乙女ゲーに転生できたので、攻略対象外の黒髪執事と恋をはじめようと思います
——貴方には一生触れられない……。そう思っていました。
「…………、レオ……様……?」
目の前の現実が受け入れられずに、小さな声が溢れる。
「どうかしましたか? お嬢様」
だけど、今、私の眼の前に立っているのは、他でもない私の最推し。
——レオナルド・ザッカーニ様……。その人でした。
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「ああ、今日も素敵です……。レオ様……」
狭いワンルーム、安アパートの一室でメガネをかけた女性がつぶやく。
「立ち振る舞い、言葉使い、表情。全てが一流……」
彼女は恍惚とした表情を意中の人に捧げる。
「貴方がいるから、私は今日も頑張れます……♡」
くせっ毛の彼女は、毎朝の習慣として抱き枕を激しく抱きしめていた。
ぷるる! ぷるる! ぷるるるる!
独特なアラームが部屋中に響きわたる。
「もう時間なの……」
一気にテンションが下がり出す女性。その表情からは先ほどまでと違い、生気がない。起床したばかりだというのに、目の下のクマが目立ち、顔色は青白い。
「では、レオ様……。行ってきますね」
返事はない。
女性は思い足取りのままで、玄関へ向かったのだった。
——私、山田小春が、「人生はクソゲーである」と気づいたのは、いつだったろうか。
思い返してみると、はじめての嫌な記憶は、小学3年生の頃だった。
「こいつ、きもい本読んでる!」
前歯の抜けた男子は、大きく声を張り上げた。
私が読んでいた本のブックカバーを剥がして、目立つように高くかざす。開かれたページはキスシーンの挿絵。
「わー! えろだー!」
騒ぎだす男子たち。
「……ひそひそ……」
こそこそと話しだす女子たち。
「……」
呆然とする私。
今思い出しても地獄である。
「——は……っ!」
デスクワーク中に意識が飛んでいた。
無理もない。同じような作業を延々とやっているのだから。
頭の中のもやもやが晴れない。意識がはっきりとしていないのだ。
コーヒーを買いに行こう。お気に入りの微糖の缶コーヒー。
そう思い、私はおそるおそる立ち上がった。周りで寝落ちしている人たちを刺激しないように。
廊下で歩いている途中、急に立ちくらみが私を襲ってくる。
「う……、わ……」
足が絡み、派手に転ぶ。頭が割れるように痛い。声がうまくだせない。
なんとか顔をあげ、周りを見渡すが、助けは期待できないことを悟る。廊下で倒れている人なんて珍しい存在ではないから。誰も起こそうともしないのだ。それがこの会社の日常の光景だから。
お給料はいいが、真っ黒な労働時間。推し活のためにはお金がいくらあっても足りなかった。入社してすぐに後悔したが、辞めたいなんて言える勇気はなかった。
(ああ、どうせ死ぬのなら、カイト様の側で死にたかった……)
段々と薄れゆく意識の中で、私はそんなことを思っていた。
******
目を閉じている。うつ伏せではなく、仰向けの状態で。体を圧迫しているものは、布団だろうか。
もしかして、病院に運ばれたのかな。そんなことを思っていた。
「——じょ——さ——」
男の人の声が聞こえてくる。
「——ま、お嬢様!」
はっきりと聞こえてきたその言葉は、現実世界では聞きなれない言葉であった。
(夢でも見ているのかな……)
「お嬢様! いい加減起きてください! 遅刻してしまいますよ!」
その声の主の気配が近くにあることに気づき、目を開ける。先ほどまでと違い、体がスムーズに動く。私は慌てて、上半身を起こした。
時計の針は、冒頭に戻ってくる。長い長い回想、走馬灯と呼ぶには物足りない記憶が私の動きを完全に止めていた。
「……レオ……様……?」
「……? はい。貴方の執事。レオナルド・ザッカーニですよ」
私の問いに返ってきたのは、ゲーム通りのセリフだ。何周したかも覚えていない乙女ゲーム——『アドーネ学園生徒会役員たち』。
