【短編】白猫は殿下の添い寝係~三食昼寝付きなら政略結婚でもOKです~
「私の希望は一つです。日当たりのいい場所でゆっくり昼寝できる事。あとは不自由ない衣食住。心地良い空間である事。感じ悪い人が周りにいない事。以上です」
あれ、一つじゃなくて六つぐらいになってる……?
ま、いっか。
細かい事を気にしない性格のサヨは、ぽかーんとしている一同を前にして、言葉を続ける。
ここは獅子獣人の城の謁見の間で、玉座にはサヨの夫になる予定の獅子族の王太子が陛下代理として腰掛けている。この国の王の血筋は白獅子で、王太子も癖がありボリュームのある白髪に白い耳が覗いている。野性味があり整った顔をしているが、サヨへの困惑を隠しきれていない。玉座の両隣には、側近の黒獅子の親子が控えて、鋭い目でサヨを見ている。白獅子の王太子の側近だけではなく、上級文官、騎士、侍女もサヨの希望で集められている。
政略結婚で嫁いできた白猫獣人のサヨが、着いて早々、謁見の間に招集を掛けたことでさえ、ありえないことなのに、サヨは自分より大柄な獅子獣人の中でも堂々としていて、臆することなく自分の希望を述べる。
「あと、部屋は南向きで。将来のお妃様の部屋とかやめて下さいね。政略結婚だと思って嫁いで来たのにこんな扱いを受けたので、様子見させて下さい。日当たりが良くて、一番いい客室を用意して下さい。あと、私付きの侍女と護衛は私に選ばせて下さい。えーっと……」
サヨがふわりと自分の周りを一周させるように手を振ると、サヨの腰まである白銀の髪が揺れ、その手から薄桃色の何かが飛ぶ。
「はい。桜の花がくっついた方が当選でーす。今日からよろしくお願いしますね」
一応、ぺこりとお辞儀をしてみせる。
「ちょっと、待て待て。確かにこちらの手違いで不快な思いをさせたことは謝る。だが、勝手に色々と決められても困るのだ。今後は快適に過ごせるように計らう故、こちらに任せてはもらえまいか?」
「えー。こちとら一週間の馬車旅で疲れてる所に、ひどいお出迎えを受けて疲れてるんですけど。そもそも、未来の夫となる殿下のお出迎えもなかったですよね? なんか意地悪なお姉さんに感じ悪く迎えいれられただけなんですけど。獅子の一族だから、白猫の小娘なんてその辺りに放っておけばいいと思ってましたか? そもそもこの婚姻はそちらのチョンボで、武力に物言わせて無理やり約束させられたもので、こちらとしても不本意なんですけどねー」
サヨは溢れてくるイライラを隠しもせずに、白銀の髪に生えている白耳をぴくぴくさせる。
「あ、立ってるの疲れたんで椅子持ってきてもらえます? ふかふかのクッション付きで」
とりあえず一番近くにいるサヨが投げた桜が胸もとについている老齢の文官らしき人に椅子を頼んだ。その人は困った顔で王太子を見ると、王太子が頷いたので、配下の者に指示をして座り心地の良さそうな椅子を運び込んでくれた。
サヨの婚姻相手である王太子は片手で顔を覆い項垂れている。
「色々と不手際がありすまない。君の夫となるミカド・アルブスレオだ。なるべく君が快適に過ごせるように手を尽くす。婚礼の儀は君がこの国に慣れてから行う予定だ。それまでにこの国に慣れて、妃としての教育を受けてほしい。よろしく頼む」
ミカドはわざわざ玉座から降りて、サヨの正面まで来ると右手を差し出した。
サヨも椅子から立ち上がると、ミカドを見上げて目線を合わせる。大人と子どもくらいの体格差のあるサヨは首が痛くなる。
「サヨ・フェーレースです。本当にわかってます? なにがあったのか私に聞かないんですか?」
ミカドの差し出した手を無視するサヨに、周りの空気がざわりと揺れる。
「あー、有耶無耶にすると、きっと同じ事が続くと思うので、説明させてください。長くなるかもしれないので、殿下も座って下さい」
サヨはミカドから目線を外すと、用意された椅子に座り、ミカドに玉座を指し示す。ミカドは、力なく差し出した手を下ろすと、玉座へ戻っておとなしく座った。
「あの人、バカなんですか?」
サヨが座ったまま手を振ると、小枝が一人の侍女に刺さる。
「この政略結婚の意味をわかってないんですか? それとも獅子が世界で最強で白猫如き恐るるに足りないと思っているんですか?」
小枝が胸元に刺さった大柄で黒髪の黒獅子獣人の美女が黒い耳を逆立てて怒りを露わにしている。
「私を北側の暗くて湿気の多い薄汚れた狭ーい部屋に案内したあげく、殿下の本当の妻は私だったんだとか、色気のない小娘が殿下に相手されるわけがないとか宣ったんですけど、頭大丈夫ですか?」
サヨはクッションを抱えたまま、黒獅子の美女にジトっとした目線を向ける。
「あなたができる唯一の正解は、私を下にも置かない丁重な扱いをしてもてなし、お飾りの妻として役目を全うさせ、あなたは殿下の懐に入り込んで、愛人として可愛がられる事だったんですよ。こんな短絡的な行動をするから、もうその選択も取れませんけどね。殿下が出迎えもしないぞんざいな扱いをするからこういった舐めたまねを部下がするんじゃないですか? それとも、白猫の小娘だったら、冷遇されても甘んじてそれを受け入れて、しおらしく囲われると思いましたか?」
サヨがもう一度手を振ると、小枝が数人の侍女や騎士、文官に刺さる。
「小枝が刺さった人は王宮を出入り禁止にしてください。この黒獅子に加担した人達を含めた、私に害意のある人達です。この王宮、黒獅子に乗っ取られかかってんじゃないですか? 獅子族も一枚岩じゃないんですね」
「このくそガキがっ……」
ミカドの一番近くに控えていた黒獅子美女に似た顔立ちの男が、サヨに掴みかかろうと迫ってくる。さすが黒獅子、動きが俊敏で一瞬の内にサヨの元まで距離を詰める。
「ぐぅあぁあああああ―――――――」
その瞬間、サヨの腕を掴もうとした右腕が焼けこげる。
「わかりましたか? 私、神の愛し子で、巫女なんですよ。私に危害を加えようとした者には天罰が下るんです。今後余計な被害者を出さないように、生意気な態度を取りましたけど、煽り耐性低いですね。そんなんで殿下の側近が務まるんですか? 殿下、配下に置く者はもっと厳選した方がいいんじゃないですか?」
「くそっ、白猫ごときが……お前のような生意気で不行き届き者に礼儀など必要ない!」
一瞬でやけどを負った右腕を押さえながらも、黒獅子がギラギラとした目でサヨを睨みつける。
「その白猫如きに頼らざるを得ない状況を作ったのは、あなた様のかわいーい妹さんですよね?」
サヨを出迎え、酷い部屋へと導いた黒獅子の侍女を指で指す。
「なんでも雪の女神の逆鱗に触れたとか。雪の女神ってけっこう寛大なんですけどねぇ。一体、なにをしたんだか。それで、神の愛し子のいる白猫族を頼ったんですよね。今年の冬を無事過ごしたかったら、雪の女神のご機嫌をとれる私の事を丁重に扱わないといけないことくらい子どもでもわかりますよね? それとも、そんなのお伽噺だと思っていましたか? 冬が越せるか試してみます?」
