死んだ殿下。
「さて、メアリー。わしのメアリーよ。お前をここに呼んだ理由がわかるか?」
公爵家の書斎で、父と娘が向き合っていた。パイプを咥えた公爵は、当主らしい威厳をもって娘の反応を窺う。
「わかりませんわ」
「わしにとって、お前は目にいれても痛くない娘だ。しかし、いつまでもこの狭い公爵家の中に閉じ込めておくことはできん」
そう言って、彼はサスペンダーを引っ張り上げた。
「お前もいずれは嫁として、この家を出ていく。そのはずだな」
「そう思います」
「そうだ。そのはずだった」
沈黙が漂う。メアリーが不思議そうに首をかしげた。
「過去形ですか?」
「お前の婚約者は誰だ?」
「ヒメス皇太子です」
「彼はつい先日死んだ」
「はあ」
少女の反応は鈍い。
「わしの記憶が正しければ、彼が落っこちたバルコニーにはお前もいたらしいな。わざわざ衛兵に二人きりにしてくれと言って、彼らが席を外した途端に、王子はバルコニーから落ちた」
「そうです」
「でだ。亡き皇太子の服にはくっきりと、ヒールの跡がついていた」
「なるほど」
「で、ヒールを履いていたのはお前しかおらんかった」
「それで?」
「それでだと?」
公爵は苛立たしげにパイプを机に打ち付ける。
「あんちくしょうの死に顔はとても安らかだった。白目を剥いて満足そうに、しかも鼻血まで垂らして、手にはお前の下着を握っていた。バルコニーにはお前のブラジャーが引っ掛かっていたのだぞ。頼むから、何があったらそういう状況になるのか教えてくれ」
「元殿下が私の下着を剥ぎ取って、戦利品とばかりに握りしめて興奮のまま落っこちたのでは?」
「そうだ。それがもっとも筋のとおる説明だ。なにか言いたいことはあるか?」
メアリーが首をかしげる。
「殿下はおっ立てて死んだんですか?」
「死後硬直のお陰か知らんがそれはそれはご立派なものを見せていたらしいな。だがよりにもよって気にするのはそこか?」
「殿下は生前『お前のような貧乳を妻にしたくない』と常々」
「それは大嘘だったらしいな」
「それの何が問題なのですか?殿下が私の服の上から下着を奪って死んだだけではありませんか」
「確かにあのクソガキは覗きで何度か『座敷』にぶちこまれたがな、メアリー。死人に対してこんな口を利くのもどうかとは思うが、一応王族だ」
「そうですね」
「たとえ露出狂で、王宮のメイドに見せつけて何度も折檻されていたとしてもだ。王族なのだ」
「だから?」
「臣下としては……というより、娘の父親としてせめて最期の状況くらい知っておきたいのだ。義理の息子になりかけていた男の死とあっては」
沈黙。
「真相究明なら城にいた兵士たちが行ったのでは?」
「陛下もそう思うだろうと考えて上奏したらなんと仰ったか?『息子を殺した者に褒賞金を与える』と」
「……懸賞金をかける、ではなくて?」
「城下町では殿下の首が晒されて市民たちは連日のようにお祭り騒ぎだ。殿下の死をお祝いしすぎて熱狂した連中が30人ほど圧死した」
「死してなお敵を30人も葬ったと」
「笑い事ではないのだよメアリー。今や市場では殿下のデスマスクを元にして縁日のお面が売られる始末だ。挙げ句に殿下の死後王族の支持率が急上昇した。生前と比べて40パーセントの増加だ。宰相は殿下の死んだ場所を文化遺産にしようと申請を出した」
「通る見込みがあるのですか?」
「少なくとも石碑は確実に建立するらしい」
話題が尽きた。公爵はひどく疲れた顔で立ち上がろうとして、机にしがみつき、椅子に尻餅をついた。
「お父様、私に何を求めていらっしゃるのですか?」
公爵はしばらく沈黙を保った。机の上を、彼の指が何度も叩く。
「……あのクソッタレを突き落とした時何か言っていたか?」
「こんなことをするような未来の妃は私の国には必要ない、婚約を破棄する、と途中まで言っていましたが婚約破棄の宣言になるかどうか」
「されたんなら問題なかろう」
公爵が椅子に座りなおし、インク壺を引き寄せる。
「よしじゃあパパが今から隣国の王子との婚約話を取り付けてやるからな」
「お願いしますわ、お父様!」
親子は笑いあった。
まったく、この国の未来を暗示するように空は晴れていた。