いとしさ
竜の住処、文字通り、竜が住んでいる地域。誰が建てたのか、巨大な塔が幾つも鎮座しており、竜の中でも古参、或いは強い力を持つ者ほど、広い塔に住み宝物をため込んでいる。
多くの場合、そこに住む竜たちは、力の大小に関わらず互いに一定の敵意を抱いていた。曰く、外敵が存在しない彼らの脅威とは同族のみだから。曰く、宝を奪い合っていたから。いずれにせよ、彼らは敵意を持ってはいたが、同族同士で争うこともなく、互いに互いを遠ざけて生きていた。
「おい屑共!」
だがどこにでも例外とは存在しうる。ある一体の竜が、塔の外で声を張り上げた。そして、それに呼応するかのように、子供の竜たちがぞろぞろと集まりだした。
彼らはここに住む竜の子供たちだ。竜たちに子育てという概念はなく、生んだ子供は放逐し、自然のまま育っていく。少なくとも、外敵がおらず同族も少なかった旧き世界ではそれで問題なく回っていた。
だが、ここではそうはいかない。ここはかつての世界よりも遥かに狭く、その上、同族同士が密集しすぎている。その上、同族以外の天敵が存在しうる世界でもある。竜たちは何かの庇護下に置かれなければ成長できない状況に置かれていた。
「は、はい」
返事をした子供、竜はその子供を一瞥して、頭を踏みつぶした。
最も、同族を嫌う竜たちは、子供と言えども嫌悪の対象内だ。故に彼らは、子供たちを奴隷同然に扱う。暴力も、殺害も、厭わない。
「てめえら、何考えてんだ?デカブツ共見つけたらいの一番に報告しろって、俺言ったよなぁ?」
「あ、あ、あの、偵察が、まだ、戻ってなくて」
「うるせえ、口答えするんじゃねえ」
また一人、頭を潰された。
今現在、彼らは珍しく、徒党を組んで事に当たっている。それだけ、巨人の一団は脅威であり、竜たちの苛立ちは積もる一方だ。
「下がれ」
最も、それは一般の竜に限った話である。五大竜にとっては、巨人など然したる脅威ではない。
「…九頭竜」
「二度言わせるな、下がれ」
ルベルナインの九つの視線を向けられた竜は後退り、言われるがままこの場を去っていった。
「愚か者共が」
ルベルナインは唯一、子供たちの現状について苛立ちを覚えていた。旧世界での竜たちの末路、人にとってかわられたということを知っている彼は、今に胡坐をかくだけの竜たちに失望と諦観を抱いていた。
いずれ、人間たちがまた、隆盛を極める時が来る。というより、現在進行形でその時が近づいてきていることを、彼は実感している。それでも尚、変わろうとしない竜たちには、最早、彼は期待していなかった。
「お前とお前、ついてこい」
故に、彼は子供に期待した。彼は九本の頭で子供たちを観察し、その中でも彼を睨みつけていた二体の子どもに頭を近づけ、誘いの言葉を述べた。
「…どうした?来ないなら、それでも構わんが」
戸惑う二体の竜にそう言って、彼はこの場を後にした。二体の竜は顔を見合わせ、それから彼の後を追った。
「クソ!」「お前が隣にいなきゃ!」「お前のせいだ!」
九頭竜が去ったのを見送った後、拾われなかった竜たちは嫉妬と怒りに喘ぎ、子供たちの中でも最も弱き竜に暴力を振るった。それこそが、選ばれなかった理由だとも知らずに。
「楽しそうだな、あんたら。俺も混ぜてくれねえか」
そんな時、何者かの声が聞こえた。子供の竜たちが振り向くと同時に、息を枯らしながら叫ぶ、子供の竜がいた。
「報告、報告!」
「巨人が、巨人の主、ヘカトンケイルが」
「何者かに殺害されましたァ!」
驚愕すべき一報、だがしかし、その報告は竜たちには聞こえていなかった。
何故なら、彼らはもう既に。
「報告ご苦労、お前も死んどけや」
