ナナイロノチカイ
「…クソ」
ハジメの話が一旦の区切りがついた頃、僕は小さく毒づいた。
そうなることを、僕らは知っていた。僕らしか知らなかった。だから、彼女が僕たちを選んで伝えたのだと、遅まきながら気づく。僕が日本に戻ることを知って、ハジメが打ちひしがれることを知って。
だけど、彼女を責める気もない。結局、誰かにダンタリオンを止められたという保障もないから。未来視を持ってしまえば、つまり誰かの制止さえもあらかじめ知っているってことだ。
「ああ、それはあれだね。未来視の類だ。そのダンタリオン氏の娘も、似たような異能を持っていたんだろう?異能と言うのは家族で系統が似るというからね。そうでしょう?腕さん」
「そうだね。骸、心逆。それにしても、そこまで一致するのは希少な事例だけれど」
早口で見識を述べるのは結構だけど、今だけは少し静かにしてほしいなと思うのは勝手かな。
僕は一度だけ溜め息を吐いてから、悩むのを止めた。起こってしまったことは変えようがない。今はこっちで、こっちの世界の終わりを止めなくちゃいけない。
口を開こうとした瞬間、僕は咳込んだ。
「ごほ、ごほっ、ごほっごほっ!」
咳をした時、何か、嫌な予感がした。というか、喉から、腹から、何かが出た気がした。
咳を受け止めた右手を見る。へばりつくように粘度の高い血液が、右手にこびりついていた。
「タクト様!」
「…参ったねこれは」
僕は頭がくらりとして、そのまま気を失った。
*
「…ここは」
目を覚ました僕がいたのは、多分、僕の部屋だった。なんで、多分と付けたかと言うと、この部屋は僕がいた部屋とは微妙に違ったから。より正確に言うならば、中学時代の僕の部屋そっくりだった。ああ、僕は、その時に死んだのか。
「やあ、おはよう」
僕の学習机の椅子に座っていた海辺が、立ち上がりながら言った。僕も起き上がって手を挙げようとしたが、腹部に感じた重みで僕は起き上がるのを止めた。
羽計が、僕のお腹の上に顔をうずめて、眠っていたから。きっと、僕を看ていてくれたんだろう。
羽計は、外部から出向している、僕付きの護衛だ。海辺に対する篝と、立場は近い。本来護衛は、二条院の嫡子のみに配属されるのが常だったが、元より病弱だった僕には介助者という名目で付けられることになった。
だから、本来、羽計は京都に戻って然るべきだったのに、彼女は残ってくれていた。それが、とても嬉しかった。僕の為じゃなくても。
「流石、愛されてるね」
「うるさい」
はやし立てる海辺に、僕はそう言って枕に頭を落とした。
「…それは、僕じゃないだろ」
そう言って、僕はすぐに口を手で覆った。言うべきじゃなかった言葉を発してしまったことに、後悔して。
「迂闊、だが本音の垂れ流しは嫌いじゃないぜ」
海辺はそんな僕の様子を見て、くすりと笑って。
「他の奴らがどうかは知らないが、僕に言わせれば悩む理由さえない話だ。お前が帰ってきた、それだけで僕には充分だ」
全く、ありがたいことを言ってくれる。勝手に悩んでた僕が馬鹿みたいだ。
「ありがとう。海辺、改めて、覚悟は決まったよ」
「へぇ、覚悟。何の?」
大勢の人に会いに行くつもりはなかった。だけれど、海辺がそう言ってくれるなら、少なくとも彼女には会いに行かなきゃならない。
「薬人に会いに行く」
「賢明だね。僕だってそうする」
薬人は、医療を極めた四聖院家の子だ。僕と海辺の幼馴染でもある。彼女は僕に訪れる死を遅らせてくれるかもしれないし、それ以上にこの世界で最も信用に値する個人の一人だ。会いに行かない選択肢はない。
「だけど、気をつけろよ。今の薬人は君の知ってるあいつじゃない」
「どういうこと?」
僕が聞き返すと、お手上げだとばかりに海辺が両手を上げた。
「薬人はお前が死んでから酷く、落ち込んだ。それであいつは、お前を生き返らせることに躍起になった。ネクロマンスにまでハマった」
「…なら、変わらないよ」
海辺の私見を聞いて、僕は笑みを浮かべた。
「薬人の本質は何も変わってないさ」