サヨは、頭をコテッとかしげて、一同に問いかける。
「わかった。わかった。お前に失礼な態度を取った宰相補佐は謹慎にする。宰相補佐の妹を含めたお前に失礼を働いた侍女達は、暇を出す。騎士や文官については、すぐに外すことはできないが、お前の目に入らない所で働かせよう。ただ、そこの女性は私の専属侍女で、お前につけるわけにはいかない。それ以外の者は、お前の専属の侍女と護衛にして構わない」
困り果てた顔で、眉間に深い皺を刻んだミカドは、ため息をついて提案をする。
「ふーん、わかりました。残りの侍女は年若いので、他の人達に圧力を掛けられたり、いじめられたりしないように、殿下の専属侍女の方が後ろ盾になってください。あと、私が婚姻していいと思うまで、この国についての勉強はしますけど、妃教育は受けません」
あまり相手を追い詰めすぎてもいけないって、オババも言っていたしな……
ミカドの専属侍女だという老齢の厳しそうな雰囲気の女性をサヨは名残惜し気に見ながら、ミカドの提案に頷いた。
「相分かった。部屋の用意ができたようだから、今日はゆるりと休んでくれたまえ」
「今度、酷い態度を取られたり、酷い待遇を受けたら里に帰ります。うちが今回の話を受けたのは表向きは獅子族の武力に恐れをなしてって事になってますけど、隣の国が雪に閉ざされると何かと不便になるからっていう理由なんです。私以外にも神の愛し子や巫女はいますし、異能の使い手もいるので、獅子族に負けることはないんですよ。そこのとこ、よーくご理解くださいねー」
本当の本当の所は三食昼寝付きの生活に惹かれたからだけど、と心の中で付け足す。
サヨの投げた小枝が刺さった侍女や文官や騎士達の殺気のこもった目線に、サヨはにっこりと笑顔を返すと、ひらひらと手を振ってから、案内役の侍従の後に続いて部屋を後にした。
こうして、サヨの三食昼寝付き政略結婚をするかもしれない生活は幕を開けたのだった。
◇◇
「あー極楽、ごくらく~」
日当たりのいいソファで横になってサヨはつぶやく。謁見の間で騒動を起こした後、客室に案内され荷物を納めて、やっと一息ついている所である。
「あーモモちゃんのブラッシングって最高だわ~」
専属侍女となったモモに膝枕をしてもらって、腰まである髪を梳いてもらってサヨはご機嫌だ。
「こうしてみると、サヨ様は本当に猫みたいですねぇ。あの黒獅子を黙らせたなんて、あの場にいた者以外は信じられないでしょうね……陛下が病に倒れてからは、やりたい放題でしたからねぇ」
モモはサヨのブラッシングの必要がないくらいサラサラの髪にブラシをかけながらつぶやく。
「むー、だって……人は大切な物を守るために、時には戦わなければならないのだよ……」
むにゃむにゃつぶやきながら、サヨは眠りの世界へ入っていった。モモはそっとサヨの頭をクッションに移動させると、ふかふかの上掛けをかける。
「眠っているお姿は可愛いですねぇ」
「可愛いだけでなくて、底知れないですね。まさか私達を見分けられる人がいるなんて思いませんでしたね……」
謁見の間で、見事サヨの投げた桜が山ほどくっついて、サヨの専属侍女として当選したモモとタタは双子だ。外見はまったくといって同じだし、嗅覚の鋭さでは猫族に匹敵する獅子族の者でも、タタとモモを見分けられた人はいない。実の両親を含めて。
「一体どこで見分けてるんでしょうね?」
「先ほど聞いたら、目の虹彩の色が微妙に違うって言っていましたよ」
「うーん? 同じに見えますけどね……」
モモとタタはお互いに顔を見合わせると、可愛くて底知れない力を持つ主人が快適に過ごせるように、仕事に戻った。
◇◇
「なーんで、私が殿下のお仕事を手伝わなければいけないんですか?」
「まぁまぁ、サヨ殿。あなたの希望を全部聞いた結果、文官もごそっと減ってしまいましてね。まぁ、仕事をさぼっていたり、足を引っ張っている者が間引かれただけですけど、それはそれで体制を整え直さないといけないので、やる事が山積みなんですよ。ただでさえ、陛下の調子が悪くて殿下の負担は大きいですからね。私だって隠居していた所を引っ張り出されたんです。サヨ殿も少しは貢献して下さい。お昼寝時間はきちんと確保しますから!」
陛下の側近を務めていたチョメは、殿下の立太子を機に引退し、悠々自適に暮らしていたらしい。のんびり暮らしていたのに、サヨの起こした騒動のせいで謹慎になった宰相、宰相補佐の黒獅子親子の代わりにと引っ張り出されたらしい。
チョメはいくらサヨが毒舌を吐いても、毛を逆立てて啖呵を切っても表情を変えない唯一の人である。
「それに、殿下の仕事がスムーズに進んだら、サヨ殿が乗り気ではない婚姻を解消できるように殿下が知恵を絞る時間がとれるかもしれませんよ!」
憔悴した様子の殿下をちらりと見る。初対面の時にもあった隈は更に色濃くなり、顔色も悪い。サヨに危害を加えようとして負傷した宰相補佐の黒獅子の男は、幼馴染で子どもの頃からお互い切磋琢磨してきた関係らしい。そんな人を失って精神的にもキツイものがあるのだろう。
「わかりましたよ。自分だけおいしいご飯を食べてぬくぬく昼寝してるだけっていうのも罪悪感ありますからね。昼寝に差し障りのない範囲で手伝いますよ」
サヨはため息を一つつくと、チョメの指示に従って、雑務を手伝い始めた。
◇◇
「じゃ、お昼寝の時間なので失礼しまーす」
昼ごはんを軽く食べてしばらくすると眠気がやってくる。
寝たい時が眠る時。
ふむ、殿下の執務室だけあって、眺めも良くて、日当たりもいい。
来客用と思しきソファもふかふかしている。そこにゴロッと横になると、すやすや眠り始めた。
「殿下、殿下、サヨ殿が眠ってしまいましたが、いいのですか?」
「そういう約束だから、いいのではないか?」
殿下の執務室で眠り始めたサヨを見て、サヨの専属侍女のタタがミカドに問いかける。ミカドは書類から目を上げることなく返事をする。
「あの、そうではなくて……」
言葉を重ねるタタに、ミカドの目線がサヨに向く。眠るサヨは、透き通るような白い肌に、さらっと白銀の髪が流れていて、まるで妖精のように美しく可愛らしい。周りの文官達もうっとりとそんなサヨに見惚れている。そこへモモが上掛けをサヨに掛けて、その表情ごと隠す。やっとサヨの侍女の言わんとする事を察したミカドは、上掛けごとサヨを抱きかかえると、執務室の隣の仮眠室へ移動させた。
ぬくぬくと眠っていたのに、なにか重たい物に押しつぶされる夢を見て、サヨは目が覚めた。ベッドで眠るサヨの傍らにミカドが椅子に腰掛けていて、サヨにかぶさるようにしてうつ伏せて眠っている。
