餓狼たちの巣窟、或いは動く災害 Ⅰ
「止まれ!」
あれから一時間ほど経った頃、人狼たちの集落の目前までたどり着いた僕たちを、制止する者がいた。
(成る程、ちょっとイメージは違うけど、これはこれで人狼か)
木の陰から現れたその人物の頭の上に生えた獣耳を見て、僕は納得する。てっきり、狼男みたいな変身する感じかと思っていたから、ちょっと拍子抜けではあったけれど。
「おい、俺だ。デッド・コードだ」
「デッド、後ろの二人は何者だ?」
「安心しろ、別に敵じゃねえよ。神に対する、新たな対抗戦力だ。無下にすんなよ」
デッドの姿を確認した彼は警戒を解いて、僕たちについて尋ねた。そして、デッドの答えに納得したように頷いて、先に進むように促した。
「新たな戦士か、歓迎する。と言いたいが、決定権は長が持っているものでね」
「は、あいつなら受け入れるに決まってると思うがな」
人狼の言葉にデッドは笑って、そのまま先に進んだ。僕とダンタリオンは彼の後を追いながら、彼に質問した。
「ねえ、デッド。人狼の長、ってどんな人?」
「…悪いやつじゃねえよ。少なくとも、お前らに対しては、相応に敬意を払うだろうよ」
「あー、何となく分かった」
少しだけ言い淀んでからのデッドの発言で、僕はある程度長の人格を予想できた。つまるところ、戦う意思を持たないものには興味を示さないタイプなんだろう。全肯定出来る人物ではないかもしれないが、この世界で集団で生き抜くくらいならそういう人物のほうが適してるんだろう。
そのまま、歩いていると、集落の姿が見えてきた。そして、その規模に僕は思わず驚く。千人、下手すれば数千人近くにも渡りそうな程に、多くの居住地と大規模な農地が見えたからだ。集落と言うより最早一種の都市とさえ思えるそこに暮らす人々が、恐らく普段通りの生活を送っているように見えるのも、驚きだった。
「なんか、すごいね」
「うん…」
呆然としたダンタリオンの言葉にうなずく。彼の村さえ、これほどの規模ではない。彼にとって、こんなに多くの人間を見るのは生まれて初めてだろう。
僕らがそんな風に感心していると、前方から、俺たちに近づいてくる一人の男がいた。その男は気安げに、デッドに向けて声を掛けてきた。
「よぉ、デッド」
「…わざわざ、出迎えに来んなよ。緊急事態だろ?」
「からから、今のところこっちに来てんのは使途連中だけだ。なら、ライドウ一人で十分すぎる」
笑いながら答えたその男は、ふとこちらを見てまたニヤリと笑った。
「それが新しい戦力ってやつか?感謝するぜ、戦力は幾らあっても困らん」
そう言って彼は、僕たちに手を差し出しながら名乗った。
「【二代目】ルゥ・ガルーだ、よろしくな」
「二代目…?」
その手を握りながら、僕は疑問符を浮かべた。
「人狼の長ってのは先代から受け継いだ座でね」
僕の指摘を受けて、苦笑しながら彼は答えた。
「代々、ってほど歴史があるわけじゃないが、特別な才能を有する者が、長の座を受け継ぐことになってる」
俺達はその才能のことを、【異常】と呼んでいる。そう言って笑った彼の呼称は、実のところ真に迫ったものだと思う。人には存在し得ない、人とは明らかに異なる能力。僕がいた世界で異能と呼ばれていたそれは、明らかに異常なものだ。普通の人間には異らないもの。最も、この世界では少なからず、必要な能力だとも思うけれど。
「先代が持っていた【異常】ってのがまた曲者でね、先代について行って戦いを積み重ねてるうちに、いつの間にかこんな変な耳が生えてやがった」
自分の頭上を指差しながら、彼の言ったことに、僕は思わず目を見開いた。聞いたことのない類の異能だ、恐らく永続的な種族の変換を大勢に引き起こす異能なんて、僕がいた世界には存在しなかった。或いは、彼らの言う【異常】というものは、僕が知っている異能とも少し違う?