事切れていたから。そして、報告に来た竜も見えない何かに押しつぶされたように、ぷつりと命を落とした。
「よう、生きてるか」
「…ああ、う」
だが、その惨状の中、生き残った竜が一匹だけいた。他の竜たちの標的とされていた、最も弱き竜。襲撃者は意図的にその竜を生かし、声を掛けた。
「運が良いな。どうする?このままお前を放っておいても良い訳だが、もう一つ、お前には選択肢がある」
そう言って、襲撃者は彼に手を伸ばした。
「この手を取り、竜共を殺す、そういう選択肢がな」
生憎、その竜には手を伸ばす程の気力も、体力もなかった。だが、その瞳は確かに、襲撃者の誘いを受け入れることを如実に示していた。
「…良い目だ。なら、契約だ。お前を俺の、使徒にしてやるよ」
男は微笑み、手に持った槍を自らの手首に突き刺した。
吹き出す血液を迷わず、その竜に振りかける。何故ならそれが、使徒の契約の手順なのだから。
「汝に命ずる」
「血と血の盟約を、我と汝の融合を」
「神足り得る生命の糧、人より外れ、竜をも慮外せし根源の素、汝に能う」
「神を惨殺し、竜を塵殺し、魔の王とならんがため、その身を世の敵に墜とすことを誓う」
それは使徒の契約を結ぶための言の葉、だが並べる言葉は常のそれではない。彼の思考、思想、願望、渇望が入り混じり、最早それは単なる使徒の契約ではなくなった。
「使徒の契約をここに結び、災厄へと至らん」
彼の言葉の通り、災厄の使徒の契約へと、成り果てていた。
竜の姿が変貌していく。子供だったはずの肉体は強制的に成長させられ、四足歩行だったはずが前足は日本の腕となり二足歩行に転じていく。大きくなるはずの肉体は人間のような小柄な姿で、両手の爪は鋭く伸びて、それだけで竜さえも切り裂くような物へと変わった。
「これが、俺?」
余りにも変わった自らの姿に、竜は困惑する。そう口にしてから、喋れるようになったことにも驚いた。
「成程、そうなるか。嫌、俺もどうなるかは分からなかったんでな。気に入らなかったら悪かったな」
「…嫌、良い。すごく、良い」
「そうか、ならよかった」
手を握りしめ言った竜だったもの、襲撃者はそれを聞いて、からっと笑った。
「さて、目覚めたばかりで悪いが、さっさと行くぞ」
「どこに?」
「決まってんだろ、この先だ」
彼は目の前に広がる、塔の羅列を指差して言った。
「竜共を皆殺しにすんだよ」
爽やかだったはずの笑顔は、血が滴るような不吉さを纏っていた。
「ああ、まだ名乗ってなかったか」
前へ進もうとした男は思い出したように言って、振り返って。
「俺はカイン。神を越え、竜を越え、魔王へと至る、ただの男さ」
そう、名乗った。一瞬だけ訪れる沈黙。
「俺、俺、俺の、名は」
その沈黙が、自らの名を求めていると知った少年は、名前などない少年は、必死で自らの名前を考え。
「アギト。あんたと共に、世界を砕く顎になろう」
そう、自らの名を定め、カインにかしづくように、跪いた。
*
竜の住処、その外れにある、広い洞窟に入っていく、九頭竜の姿があった。
「ペイン、帰ったぞ」
「父様、お帰りなさいませ」
巨体を迎えたのは小さな、紫色の体色をした竜、ルドロペイン。彼は父代わりである九頭竜を出迎えながら、背後にいた二体の竜に目を向けた。
「父様、そちらは?」
「ああ、今ほど拾って来た。今日からお前の弟妹となる。悪いが、面倒を見てくれ」
ルベルナインの説明を聞いて、少年の竜は眉をひそめた。
「珍しい、ですね」
「ようやく、マシな素材が見つかったのでな」
少年が言うと、ルベルナインは自嘲気な笑みを浮かべて言った。
「前のがデスペラード、後ろのはハルクツァ。いずれ、お前の右腕左腕になるかもしれん。今のうちに、信頼関係は築いておけ」