薬人は、善人だ。極めて、という前置きがつくくらい、あいつは徹頭徹尾の良い人だ。僕が四聖で治療を受けていた頃、薬人がずっと診てくれていたのを覚えている。そうじゃなくても、あいつのいつもの姿を見ていれば、誰もが同意してくれると思う。
「…まあ、そうだな」
だから、これは海辺なりの、試しだったんだと、僕は思う。僕が僕であると言うことを、改めて確かめるための、分かりやすい問い。別に、そんなことで気分を害さないって言うのに、変なところで律儀な奴だよ、お前は。
「それで、どうする?早速向かうか?」
「…その前に、ご飯食べたい」
シャワーも浴びたいし、お風呂にも入りたいし、ネットとか弄りたいし、漫画も読みたい、ゲームしたい。って、色々思いついて、薬人のところには明日向かうことに決めた。
その日の夕飯は、豚汁とぶりの照り焼き、それに僕の好きなかぼちゃのサラダを作ってくれた。美味しくて、懐かしくて、僕はずっと、泣きながら食べていた。
*
「…ハンバーガー、旨すぎる」
「タクト様、ハンカチをどうぞ」
「気持ち分かるよ、本当」
薬人の家、四聖院本家に向かう途中、ファストフード店でお昼を食べていた僕はまた、涙ながらに食事をしていた。羽計に涙を拭かれながら食事をする僕は明らかに周囲の視線を集めていたけれど、そんなことが気にならないくらいに美味しかった。
「と、それじゃ、私はここでお別れだね」
「うん、わざわざ来てくれてありがとう。ハジメ」
食事を終えた頃、ハジメがそう言って席を立った。
「場所は大丈夫?」
「うん、一応スマホも持ってるしね」
ハジメはそう言って、文明の利器を手にした。
彼女が向かう先は、二条院本家。彼女が初めて日本を訪れた時に、世話になったという海辺の弟に会いに行くと言う。
「タクトくん、君はこの後、崖縁に立たされると思う。でも、負けないで。負けないで、また私たちの大陸に、戻ってきて」
「…うん、必ず」
僕の手を握って、ハジメは言った。勿論、僕はあそこに戻って、影を取り戻さなきゃいけない。そうじゃなきゃ、僕の命はない。
だけど、それ以上に、気になることがある。それはきっと、ハジメも言外に含めていた。司る者、恐らく、彼の、近衛司のなれの果てである彼が何をしようとしているのか。紫城美月の恋人だったはずの彼があそこで何をしようとしているのか、気がかりでしょうがなかった。
「それじゃ、僕たちも行こうか、羽計」
「はい」
だが、今の所、それは後回しだ。まずはこっちで出来ることをやる。【征服者】の起動を止め、世界の破壊を止める。ハジメがこの千年間で作ってくれた土壌を頼りに、僕も僕で動いていく。それが、目下の指針だ。
*
「おじゃまします、と」
四聖院の本家に向かって、海辺の名を出すと、彼らは簡単に中に入れてくれた。考えればもっともな話で、海辺の死亡診断書を偽装できる勢力と言えば、まずここだろう。
「ははは、僕にそれだけの信頼を置いてくれて嬉しいよ、薬人」
「うふふ、海辺くん、相変わらずの前向きさで結構だけど、その逆ですから」
記憶を頼りに薬人の私室へと向かうと、扉越しに剣呑な雰囲気が感じれて、思わず後ずさる。そうだよね、あの二人がここで仲良しこよしでおててでも繋いでたら吹き出すところだ。
「でもね、薬人。信頼と言うのは時に裏切られるものだ。無二の親友とは言え、嫌だからこそ、予想からは外れるものなんだよ」
「話聞いてる?だから、君の言ってることは何一つ―」
ああ、こうなると長い。海辺の言ってることなんて話半分で流せばいいのに。このまま外で待っていてもしょうがないな。タイミングを見計るのは止めて、僕は扉を開けた。
「や、久しぶり。薬人」
「…タクト、くん?」
僕はなんて言っていいのか分からなくて、そんな、普通の、挨拶を口にしてしまった。
「本当、本当の、本当に、タクトくん、なんだね」
「だから言ったじゃないか、信頼などと言う言葉は薄っぺらな紙のように吹き飛ばされやすく―」
「うるさい」
引き際を見失った海辺が地面に縛り付けられた。自業自得と言うか、別に見慣れた光景だから死ぬほどどうでもいい。多分元気だろう。
「…どこからどう見ても、成長したタクトくん。ちょっと予想より筋肉は硬いかな。ごめん血液取らせてね。検査検査。あ、ご飯食べ過ぎだよ。お腹、ぽっこりしてる」
