賢しき獣、或るいは造る者 Ⅲ
「…ひとまず、礼は言っとく」
ミスター・ファルカスを倒した僕に、デッド・コードはぶっきらぼうながらも、頭を下げた。
「ジョン、お疲れ様!」
「うお!何だこいつは!」
「落ち着いて落ち着いて」
その後すぐに、影から出てきたダンタリオンに驚愕しながら、斧を向けたデッドを宥めつつ、僕は彼を影で隠していたことを説明した。
「次善の策、か。良くそんな余裕があるもんだ」
呆れたように呟いたデッドは、髪を掻きながら僕たちに向けて質問した。
「…それで、お前らは、何をしに俺の所まで来た」
「無論、君を仲間にするため」
「生憎、あんたに渡せるような装備はねえぞ。あんたを強化するような物を、俺は想像できん」
彼はそう言って首を振った。彼が天才と呼ばれる所以は、ひとえにその製作能力だ。彼が根城にしているという、この工房を見ればそれが良く分かる。所狭しと、特異な外見をした武器が山程置かれている。凍てつくような冷たさを感じる剣があれば、燃え盛るような熱を感じる槍。それに、驚くべきことに銃に似た何かさえも顔を見せる。僕が知るそれとは、おそらく違うのだろうが、いずれにせよ、この世界でこれだけの物資を集め、そして製作出来ているのは、明らかに飛び抜けた個体だ。
「それで構わない。僕が欲してるのは、君の腕じゃないから」
「あん?なら、何が欲しい。俺が出来ることなんて、たかが知れてるぞ」
「君が欲しい」
「…あん?」
怪訝そうな顔で首を傾げた彼を見て、僕はふふ、と笑った。
「何笑ってんだてめえ、俺は冗談は好きじゃねえぞ」
「冗談?冗談なんかじゃないさ。君のような、神に立ち向かおうとして、実際立ち向かっている人材は貴重だ。君の優れた製作技術同様に」
「…はん、それには同意するぜ。俺やあんたみたいな人種は、そう多くねえ」
そこで初めて、デッド・コードの表情が和らいだ。薄く微笑んだ彼は、直ぐ様渋い顔に戻り、再度、質問を投げかけた。
「だが、それでもはいそうですかとは言えねえな。あんたくらいの力がありゃ、そこらの神くらいなら一人でやれんだろ。仮に一人でやれないとしても、あんたには既に仲間がいる。そいつの実力は知らんが、あんたと肩を並べるくらいだ。相当にやれんだろ?」
デッドの問いに、僕が答えるより先に、ダンタリオンが口を開いた。
「違う。僕は、一人じゃ、神にも、使徒にすら勝てない」
「…そうか」
彼はどこか、遠くを見るような目を見せてから、真っ直ぐ、見定めるような視線をダンタリオンに向けた。
「なら、なんでお前は、そいつについて行ってる。神に立ち向かおうとする精神は買ってやる。だが、力が伴わないなら、ただの蛮勇だ」
押し黙るダンタリオンを尻目に、彼は言葉を続けた。
「だから問おう、お前に何が出来る?」
「…今の僕には、何も出来ない。だから、僕は何でもするよ」
「どういう意味だ、そりゃ」
ダンタリオンの発言を測りかねたのか、デッドは首を傾げて問い返す。
「ジョンを活かすために、そして生かすために、僕は全てを捧げる。彼が彼の目的を達成する、その日まで」
「…はん、命知らずが」
デッドはそこでまた、少しだけニヤリと笑った。
「なら、訂正しよう。お前は確かに戦士だ。尊敬すべき、戦士の一人だ」
そして、ダンタリオンを認めたように、彼の肩に拳をぶつけた。
反面、僕もダンタリオンの返答にはある種の尊敬を覚えたが、それ以上に留意すべきだと思った。自己犠牲なんて、僕は求めちゃいない。命と引き換えにして手に入れたものなんて、何の意味もないんだから。それが仮に、他者の命だったとしても。死が許されるのは、一度だけなのだから。
「だが、命を差し出すのは本当に最後の手段だ。それ以外に方法がなく、かつその状況を確実に打開できる時以外は使うな。一枚しかない手札だ、軽々しく使えるほど安くねえんだからな」
僕の不安を解消するように、デッドが先んじて指摘してくれた。やはり、彼は場数を踏んでいるだけある。現実的なものの考え方だ。
言い終えると、彼は工房の中から一本の槍を取り出して、ダンタリオンに手渡した。一見、普通の槍のようだが、穂先の所が何か違う。燃えるような、何かが。
「これは?」
「ダンタリオン、だったよな。お前にそれをやる。試作品だが、ただの槍よかマシだろ」
ダンタリオンに槍を渡すと、矢継ぎ早に今度はこっちに向かって、彼は話しかけてきた。
「おい、ジョン・ドゥ。あんたの言葉に乗ってやる。少なくとも、俺の命尽きるその日まで、あんたらの悪あがきに付き合ってやるよ」
急な言葉に戸惑ったものの、彼が僕の誘いを快諾してくれたと分かって、少し、ほっとする。
「だが、その前に聞かせろ。お前は、あいつをどうするつもりだ?」