「ちょっと、殿下、起きて下さい。さくさく仕事を進めて、この婚姻がなくても問題が解決するように知恵を絞って下さいってば!」
サヨにかぶさるようにして眠っているミカドの肩をゆさゆさと揺する。
「もー、チョメさんがついていながら、この失態……」
「サヨ殿、申し訳ありません。殿下は最近眠れていないので、少しでも眠れるなら眠らせてあげたかったのです……」
部屋の片隅で静かに書類仕事をしながら、控えていたチョメが駆け寄る。
「でんかー、でんかー、起きてくださーい!!!」
サヨはチョメの発言も意に介さず、ミカドの耳元で大声を出す。
「ん……、サヨ……? 眠っていたか? ああ、重かったか。すまない」
黙っていると大柄で威厳のある風貌だが、寝起きでごしごし目をこする様は年相応でなんだか可愛い。ミカドは確かサヨより二歳年下の十八歳だったはずだ。
「そうだ! サヨ殿! 夜も殿下が眠るまで、付いてもらえませんか?」
「はあ?」
チョメのとんでもない発言にサヨは半眼になる。
「ほら、サヨ殿が気持ちよさそうに眠っておられるから、きっと周りの者にも安眠効果があるのですよ。殿下が健やかな睡眠をとれることにより、執務も進み、婚姻を解消するよいアイディアが浮かぶかもしれませんよ! ほら、お互いハッピーハッピーじゃないですか!」
「はあ?」
「だって、貞操の心配もないでしょう? 愛し子のサヨ殿の嫌がることは例え殿下でも神罰を受けるのでしょう? だから、安心して、添い寝して下さい。どうかどうかよろしくお願いします」
その場でチョメは滑らかに土下座する。
「ちょっと待て。寝起きで頭が働いていないのだが、私を抜きにして話を進めるな」
ミカドは寝起きが弱いのか、久々にゆっくり眠れたからなのか、頭が働いていないらしい。
「昼間は執務を手伝って、夜は添い寝係って過重労働です!」
「きちんと、昼寝時間は確保しますし、最高級の寝具を用意します。あと、おやつは一日二回、サヨ殿の好物を用意しますし、夕食はサヨ殿の好きなメニューにします」
チョメは土下座の体勢から、顔だけ上げて、にやりと笑いを浮かべると、サヨの断れない条件を挙げていく。昼寝の次はおいしいおやつとごはん。チョメは確実にサヨのツボを理解している。
「むー。それなら、夕食は、毎日魚にしてちょうだい。海に接していないこの国でできるかしら?」
「ふふふ、交渉成立ですね。海に接していないので海魚は毎日は無理なのですが、川があるのでそちらで獲れる魚なら可能ですよ。干した魚も、いろいろな種類がありまして、なかなか味わい深いですよ。モモとタタにおやつも含めた好き嫌いを詳しくお伝えくださいね」
サヨは、チョメだけには敵わないのかもしれない。こうして、サヨは政略結婚するかもしれない相手の添い寝係に就任した。
◇◇
サヨが獅子族の国に来て、一ヶ月が経った。昼間は執務の手伝いや獅子族に関する事を勉強をして、夜はミカドの添い寝をする。まるで妃であるかのようだが、婚姻の話は宙ぶらりんのままだ。サヨの周りの者からは害意のある者を除いているし、神罰を恐れて、みな親切にしてくれるので、快適に過ごせている。サヨが排斥した者からの反撃の一つや二つあるかと思ったが、特になにもなく平和な日々が続いている。
「はー、殿下ってなんだか憎めないんだよね。この国自体は好きでも嫌いでもないけど」
最近はそれほど、執務も立て込んでいないので、時折、気分転換に広い庭園をのんびり散歩する。サヨは無敵だが、もちろん護衛と侍女もついている。
サヨに害意のある黒獅子一族やそれに連なる者達を排除して、しばらくはミカドもチョメも人や仕事の取りまとめにバタバタしていたが、それも落ち着いた。仕事をさぼっていたり、足を引っ張っている者が排除されて、今は静かに淡々と仕事が進んでいて、周りの者からは、時折感謝の言葉をもらったりする。
「はじめはびっくりしたけど、なんだかんだ、まぁ……なんだかんだ居心地は悪くないんだよね」
チョメは本気だった。提案されたその日の夜からのミカドの寝室に放り込まれた。初対面の時から思っていたが、ミカドは大柄で威厳のある風貌の割りに優しく流されやすい性格をしている。サヨも譲れない事以外は割と妥協するタイプなので、ミカドの大きなベッドに二人、離れて寝た。……はずだったのだが、朝にはミカドに背後からすっぽりと抱きしめられて寝ていた。
驚いて、ゆさゆさ揺すっても話しかけても全然ミカドは起きない。ミカドの侍女とモモとタタに引きはがされて、ミカドはやっと目を覚ました。どうやら、サヨは眠っている間にミカドにすり寄っていったらしい。
毎晩、離れて眠っても、朝にはミカドに抱きしめられて寝ているので、諦めたサヨは眠る時からミカドに抱きしめられた体勢で眠ることにした。もちろん、ミカドは最初は抵抗したけど、口の立つサヨに丸め込まれた。
そして、寝つきのよいサヨもさすがにその体勢では緊張してすぐには眠れず、ぽつぽつと話をするようになった。
「ちょっと可哀そうではあるんだよな……」
広大な庭園には川や池もあり、目の前を流れる川をぷかぷかと流れていく葉っぱを目で追う。
はじめに、サヨに危害を加えようとしたとはいえ、ミカドの幼馴染で信頼していた黒獅子の宰相補佐を外した事についてサヨが謝罪した。
『本当はわかっていたんだ。最近の黒獅子の一族は力を持ちすぎていると。そしてその力を悪い方に使っていると。でも、幼馴染としての情と、頼りになる人が少なくて、外すことができなかった。自分の失態だ。サヨが悪いのではない。むしろ、こんな状態で迎え入れることになって申し訳ない』
むしろ、ミカドに謝られた。それから、毎日ぽつりぽつりと話すミカドの話をサヨが聞いた。
立派な王である祖父や、事故で亡くなった父親は白獅子として、威厳も強さもあった事。
王の血族である白獅子は、獣人型だけでなく獅子の姿に自在に姿を変え、その咆哮で獅子獣人を従属させられるはずなのに、自分は変身できない事。
優柔不断で、流されやすい自分は王に向いていない事。
それでも、白獅子の血族は病に倒れた陛下を除くと自分しかいない事。
唯一の子としての、将来、王になる事へのプレッシャー。
背後から抱きしめられているので、その表情はわからない。でも、昼間は取り繕っているミカドの内面は苦しさと孤独に溢れていた。同情なのか、庇護欲なのかわからない気持ちがサヨの中に日々降り積もる。少しずつ絆されていっている感覚があった。
「殿下は白猫の里に猫として生まれた方が幸せだったんだろうなぁ。人生なかなか、ままならないね」
空を見上げて、ふわふわ流れる雲を眺める。殿下の気質は巫女に似ている。穏やかで優しくて温かい。それは、力と威厳で押さえつけるように人々の上に立つ白獅子の王としては不要な資質。
「猫みたいなんだよなぁ……」