レオ様は主人公のサポート役。攻略対象ではないため、ボイスが付いていない。こんな声なのか。想像通りの渋い声。夢でも、私の妄想だとしても、聞けて嬉しい。涙が自然と溢れてくる。
「お嬢様!? どこか痛むのですか!?」
「ちがっ、違くて……」
涙を拭うために、必死で手を動かす。
「……どうぞ」
差し出されたのは白い無地のハンカチ。
「あ、ありがとうございます」
私はそれを素直に受け取り、目元に押し当てる。しばらくすると呼吸も落ち着き、涙は止まってくれた。レオ様は無言で側にいてくれている。
「えっと……、ここは……?」
そう言いながら、私はあたりを見回した。赤を基調とした部屋。カーッペットや壁紙が燃え盛るような赤で統一されており、ちょっとした小物以外の家具はすべて赤だ。正直趣味じゃない。悪く言うと、あまり品があるとは言えない。
とてもじゃないが、病室には見えない。そして、もちろん自室にも。だけど、どこか妙に懐かしい。
「ここは……、というと? お嬢様、ご自分の寝室をお忘れですか?」
「……そうだ、寝室。お嬢様の寝室」
ゲーム内の主人公であるお嬢様の寝室。私が名付けた『コハル・アレティーノ』の寝室。
「風邪でも引いたのですか? 先ほどから少し様子が……」
「だ、大丈夫です! とっても平気です!」
動揺して、つい言葉遣いが乱れる。
「……それならよいのですが。……ところで」
「はい?」
「今日はなぜ、敬語でお話しなのでしょうか?」
「えっ……と」
不思議そうな顔をしているレオ様。
無理もない。私もすごく戸惑っているのだから。
おそらく、前世(と呼べばいいのかすら分からないが)の私は死んだのだ。そして、この世界に飛んできた。意識だけ、この体に。『アドーネ学園生徒会役員たち』の主人公——プレイヤーの分身である肉体に。
異世界転生?というやつだろうか。私は前世の記憶が残っている。そして、不思議なことに、知りようのないはずであるお嬢様の過去の記憶も残している。どのような幼少期を過ごしてきたか。家族や友人とはどのような関係を築いているか。レオ様との大切な思い出。
そして、今日がアドーネ学園の入学式であることを。おそるおそる真っ赤な時計を見ると、入学式のはじまる時間はとうに過ぎていたのだった。
******
(——入学式の挨拶を任されるタイプのゲームじゃなくて良かった……)
そんなことを考えながら、現在、私は学園の廊下を歩いている。
前代未聞——というわけではないらしいが、入学式を遅刻してきた生徒など学園の歴史でもほとんど存在しないらしい。遅刻どころか、おわりの挨拶の途中にやってきたのだが。
呆れと怒りをブレンドした表情の女性教師に指示された行動は、職員室に向かうことだった。
歩きながらでも目に留まる無駄に凝った装飾、飾られている花瓶などは、現実ではありえないような光沢を誇っていた。いくらするんだろうか。この世界の通貨はたしかユールだったはず。
そんな時、目に入ったのは『生徒会室』の表札。
「わ〜、ゲームの通りのデザイン通りだ〜」と感動していると、後ろから声をかけられた。振り返るとそこに四人の男性が立っていた。
「どうしたの? おねーちゃん、道にでも迷った?」
金髪碧眼の弟系イケメン。
「おいっ! 何者だてめぇー!」
赤髪紫眼の俺様系イケメン。
「こら、だめだろ。女の子には優しくしなきゃ」
青髪白眼の優男系イケメン。
「子猫ちゃん、もしかして生徒会に用事かな?」
茶髪金眼の軽薄系イケメン。
四者四様の輝きを放つイケメンたち。この場の顔面平均値が急上昇する。この4人は、アドーネ学園生徒会役員たちである。
生徒会庶務——マテオ・ベラルディ。
お姉様方の一番人気、警戒心ほぼ皆無の年下男子。
生徒会書記——ロレンツォ・キエーザ。
効果的なデレ発言に撃ち抜かれる方続出、ツン多めの猫型男子。
生徒会副会長——フェデリコ・ロカテッリ。
いつも見せてくれる笑顔の意味に号泣者多数、謎が多めの博愛男子。
生徒会会長——ニコロ・クリスタンテ。
絵に描いたような軽薄だが実は……、ギャップ萌えの一途男子。
