮が微笑む。
「焔様のことを考えているだけで、胸がどきどきして、頬が熱くなって……」
「それは恋の症状だな」焔が優しく言った。
「我もそうだ。貴様のことばかり考えている」
二人は見つめ合って、幸せそうに微笑んだ。朝の光が二人を包み、新しい一日が始まろうとしていた。
日中、花蓮は焔と並んで祠の前に座り、これまでの道のりを振り返っていた。
「焔様に初めてお会いした夜のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんだ」焔が答える。
「貴様は震えながらも、我に結婚を申し込んだ」
「あの時は本当に怖くて……」
花蓮が恥ずかしそうに笑う。
「焔様の赤い瞳を見た時、心臓が止まりそうでした」
「我も驚いた」焔が振り返る。
「まさか人間の小娘が、神喰いに結婚を申し込むとは思わなかった」
二人は当時のことを思い出しながら、感慨深く語り合った。
「でも、あの時から何か感じていたのかもしれません」花蓮が続ける。
「恐怖と同時に、焔様に惹かれるものがあったような……」
「そうか?」
「はい。だからこそ、毎日お世話をしたいと思ったのです」
焔は花蓮の献身的な日々を思い出した。拒絶され続けても諦めずに世話を焼き、優しい言葉をかけ続けてくれた。
「貴様の献身が、我の氷のような心を溶かしたのだ」
「氷のような心なんて、そんなことありません」花蓮が首を振る。
「最初から、焔様のお心は温かでした。ただ、隠していらっただけです」
焔は花蓮の手を取った。その小さくて温かい手が、確かに自分の心を変えてくれた。
「貴様がいなければ、我は永遠に孤独だっただろう」
「そんなことはありません」花蓮が微笑む。
「きっと他の誰かが、焔様の優しさに気づいてくれたでしょう」
「いや」焔が首を振る。
「我を理解してくれたのは、貴様だけだ」
その言葉に、花蓮の胸は愛情で満たされた。自分だけが焔の本当の姿を知っている。それが誇らしくて、愛おしくて仕方がない。
午後、二人は庭の桃色吐息の手入れをしていた。以前なら焔は花に興味を示さなかったが、今では積極的に手伝ってくれる。
「この花は、貴様と我を結んでくれた大切な花だな」
焔が花に水をやりながら言った。
「はい。お母様の愛と、私たちの愛が込められた花です」
花蓮は嬉しそうに花を見つめた。この花があったからこそ、焔との絆が深まったのだ。
「以前、焔様がこの花を『すぐに枯れる』と仰った時は悲しかったです」
「あの時は……」焔が苦い表情を見せる。
「我は美しいものを認めたくなかった。美しさは裏切られる痛みを思い出させたから」
「澪様のことですね」
「そうだ。しかし、貴様がこの花を愛し続ける姿を見て、考えが変わった」
焔は花蓮を見つめた。
「美しいものは確かに壊れやすい。しかし、だからこそ愛おしく、大切にする価値があるのだと」
「焔様……」
「貴様も、この花も、我にとってかけがえのない美しさだ」
焔の言葉に、花蓮の目に涙が浮かんだ。以前の冷酷な焔からは想像もできない、優しい言葉だった。
「ありがとうございます」
二人は花を見つめながら、静かな時を過ごした。桃色吐息は美しく咲き誇り、二人の愛を見守っているかのようだった。
夕刻、二人は祠の前で語り合っていた。今では毎日のように、こうして心を通わせる時間を持っている。
「花蓮」
「はい」
「我は長い間、愛されるということを知らなかった」
焔の告白に、花蓮は静かに耳を傾ける。
「神として生まれ、力ばかりを求められ、恐れられ続けた。愛情というものが何なのか、わからなかった」
「今はいかがですか?」
「貴様のお陰で、愛されることの喜びを知った」焔が微笑む。
「こんなにも温かく、幸せなものだとは思わなかった」
花蓮の胸が熱くなった。
「私の方こそです」花蓮が答える。
「焔様に愛されて、初めて女性としての喜びを知りました」
「女性として?」
「はい。焔様に美しいと言っていただいた時、女性として生まれてよかったと思いました」
焔は花蓮の頬にそっと触れた。
「貴様は美しい。外見も心も、すべてが美しい」
「焔様……」
二人は自然に身を寄せ合った。神と人間という違いを超えて、ただ愛し合う男女として。
「我も、貴様に愛されて男として目覚めた気がする」
焔の言葉に、花蓮は頬を赤らめた。
「男として?」
「ああ。貴様を守りたい、幸せにしたいという気持ちが、とても強いのだ」
「私を守る……」花蓮が嬉しそうにつぶやく。
「私も、焔様をお支えしたいです」
「支える?」
「はい。焔様が辛い時は慰めて、嬉しい時は一緒に喜んで……ずっとそばにいて、焔様の力になりたいのです」
焔は感動した。この小さな人間の女が、自分のために生きたいと言ってくれている。
「ありがとう、花蓮」
「こちらこそ、ありがとうございます」
二人は抱き合った。互いへの愛情が、これ以上ないほど深まっていた。
夜が深まり、星空が二人を見下ろす中、花蓮と焔は将来について語り合っていた。
「これからは、どのように過ごしましょうか」
花蓮の質問に、焔は考え込んだ。
「我は神だが、もう人を喰らうつもりはない」
「本当ですか?」
「ああ。貴様の愛があれば、それで十分だ」
焔の言葉に、花蓮は安堵した。
「では、普通の夫婦のように暮らせますね」
「普通の夫婦……」焔が苦笑する。
「我たちが普通だと?」
「確かに普通ではありませんね」花蓮が笑う。
「でも、愛し合っていることは間違いありません」
「そうだな」
焔は花蓮の手を取った。
「愛があれば、どんな困難も乗り越えられる」
「はい」花蓮が頷く。「お母様もそう仰っていました」
「賢明な母上だった」
「きっと天国で、私たちを見守ってくださっています」
二人は空を見上げた。雲間から月が顔を出し、二人を優しく照らしている。
「月も星も、我たちを祝福しているようだ」
焔の言葉に、花蓮は微笑んだ。
「きっとそうです。全世界が、私たちの愛を祝福してくれています」
二人は再び抱き合った。恐怖から始まった関係は、今では深い愛情に満ちている。
神喰いと人間という立場を超えて、焔と花蓮は真実の愛を見つけたのだった。どんな試練が待ち受けていようとも、二人なら必ず乗り越えられる。そんな確信が、二人の心を満たしていた。
桃色吐息の花が夜風に揺れ、甘い香りを放っている。その香りに包まれて、二人の愛は永遠に続くことを誓い合うのだった。
愛に満たされた夜が静かに更けていく。明日からもずっと、二人は愛し合い続けるのだろう。それが二人にとって、最高の幸せだった。




