天使の歌
「それでホルン、君はなんであそこに?」
大聖堂を出た僕たちは火を起こしながら、彼に尋ねた。本当はもっと安全な場所で話をしたかったけど、彼を人の多い場に連れて行けばいらない混乱を生む。
「大した話じゃねえよ。ヲレの生まれた場所にデカい建物が立ってるから、興味が湧いて入ってみただけだ。まさか、あんなレベルの怪物がいるとは思わなかったが」
「あんたでも、ありゃ怪物か」
ルゥに言われて、ホルンは両手を上げて苦笑した。
「当たり前だ、あの剣の数見たろ。それだけならまだしも、どうやらこっちの神性を封じてくる力まで持ってる。手に負えねえよ」
「…多分、それだけじゃない」
思わず、僕は言った。封じる、なんて枠に嵌るわけがない。確かに、本来のあれに比べれば遥かに矮小な力なんだとは思う。でも、確かにあれは、征服の名を冠しているんだ。なら、それに類する力を持っているはずだ。全てを意のままに操る、あの神格者の名に相応しい力の様に。
「それで?あんたらは?魔王が何だとか言ってたが」
「うん、例の、竜を滅ぼした魔王の討伐。君にも協力をお願いしたい」
詳しい経緯の説明は後回しにして、僕は端的に纏めて彼に頼んだ。
「協力、協力、協力ねえ…」
彼は渋面を作って、そう言った。ああ、分かったよ。お前の欲しい言葉はそれじゃないんだろう。
「共演、ではどう?」
僕が言うと、彼は愉快そうに笑って頷いた。
「―決まりだ。魔王やその使徒がどれだけの物かは知らないが、ヲレの、俺たちの相手にはならないだろうよ」
「それだけ、俺たちの音楽性は一致している」
それから、彼は僕の手を握ってそう続けた。
相変わらず、はっきり言って、何を言っているのか分からない奴ではあるけれど、極めて珍しい、対等な会話が成立して、尚且つ実力も充分な神だ。それに、敵対関係にあるとはいえ、お互いに気ごころも知れている。受け入れてくれたのは、素直にありがたい。司る者と決裂した今はなおのこと。
「最高の共闘にしよう」
さて、他の皆はどうしているだろう。うまく行っていればいいんだけれど。
*
「貫き、蝕み、喰らい、侵し、呑み、蠢き、果てろ!」
「食らい尽くせ、侵蝕する毒槍!」
ダンタリオンに襲い掛かろうとした石像、彼は咄嗟に自らの手に持った神聖宝具の力を開放し、襲い掛かる石像に突き刺した。槍を喰らった石像は数瞬の後、全身が粉々に砕け散り、そのまま塵となって消えた。
「フアイ!そっちは大丈夫?」
「ああ。問題ない」
彼らは今、殆ど廃墟と化した竜の住処にいた。カインとアギトによりほとんどが死滅し、僅かに生き残った竜たちも最早、ここに戻ることなく四方八方へと散らばった今、彼らが貯め込んでいたと噂される宝物を頂く好機だと考え、フアイはダンタリオンを誘ってここへやってきた。
「しかし、想像以上に厄介だな、この石像は」
だが、彼らの思惑は思ったほど上手くは行かなかった。竜がいなくなった後も、宝物を守る守護者が存在していたのだ。動く獣型の石像、彼らがガーゴイルと命名したその石像は竜程とは言わないまでも相当に強く、特に単純な頑丈さは竜以上とも思える程で、彼らの頭には早々に一時撤退の選択肢が浮かんでいた。
「大雷光でようやく破壊出来た。相当な大技でなくては壊せんな」
「うん。普通の攻撃じゃびくともしない。神聖宝具が連発できればいいんだけど、結構な魔力を消耗するからね」
互いにガーゴイルの所感をやり取りしつつ、彼らは宝物庫へと向かった。
そして、彼らの目に映ったのは黄金の山。ダンタリオンは見渡す限りの金の山に息を呑みつつも、フアイの表情を伺った。
「…駄目だ、外れだな」
そう言って、彼は首を振った。彼が手にしていたのは、デッド作、五大竜用のレーダーの改造品。観測できる地点を大幅に狭めながらも、未開放の神聖宝具に反応するように弄った物。何一つ変わらない画面をダンタリオンに見せつつ、彼はため息を吐いた。
「一旦、戻ろっか?連戦はきついだろうし」
「そうだな…嫌、待て、反応があった」
「本当?」
ダンタリオンが尋ねると、ダンタリオンはまたレーダーを指差した。すると、淡くはあるが反応があった。しかもそれは、今こうしている間も移動していた。
「こっちに向かってくるみたいだね」
「何者だ?私たちの同類ならばいいが、そうでなければ厄介なことになるぞ」
彼が何を言いたいのか、ダンタリオンは理解していた。同類と言うのはつまり、神聖宝具を保有していて、ここに神聖宝具を求めてやってきた者の場合。その速度からして対象は恐らく人型、相手が人であろうと神であろうと、こちらは情報を提供できる。意味のない戦闘は避けることが出来る可能性が高い。
だが、そうでない場合。単独で、神聖宝具並みの存在感を持つ者の場合。それは十中八九、竜の類だ。その場合、戦闘が始まる可能性が高い。
「…とりあえず隠れて、去るのを待とう」
ダンタリオンの提案にフアイは頷き、彼らは身を潜め、何者かの姿を確認することに決めた。
(リザードマン…?)