主人公であるプレイヤーの恋人候補。このゲームのメインキャラクター4人だ。私はそんな4人に囲まれてしまい、しどろもどろになる。
——だがしかし、あえて言おう。下品である、と。
登場人物の個性を出すために、髪と瞳の色がカラフルになるのは仕方がない。
それでも、黒髪に茶色い瞳。ありふれた日本人の特性を存分に活かし、それを芸術にまで昇華させているといっても過言ではないレオ様。
そんな我が生涯の想い人に比べてしまうと、月とスッポンである。生徒会顧問兼私専属執事——レオナルド・ザッカーニ。彼はどんな男子よりも蠱惑的に輝く、私のお月さまなのである。
黙ったままニヤついている私を不審に思ったのだろう。フェデリコ——通称フェデ副会長が話しかけてくる。
「……えっと、それでどうして君はここにいるのかな」
「……はっ! ええっと、職員室に行きたくて。それで、ここを通ったんです。場所は分かっています」
私はあえて、フラグをへしおるセリフを選択する。
「そうなんだ! おねーちゃん、見たことないから高等科からの外部生だよね! どこから来たの?」
母性をくすぐる笑顔で話しかけてくれるマテオ——通称マテくん。
「無名の田舎からですよ……」
再び私はフラグを全力で壊しにいく。
「緊張しているのかな? 子猫ちゃん。表情が硬いよ」
ウインクしながら話しかけてくるのは、ニコロ——通称ニコ会長である。
「生まれつきなので……」
三連続フラグ破壊。
「…………」
生徒会三人の好感度を上げないと、デレてくれないロレンツォ——通称ロレきゅんは、こちらを睨んで黙っている。
「それでは、失礼しますね!」
私はそう言い残して、急ぎ足で去っていく。
中身がこの私である以上、恋愛に発展することはまずないだろう。だがしかし、万が一にもルートに入ったら困る。
私はゲームでレオ様に一目惚れしてからずっと、誰とも恋人にならないお一人様ルートを選んでいたのだ。少しでも長くレオ様といるために。浮気は許されない。異端な遊び方だとしても、私はすごく満足しているのだ。
——まだこの時の私は気づいていなかった。こちらを見つめる四人の視線に。全力でフラグを回避できたと思っていたから。
******
学園生活初日が終わった。安定のコミュニケーション能力不足が響き、友達はできなかった。ただでさえ、入学式をすっぽかした女である。避けられて当然といえば、当然なのかもしれない。
「お嬢様。お迎えにあがりました」
学園の正門を過ぎてすぐ。世界一の男前が立っていた。レオ様だ。
「ありがとうございます。レオさん」
今朝の話である。レオ様と呼ぶのを嫌がられたため、妥協に妥協を重ねた末、レオさんと呼ぶ許しを得たのだ。
「すごく嬉しそうですね、お嬢様。何か、よいことでもありましたか?」
「ええ、すごく! 貴方が迎えに来てくれたから、嬉しいのです!」
「……? いつものことでしょう?」
「いつも嬉しいのです! 私は貴方が大好きですから!」
私は嘘偽りない言葉を、レオ様に伝える。
「っ、お嬢様……、ご冗談はおやめください」
レオ様の頬がうっすらと紅色に染まる。レオ様の赤面、というにはあまりにも淡い赤。
その色を見た私は思い出す。貴方は攻略対象外の存在でした。主人公のサポート役。
だから、正しい攻略法なんて知りません。だけど、諦めませんから。
あの世界では、会話することも、触れることも出来なかったのだから。この世界は文字通り夢の世界なのですから。私は貴方を絶対に、手に入れてみせます!
そう決意した私は、またレオ様に話しかける。
「ほら、行きましょう! エスコートしていただけますか?」
「はい。——喜んで」
確かにそこにある。手袋越しでも伝わる熱。触れた推しの手の温もりは、私をたまらなく感動させたのだ。
貴方はもう、攻略対象外ではない。この世界では、触れあえる存在なのだ。
必ず添い遂げてみせる。私は胸の中で再び決意を固くして、歩き出すのだった。
愛しい人に手を引かれて——。
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