プロローグ Ⅲ
一方、ダンタリオンの村。村人たちを集める、一人の男がいた。
何匹かの狼型の魔獣を従えた、獅子のような鬣を持つその男は、つまらなそうに言った。
「裏切りは許されない。何故か、分かるか?」
恐怖に怯えている村人たちからは、その問いに対する返答はない。彼が返答を求めてなどいないことを、彼らは知っているから。
その村人たちの反応に満足したように男は頷き、微笑を湛えながら続けた。
「何故なら、裏切りは信用を壊すからだ。積み上げるのは大変だが、壊すのは簡単、そうだろう?」
睨みつけると、より一層村人たちは怯えた。もしかしたら、このまま自分たちが殺されるのではないかと、そんな危惧を抱いたから。
最も、そんな彼には、村人を殺すつもりなど毛頭なかった。
(確かに苛立つが、今ここで殺してしまったら、また【牧場】から買わなきゃならん。そこから安定した供物を得られるようになるのにも時間が掛かる。全く、積み上げるのは大変だ)
男がそう考えながら、くつくつと笑う。支配者と被支配者、立場こそ真逆だが、この世の道理というものからは平等だということに、おかしさを感じて。
(しかし、遅いな)
使徒を向かわせてから既に、半刻ほどが経過している。奴の身体能力なら、人間如きには既に追いついて良い時間だ。裏切りは考えづらい。奴は使徒の力に溺れていたし、自分の恐怖は厭というほどに教え込んでいた。返り討ちにされた?それが一番ない。あの【天才】と呼ばれる反抗的な個体も、どうやらミスター・ファルカスに捕らえられたと聞く。噂の【狂戦士】集団ならまだしも、個体の人間が出来ることなど、たかが知れているのだ。
念には念を入れ、狼を向かわせるか?そう、彼が考え始めた頃、異変が生じた。
突如現れた、黒い、真っ黒な狼が、自分の配下の狼たちを襲い始めたのだ。自らの狼とそっくりそのまま、同じ形をした黒い狼たちはまるで影が実体化したかのようだった。
彼は直ぐ様、自らの神性、動物型の魔獣を自らの意のままに操る、【百獣の】でその黒い狼たちを支配下に置こうとした。
しかし、失敗。黒い狼たちは気にせず、狼たちと争い続ける。推測するに、自分より強い支配能力、或いはそもそも獣と認識出来ないもの。改めて男は、その黒い狼たちを、他の神による襲撃だと断定する。
(しかし、一体どこの神だ?)
そこで、男は不審感を覚えた。男が育てたこの村は、他の神にも多くの供物を排出している、一大産地だ。この村を管理している自分を襲えば、取引関係にある多くの神からも反感を買う事になる。
竜の存在が頭を過るものの、すぐに首を振る。竜たちのやることは、もっとシンプルだ。だから、神であることは確かなはずだ。一体、何者だ。男は、来るであろう次の攻撃に備える。
「やあ、どうも」
そんな、およそ戦場には似つかわしくない、呑気な声で現れたのは、人型の男。これまた、戦場に似つかわしくない、華奢な体躯の男だったが、神はその姿にどこか末恐ろしさを覚えた。
*
「あれが、神」
はっきり言って、別に神々しさとかそういったものは感じないし、何なら特に恐ろしさとかもない。なんだよあの鬣。見た目だけで言うなら、一昔前のアメコミ映画のヴィランみたいな感じだ。中途半端に原作再現しようとして、滅茶苦茶不評な奴みたい。
「デンジャラスライオン、この村の管理者。そして、ここいら一帯の神たちと取引関係にある、大商人でもある」
バキの加藤?巫山戯たネーミングセンスだが、気になるのはその後だ。
「大商人、あれは何を売ってる?」
「僕たちが捧げた供物、そしてここで生まれ育った人間」
確かに、この村は思った以上に、広大な共同体だ。数百人、下手をすれば千人単位にまで至りそうな、その村人たちから捧げられる供物というのは、確かに他の神と取引するに至るほどの量にはなるのだろう。
しかし、人間?ダンタリオンの話では、【牧場】なる施設があるはずだ。わざわざ、ここで買わずともそちらで買えばいいのに。
「うん、だから食用じゃない。使徒にするために、ここから人を買うんだ」
僕が問うと、彼はそう答えた。
「彼らは一定量の知性を持った部下を求めている。だからそのために、ここでは学びを許される。文字を覚え、計算を解き、世情を知ることが許される。そこで優秀な成績を修め、更に優秀な身体能力を有していることが認められた時、僕らは使徒の座につくことになる」
そこまで言った後、唇を強く噛んで、彼は続ける。
「【牧場】では、人は人扱いされない。知性を持つことさえ許されず、男性は獣となり、女性は孕み袋として、それぞれ子を生むことだけに適した生物に育てられる」
成る程、予想はしていたが、思っていた以上に凄惨な施設らしい。正直、見たくはない。だけど、必ず今後の何処かで目にすることになるだろうな。僕たちが、神の殲滅を目指す限り。