歩いてきたのは、一人の、少年のような竜人。貧相なぼろきれを纏って歩くその少年を見て、気が抜けたようにダンタリオンは言う。
(…だと良いんだがな)
何か、気がかりなことがあるかのようにフアイは言う。ダンタリオンは一瞬、首を傾げたものの、すぐにフアイと同じ疑問に至る。
(フアイ、あれって)
(ああ、神聖宝具など、どこにも見当たらない。何者だ?)
指差すダンタリオンに、フアイは首肯した。リザードマンの所有物など、着ているぼろきれくらいだが、本当にただのぼろきれだ。何の力も感じられない。なら、何故、レーダーは反応したのか。
「そこの、少し待て」
「…なんだ、あんた」
その答えを出すため、フアイは一人でその少年の前に姿を現した。リザードマンは声を掛けられたことに困惑した様子で、眉をひそめた。
「問いは一つだけだ。お前は、何者だ?」
「それはこっちの台詞なんだが、まあ然して興味もないか」
フアイの問いにも怪訝そうな表情は変わらず、小さくため息を吐いて、少年は答えた。
「ルーガイン、ただのはぐれ者だよ」
それだけ言って、彼はフアイたちを背にして、どこかへと去っていった。
「決まりだな。奴自身が発生源だ」
「ベヒーモスとか、ジーズーの、最後の同類かな?」
「さあな、いずれにせよ相当な強さの持ち主だろうが」
その後ろ姿を追いながら、二人はこの議論を終わらせる。それから二人は先ほどの宝物庫があった建造物に戻り、今後の動向を話し合うために、腰を落ち着けた。
「…フアイ、後のこと、カインをどうにかできた後のことって、考えてる?」
「どうした、藪から棒に」
ある程度の指針を決めた後、ダンタリオンが発した言葉に、フアイは応じた。
「僕たちは結構、強くなった。神も余程強くなければ一人で何とか出来るし、覚醒者の皆も最近は魔法を自在に操れるようになってきた。竜は絶滅寸前で、五大竜は残ってるけど、幸い、あの二体はこっちには不干渉だ」
「ああ、そうだな。貴様らは、人間は、最早神に支配される存在ではない。神と同等の存在と言って然るべきだろう」
そう言って、フアイはダンタリオンを見据えて、彼に聞いた。
「それで、結局、貴様は何が言いたい?」
「僕は、ジョンを、日本に帰さなきゃいけないって、そう思ってる」
「…そうか、そうだな」
彼の答えを聞いても、フアイが驚くことはなかった。何故なら、それは、彼もどこかで考えていたことだったからだ。
「うん。ジョンはずっと、僕たちを支えてくれた。こんな、見ず知らずの世界に、あいつはずっと、手を差し伸ばしてくれた。だから、もう、大丈夫だって、僕たちだけでやっていけるって、彼に伝えたいんだ」
「奴が失ったものを、仮初とは言え取り戻せる道があるのなら、私たちは背を押さなければなるまい」
大粒の涙を溢しながら言った、ダンタリオンの言葉に、フアイは頷いて、彼の肩を抱いた。
「必ず、成し遂げよう。私たちの力で」
「…ふ、ふふふ」
「何故笑う」
珍しく、慮るような、優しい声音で言った彼に、思わず吹き出してしまったダンタリオンに、不満げに漏らしながら、彼らはまた宝物庫の探索に戻った。
*
「それじゃ俺たちがいない間、あいつらのお守りは任せるぜ」
「…元よりそれが我の存在価値だ。わざわざ命じる必要もない」
俺の頼みに、ベヒーモスは淡々と答えた。余りにも無感情なその返答に、少々拍子抜けではあったが、まあ了承してくれるならいいかと、俺は納得する。
こいつは、あの時あいつらが竜の住処へ向かった時に、おもむろに竜峰山を登ってきた。最初は警戒したものの、奴は特にこちらと敵対することもなく、頂上の入り口に門番の様にたたずんでいる。竜が減少することで起動するこいつともう二人の竜はそれぞれ、反撃、観測、防衛の任を与えられているらしく、こいつはその内の防衛を担当するということなんだろう。チームアップが前提らしい奴らが、それぞれ単独行動してた意味は分からんが。
「私は忘れ形見を守る、それだけだ」