初対面の時から思っていたのだが、似合わない古めかしくて仰々しい話し方をしていることを指摘すると、少しでも威厳を出そうと陛下の口調を真似していると言った。そのままのミカドでいいんじゃないかとサヨが言うと、サヨをぎゅっと抱きしめて、サヨの頭に顎をすりつけていた。次の日から、ミカドの話し方は普通の話し方に変わった。
「おやおや、お嬢さん、今日もお散歩ですか? お茶でも一緒にいかがですか?」
ぼんやり物思いにふけっていると、後ろから声を掛けられる。振り返ると庭師の男が立っていた。最近、庭園を散歩していると、声を掛けてくる。侍女や騎士が警戒していないし、サヨの感覚的にも大丈夫だと思えるので、雑談をするようになった。いつも花や植物や天気について立ち話するくらいで、お茶に誘われたのは初めてだ。モモとタタを見ると頷いている。
いつの間に準備したのか、近くの東屋にお茶の準備がされていた。
「君は白猫の里の一族で一番能力が高い。なぜ冷遇されるかもしれない危険な所へやってきたんだい?」
いつもの何気ない雑談のように話しかけられるが、その問いは深いものだった。サヨは思わず背筋を伸ばした。ただの話好きのおじいさんといった風情なのに、その目はやけに鋭い。
「本家でただ飯喰らってるのに罪悪感があって。自分も役に立って、三食昼寝付き……いや、それ以上の待遇ですけど……の生活送れるならいっかなぁって。確かに白猫族の娘、特に巫女は清らかで優しい子が多いから、自分の可愛い妹分をこの国に送り込むのが嫌だってのもあったんですけどね。まぁ、殿下には個人的な恩もありますし……」
目の前の庭師だと思っていたおじいさんに、どう答えようかと一瞬迷った。なんとなくのカンで、正直に答える事にした。
「ははっ。昼寝かぁ。して、王太子への恩とはなんぞ? 獅子族と白猫族に接点はないはずだが……」
「まだ、子どもの頃、獅子族のはずれの森で森の神に乞われて舞を踊ったんです。その頃は碌に知識もなくて、全力で。それで体力いっぱいに踊りきって、猫の姿になって行き倒れている所を殿下が通りかかって。ちょうど寒暖差のある季節で、日が暮れて急激に気温も下がっていて、かなり危ない状態だったんです。それを殿下が懐に入れて、温めてくれたんです。森の神が慌てて白猫の里に伝えてくれて、仲間が助けに来てくれるまで。殿下が居なかったら生きていなかったかもしれない。だから、今回の打診があった時に殿下のお力になれるならと思ったんですよ」
まだ、子どもの頃の殿下の姿を思い出して、頬を緩ませる。あの頃も髪の毛が白くてふさふさしていて、目がくりくりしていて今よりも幼い顔立ちで、可愛かったな。ベッドで、眠っている間にミカドにすり寄ってしまったのは、あの時の温かさを覚えているからなんだろうか? いずれにしても、ミカドにすっぽり抱きしめられて眠るのは、日向で昼寝するのと同じくらい心地良い。
「おぬしの当たりが強いのは、あやつがお前さんの事を忘れていたからなのか?」
「違いますよ! あの時は猫の姿だったし、殿下は弱っている人や困っている人を見捨てられないから、あんな事たくさんあったでしょうし! いちいち自分のした親切を覚えていなくても当たり前です。あの時は毛も汚れて白猫に見えなかったでしょうし……」
図星を突かれて、いつも以上の態度で噛みついてしまう。覚えていないだろうとは思っていたけど、サヨは命の恩人であるミカドとの再会を楽しみにしていたのだ。
「ふーん……?」
「あなたこそ、私を利用して、殿下のために不穏分子をあぶりだしたかったんでしょう、病床にあって表に出られない陛下?」
猫背にしているけど、大柄な体はごまかせない。陛下は今まで丸めていた背をすっくと伸ばした。殿下と同じかそれ以上に背が高いようだ。老齢のためかと思っていたが、髪や髭は白くてふさふさしている。
「ふっふっふ。本当に面白い子猫だわ。おまえさんの方が王となる資質がありそうで、勿体ないことよの。獅子族で、獅子の姿をとれる特殊な色持ちは黒獅子と白獅子だけだ。ここ最近はずっと白獅子が玉座についているが、長い歴史を見ると、どちらかが王となりどちらかがそれを支えるということを交代しながら、繰り返してきたんだ。だから、あの子の代で黒獅子が王座に返り咲くならそれもありかと思ったんだがな……」
「黒獅子はお腹まで真っ黒じゃないですか! そうしたら下に付く者が地獄を見るのは明らかじゃないですか!」
「それでも、時としてそういった流れは止められないことがあるんじゃよ。あの子は王になるには優しすぎる」
「でも、今の時代の流れとして、喧嘩っぱやくて、他の部族との平安を保てず、自然を破壊して神の怒りを買う、そんな者が長として立ったら、滅びの一途をたどるだけじゃない……」
今回、サヨが獅子族へ嫁入りする発端となったのも、黒獅子の娘が雪の女神への捧げものである氷の彫刻を壊したからだ。それまでにも、雪の女神の管轄である雪山での意味のない森林伐採など、神域での無礼な行為が黒獅子の一族によって行われていたらしい。
「獅子族が滅びるならそれも定めじゃ」
のんびりとお茶を啜りながら、達観したように言う陛下の顔面をサヨは蹴りたい気持ちになった。
「諦めないでくださいよ! 殿下は諦めてないじゃないですか! 黒獅子に問題があるってわかってたから、他部族の私の意見を聞いて切り捨てたんでしょう? 自分にとっては大事な存在だったのに、獅子族のためにならないから、身を切られる思いで決断したんでしょう?」
「だが、あの子は優柔不断だ。黒獅子やお前さんのように強く言う者に意見されるたびにまごついていては、この先も王としてやっていけないだろう」
「裏返しです。優柔不断は優しいっていう長所の裏返しで、一部分です」
サヨは自分の手のひらをくるりと返す。サヨはお腹の奥がぐらぐらと煮えるように怒りが湧いてきた。サヨも陛下もミカドを理解している。でも、見ている未来は、違っているようだ。
「先ほども言いましたが、今の時代に必要な優しさっていう資質を持っているじゃないですか! 他部族と協力し、民を想い、自然と融和する、この時代に必要な王となる資質はあると思います。足りない厳しさだとか鞭は、側近とか近くにいる人がいくらでも補えるじゃないですか!」
「ならば、その厳しさや鞭はサヨ殿にお願いするかの。ははっ、末永く頼むぞ!」
陛下は満足したように、にんまりと笑った。
「ええー……」
あれだけミカドを擁護した後で、簡単に拒否できない。ここまでの話の流れもなんだか陛下に乗せられたようで、サヨは口をつぐむ。言質をとられてはたまらない。でも、優しいミカドとばっさり切っていくサヨは案外いいコンビではあるのかもしれない、と思ってしまった。
「ほれほれ、おまえさんの好きな茶菓子をそろえたぞ。遠慮せずに喰え」
チョメといい陛下といいみんな食べ物でサヨを釣ろうとするのはなぜだろう?