束の間の安堵に浸る間もなく、デッドは気絶したミスター・ファルカスを指差した。
デッドが彼をどうしたいのか、僕が介入する前の二人のやり取りを聞いていれば、何となく察せられる。
「…それはせめて、自分の口で聞きたいものだがね」
背後から、声が聞こえた。
振り返ると既に、ミスター・ファルカスは目を覚ましていた。思わず警戒したが、ゆっくりと、億劫そうに立ち上がった彼には、これ以上の戦意は無さそうだった。
「その前にもう一つ聞かせてくれ、どこまでが演技だ?」
「光を受けた時から、確かに光は僕の影を消すけれど、それだけで僕を脅かすことはない。光は、影を生むからね」
「なるほど、最初から手の内か」
僕の返答を受け、彼はくつくつと笑った。実際は、もっと込み入った事情があるが、今はそこまで話すつもりはない。
「それで、私はどうなるのかね?」
その問いを待っていた。僕は微笑んでから、彼の目を真っ直ぐ見据え、答えた。
「ミスター、貴方と手を組みたい」
「何だと…?」
僕の申し出に、怒り混じりの疑問符をぶつけたのは、ミスターではなく、デッド・コード。
「待てよ、ジョン・ドゥ。そいつは、神だぞ。俺たち、矮小な人類を踏み躙り、掻い摘み、搾取する、敵なんだぞ。そんな奴らと、手を組めるわけがない」
「それは神という種の全体的な傾向に過ぎないよ、デッド。手を組める個人がいないという証明にはならない」
熱っぽく感情的に語るデッドに対し、僕はあくまで、理性的な言葉で説得を試みる。
まだ彼の人柄を理解しているとは言い難いが、それでも彼が聡い、賢い人間だということは嫌でも理解できる。彼も、頭では分かっているはずだ。ミスター・ファルカスが、手を組むに値する程には、こちらに好意的な神だということを。
「…それでも、駄目なものは駄目だ。神と、同列に歩むなんて、許されることじゃない―!」
しかし、それでも尚、彼は首を振った。頭では分かっていても、感情がそれを拒んでいる。
「ダンタリオン、お前はどうなんだ。お前は、神と手を組むことを、許容できるのか」
彼はそのまま、自らの賛同者を求めるように、ダンタリオンに顔を向けた。彼が、自分と同じ考えを持っていることを期待して。
「できるよ」
だがしかし、ダンタリオンはそうではなかった。端的に答えた彼は、続けて、自らの意思を語った。
「ただの神なら僕もそう簡単には頷けないけどね。彼は元々、デッドに手を貸すよう求めてきたんでしょ?それなら、受け入れない手はないと思うよ。僕らの戦力は、決して多くはないんだから」
「ねえ、デッド。君はどうして、そこまで、神を拒むの?」
諭すように言ったダンタリオンは、最後にそんな、芯を突くような問いを、デッドにぶつけた。
「…は、俺からすりゃ、お前らの柔軟さの理由こそ、聞きたいもんだがな」
そんな風に、彼は茶化すように前置きしてから、彼は語り始めた。
「俺は、【牧場】出身のガキだった。幼心に覚えちゃいるが、酷い場所だったよ。知性を奪われた、人の形をした人とも思えない獣が、獣以下が、交わり続けるだけの世界。本当、反吐が出る」
「幸い、俺は奴らのようになる前に、とある神に買われた。笑えることに、然程変わらない程度には、クソッタレな環境だったよ」
笑いもせずに、そう言う彼の瞳には、恐怖と苦痛の感情が見え隠れするようだった。
「その神は所謂、研究者って奴だった。俺を買ったのは、実験台としてで、俺以外にも何人かが買われてたのを覚えてる」
「デッド・コードって、俺の名は、そいつに与えられた名だ。死印、何となく分かるだろ。俺で行われた実験ってのは、不死の研究だ」
僕は思わず、息を呑んだ。その言葉が、不死の研究というその言葉が、余りにも、聞き覚えがありすぎたから。余りにも、符合していたから。
…ああ、そうか。そういうことを考える輩は、どこにでもいるものなんだろうな。最も、彼が体感したそれは、僕が知るものとは大きくスタンスを異にしているのは、間違いないのだろうけど。
「不死を実現するための前段階として、俺はありとあらゆる苦痛を与えられたよ。そして、その苦痛を理解させるために、俺は知性を身に付けさせられた。そこについては今は感謝してるがね」
「研究が佳境に入る頃、俺以外の被験者たちは皆既に死んでいた。苦痛に耐えかねてか、それとも神が塩梅を間違えてかは知らんが、とにかく生き残ったのは俺だけだった。そして遂に、実験が不死の付与に至るという頃に、神も死んだ。ルゥ・ガルーを筆頭とした人狼たちに、奴は狩られた」
「俺も彼女たちのように、神を殺したいと思った。研究所にあった書物を読み込んで、俺は製作者としての道を歩むことに決めた。少しでも、同じ志を持つものたちの助けになれるように」
