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神喰いさまの契約花嫁 ―桃色吐息に秘めた恋―  作者: たかつど


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10話 家族の絆

 朝の光が差し込む中、花蓮は久しぶりに父の元を訪ねた。焔の力によって康政の体調は見違えるほど回復しており、今では起き上がって簡単な食事も取れるようになっていた。


「花蓮、よく来てくれた」


 康政の声には、以前の力強さが戻っている。頬にも血色が差し、目にも生気が宿っていた。


「お父様、お元気になられて……」


 花蓮の目に涙が浮かんだ。死の淵から蘇った父の姿を見ると、改めて焔への感謝の気持ちが湧き上がる。


「これもお前が……神様に願いを聞いていただいたおかげだな」


 康政は娘の手を取った。その手は以前のように冷たくなく、温かい体温を感じることができる。


「でも花蓮、お前は幸せなのか?」


 父の問いかけに、花蓮は一瞬言葉に詰まった。


「神喰い様という方は……どのようなお方なのだ?」


「とても立派な神様です」花蓮は微笑んで答えた。「厳しいお方ですが、お優しいお心をお持ちです」


 康政は娘の表情を見つめた。確かに以前より生き生きとして見える。不安はあるものの、娘が自分の意志で選んだ道を信じることにした。


「そうか……お前がそう言うなら、きっとそうなのだろう」


「はい」


 花蓮は力強く頷いた。


「お父様にはご心配をおかけしますが、私は大丈夫です」


 父娘の会話を、康政は何よりも貴重に感じていた。もう二度と娘と話すことはできないと思っていただけに、この時間は奇跡のように思えた。


「花蓮、母上のことを覚えているか?」


 康政が突然口にした言葉に、花蓮の胸が温かくなった。


「もちろんです。優しくて、美しくて……お花がお好きでした」


「そうだな。雅江は庭の花を愛していた」


 康政の目が遠くを見つめる。


「特に桃色吐息がお気に入りで……」


「はい。その花言葉も教えてくださいました」


「『あなたと一緒なら心が安らぐ』……」


 康政が静かにつぶやいた。


「母上は私にとって、まさにそんな存在だった」


 花蓮は母との思い出を大切そうに語る父の様子を見つめていた。両親の深い愛情を感じ取ることができる。


「お前も、きっとそんな関係を築けるだろう」


「お父様……」


「神様という方がどのようなお方であれ、お前の純粋な心はきっと通じるはずだ」


 康政の言葉に、花蓮は勇気づけられた。父もまた、自分の選択を信じてくれている。


「母上が生きていたら、お前の結婚をどれほど喜んだことか」


 康政の声に、微かな寂しさが混じった。


「きっと天国から見守ってくださっています」


 花蓮が優しく言った。


「お母様のお陰で、焔様とお会いすることができたのです」


「焔様……そのようなお名前なのか」


「はい。炎のように力強く、美しいお名前です」


 花蓮が焔の名前を口にする時の表情を見て、康政は安心した。娘は本当に、その神を慕っているのだ。


「お前が幸せなら、それが何よりだ」


 父の言葉に、花蓮の心は満たされた。家族の理解と愛情があれば、どんな困難も乗り越えられる。


 午後、花蓮は母の遺影の前で手を合わせていた。雅江の優しい笑顔が、姿絵の中から娘を見つめている。


「お母様……」


 花蓮は姿絵に向かって語りかけた。


「父は元気になりました。焔様のお陰です」


 姿絵の中の母は、相変わらず穏やかに微笑んでいる。


「焔様は恐ろしい神様だと言われていますが、私にはお優しさがわかります。きっとお母様にも理解していただけると思います」


 花蓮は小さな頃の記憶を思い出していた。母と父と三人で過ごした幸せな日々。庭で花を愛で、食事を共にし、夜には家族でたわいない話をした温かい時間。


「今度は私が、焔様に家族の温かさを教えて差し上げたいのです」


 花蓮の決意は揺らがない。母から受け継いだ愛の心で、焔の孤独を癒したい。


「お母様の教えてくださった花言葉の通りに、焔様にとって心安らぐ存在になりたいのです」