と、そこで、僕は一つ思い出す。僕がいた世界にも確かに、それに近いものは存在した。最もそれを持つものは人として類されない代物だったが。
留意していると、デッドが僕の肩を掴みながら言った。
「偉そうな顔してんなよ、このジョン・ドゥはお前の異常より余程イカれた物持ってるぜ」
「なんだよ、あんた同類か?なら、苦労したろ」
「まあ、ね。お互い様でしょ?」
「違いねえ」
僕は心の底から、同意する。最も、僕が苦労したのは、彼と同じ意味ではない。異能持ち程度、【院】には大勢いたし、七天に至っては持たないものの方が珍しいものだったから。ただ、僕が、父さんが影で縛り付けた、人の末路と同居するのが、余りにも難儀だっただけで。人擬きとなってしまった僕が生きていることが、余りにもおかしかっただけで。
ふと、鐘の音が村中に鳴り響いた。高台の上から引き起こされたその音を聞いたルゥ・ガルーは、大声で笑い出した。
「ひゃはははは!遂に来やがったか!」
「【皆殺し】か…!」
どうやらそれは、敵襲を知らせるための合図だったらしい。それも、神の襲来を。
狂気にさえ足を踏み入れた満面の笑みのまま、彼は僕に問いかけた。
「おい、折角来たんだ。付き合ってくれるよな」
「―勿論、それが目当てだからね」
「からから、いい返事だ。なら、行くか」
僕の返事に、更に気を良くしたらしい彼はまた、笑って自分の後を追うように示した。
「その必要はないよ」
「あん?」
だから、僕は彼に首を振った。首を傾げた彼に、薄い笑顔で返す。
それと同時に、僕は前方に影を生み出した。引き寄せられるような、奥行きのある影を。
「居場所をあなたが知っているなら、僕が飛ばしてあげるから」
【影の道】、瞬間移動を引き起こす、僕の影の中でもかなり狂った部類の技だ。
「…成る程なあ、こいつぁイカれてる」
「褒め言葉をありがとう」
「礼はいらねえ、ただの本心だからな」
驚きもそこそこに、彼は再度愉快そうに笑い、僕も釣られて笑った。
「さて、なら行くとするか。もう、疼いてしょうがねえんだ」
「…その前に、少し時間を貰っても?」
そのまま意気揚々と進もうとしたルゥ・ガルーに、僕はそんな許可を求めた。一つ、懸念があったことを思い出したからだ。
「あんたのお陰で時間に余裕はある、好きにしな」
彼はあっさりと頷いた。さっきの様子から、少しは渋い顔をされると思ったから、拍子抜けする。と、同時に、彼は思った以上に周りが見えているのだと、理解する。この大規模な集団のリーダーを努めているくらいだ、その程度の能力は持ち合わせて当然か。この手のリーダーシップは、僕の持ち合わせてないところだから、少しうらやましくもある。
「ダンタリオン、大丈夫?」
「…え、あ、ああうん、大丈夫」
僕が尋ねると、彼は放心しているかのような表情と声音で、やっと頷いた。
彼がそうなるのも当然だ。何故なら、彼には実績がない。経験がない。更に厳しいことを言えば、実力もない。事実、僕が出会った時の彼は、使徒にすら敵わなかった。そんな、彼が今回、戦闘に参加するというのは、不安が伴って当然の話だ。
彼を作戦に参加させないという選択もあるにはある。地道に鍛えていけば、いつかは対等に戦える日も来るのかもしれない。だが、今は。
(悠長に待っている暇は、ないんだ)
今後数日以内に、ミスター・ファルカスとその友人と合流して、とある作戦を実施することが決まっている。それまでに彼が強敵と対峙するチャンスは、これが最後かもしれない。強敵との戦いの経験で得られるものは計り知れないものがあるのだから、その機会を、みすみす逃すことは出来ない。彼が、僕らと肩を並べて戦いたいと願うのならば。
そのことを彼自身が最も理解しているからこそ、必要以上に不安に思っているのだろう。
「ダンタリオン、あんまり気負うんじゃねえぞ」
そんな僕らのやり取りに続くようにしてデッドが、ダンタリオンに肩を組んだ。
「人狼のナンバー2、ライドウは場合によっちゃ、ルゥ・ガルーより戦功者だ。別に一人足手まといがいたって、カバーしてくれるさ。だから、お前が何の役に立たなくても問題はねえ」
「ちょっと、デッド」
そして、デッドの口から放たれたのは、きつい発言。励ますのだと想像していた僕は思わず、口を挟む。が、デッドは、僕に構わず発言を続けた。
「だが、それで当然だ。余程、ぶっ飛んだ才能の持ち主を除けば、皆最初は誰かにおんぶだっこで成長していくもんだ。そうやって、成長していくものなんだよ」
続いたデッドの言葉に、思わず、僕は早とちりをした自分を恥じる。
「だから、不味いと感じたらライドウに全部ぶん投げりゃ良い。だから、絶対に死なねえことだけを考えて戦え」
「…うん、ありがとう。デッド」
そんなやり取りを終える頃には、彼の表情が少しだけ綻び、今までのダンタリオンにあった硬さが和らいだ気がした。これなら、少なくともダンタリオンは、自分の実力を十全に発揮出来ることだろう。
「よお、話は済んだかい?」
「うん、行こう」
ルゥ・ガルーの問いかけに頷き、僕らは影の中へ、歩を進めた。戦場へと向かうために。