まぁ、おいしくいただくけど。サヨは、手を付けていなかった温かいお茶を飲むと、用意された茶菓子をつまむ。
その時、ひゅうっと冷たい風が通り抜けた。
「冬の気配がする……」
まだ、穏やかな暖かさが感じられるが、山に囲まれたこの地域はある時を境に一気に冬模様となる。
「雪の女神に捧げる舞の練習はしなくてよいのか?」
「身体に染みついているっていうか、自然と体が動くから大丈夫。あと、練習でも、もってかれるんだよねー」
「もってかれる?」
陛下の質問には答えずに、静かにサヨは茶菓子を食べ続けた。
◇◇
そして二カ月後、雪の季節がやってきた。
サヨが獅子獣人の国に来てから、サヨが雪の女神に舞を納める儀式については、話し合って準備を進めている。サヨはミカドとの婚姻は保留にしたが、雪の女神への舞は約束通り舞うつもりでいる。
準備と言っても、サヨが舞いを舞う舞台の設営と、観客の配置や当日の段取りだけで、特別な事は特にない。そもそも神への舞は地面などでもよく、スペースがあればよいのだ。ただ、サヨを王太子の花嫁として迎え入れる箔付けのために、獅子族の皆にサヨの舞がよく見えるように舞台を整えたいだけなのだ。
雪の女神への伝達はサヨがして、明日、舞を納める。日程が決まってから、城内には少し緊張感が漂っていたが、サヨは相変わらずマイペースに過ごした。その日の夜も、いつものようにベッドに潜り込もうとした。
「サヨ、話がしたい」
真剣な目をしたミカドに呼び止められて、ソファに並んで座る。暖炉でパチパチと火が爆ぜているが、床から冷気が上がって来て、サヨはぶるりと震えた。
「すまない。寒いか?」
ミカドは隣に座るサヨを掬い上げると、膝の上に横抱きにして、自分のガウンで覆う。いつもの温もりに安心して、サヨは無意識にミカドの胸元に頬を摺り寄せた。ミカドの顔を見上げるとほんのり頬が赤く染まっている。
「ミカド、話ってなぁに? 明日の儀式が心配? 儀式とか舞っていっても厳密な手順とか、間違えたらだめとかそういうのはないよ。だから、安心して見ててくれたらいいよ」
毎日くっついて眠っているからか、二人の距離感はずいぶん近づいた。ミカドに乞われて、二人の時には名前を呼び捨てにするくらいに。長いまつ毛に覆われた瞳に憂いの色を見つけて、サヨは安心させたくて軽い調子で話しかける。
「サヨ、ありがとう」
「どういたしまして。ってなにが?」
「全てに。ひどい出迎え方をしたにもかかわらず、この城に留まってくれてありがとう。無礼な事をした者がいる一族のために、雪の女神への舞を舞う約束を守ってくれてありがとう。こんな情けない私の話を聞いて、傍にいてくれてありがとう」
「それは、三食昼寝つきのためで……」
ミカドにぎゅっと抱きしめられて、サヨの胸のあたりもぎゅっと苦しくなった。
「サヨ、結婚してほしい」
「は……?」
ミカドは抱擁を少しゆるめると、サヨの顔を見つめて告げた。
「サヨがこの儀式が終わったら、白猫の里に帰りたいのはわかっている。でも、私にはサヨが必要なんだ。女神の愛し子だからとか巫女だからとか、サヨがいるとよく眠れるとか……それだけじゃなくて、もうサヨを手放せない。お願いだから、妻となって隣にいてほしい。今はまだ情けない所も多いけど、努力する。この婚姻を、この縁をなかったものにしたくないんだ」
ミカドの大きな手がサヨの頬を滑る。愛おしい者を慈しむように撫でられて、サヨは泣きたい気持ちになった。
「急だね、ミカド。ちょっとだけ考える時間をもらっていいかな?」
「サヨが納得いくまで考えて結論を出してくれればいい。すまない、大事な儀式の前に。もう眠ろうか」
ミカドからの思いがけない求婚に動揺するサヨをミカドはひょいと抱き上げて、ベッドに移動するといつものようにサヨを抱きしめて横になる。いつもは、サヨを後ろから抱きしめているのに、今日はそのまま正面から抱きしめられている。ミカドの鼓動が心なしか早い気がする。そして、サヨの鼓動も。それで思い煩い眠れなくなることもなく、サヨはぐっすりと眠った。
◇◇
「やられたわね。やっぱりここで仕掛けてくるか……。タタ、一応殿下に伝えておいてくれる?」
サヨの衣装部屋に置かれていた白猫の里から持ってきた巫女の衣装が切り裂かれていた。昨日、確認した時にはなんともなかったので、今朝までの間に隙をついて破損したのだろう。サヨ本人に危害を加えなければ、神罰が下ることはない。サヨの近辺は雪の女神への舞の日が近づくにつれ精査されていたはずだが、黒獅子一族の根は深いところまではびこっているのかもしれない。
「自分達が破滅するなら、獅子の一族の事なんてどうでもいいのかしら? それとも神をなめてるのかしらね?」
愛着のある衣装だからという理由だけでなく、寒がりのサヨのために太陽の神の加護がついていたり、布や折り方も特殊でかなり温かく、軽い。軽い衣装でないとサヨは上手く舞うことができない。そして、軽い衣装は大抵布が薄いため、寒い。衣装の指定はないが、この衣装以外で軽く寒さに耐えられるものがあるだろうか? 衣装部屋をモモとさまよって、夏物の白の薄手のワンピースに袖を通した。少し動いてみて、差し障りのないことを確認する。サヨは寒さに震えた。すかさずモモが丈の長いもこもこの白の上着を着せてくれた。
「靴まで、手を出されたのは正直、痛いかな……」
舞を舞うための柔らかい靴まで切り裂かれている。大抵の事には動じないサヨだが、これにはちょっと心が折れそうになる。黒獅子達からすれば、サヨがヘソを曲げて舞を踊らないと言って欲しいのだろう。そして、約束を違えたとサヨを糾弾したいのだろう。
この国の靴は固いので踊るためには、裸足になるしか選択肢がない。さすがに外気で冷やされたつるりとした床で裸足で踊りきる自信はないので、切り裂かれた衣装をさらに裂いて、包帯のように足の指から足の裏へと巻き付ける。サヨがもたもたと巻いていたら、それを見てなにをしたいか察したモモが、綺麗に巻きなおしてくれた。多少不格好だが、モモが少しでも見た目が良くなるようにと綺麗なレースのリボンを足首に巻いてくれた。
準備に多少時間がかかったが、そっと会場入りすると、黒獅子の一族が束になって、ミカドに食ってかかっている。
「白猫ごときに骨抜きにされおって! それでも誇り高き白獅子か!」
先頭でミカドに怒鳴り散らしているのは、初老の黒獅子で、宰相を首になった男だ。一応、殿下の周りには騎士が配置されているが、元宰相の勢いに腰が引けているのが見て取れる。