 姿絵の前に飾られた桃色吐息の花が、風に揺れて香りを放った。まるで母が娘の想いに応えているかのように。


 花蓮は涙を拭いながら立ち上がった。今度は焔の元へ向かう時間だ。


 夕刻、花蓮が父との時間を過ごしている間、焔は松下家の屋敷の近くにいた。影の姿となって、人目につかないようにしながら、花蓮の様子を見守っていたのだ。


 病気から回復した康政と、嬉しそうに話す花蓮の姿を見て、焔の胸に複雑な感情が湧き上がった。


「家族……」


 焔は小さくつぶやいた。自分にはもう記憶にもない、温かい絆。親子の愛情、家族の結びつき――それらすべてが、焔には遠い世界の出来事だった。


 花蓮の笑顔を見つめながら、焔は自分の孤独を改めて感じていた。数百年間、誰とも心を通わせることなく生きてきた。愛情というものがどのようなものか、もう思い出すこともできない。


 しかし、花蓮の家族への愛情を見ていると、胸の奥で何かが疼くような感覚があった。


「あの小娘は……なぜあれほどまでに純粋なのだ」


 焔は困惑していた。花蓮の愛情深さ、家族への献身、そして自分への優しさ――すべてが理解し難いものだった。


 人間など信用できない存在だと思っていた。しかし、花蓮を見ていると、その考えが揺らいでくる。


「馬鹿な……我が人間に心を動かされるなど」


 焔は自分を叱咤したが、その気持ちを抑えることはできなかった。


 花蓮が父の手を取って話している様子を見て、焔は自分も誰かにそのような愛情を向けられたことがあるのかと考えた。しかし、記憶にあるのは恐怖と拒絶ばかりだった。


「愛情など……知らぬ」


 つぶやく声は弱々しく、寂しさに満ちていた。


 花蓮が祠に戻ってきた時、焔はいつものように冷然とした態度で迎えた。しかし、その内心では複雑な感情が渦巻いていた。


「遅い」


「申し訳ございません。父と話し込んでおりました」


 花蓮の嬉しそうな表情を見て、焔は胸の奥がざわめくのを感じた。


「父上は元気になられました。本当にありがとうございます」


 花蓮が深々と頭を下げると、焔は居心地の悪さを覚えた。感謝されることに慣れていない自分がいる。


「当然のことだ。契約の一部に過ぎん」


 焔の言葉は素っ気なかったが、花蓮はその奥にある優しさを感じ取っていた。


「焔様は、ご家族をお持ちだったのでしょうか?」


 突然の質問に、焔は動揺した。


「家族など……」


「いえ、失礼いたしました」花蓮が慌てて謝る。「辛いお話でしたら……」


「辛いなど……」焔の声が途切れた。本当に辛いのだろうか、それとも何も感じないのだろうか。自分でもわからない。


「私の家族は小さくて、父と私だけです」


 花蓮が優しく続けた。


「でも、とても温かくて……もし焔様がよろしければ、私たちの家族の一員になっていただけませんか?」


 焔は息を呑んだ。家族の一員に――そんな言葉をかけられたのは、生まれて初めてのことだった。


「馬鹿な……我が人間の家族になどなれるわけが」


「なれます」


 花蓮が確信を込めて言った。


「焔様は私の夫なのですから」


 夫――その言葉が、焔の心に深く響いた。契約上の関係だと思っていたが、花蓮にとってはもっと深い意味があるらしい。


「貴様は……」焔の声が震えた。


「何故そこまで……」


「愛しているからです」


 花蓮の言葉に、焔の世界が変わった。愛している――誰からもそんな言葉をかけられたことがなかった。


「愛……だと?」


「はい」花蓮は恥ずかしそうに微笑んだ。


「焔様を愛しております」


 焔は言葉を失った。胸の奥で、何かが大きく動いている。温かくて、苦しくて、そして何よりも切ないような感情。


 これが愛なのだろうか。自分も、この小さな人間の女を愛しているのだろうか。


 夜風が吹いて、桃色吐息の花びらが舞い散る。その美しい光景の中で、焔の心に初めて愛という感情が芽生えた瞬間だった。


「花蓮……」


 焔が彼女の名前を呼ぶ声は、これまでとは全く違う響きを持っていた。優しく、愛おしく、そして少し震えていた。


 花蓮はその変化に気づき、胸の奥が熱くなった。ついに焔の心の扉が開かれ始めたのだ。

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