賢しき獣、或るいは造る者 Ⅱ
「先手は頂きましょう」
まず動いたのは、ジョン・ドゥ。前方に【影】を延ばした彼は、そのまま影を実体化させて、自らの分身を生み出した。その数、六体。
「【六人】、小手調べですよ」
ミスター・ファルカスに、六人の影が襲いかかる。色こそ影らしく真っ黒だが、姿形自体は、ジョン・ドゥと変わらないその影たちは、まるでそれぞれに思考が存在するように、それぞれ独自の行動で大猿に向けて、攻撃を開始した。
「小手調べなどしている暇はないと思うがね」
それに対するファルカスの対応は的確だ。まずナイフの投擲を放ち、命中させた影が一瞬で消滅したことを確認すると、同時にそれらの攻略法を看破した。
「来たまえ、【引力】」
ファルカスがそう唱えると、ジョン・ドゥは五体の影ごと、本体さえも大猿の下へ引き寄せられた。
(魔法!奴め、躊躇いもなく使うか!)
デッド・コードはその光景を見て、ファルカスが行使した力を即座に魔法と理解する。この大陸では神のみが扱える、神性とも違った、技術の行使。大気中や生物の体内に宿る、魔力というエネルギーを利用し、様々な現象を引き起こす神秘の一つ。
「それでは、短い間だったが、さよならだ」
そして大猿は、引き寄せたジョン・ドゥたちに向けて、長い腕を力任せに振るった。腕に蹴散らされ、消え去る五体の影。が、手応えはない。実体に触れたという感覚がない。
「それはこちらの台詞です」
ならば、無論、ジョン・ドゥにはその腕は触れていない。引き寄せられた瞬間、自分自身をファルカスの影に潜ませていた彼は、背後に周って攻撃に移行した。
「【影の槍】」
影で模った槍の穂先、デンジャラスライオンの心臓を突き刺したその影を手元に持ったジョン・ドゥはそのまま、ファルカスの太ももを切り裂いた。
機動力を削ぐためのその一撃だったが、その試みは儚くも無為に終わる。ファルカスの人間とは比べ物にならない強度の筋肉は、穂先を殆ど通さず、薄皮一枚切っただけに留まらせる。
その攻撃に気づいたファルカスの拳での反撃を、ジョン・ドゥは後方に回転しながら回避する。
(想定以上に動ける。【影】の力を除いても、大凡人間という種族では抜きん出た逸材だな)
距離が離れて訪れたのは束の間の休息、その間にファルカスは目の前の男の評価を改めた。事実、ジョン・ドゥは【影】という特異な能力を十全に活かせるだけの身体能力を有し、また近接戦闘技術を修めていた。それに自由自在な影を利用した戦闘技術は、神たるファルカスさえも舌を巻く完成度であった。
(実体抜きとは言え貫けないか、やはりデンジャラスライオンの比じゃないな)
そして、ジョン・ドゥもまた、大猿の姿をした神を高く評価していた。その姿に相応しい一撃でも当たってしまえば致命傷は免れない剛力、その姿には似つかわしくない、ナイフを扱う手先の技術、そして何より影という未知の能力に即座に対応できる戦闘IQ。そんな相手を強敵と認定するのに、長い思考は要らなかった。
「さて、ここいらで一つ、君に尋ねたいことがあるのだがね」
「なんです?」
そんなファルカスの前置きに、ジョン・ドゥは断ることなくその先を促した。
「君は一体何者だ?」
ファルカスの口から出たのは、非常に端的な問い。故に、ジョン・ドゥは答えに窮した。
「何者、ですか」
「ああ、生憎、私は君の存在を知らなくてね。それだけの力を持っているものの名が聞こえてこないなんて、普通有り得んよ」
それが、神ではない、人であるなら尚更。
その言葉に、思わず押し黙ったジョン・ドゥを見て、ファルカスはデッド・コードにも問いを投げた。
「君はどうだい、デッド・コード。君は、彼を知っていたかい?」
「…知らん。更に言えば、ルゥ・ガルーもアイゼンも、アベルも知らんだろうよ」
本来、神の問いに素直に答えるはずもないだろう、デッド・コードだが、この時ばかりは真実を訥々と答えた。それは何より、彼自身も彼について気になっていたからだ。ジョン・ドゥ、詳細不明正体不明の、善意の来訪者の真実を。
