第1話 親バカ魔王転生する
「はぁ、はぁ……さすがに、ここまでのようだな」
漆黒の天蓋に覆われた広間は、空気さえ重く沈んでいた。
両壁に並ぶ紅の燭火が揺れ、影が生き物のように床を這う。
その最奥――血のように深紅の布を垂らした高段に、魔王は鎮座していた。
ここは支配者の間。
そして、その支配者が微動だにせずとも、玉座の間全てが彼の呼吸と鼓動に合わせて脈打っていた。
鎧の隙間から覗く肌は灰のように冷たく、黄金の瞳は一瞥で魂を凍らせる。
しかし今、その輝きは鈍り、光を失いつつある。
「……もう、この辺りが潮時か」
玉座にもたれた身体は、まるで石像のように重く、もはや意のままには動かない。
先刻――勇者との死闘。命を削り、あらゆる手を尽くして、辛くも撃退に成功したが、この有様では勝ったとは言えまい。
私の名はカラエル・ユルディラン。
魔王城の城主にして、魔王軍を束ねる最高指導者――それが、この私だ。
数百年、この座から数えきれぬ戦を見送り、勝利を重ねてきた。
だが今、その歴史の重みすら、この疲労の前では何の意味も持たない。
魔王城に至るまでの道には、四天王がそれぞれ守る要塞が四つ。
だが勇者はそのすべてを突破し、こうして玉座の間まで辿り着いた。
要塞はすべて陥落。四天王の安否も知れず、最後の通信が途絶えてからは沈黙だけが続いている。
城は落ちずとも、その城主である私は瀕死。
魔王軍は今、崩れかけた城壁のように支えを失い、音もなく瓦解しつつあった。
…俺ももうすぐ、…この世を去るのか…。
思い残すことは……ない、と言えば嘘になる。
魔王城の城主として、魔王軍のトップとしてやるべきことはまだ山のようにある。
城の修復、物資の補充と調達、部隊の再編成、人材の確保……挙げればきりがない。
…だが、そんな雑務など些末なことと思えるほど――もっと大事なことがある。
む・す・め・が・し・ん・ぱ・い・だー!!
静まり返った玉座の間で、声にならない叫びを上げて悶える。
勇者と戦えば無事では済まないことは分かっていた。だからこそ、先に魔王の座を娘に譲ったのだが……。
古参の部下どもにいじめられてはいないか? 頭の固い奴や捻くれた奴ばかりだぞあいつら。
それに何よりもっと一緒に過ごせる時間が欲しかった。街で素敵な服を買い、甘いスイーツに舌鼓を打ち、時が来れば娘の晴れ着姿をこの目に焼き付け、一世一代の大舞台でその雄姿に涙する――そんな日々を夢見ていたというのに。
「親より先に死ぬのは親不孝」などと言うが、知るかそんなこと!
私は娘が天寿を全うするまで生き、その一生を見届けたかったのだ。
そんなことを考えていると視界がだんだんぼやけてくる。それと同時に意識も徐々に薄れてくる。
…だが、その願いもどうやら叶わぬ運命らしい――いや、待て。
そういえば禁書に「転生の術」の記載があったではないか。成功例はおろか使用例すらない魔法。術式の構築手順は覚えている。失敗すればこのまま消滅、おそらく魂ごと完全に消え去り二度とこの世に生を持つことは無い。
だが成功すれば再び娘の顔を見ることができる。
薄れかけて朦朧としていた意識がはっきりする。
このまま死ぬだけならばこの博打やらない理由などどこにもない!最早ノーリスク・ハイリターンである。
たとえ転生後の姿がスライムだろうがインプだろうが構わない。娘に会えるのなら――それだけで十分だ。
術式構築。魔力供給。
今残っている魔力を、ありったけ注ぎ込む!
失敗など許されない……何が何でも成功させてやる!
途切れそうになる意識を何とか保ち術式に魔力をねじ込む。
術式発動、【禁術・転生】――!
……いや、待て。
スライムは嫌かもしれない。手足ないし、喋れないし。
そもそもスライムに転生って字面だけ見たらいろいろまずい気がする。