そこで、彼は口を閉じた。務めて、無表情で語った彼だったが、その言葉には確かな悲痛さと、固い意志が確かに感じられた。
彼が神を恨む理由は納得できる。でも、彼の製作の技術の一端には、神の知識が関わっている。なら、交渉の余地はあるはずだ。
「…だから、まあ、お前らが良いなら、俺の怨恨なんてどうでもいいんだよ。その道が、神の助力を受けてでも足掻く道が、正しいなら、俺に異論はねえんだ」
僕が再度説得を試みようと口を開きかけた時、彼はそんな風に、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、デッド。君のことを話してくれて、そして、認めてくれて」
「礼を言われるほどのことじゃねえだろ。ま、なんだ。次はお前ら二人の話を聞かせてくれりゃ、それでいい」
照れくさそうに、頬を掻いたデッドは、そのままそっぽを向いてしまった。
「…やれやれ、責任重大だな」
デッドの了承を得られたことで、発言が許されたミスターはそんな風に苦笑交じりに呟いた。
「だがしかし、その分の仕事はこなすことを約束しよう、ジョン・ドゥ」
「期待してるよ、ミスター」
僕に手を差し出したミスターの手を、僕は硬く結んだ。大きく、逞しいその手のひらに、何となしに頼もしさを覚える。
「それでは、早速一仕事といかせて貰おう。君たちに、とある神を紹介したい」
「とある、神?」
これはまた、願ってもいない機会だ。大きな戦力がまた、増える。デッドは、あんまりいい思いはしないだろうけど。
「【雷神】フアイ、私の唯一の盟友。彼はきっと君たちの力になってくれるはずだ。特に、デッド・コード。君にとっては、ね」
「それは一体どういう―」
デッドがミスターに問い返そうとした瞬間、ジリリリリと、耳を劈くような大きな音が鳴り響いた。
「こちらデッド・コード。何の用だ」
どうやらそれは電話のようなものだったらしく、デッドは受話器を手に取り応答した。これも、デッドの開発品の一つなのだろうか。思った以上の技術力だよな、ブレイクスルーとか技術革新とかそういうレベルでもないと思う。これは多分、元の世界の物が色々流れ着いている影響なんだろうな。
「…何?」
返答を受けたデッドの表情が明らかに変わった。口元を抑え、まるで信じられないといった表情で、続く言葉を待っている。
「…分かった、直ぐに向かう」
「デッド、何があった?」
そんな、驚愕と焦燥に塗れた雰囲気のままで受話器を置いた彼に、僕は尋ねた。乾ききっていたのだろう口内を唾液で湿らせてから、彼は答えた。
「アベルが殺された。アベルが、【皆殺し】の手にかかって殺された」
デッドがひねり出すように答えたその名には聞き覚えがあった。
「アベルって、【符術士】アベル・トビーだよね?」
「…ああ、その、アベルだ」
ダンタリオンが口にしたことで、ようやく僕はその名が誰だったのかを思い出した。神と敵対している人類の一人、手配書にも名が載っていた。
「それに、それだけじゃない。次は、人狼たちの集落が狙われている。まさか、あいつまで殺されるとは思わんが、それでも犠牲者は出るはずだ。援軍が必要なんだ」
デッドは唇を噛みしめて、吐き出すように言った。先程、彼は人狼に助けられたと言っていた。それなら、今すぐにでも援軍に向かいたいというのは想像に難くない。
「悪いね、ミスター。君の盟友との邂逅は次に回す」
「…無論、構わないさ。人狼がこのまま窮地に追い込まれるのも、不愉快極まりないからね」
直ぐ様、僕がミスターに向けてそう言うと、ミスターは言葉通り、実に不快そうに返した。彼のスタンスからすれば、優秀な人材が減らされるのは避けたい所だろう。意見が一致しているのは、実に助かる。
「デッド、僕も行こう」
「…助かる」
僕が参加を表明し、ダンタリオンもまた、無言で頷いた。
さて、どうにも、今度の相手は、今までと一味違いそうだ。それ程強い相手ではなかったデンジャラスライオン、戦意こそあれど殺意は持ち合わせていなかったミスター・ファルカス。しかし、どうにも次の相手はそうはいかなそうだ。
【皆殺し】という剣呑な異名で呼ばれる程度の知名度と、恐らく実績を有する、相手。きっと一筋縄ではいかない相手だろう。場合によっては、あれを開放する必要もあるかもしれない。
本当は、使うべきじゃないんだろうけど、何の因果か、拾った命だ。精々、足掻くだけ足掻くさ。
「準備は出来た、行こう」
「うん」
僕が意思を新たに固めた頃、デッドの用意も済んだようだ。そのまま、僕らは人狼たちの集落へと向かっていった。そこで出会う、新たな脅威の存在も知らずに。