「サヨが獅子であろうと白猫であろうと、自分の嫁に来る者を大事にしてなにが悪いのですか? それに、あなた達黒獅子よりよほど、サヨの方が獅子獣人のことを考えてくれている。今まで、陛下や私を支えてくれているからと多少の事には目をつむってきました。でも、物事には限度があります。もっと早くあなた達を切るべきだった」
対するミカドは淡々と冷静に返している。きっとどこかで膿を出さないと、その矛先がサヨに向かうからと自ら対峙しているのだろう。サヨは会場の片隅で気配を消して、黒獅子の一族と対峙するミカドを見守る事にした。今日のサヨの役目は黒獅子をコテンパンにやっつける事ではなくて、雪の女神へ舞を捧げる事だ。
「なにを言っているんだ! これまで、黒獅子がどれだけ白獅子のために働いて来たと思ってるんだ!」
元宰相の横で、ミカドの幼馴染で宰相補佐だった男が叫んだ。サヨに襲い掛かったときの火傷がまだ治っていないのか、右腕には包帯が巻かれている。
「本当に自分達がなにをしてきたのかわかっているのか? 仕事をさぼり、部下の手柄を自分の物とする。横領する。無意味に山や川を荒らし、神を冒涜する。サヨへの無礼だけにとどまらず、他部族と揉め事を起こす。むしろ、黒獅子のした事への尻ぬぐいに城の者は迷惑を被り、奔走しているのだが」
「うるさい! 獅子に変身することもできない半端者が! 獅子族こそが最強の種族なのに、そんな弱気になってどうするんだ! 本当なら王に相応しいのは我々、黒獅子だ!!」
「それならば、あなたが獅子に変身し、皆を威嚇し、私から王族の地位を奪ったらどうですか? そもそもあなたは獅子に変身できるのですか? 白獅子と黒獅子は同等の能力を持っているはずですよね?」
元宰相の黒獅子はグルグルとうなるだけで、ミカドの冷静な返しにそれ以上、言葉を紡げない。
辺りの空気が突如として、一段重くなり、冷気が広がる。空間が割れるようにして、雪の女神が現れた。その神聖な美しい姿と圧倒的な存在感に、さすがの黒獅子達もミカドの前から撤退した。だが、その目はギラギラしていて、まだあきらめていないのが遠くから眺めるサヨからも見て取れた。
「ハーイ、サヨ、久しぶり。獅子のやらかしの償いにサヨが舞うのね? まぁ、私は舞が見られるならなんでもいいんだけど。サヨの舞は格別だからね」
「久しぶり、ギンカ。元気そうでなにより。ご期待にそえるように、がんばるわ」
雪の女神であるギンカにも、相変わらず軽い態度のサヨに集まった獅子族の者達は驚いている。
ギンカは手の一振りで、サヨが舞う予定の舞台の正面に氷でできた椅子を作りだした。周りの者達はその様子をただ黙って見つめている。
サヨは自分がこれから上がる舞台を見つめた。小さな四角いシンプルな舞台。それを四方から、獅子族の者達が見守る。どうやら黒獅子達はかなり後ろの方に席が設けられているようだし、周りを騎士達が固めている。病床にいるはずの陛下も最前列に座っている。
ふわふわの白い上着をモモに渡すと、一気に体が冷えて、サヨは震えた。いつの間に隣に来ていたのか、ミカドがマントでくるむようにしてサヨをその大きな体で覆う。
サヨが震えたのは寒さのせいと、少しの怖さのせい。
サヨはミカドの温もりを感じながら目を瞑る。
――今から、雪の女神に舞を捧げるんで、加護の解除お願いしまーす。
『了解』
『外したよ~』
『サヨの舞いいなー』
『はいよ』
『ギンカ、うらやましー』
『ほい、完了』
……
心の中で、そうつぶやくと、次々にサヨに加護を与えている神々からの返事が来る。
一つずつ返事が来る度に、サヨに施されている加護が一つずつ解除されていくのを感じる。
誰にも告げていないが、舞の間、サヨは無防備になる。雪の女神はもちろん、他の神からの加護を外さなければならないのだ。いつもは自動的に発動する神罰も発動しない。
なぜ加護を外さなければならないのかと、白猫の里のオババに聞いた所、舞とは自分から発するエネルギーを表現するものだから、他の神々の加護でコーティングされた状態ではできないのだと説明してくれた。
あー、怖い。丸腰で、皆の前で舞うの怖い。
このまま、ミカドの懐でぬくぬくしてたいなぁ……
何も言わずに、サヨを懐に入れてくれているミカドの袖を引っ張って、ちょいちょいと背をかがめるように催促した。近づいて来たミカドの頬にキスをする。ミカドの頬が染まるのを見て、サヨは満足した。
「私の雄姿見ててちょうだい」
自分の甘ったれた本音を断ち切るように、ミカドの懐から離れる。とたんに寒さがキンと体の芯まで染みる。
雪の女神であるギンカに一礼すると、舞台へと続く階段を軽やかに登り、中央に歩き出す。
外気にさらされてキンキンに冷えた床から足へと寒さが伝わり、体中に立ち上ってくる。とたんに、寒さに感覚や感情が全て持って行かれそうになる。
集中しろ。
サヨは自分の体の感覚に意識を向けた。
床に着いた足裏の感覚。
皮膚を覆う衣装の感覚。
自分の髪が顔を覆っている感覚。
外気に触れている皮膚の感覚。
そして、肌とそれに触れている外気が溶け合う感覚に身を任せると、サヨの中からエネルギーのうねりが湧きだしてくる。
次の瞬、サヨは一歩を踏み出した。
神に捧げる舞に作法や決まりやテクニックはない。
自分という殻を脱いで、自然と一体化し、自分の生命力やエネルギーを引き出して、表現するだけだ。
それは舞のような踊りのような祈りのような軽やかな、なにか。
サヨは自分の意思を手放して、ただその自分のエネルギーに導かれるようにして、しなやかに体を動かすだけだ。
何一つ抵抗することなく、そのエネルギーの流れに身を委ねる。
まるで、空中を舞っているかのように軽やかな足取りで、くるくると回り、小さな舞台の上を飛び回る。
サヨが手先から足先までゆったりと優雅に舞う度に、薄手の衣と白銀の髪がたなびく。
その様は儚くて美しくて、それでいて力強い。
シンと冷えた冬の空気の中、雪の女神が満足そうな顔で頷くたびに、気温が下がり、やがて雪がはらはらと舞いはじめた。
寒さも雪もものともせず、サヨは舞い続ける。
舞い散る雪の中、サヨの衣装の衣擦れの音や、髪がさらりと揺れる音だけが小さく響く。
舞の最中は体の感覚も、時間の感覚もなくなる。
自分の体から意識が離れたようになり、上空から自分を俯瞰している感覚になる。
それでも、これまでの経験からなんとなくフィナーレに入ったのがわかった。
