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神喰いさまの契約花嫁 ―桃色吐息に秘めた恋―  作者: たかつど


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12話 母の教え

 祭りから戻った夜、花蓮は祠の前で膝を抱えて座っていた。いつもなら焔に挨拶をして、その日の出来事を報告するのだが、今夜はそんな気分になれずにいた。


「今日は静かだな」


 突然、焔の声が闇の中から響いた。いつの間にか彼は祠の前に現れていた。月光に照らされたその姿は、いつもより穏やかに見える。


「焔様……」


 花蓮は顔を上げたが、すぐに視線を落とした。今日の出来事を思い出すと、胸が苦しくなる。


「祭りはどうだった」


 焔の問いは意外だった。いつもなら人間の行事など興味を示さないはずなのに。


「楽しかったです」


 嘘だった。しかし焔に心配をかけたくなくて、花蓮は無理に明るい声を作った。


「嘘をつくな」


 焔の声が低く響いた。


「貴様の顔を見れば、楽しかったなどではないことはわかる」


 花蓮は驚いて焔を見上げた。いつから自分の表情をそれほど注意深く見るようになったのだろう。


「人間どもに何か言われたのか?」


 焔の声に、わずかな怒りが込められていた。それは花蓮に向けられたものではなく、彼女を傷つけた者たちに対するものだった。


「そのようなことは……」


「正直に言え」


 焔が一歩近づいた。その赤い瞳には、これまで見たことのない優しさが宿っている。


 花蓮は迷った。焔に心配をかけたくない。でも、嘘をつき続けるのも辛い。


「皆さん……私を避けるのです」


 ついに花蓮は本当のことを口にした。


「昔の友人も、知り合いも……誰も私と普通に話してくれません」


 花蓮の声が震えた。今日の寂しさが蘇ってくる。


「神の花嫁だからでしょうか。皆、私を恐れているのです」


 涙が頬を伝い落ちる。もう隠すことはできなかった。


 焔は黙って花蓮を見つめていた。その瞳の奥で、複雑な感情が渦巻いている。


「お母様が生きていらしたら……」


 花蓮は涙を拭いながら続けた。


「きっと私を慰めてくださったでしょう。『大丈夫よ、花蓮。本当に大切な人は、あなたの心を理解してくれる』そう言ってくださったかもしれません」


 焔は静かに腰を下ろした。花蓮のそばに座り、彼女の話に耳を傾けようとしている。


「お母様は、どのような方だったのでしょうね」


 花蓮が焔に語りかけた。今夜は、いつもより心を開いて話している自分がいる。


「とても美しい方でした。でも、外見の美しさよりも、心の美しさが際立っていて……」


 花蓮の声に、母への愛情が込められている。


「お母様は誰に対しても優しくて、庭の花を愛するように、人を愛することができる方でした」


「花を愛する……」


 焔が小さくつぶやいた。


「はい。特に桃色吐息がお気に入りで、毎日のように手入れをしていらっしゃいました」


 花蓮は母との思い出を語り始めた。焔は黙って聞いている。


「お母様は言っていました。『花は正直よ。愛情を込めて育てれば美しく咲くし、疎かにすれば枯れてしまう。人の心も同じなの』と」


 焔の表情に、微かな変化があった。


「人の心も花と同じだと思われていたのですね」


「そうです。だから私にも教えてくださいました。『相手がどんなに冷たくても、愛情を込めて接し続けなさい。きっといつか心を開いてくれる』と」


 花蓮の言葉に、焔は動揺を覚えた。まるで自分のことを言われているような気がする。


「お母様の教えは正しかったと思います」


 花蓮が焔を見つめた。


「焔様も、最初は怖い方だと思いましたが、今では……」


「今では?」


 焔が身を乗り出した。


「とても大切な方だと思っています」


 花蓮の言葉に、焔の心は大きく揺れた。


「お母様がいたら、きっと焔様を理解してくださったでしょう。『この方は本当は優しい心をお持ちよ』と言って」


 焔は言葉を失った。誰かに理解されるという感覚を、彼は忘れていた。


「焔様」


 花蓮が改まって口を開いた。


「お母様から教わった桃色吐息の花言葉を、覚えていらっしゃいますか?」


「『あなたと一緒なら心が安らぐ』……だったか」


 焔の答えに、花蓮は微笑んだ。


「はい。お母様は、その意味をとても大切にしていらっしゃいました」


 花蓮は胸から桃色吐息の花を取り出した。いつも持ち歩いている母の形見だ。


「この花を見るたびに、お母様の言葉を思い出します。『本当に心安らぐ人を見つけることができれば、どんな辛いことも乗り越えられる』と」


 焔はその花を見つめた。不思議と、この花だけは彼の前でも枯れることがない。


「お母様は、お父様がそんな方だったとおっしゃっていました。一緒にいるだけで、心が穏やかになるのだと」


 花蓮の声に、憧れのような響きがあった。


「私も、いつかそんな関係を築けるのでしょうか」


「それは……」焔が口を開きかけたが、言葉が続かない。


