no no cry more
「朝、か」
木造の隙間から差す朝日で、アイゼンは目を覚ました。彼はいつも通り身体を起こそうとしたが、横で眠る少女を思い出し、ゆっくりと物音を立てずに家の外に出た。
「おはよう、アイゼンさん」
「ああ、おはよう」
人狼たちと挨拶をかわしつつ、共同の炊事場に向かった彼は、沸かし湯をカップに注ぎ、豪快に呷った。
(…中々に、効くな)
普段とは違う、集落の重苦しい雰囲気に、彼は心中で漏らす。人狼のナンバー2である、ライドウの死。先代ルゥ・ガルー存命時からの古株である彼女の死は、五大竜の討伐という偉業以上に、重い出来事だったというのは想像に難くない。
(死んだのが、俺だったら良かったのにな)
アイゼンは思い出す。先の機械竜リーサルサイドとの戦いを。彼はその戦いで、殆ど何の役に立たなかったと、自己を評価している。それに比べて、ライドウは巧みに攻撃をいなし、ファルカスは神性の力でリーサルサイドの硬い装甲に有効打を喰らわせていた。二人が生き残った方が、今後の戦いに貢献できただろうと、彼は思う。そして、何より。
「嬢ちゃんも、苦しまずに済んだ」
ダンタリオンとライドウの娘がそうなったように、アイゼンもまた、化者を宿す一人である。化者を得る過程では壮絶な過去を味わった。彼女はむしろ得てからの方が壮絶な苦しみを味わっているというのが、彼にとっては理解の外ではあったが、いずれにせよ彼は少女に同情と、同族意識を抱いていた。
彼が二杯目の湯を注いだ頃、炊事場に現れる者がいた。
「死竜」
「…どうも」
昨晩言い争った二人の間に、どこか微妙な空気が流れる。元よりさして親しくない二人は、気安いやり取りをすることも出来ず、一瞬の沈黙が訪れた。
「昨日は、悪かった」
「いえ、気にしてませんよ」
だが、沈黙は長くは続かず、素直に謝罪したアイゼンに、快く紫龍は謝罪を受け入れる。
「だが、あんたの忠告を素直に受け取れないというのも、正直なところだ」
そう言って彼は首を振った。ファルカスを、神を喰らおうと言った彼の意見は未だに変わっていないと、彼は告げた。また、昨晩の様に紫龍が眉をひそめると思っていたアイゼンだったが、その予想が的中することはなかった。
「奇遇ですね。私もその忠告を取り下げようと思っていたところです」
「ほう?何故だ?」
昨晩から一転したらしい彼女の意見を聞いて、思わず彼は問う。
「死ぬよりは良い、そう思いまして」
「率直だな」
「…ごめんなさい」
「いいや、悪くないさ。それが現実なのは良く分かってる」
紫龍の率直すぎる言葉も、アイゼンは笑って受け入れた。元より、彼がファルカスの肉を喰らうと提案したのは、自らの実力不足を痛感しているからだ。今更、それを指摘されたとて、怒りをぶつける道理はない。
「あんた、あの二人とは親しかったのか?」
「いえ、然して。ファルカスさんは覚醒者の子たちに付きっ切りでしたし、ライドウさんも子育てで忙しかったですしね。だから、私はそれ程、悲しむ道理はありません」
アイゼンがおもむろに問うと、紫龍はその意図を察したように、先んじて答えた。
「と、思っていたんですがね」
答えてから、そう言って、彼女は苦笑した。
「思っていたより、来てますよ。二人が死んだ、ということよりもむしろ、皆さんの反応が、ですがね」
「…だよな」
それを聞いて、アイゼンも小さく、ぎこちなく笑った。
「こっちからも一つ、質問良いですか?」
「何だ?」
そう言う紫龍に、難色を示すこともなく、アイゼンは先を促す。
「あなたは何故、牧場を襲撃していたんです?」
「…俺の生まれが牧場でな」
そう問われたアイゼンは、一拍置いてから、話し始めた。
「知っての通りクソな場所だ。もっとクソなのは、そこの人間たちは、そこをクソだとも思わずに生まれて育つってことだが、生憎、俺はそこがクソみてえな場所だと、頭のどっかで気づいちまって、これに目覚めた」
彼は手を力強く握って、拳を光り輝かせながら言った。
「いつだったか、まだガキの頃に、俺はこれを使って壁を壊して外に逃げ出した。普通ならそこで野垂れ死ぬところだったろうが、化者持ちの爺さんに拾われてな。そこで生きるための術とか、文字とか簡単な計算とかを教わった。思えば、あの爺さんはダンタリオンみたいな富裕層向けの人間だったんだろうな」
そこまで言ってから、アイゼンは力なく笑って、拳を解いた。
「数年後、爺さんは神に殺されちまった。それ自体は良くあることだ。殊更、悲しむことでもない。だが、爺さんは昔は神とも対等に戦えていたんだよ」
「爺さんは老いたんだ。笑えるくらい、贅沢な話だよな。老いるまで戦い続けるなんて、中々できることじゃない。だが、それでも殺されちまった。神に、殺されちまった」
「それが俺が牧場を襲った理由だよ。運命とか、宿命とか、クソみてえなもんから抜け出したかった。抜け出せたって証明したかった」
アイゼンはまた、自嘲的な笑みを浮かべて続けた。
「だが結局のところ、俺はそこまでの器じゃなかった。ルゥ・ガルーやあんた、ジョン・ドゥみてえな、自分だけで運命を切り開く力なんて持ってなかったんだ」
紫龍は肯定も否定もしなかった。どちらにせよ、彼の中で答えは出ていると知っていたからだ。アイゼンは沈黙を破るために、また口を開いた。
「少し話しすぎたな、釣りをくれよ」
「構いませんよ。何が知りたいんです?」
「あんたはなんで、竜を殺したがってる?」
アイゼンの問いに、紫龍は何と言うこともないように、はにかんで言った。
「簡単なことです、一言で済んじゃいますよ。おつりには足りないかも」
彼女はそう言って、アイゼンに背を向けた。
「それが、母さんの願いだからです」
振り向かずに言った彼女の表情はアイゼンには窺い知れず、紫龍はそのまま去っていった。アイゼンもまた、その場を去った。
それから家に戻ったアイゼンは、すぐさま驚愕することになった。
「…嬢ちゃん?」
ベッドの上にいたはずの彼女が、そこにはいなかった。