だから、これもいつものことだから恥ずかしくはない。嘘、超恥ずかしい。二人きりならともかく、羽計も海辺も篝もいるし、普通に服を脱がされて全身弄られるのは、医療行為とは言え、顔が真っ赤になる。
「薬人様、あの、それ以上は」
「なぁに?羽計ちゃん?…あっ!そうだよねそうだよね、恥ずかしいよねごめんねごめんね」
そう言って、薬人は顔を真っ赤にして服を着せてくれたけど、そうされるのも恥ずかしいのには気づいてくれなくて、僕は視線を合わせられない。
「…端的に言います。このままでは、タクトくんは半年もしない内に死にます」
「急にシリアスになるね」
そして、服を着せ終えた後、彼女は真っすぐ僕を見て、そう告げた。予想はしていたことだ、驚くことじゃない。驚くのはむしろ、薬人の診断の速さ。薬人は異能持ちじゃない、医療の知識と技術に秀でてはいるが、今のはそう言うレベルじゃなかった。
考えられるのは異能に目覚めたか、或いは海辺が言ったようにネクロマンス。魔女集会の領域に手を伸ばしたか。魂、生命力を視たのか。まあ、どっちでもいい。薬人は、薬人だ。
「だから、薬人、協力してほしい。僕が死なないために、そして、皆が死なないために、僕に力を貸してほしい」
「うん、いいよ」
随分とあっさりな返答に拍子抜けする。
「一応、海辺くんからある程度の話は聞いてたからね」
「ははは、だから言っただろうに。全く僕は悲しいよ、幼馴染からの信頼を―」
「はいはい、うるさいうるさい」
余計な口を挟んだ海辺はまた、地面に縫い付けられていた。よく薬人の縫合を自力で剥がせたもんだ。素直に感心する。
「篝くんはどうするの?」
「…俺に出来ることがあるならな」
姿を現した篝に、僕は意地悪な質問をぶつけた。
「篝、君は僕を認めてなかったんじゃないの?」
「二度もお前が死ぬところは見たくない。ただそれだけの話だ」
素直じゃないよね、篝も。
「それで?これからどうするんだ?」
「決まってるだろ?」
勿論、こういう答えが聞きたいわけじゃないのは分かってる。それでも、この、僕の根源だけは皆に伝えておきたかった。
「世界を救いに行くのさ」
二度目の世界の破壊を見ないために、紫城美月の覚醒を止める。そのために、僕たちは行くんだ。
*
「システムの復元は、これで完了、だな。時間は掛かったが、間に合って良かった」
二条院本家、二条院海辺の実家であり、日本有数の大財閥にして、三礼、四聖、五基、六光、七天、八司、九窓、十刻を束ねる、【院】の首領。
その本家の一室にいた少年の部屋に、ベルの音が鳴り響いた。少年は受話器を取り、内線電話を許可した。
『空様、ご来客がありましたが』
「ああ、聞いている。通してくれ」
空と呼ばれた少年は、考える間もなく即決し、その来客を自らの部屋に通した。嬉しそうに微笑んで。
幾ばくかの間をおいて、空の部屋のドアが開いた。
「…久しぶり、空」
その来客、ハジメはドアを開けて、空を見て、瞳に涙を浮かべながら、彼の名を呼んだ。そして、空もまた、そんな彼女を見て、困ったように微笑んだ。
「ああ、久しぶり。とは言っても、僕よりもずっと、貴方にとっては久しぶりなんだろう?」
「うん、千年ぶり」
「千年、か。それは随分と、待たせてしまったんだな」
苦々しそうに顔をゆがめて、空は言った。そんな彼を慰めるために、ハジメは空を抱きしめた。
「大丈夫。覚悟はしてたから。それにその分だけ、準備はしてきたから」
「…だからこそ、私たちはその期待に応えなくちゃね」
空は気恥ずかしそうにハジメの身体を押しのけて、彼女に言った。
「ようやく、貴方を助けられる日が来るのだから」
小さな、魔法のステッキを、その手に握って。
ジョン・ドゥ/七天院タクトの物語は一旦ここで終了となりますが、影の英雄譚としては、もう一話投稿します。
デッドやダンタリオンたちの話をもう一話で描きたいと思っています。【雷神】までに起きた出来事をダイジェストで。
また、二条院空とハジメの過去についてはそれほど長くない、短編作品を書こうと思っています。そちらの方も、よろしくお願いします。