その時、シンとした空気を割くように、ヒュンッと鋭い音がした。
サヨが一拍遅れてそちらを見ると、自分に目がけて矢が飛んでくるのが見えた。
見えたけど、舞いが始まると、エネルギーを全て放出するまで、自分の意識では避ける事も止まる事もできない。
神聖な舞の場を血で汚すなんて、神の怒りはどれほどになるだろうか……
サヨは自分の身の心配よりも、ぼんやりとそんな事を思った。
次の瞬間に、咆哮が響き渡り、サヨの眼前には大きくてふわふわした白い物体があった。
「助かった……?」
その咆哮によって、サヨの残りのエネルギーが放出されて、体の自由が戻ってきた。とたんに体の冷えと疲労を感じて、床に崩れ落ちる。
「冷たい……サヨ、サヨ!」
ミカドの声が聞こえた気がして、なんとか瞼をこじ開けると、目の前には大きな白い獅子がいて、口から折れた矢を吐き出すと、サヨを揺さぶっている。
「ふふふっ……ミカド、変身できたじゃん。これに免じてギンカ許してくんないかなぁ……」
サヨはへらりと笑うと、もう目を開ける事もできなくなった。サヨの姿が白猫に変わると、白獅子になったミカドが懐に抱き込んだ。
「何回言ったらわかるのかしらね。サヨは全てとは言わないけど、多くの神に気に入られてる愛し子だって言ってんでしょ。度重なる嫌がらせに、神聖な舞の邪魔までして、ただで済むと思わない事ね……」
雪の女神はつぶやいて、黒獅子の一族の方を睨んだ。黒獅子の一族の者達は、氷の檻に覆われている。氷の檻からは、冷気が放たれているようで、檻の中の黒獅子達はブルブル身を寄せ合って震えている。
「出せ! 出してくれ! くそっ。彫刻はあんなに簡単に壊れたのに、なんでこんなに固いんだ!」
元宰相と元宰相補佐の親子は、氷の檻を壊そうと力任せに叩いたり蹴ったりしているが、華奢に見える氷の檻はびくともしない。
「ミカド、お前一人で獅子獣人を束ねていくなんて無理だろう? 俺の力が必要だろう?」
「ミカド、ミカド、助けて! 幼い頃から一緒にいたじゃない!! 私よりその白猫を取るっていうの?」
簡単に壊せそうなのに、壊せない氷の檻に閉じ込められて、きつくなっていく寒さに、黒獅子達は反省も謝罪もせずに、ミカドに助けるように悲痛な声で訴えはじめた。
「確かに今までは情があった。でも、どちらか選ばなければいけないというなら、サヨを選ぶ。神の愛し子だからじゃない。確かに長い時間一緒にいたのはお前達だ。だが、お前たちは一度でも私を見てくれたことがあるか? 寄り添ってくれたことがあるか? 確かに一緒に居て心強い面はあった。だが、一緒に獅子族のためになにかをしようとしてくれたことがあるか? 自分たちの欲と利しか考えていないだろう。サヨとは会ったばかりだが、私を認め寄り添ってくれた。サヨは獅子族の民のために、お前達に衣装を台無しにされても、雪の女神への舞を舞ってくれた」
「おい、ミカド、目を覚ませ! もう神だのなんだのっていう時代じゃないんだ! 俺達は誇り高き獅子獣人だぞ! 俺と一緒なら世界に君臨できるんだぞ!」
寒さにガタガタ震えながらも、元宰相補佐の黒獅子は意見を変えない。
「それはお前の夢であって、俺の夢ではない。そんなもの一度も望んだことはない。それで、神をないがしろにし、自然を破壊し、他の部族を蹂躙するというのか?」
「そうだ! 獅子こそがこの世で最強だと知らしめるんだよ!」
ミカドの咆哮が響き渡った。それは、どれだけ言葉を尽くしても通じない怒りと、そして悲しみが込められていた。王者の咆哮に、その場の全ての獅子獣人が本能的な恐怖を感じて、地べたに這いつくばり、忠誠を誓った。氷の檻の中の黒獅子も白獅子の咆哮には敵わずに、言葉を失い頭を垂れる。
「この度の獅子獣人の度重なる不祥事について、獅子族の代表として謝罪します。雪の女神の愛し子であるサヨ殿への度重なる不敬と神聖な舞の舞台を汚した事、申し訳ありませんでした。可能であれば、私の首一つでお許しいただければと思います」
ミカドはサヨを抱えたまま、地面に頭をこすりつけるように土下座した。
「寒いんだから、まず顔を上げて、地面から離れて座りなさい」
雪の女神からの指示に、ミカドをはじめとして、全ての獅子族の者が座りなおした。
「まず、こっちの黒いのからね。神を神とも思ってないし、人の話は聞かないし、もうなんともならないわよね」
雪の女神が氷の檻に捕らわれている黒獅子達へ手を一振りすると、黒獅子達の姿が小さな鼠に変わった。
「せーぜーがんばって、鼠の姿で生きていきなさい。何回か転生したら獣人に生まれ変われるかもよ? 悔い改めたらね。あ、鼠とはいえまた、サヨに嫌がらせするかもしれないから、遠い陸の孤島に送るわね」
雪の女神がパチンと指を鳴らすと、氷の檻の中にいた鼠達の姿が一瞬で消えた。
「次はあなたたちの番かもね? あんまり人が減っちゃうとそれはそれで国として成り立たなくなるから直接手を下すのは黒獅子達だけにしたけど、もうバカなことしないでね。黒獅子に脅かされたにしろなんにしろ、今までしたことはぜーんぶ見てたわよ」
黒獅子にすり寄っていた派閥の者やサヨの衣装などに手を加えた者達が震えあがり、再び地面にひれ伏し、口々に謝罪と懺悔の言葉をつぶやきはじめる。その様子を雪の女神は冷めた目で眺めていた。
「追い込まれて、大事な物を失うまで本領を発揮しないって黒獅子に劣らず白獅子もばかよね。もっと早くに黒獅子を押さえていたなら、サヨがここまで追い込まれることもなかったのかもしれないのに……」
「どういうことだ?」
「あなたはサヨに助けられるばっかりでサヨのこと一つも知ろうとしなかったわよね。サヨはただ惰眠をむさぼるのが好きなだけじゃないのよ。神にささげる舞を踊るための力を貯めていたのよ。よく庭を散歩していたのだってそう。自然に触れて、よく眠ることで命の力を貯めているのよ。舞でその力を解放するのよ。自分の命の力を使っているからこそ、巫女の舞はあんなに美しいのよ。命がけで踊るっていうのに、衣装や靴くらい守れないものかしらね? まだまだ、脇が甘いのよ」
いつか助けた子猫のようにヒンヤリしているサヨにミカドの顔が青ざめた。
「サヨは……サヨは、目を覚ますのか……?」
「さぁ、どうかしらね? 神のみぞ知るって所かしらね。あんたと獅子族の処遇はサヨが目覚めてから決めるわ」
ざっと顔色の悪くなったミカドの顔を冷めた目で雪の女神が見つめた。
◇◇
「あーよく寝たぁー」