二匹の竜に与えた名を呼んでから、洞窟の奥へ、自らの寝室へと、九頭竜は向かう。
(ルドロペイン程の才能は期待できないがな)
心中でそう、ぼやきながら。
ルドロペインは五大竜である彼がその才覚を認めるに値するほどの傑物だった。彼はその小さな体で大人の竜をも打ち倒す。その光景を自らの目で見たルベルナインは、彼を自らの後継者に据えることに、迷いはなかった。
だから、彼に自らと同じ、ルの頭文字を与えることにも躊躇いはなかった。それ程までに、ルドロペインの才能は常軌を逸していたからだ。いずれ彼が、自らと同じ領域、五大竜の末席に数えられて然るべき実力を手に入れることが出来ると、ルベルナインは確信していた。
だがしかし、新たに拾って来た、この子たちはその領域に至ることはない。そうとも確信していた。故に五大竜と同じ頭文字を与えることは避けた。
「この際、才能の多寡は問題ではないがな」
最早、竜たちの時代は終わりを告げようとしている、そう、彼は確信していた。
他の五大竜がそうであるように、彼もまた、旧世界を破壊へと導いた者の一人である。だが、だからこそ、破壊へと導く理由があった。
人間との戦争、その経緯は五大竜がいたそれぞれの世界によって違うが、いずれにせよ、世界はその果てに壊れた。
(親父殿が俺たちを滅亡させてまで主役に挿げ替えた、人間と言う種。ここに至っても尚、恐ろしい程の脅威だ)
特にジェイド・アルケーが自ら招集した、管理局という集団は、ただの竜のみならず、五大竜にとっても、大きな脅威だった。故に、彼らすら一度は後塵を拝し、隠遁生活を送る羽目になった。辛うじて生き残った竜たちも、その多くが人間の英雄たちに狩られ、英雄譚の敵役として名を遺し逝った。
「歴史は繰り返す、か」
そんな、生涯の障害である人の言葉を引用して、ルベルナインはまた皮肉気に笑った。
「父様!父様!」
「どうしたペイン、何があった」
慌てふためいた様子で駆けてきたルドロペインを見て、九頭竜はすぐさま端的に説明を求めた。
「人間が、来ました。とっても、嫌な雰囲気の人間です」
「…その人間は既に中か?」
嫌な雰囲気の人間、ルドロペインが言った人間の特徴に覚えがあったルベルナインは、神妙な表情でもう一つ、質問をした。
「いえ、洞窟の外で、何かを探している様子です。でも遅かれ早かれ、中には入ってくると思います」
「なら、デスペラードとハルクツァと一緒にここで隠れていろ」
そこまで聞いた九頭竜は少年にそう指示を出して、自らが矢面に立つべく、洞窟の外へ向かって行った。
「やはり、貴様か」
「あなたとは、会った覚えはないけど」
九頭竜が微笑を浮かべ、少年は目を逸らさず、そう言った。
「噂程度には聞いているさ。影の英雄、ロストケアセルフとリーサルサイドを殺した者よ」
そう言って、ルベルナインは高らかに笑った。
「次は私という訳か。いずれ、来るとは思っていたが、存外、唐突なものだな。死神のお迎えというものは」
「神じゃないよ。僕はただの影であり、ただの死だ」
ルベルナインがそう言って挑発的な笑みを浮かべると、少年もまた、自嘲的な笑みで応えた。
「あなたはあの二人とは違う。ちゃんと、理性がありそうだ。だから、単刀直入にお願いする。退いてほしい。今はあなたに構っている場合じゃない」
「異なことを。我々はいずれぶつかる運命だ。なら、少しばかり早まろうが、さした違いはあるまい」
「…そう、なら仕方ないな」
少年はそう言って、溜め息を吐いた。まるで、気が乗らないように。
「これ以上、話をする時間はない。悪いけど」
「あなたにはここで死んでもらう」
そう言って、彼は九頭竜を指差して、ただ一言呟いた。
「死の影」