ベヒーモスの言い分では奴はそもそも、ジェイド・アルケーの護衛として生まれたのだとか。だから今では、彼がこの大陸で生んだ唯一の特別な子を守るというのは、分からなくもない話だ。
「ねえ、デッド。そっちの話は終わった?」
「ああ。意外とすんなり終わったぜ」
ベヒーモスの下を離れ、小屋の方に向かう最中で会った、ハジメの問いにそう言って、俺は彼女を手招きした。聞かれたくないことがあるからだ。
「それで、そっちはどうだ」
「うーん…」
俺が努めて小さな声で聞くと、彼女は少しだけ考えてから答えた。
「うん、皆問題ないと思うよ。皆、ある程度の制御は出来てるみたいだし、魔法の威力も良い感じ。イヴァンなんか特にすごいよ、タクトくんの影の道みたいなのまで作っちゃった」
「マジかよ、すげえなあいつ」
そんなこと魔法で出来んのか?何はともあれ、全員が戦力として期待できるのは大きい。フアイとファルカスが今まであいつらを見てきてくれた甲斐があった。
「あ、いた!」
「おねえさまぁ」
俺が胸を撫でおろしていると、ルインとカーミラ、ケルビスが走ってやってきた。
「ぐぉ!」
ルインが頭から突撃してきて、腹に良いのを喰らってしまった。お前さあ、ガキとは言え竜なんだからよ、加減してくれよ。不死だから再生するけどさあ。
「あの、あの、お姉さまがた、皆で戦いに行くんですわよね。ストームちゃんやイヴァンくんたちも」
「僕たちも行く!」
「おいおい、困らせんなルイン。お前らは留守番だ」
逸るルインたちに、俺は首を振った。幾らなんでも、こいつらはまだまだ子供だ。本当はイヴァンたちだってまだ温存したいくらいなんだ。こいつらを連れていける訳がない。
「…でも、次の敵は、すごく強いんでしょ?なら、僕の神性で―」
「ケル、駄目だよそれは」
俺が言う前に、ハジメがそう言った。当然だ、ケルビスの神性は確かに、どんな格上を喰える、理論値だけで言えば最強の神性だ。だが、それを効果的に使うには厄介な条件が付きまとう。
「ケルの神性は、使える状況にならない方が良いんだよ。だから、そうならないように、私の技術を教えてる」
一流四剣、ハジメが編み出した剣技の総称。あいつはその殆どを拳術用にアレンジして、ケルビスに叩き込んだ。まだまだ完成には程遠いものの、ケルビスは一歩ずつ進化していっている。いずれは、紫龍にも届くんじゃないかと思える程に。
「だから、今回は大人しく、待っていてよ。絶対に勝って帰ってくるからさ。ケルやカミィ、ルインは未来の戦いのために、取っておいてよ」
「ハジメがそう言うなら…」
そう言って、一応は頷いてルインたちは去っていった。
「ありゃ納得してねえな」
「まあ、しょうがないよ。流石に、あの子たちは連れていけないしね」
俺が笑って言うと、ハジメも頷いた。
さて、やるべきことは済んだ。後は、あいつらの帰りを待って、決行を待つだけだ。上手く行っていると、良いんだがな。
*
大聖堂。しん、と静まる、人気のないその建物の中で一人、悩む青年の姿があった。
「…やはり、気がかりだな」
そう言って、彼は軽く指を鳴らした。
「来い、俺」
そう、彼が誰かを呼んだ。すると、暗闇の中から、一人の男が現れた。司る者、大聖堂の家主である彼に瓜二つの。そうでありながら、まるで本質を違えてしまった、男の姿が。彼は無言で、司る者の指令を待つ。
「奴らが魔王と相対した瞬間を見計らって、掻き回してこい」
そう言われると、男は返事をすることもなく、無言でその場を離れた。
「…全く、手ごまが一人しかいないというのは、本当に困る」
つまらなそうに言い捨てて、彼は光る球体に近づいた。巨大な、光る球体に。
「だからこそ、これを手に入れたんだがな」
そう言って、彼は目の前の、巨大な球体を撫ぜた。【天の母胎】、かつて神を生んでいたはずのそれは、最早、その機能を果たしてはいなかった。
「俺の記憶に残る僅かな残滓、精々有効活用してやるさ」
司る者、彼が手先を生み出すための、母体に成り果てていたのだ。