なんとも言えない終わり方をした雪の女神への舞の儀式から一週間後に、サヨは目覚めた。舞でエネルギーを放出してしまったので、まだ白猫の姿だ。
「サヨ! サヨ! よかった。生きてた。もう目を覚まさないかと思った……! すまない、雪の女神への儀式が自分の命を削ってするものだなんて思っていなかったんだ。サヨは命がけで舞ってくれたんだな……」
サヨのベッドの傍らではげっそりと痩せたミカドがサヨをやさしくなでながら、号泣している。
「なんか心配かけちゃって、ごめんなさい。さすがに舞ったからって、死んだりしないよ。それじゃ巫女じゃなくて、人身供犠じゃないの……。ぶっ倒れたのは緊張とか寒さとかあって、ちょっとコンディションが悪かったせいで……」
「すまない……すまない……お前のことをただの食い意地の張った、昼寝がなにより好きな猫だと思っていた」
「なんか謝られている気がしないけど、こっちも驚かせちゃったからまぁいいか。ギンカは満足したの?」
サヨをなでるミカドの手に頭を摺り寄せる。眠っている間、ミカドの温もりや声がずっとサヨの傍にあった気がする。
「ああ、サヨが使っていた客間で滞在して、楽しんでいるようだ。すまない、不安で手放せずにずっと一緒にいた。サヨの荷物は私の続き部屋に移動させてある」
「え? ギンカがまだいるの? 道理で寒いわけだ。ん? ミカドの続き部屋って……?」
「なんかえらくじいさんと意気投合してしまったみたいで、ずっと雪の女神が持ち込んだ様々な卓上の遊戯板で勝負をしているよ」
サヨが目覚めてから獅子族への処遇を決める事にした雪の女神は、滞在している間に陛下の事をすっかり気に入ってしまったらしい。サヨやミカドからすると冷めていて昔堅気の考え方の陛下の悟ったような思考は女神のお気に召したようだ。そのおかげでミカドの首も無事つながったままだし、獅子族を許したわけではないが、処分は保留としてくれた。
いつもの年よりは寒さが厳しいが、雪に閉ざされることもなく、獅子獣人の国にはほっとした空気が流れた。
◇◇
サヨが目覚めてから一週間が経った。サヨは今日も今日とて、ミカドの膝で寝そべって暖をとっている。サヨはまだ白猫姿のままだ。
「あー例の件、考えてもいいですよ」
「例の件……?」
「ミカドとの婚姻の件」
「えっ?」
「ただし、条件があります。三食昼寝とおやつ付きで、快適な環境が保たれること。それと、一生よそ見せずに私だけ可愛がってくれること」
真っ赤になって顔を覆うミカド。白猫姿なので、バレていないと思うけどサヨの顔も真っ赤になっている。
「まー、居心地のいい膝に免じて、一生おつきあいしてあげますよ」
「サヨ、早く人型に戻ってくれ。婚姻の儀式をしよう」
「ふふふ、それにはまだまだ昼寝が足りませんかねぇ」
こうして、白猫族のサヨは三食昼寝付き、政略風味の薄まった結婚に一歩近づいたのだった。
【おまけの話】
「陛下、執務室で遊戯されるのはちょっと……皆の士気が下がると言いますか、とても寒いですし……」
「ミカドの許可は取っておるし、これは遊戯ではなく接待である」
誰もが口を出せない状況に、勇気を出してチョメが声をかける。どんな相手でも特攻できる、それがチョメの長所だ。だが、陛下相手ではすぐに却下される。
雪の女神であるギンカは退屈だからと、様々な卓上の遊戯板を持ち込んでいる。雪の女神の相手をできる胆力があるものは陛下しかいないので、それに否やはないのだが、なぜか二人はミカドの執務室で、毎日遊戯にふけっている。今日は異世界だか異国だかのオセロという名の遊戯をしているようだ。パチリ、パチリと白黒の石をひっくり返す音が響く。
「して、神の愛し子とは、どうやって選ばれるのですか?」
「基本的には、転生を繰り返すうちに、澄んで清廉になった魂かしらね? まー、神によって好みがあるけどね」
遊戯も一興ながら、陛下とギンカの間で交わされる会話に執務室の皆がぴくりと反応する。
『え? サヨ様が? 澄んでいて、清廉? 確かに見た目や舞は清廉だけど、口が悪くて食い意地が張っていて、眠ってばかりいるけど???』
皆の心の声は一緒だ。
「目に見える物だけが全てじゃないわよ」
皆の心を読んだかのように、ギンカがほほ笑んだ。
「白猫族に神の愛し子が多いのは、なぜなのかの? 血筋ではないのだろう?」
「確かに血は関係ないわよ。でも、白猫族の里は清らかな場所なのよね。みな穏やかで節制して、心身を鍛え慎ましやかに暮らしている。巫女と呼ばれる祈祷や舞などの神事を行う者の育成にも力を入れている。必然的に神の愛し子に選ばれる子や加護を与えられる子が多くなるわけ。今の獅子族では無理でしょう?」
「なるほど。耳に痛い言葉ですな。まぁ、種族によって特性や向き不向きもありますしな。今の白猫の里で一番の実力者ということはサヨ殿はすごい人物なのですなぁ……」
「まぁ、サヨが人気があるのは、きっと見てて飽きないからだけどね。神って悠久の時を生きるから基本的に娯楽に飢えてるのよ」
「だから、愛し子を構い、巫女の舞を堪能し、こうした娯楽板も多数持っているということですな」
「今回は獅子族にもあなたみたいなおもしろい遊び相手がいるってわかった事がいい収穫だわ
。長生きなさいよ」
「ふぉっふぉっふぉ。それは、ありがたきお言葉。まぁ、ひ孫を見るまでは死ねませんわ」
執務室の皆が仕事は半分上の空で、陛下とギンカの話に気を取られている。陛下のひ孫発言に、白猫姿のサヨを膝に乗せて執務に励むミカドへと皆の目線が集まる。ミカドは無意識なのか時折、膝に乗るサヨを撫でている。
「まだまだ、先っぽいですけどね……」
タタはまるで、おままごとのようなミカドとサヨのじゃれ合いを見て、つぶやく。
「サヨ、もう人型に戻れるんでしょ? いつまでも猫の姿でいて、ゴロゴロ甘えてんじゃないわよ!」
「ちっ! バレたか!」
ギンカもそんな二人に冷めた視線を送ると、サヨにつっこみを入れた。
「サヨ! 人前で人型に戻るな!」
瞬間的に人型に戻ったサヨをミカドが慌てて上着でくるむ。
「髪の毛でほとんど見えないからいいじゃないですか……。あー寒い。もうちょっとまどろんでいたかったのに……」
「今年の冬は楽しかったわ。じゃーまた来年ね!」
部屋にふわりと雪が散ったかと思うと、ギンカの姿が消えた。
「獅子族も楽しくなりそうじゃの。ますます死ねんわい」
陛下のカラカラとした笑い声が執務室に響いた。
木の枝につもる雪の下では新芽が育まれている。
まだ、外は雪景色だけど、春が来る日は近いのかもしれない。
【おしまい】