「焔様といると」花蓮が続けた。


「最初は恐ろしかったのですが、今では安らぎを感じるのです」


 焔の瞳が見開かれた。


「町の人々に避けられて、とても寂しい思いをしました。でも、焔様がいてくださると思うと、心が落ち着くのです」


 花蓮の告白に、焔は動揺を隠せなかった。


「まるで、お母様の言った通りのような気がします。『あなたと一緒なら心が安らぐ』……まさにその通りなのです」


 焔は沈黙した。この小娘が、自分に対してそのような感情を抱いているとは。


「愚かな小娘だ」


 焔がつぶやいた。しかし、その声に非難の響きはない。むしろ、愛おしさがにじんでいる。


「はい、愚かだと思います」花蓮が微笑んだ。


「でも、これが私の本当の気持ちです」


 風が吹いて、桃色吐息の花びらが舞い散った。その美しい光景の中で、二人の心はより深く結ばれていく。


「花蓮」


 焔が彼女の名前を呼んだ。その声は、これまでとは明らかに違っていた。


「はい」


「我には……母というものがいなかった」


 突然の告白に、花蓮は息を呑んだ。焔が自分のことを語るのは、初めてのことだった。


「神として生まれ、ただ力だけを与えられた。愛情も、温もりも知らずに育った」


 焔の声に、深い寂しさが込められている。


「だから、貴様の話す母親の愛というものが理解できない」


「焔様……」


「しかし」焔が続けた。


「貴様といると、何か暖かいものを感じる。それが愛情というものなのか、我にはわからないが」


 花蓮の心が高鳴った。焔が心を開いてくれている。


「もしかすると、我にも……そのような感情があるのかもしれない」


 焔の告白は、彼にとって大きな勇気を必要とするものだった。


「あります」花蓮が確信を込めて言った。


「焔様にも、きっと愛情があります。私にはわかります」


「何故そう言い切れる?」


「焔様は私を大切にしてくださいます。私が病気の時、密かに治してくださったでしょう?」


 焔は驚いた。気づかれていたのか。


「それに、私が悲しんでいる時、いつもそばにいてくださいます。今夜もそうです」


 花蓮の指摘に、焔は反論できなかった。


「これが愛情でなくて、何なのでしょう」


 焔は沈黙した。確かに、花蓮に対して特別な感情を抱いている。それが愛情なのかもしれない。


「貴様は……不思議な小娘だ」


 焔が苦笑した。


「我の心を、こうも簡単に見抜くとは」


「簡単ではありませんでした」花蓮が微笑む。


「でも、お母様が教えてくださったのです。『愛情は、行動に現れる』と」


 焔の行動を見続けてきた花蓮だからこそ、彼の本当の気持ちを理解することができたのだ。



 夜も更けて、二人は並んで座っていた。これまでにない親密な雰囲気が、祠の周囲を包んでいる。


「焔様に、お聞きしたいことがあります」


 花蓮が静かに口を開いた。


「何だ?」


「昔、桃色吐息を愛した方がいらしたと仰っていましたが……どのような方だったのでしょうか」


 焔の表情が曇った。それは彼にとって、触れられたくない記憶なのかもしれない。


「言いたくなければ、結構です」


「いや……」焔が首を振った。


「もう隠す必要もないだろう」


 焔は遠い空を見上げた。


「数百年前、ある村に住む巫女だった。美しい女で、心も清らかだった」


 焔の声に、懐かしむような響きがあった。


「その女は、我を恐れなかった。他の人間とは違って、我の本当の姿を見ようとしてくれた」


「その方も、桃色吐息がお好きだったのですね」


「ああ。我がその花を見る度に、その女を思い出す」


「どうなったのですか?」


 焔の表情がさらに暗くなった。


「結局、村の人々に説得されて、我を恐れるようになった。最後には、封印の儀式にも参加した」


 花蓮は胸を痛めた。焔の人間不信の根源が、この経験にあるのだろう。


「でも」花蓮が言った。


「きっとその方も、心の奥では焔様を理解していらしたのです」


「何故そう思う?」


「私と同じように、桃色吐息を愛していらしたから。この花を愛する人に、悪い人はいません」


 花蓮の言葉に、焔は小さく微笑んだ。


「そうかもしれないな」


「きっとそうです」花蓮が確信を込めて言った。


「その方も、村の人々に流されただけで、本当は焔様を愛していらしたのでしょう」


 焔は花蓮を見つめた。この小娘の純粋さと、揺るぎない信念に心を打たれる。


「貴様のような人間が、もっと早く現れていれば……」


「今からでも遅くありません」花蓮が言った。


「私がいます。私は焔様を理解し、愛しています」


 焔の心が大きく動いた。長年の孤独と不信が、ゆっくりと溶け始めている。


「花蓮……」


 焔が彼女の名前を呼ぶ声は、愛おしさに満ちていた。


 夜風が二人を包み、桃色吐息の花びらが舞い散る。母の教えを胸に、花蓮は焔の心の扉を開くことに成功していた。そして焔もまた、初めて人を愛するということを学び始めていた。

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