「と、言う訳だ。君が隠遁生活を送る者なら、それ程違和感もないのだがね。先ほど君は言ったな?人を救う、と。立派な試みだが、それを行動で示しているなら、相当目立つ。知らないなんて、有り得ない。違うかね?」
「…違いませんね」
「なら答え給え。君の名前を、君の年齢を、君の出身を、君の所属を、君の目的を、君がここにいる意味を、君の、正体を」
ファルカスによる、矢継ぎ早な質問責め。それを受けて、ジョン・ドゥはただ、薄く微笑んだ。
「僕の名は死んでいる、16歳。日本、一宮市出身。【院】の九家の内、七天院所属、だったというべきだろうね。あの時の間違いを繰り返さない、そのために後悔を残さず生きる。いる意味?そんなの僕のほうが知りたい。世界は終わったはずなのに、何故僕はここに居る?」
ファルカスと同じように、矢継ぎ早に答えた彼の答えの殆どを、二人は理解できなかった。だから、唯一理解できた単語で、蒙昧にも大猿は問い返した。
「…世界が終わった?神話のことか?」
「生憎、僕にとっては現実だよ」
慇懃な態度を止め、ぶっきらぼうに答えたジョンは、拳を構え挑発するように言った。
「お喋りの時間は終わりだ、ミスター。早々に、決着をつける」
好戦的な発言、しかしそれに反するように、彼は身動き一つせず、その場に留まった。
「その手は食わん!」
その意図について推察を瞬時に重ねたファルカスは、即座にそれがブラフだと気づく。
「輝け、光よ!」
詠唱とともに彼の手元に生まれた光り輝く球体が、周囲一体を照らす。そして、光に触れた瞬間に、目前のジョン・ドゥは消え去った。身動き一つしなかった彼は残像でしかなかった。言わば、影送り。
「あ、く…」
そして、影に潜んでいた、ジョン・ドゥ本体も姿を現す。眩しい光に灼かれてしまったように、酷く疲弊した姿で。
「どうやら上手くいったようだな。そこまで効果的とは、想定外だったが」
そんな彼にファルカスは近寄り、倒れたジョン・ドゥに目線を合わせるようにしゃがんだ。
「すまないな、痛めつける気はなかった」
そして、頭を下げ謝罪した。その発言に敵意は介在せず、ただ後悔の念だけがあった。
「君は先程、お喋りの時間は終わりと言ったが、私はもう少し、君と話をしたい」
そんな風に続けたファルカス、ジョン・ドゥは無言で先を促す。
「単刀直入に言おう。ジョン・ドゥ、私と手を組む気はないか?」
「…随分と、節操なしだな」
「目には肥えているつもりだよ、その証拠にこうして誘ったのは君でようやく三人目だ」
ジョン・ドゥの指摘に、ファルカスは気分を害した風もなく、機嫌良さげにからからと笑った。
「さっきは、僕のことについて色々訝しんでた風だけど、気でも変わった?」
「ああ、あれはただの揺さぶりだ。君が何者だとか、どこに潜んでいたのか、とか実際のところどうでもいいんだよ、私は。大事なのは優秀な才能と、理性だ」
熱っぽく語る、ファルカス。彼は、そんな熱量のまま、ジョン・ドゥに向けて、手を差し出した。
「だからこそ、君を迎え入れたい。私とともに、有象無象の神共と、絶対強者足る竜たちと、戦って欲しい。その戦いは必ず、君の願いにも通じるはずだ」
あくまで彼は、紳士的に、そして真摯な態度で頭を下げた。その頼み込むような言葉を聞いて、ジョン・ドゥは。
「…ミスター、貴方は甘いな」
ジョン・ドゥは、そんな風に冷たい視線を、大猿に向けた。
何故?勝負が決まったと思い込んでいるファルカスに、間違いだと教えるため。
「一つ、警告しよう。僕のような手合に長々と話すな、何をするか分からない輩に、何かをさせる時間を作らせるな。そいつはきっとまだ、何かをやろうとしているぞ」
言い終えた瞬間から、彼の顔面が蕩けていった。まるで、チョコレートに熱を加えているかのように、どろりと、全身が蕩けて、消えて、黒に染められていく。
それは無論、影。彼は、初めから捕まってなどいなかったのか、それともどこかで入れ替わったのか、判断もつかずに、ファルカスは驚愕とともに立ち上がった。
「こんな風に、ね」
が、時既に遅し。背後に周ったジョン・ドゥは、その起立を許さない。地面に叩きつけられる形になったファルカスは、思わず苦痛の声を漏らした。