「…ねえ、本当にやるの?」
少し、言いづらそうにダンタリオンが言った。どこか不安そうな表情からは、これから僕たちが起こす行動に対する躊躇が見えた。
彼の気持ちは分かる。実際、僕もここに来るまで、心臓の鼓動はかなり早くなっていた。緊張と、恐怖と、不安。きっと、彼の心中にもそういうものが渦巻いているのだろう。
「勿論、勝ち目が薄そうなら止めていたかもしれないけど、まああれなら何とかなるさ」
だから、僕は努めて明るく言った。ここで止めてしまったら、きっと後悔する。一生、奴隷として生きていくことになる。そんなのは僕はゴメンだ。だからきっと、彼も。
バチン!音が鳴るほど強く、彼は自分の頬を叩いた。自分に発破を掛けるように、自分の迷いと決別するように。
「…うん。大丈夫、やろう。僕らで、この村を開放してやるんだ」
多少の気負いが見えるが、やる気は充分だ。彼の瞳に、迷いはない。嬉しさで思わず、顔がほころぶ。
最も、その開放を、ここの村人たちが求めているかは、疑問ではあるけれど。
「オーケー。それじゃあ行こう。祭りの始まりだ」
そんな言葉を契機に、僕はデンジャラスライオンの連れている狼たちの影から、それらの分身を生み出した。【影法師】、ってね。その分身達は即座に狼たちと争い始める。これで、あいつらが僕たちの存在に気づくことはない。
それから、僕とダンタリオンを影に潜ませる。僕は正面から、ダンタリオンは背後から忍び寄っていく。影に潜んでいる間は目で見つけられることは出来ないが、鼻で感づかれる可能性はある。だから、あの狼たちは邪魔だった。
「やあ、どうも」
男の目の前に立った僕は、影から出て、そんな風に声を掛けた。
神の表情に浮かぶ、驚愕。それと、多少の怯え。僕は彼に多大なインパクトを残せたことを確信する。
「…お前は一体、何者だ?」
「ジョン・ドゥ。人間だよ」
不審感を見せながら問う彼に、僕は薄く笑いながら答えた。当然、神の不審感はより一層高まる。
「つまらん嘘はよせ。人間如きに、このような芸当が出来るか」
「そのやり取り、もうしたよ。あんたの使徒と、ね」
僕は舌を見せて、彼を挑発した。もっと、もっと、僕に注目させてやる。
「帰りが遅いと思ったら。で、何が目的だ?」
「何も。あんたの命だけ」
「…殺せば、後悔するぞ?」
「何故?」
彼の脅しに僕が問い返すと、そこで初めて、神は笑った。
「私は多くの神と取引している。ミスター・【ゴリラ】・ファルカス、【皆殺し】スカージ、【祖】ジェイド、数えきれない程の神と取引を行っているのだ。そんな私を殺せば、彼らの反感を買うぞ」
「いいよ、どうせ全員殺すつもりだし」
一つ、気になる名前があったが、それを聞くことはせず、僕はそう答えるだけに留めた。
そして、その返答を聞いたデンジャラスライオンは、爆笑し始めた。
「は、ははははは!余り笑わせるな。お前、察するに生まれたての神だろうが、それにしては強い力を持っているのは認める。それでも、そんなことを出来るわけがない。この世には、お前が想像できないほどに強大な力を持つ神がいるんだぞ」
「仮に、それが出来たとて、竜共と一人で戦うつもりか?むしろ、そちらのほうが怖気だつね。私とて、竜共と相対するのはゴメンだ。あんな化け物たちと争うのはな!」
饒舌に話す神を、冷ややかな瞳で僕は見つめる。知っているさ、お前らが想像できないほどに強い力を持った異能持ちも、そんな強大な力を持つ者たちに追い詰められて怯え隠れて暮らす竜の姿も。僕は、知っているんだよ。
もう、話すこともないな。予定とは少し違うが、これだけ集中力を切らしたなら、もういいか。
「殺って、ダンタリオン」
僕がそう言った瞬間、神の首元から夥しいほどの血液が流れた。
「あ…?」
神は、何故そんなことが起きているのか、理解できない。理解できないから、ただ手を首元に当て、真っ赤に染まった自らの手を、呆けた表情で見ている。
だから、二度目の攻撃も、簡単に受ける。心臓を貫いた槍、そんなものを耐えられる訳もなく、彼は絶命の言葉もなく、敢え無く死んだ。
「や、った?」
影を脱ぎ捨てたダンタリオンが、神の血で汚れた槍を震えた手で持ちながら、やっとの思いで言った。
「―うん、君の手でやったんだ」
思わず、彼の頭を撫でる。この作戦は、彼が、彼の手で行えたから、成功したんだ。今くらいは、ただ歓喜していてほしい。そんな風に僕は、願っていた。
そんな風に僕が言って、ようやく、実感が湧いてきたのだろう。彼は槍を落として、拳を力強く握り、大きく振り上げた。
「う、あああああああああああああああ!!!」
達成感の余り、雄叫びを上げた彼をただ、僕は見つめていた。
一体目。【百獣の】、デンジャラスライオン、討伐完了。