リメイン
一方、【旧き竜】の模倣品と戦う、紫龍とフアイは。
「さて、粗方は片が付きましたが」
ジョンらがジェイドと相対した時には既に、大勢は決していた。紫龍たちの、圧倒的な優勢だった。
それ程までに、模倣品の竜たちは本来のそれから大きく弱体化しており、それ程までに、紫龍とフアイの実力は人知を超えていた。
「ああ、あれは厄介極まりない」
それでも尚、立ち続ける竜がいた。
スライムの様な粘液状の肉体を持つそれは、二人の苛烈な攻撃を意にも介していなかった。
それが模倣したのは【不死竜】ロストケアセルフ、決して死なない肉体を持つ、唯一無二の竜。微塵に切り刻もうが、無数の槍で突こうが、重い鈍器で砕こうが、灼熱の業火で焼こうが、絶対零度の氷結で凍らせようが、決して死なない、生存能力特化の竜。
「来ます、下がって」
その竜が僅かに動いたのを見て、紫龍はフアイを背後に下がらせた。
自らの肉体である粘液を鋭く尖らせ硬化、ロストケアセルフはそれを二人に向けて一斉に襲い掛からせる。
「無空」
しかし、その攻撃は届かない。紫龍の無空は、ロストケアセルフの不死性とまではいかないものの、防御能力に関しては他の追随を許さない。例えそれが、本物のロストケアセルフの攻撃だったとしても、難なく捌ききってしまうほどに。
「…千日手だな」
フアイの口をついて出たぼやき、正にこの状況を端的に評していた。
どちらも有効打がない状況、されど紫龍とフアイの二人はこれを放置するわけにもいかない。それがどう動くにせよ、それは対処の先送りに過ぎない。だから、この不死竜を、二人は釘付けにせざるを得ない。頂上へと向かった彼らがジェイド・アルケーを討伐することを信じて。
「というか、貴方だけでも頂上へ向かった方が良いのでは?私一人でも対処できそうですよ?」
「ふん、念には念を、という奴だ。貴様ですら対処が出来ない攻撃が来る可能性を想定、或いは貴様の体力が尽きる可能性を想定すれば、二人で当たった方が確実だろうよ」
「念を、というなら頂上こそもっと戦力が必要な気もしますが…」
二人が今後の指針を検討している頃、異変は起こった。
「なんだ…?」
ロストケアセルフの全身が乾き始めていた。粘液である彼の肉体全てが、徐々に揮発している。そして、間もない内に、それは跡形もなく消えてなくなった。
理解の及ばない二人は、それが死んでいくのを、ただ眺めているしかなかった。
*
「何だ、それは」
ジェイドは、ただ、困惑したように言った。まるで、幽霊を見ているかのように、非現実的なものを見たかのように。僕は、そんな彼の複雑な感情が良く分かった。
「見なくとも分るでしょう、【死】ですよ」
だから僕は、ご丁寧にも彼の困惑の答えを教える。
僕の身体を纏う、黒色の、煙のような何か。それは、僕のあるべきはずだった、死の可能性の具現化。影によって覆い隠されていたそれを、表出させたもの。
「死、だと?」
彼は不可解そうな表情で、僕の言葉を繰り返した。そして、自らの鼻を撫ぜ、手元に付着した血を見た。
「…化物が」
それから、彼の穴という穴から血が噴き出した。最早、死は免れない程に、大量の血液が。それが、彼に訪れた死の形。死がもたらした、死。
まだ、僕はこいつのことを良く知らない。今まで眠っていたこいつが、一体どれ程までの力を持っているのか。見当もつかない。
だが、これだけは確信できる。こいつは、始祖にすら通じる番外。命ある者全ての物に対しての天敵。
「…さあ、もう、その体は使い物にならない。早く出してくださいよ、あなたの、本体を」
だが、油断はできない。ジェイドの体こそ終わらせたものの、彼には他に体がある。始祖としての、竜の肉体が。それこそが彼の本体にして、本領。それを殺さずして、人という種に魔法の力はもたらされない。
「…は、は。悪いが、私の肉体はこれが最後だよ」
「…何ですって?」
ジェイドが力を振り絞りながら、血液と共に吐き出した、信じがたい言葉に僕は、思わず問い返す。
「最早、この私と本体とはリンクが断たれている。竜としての私の肉体は世界崩壊と共に消えてなくなった、と解釈すべきだろうね」
苦しそうに、あるいは笑いをこらえるかのように言った後、彼は僕を指差して言った。
「だが、最後のあがきくらいはしてやってもいい」
そう言って僕の体に訪れる、僅かな衝撃。何かされた!と思う間もなく、その何かが、現実となり僕の体に襲い掛かる。
僕の指先が塵へと変わっていく、徐々に、されど無視できない程の速さで、僕の存在が消えていく。否、どこかへと、飛ばされている?
「ジョン!」
ダンタリオンの鬼気迫る声、僕は大丈夫だと声を返す間もなく、この場から消え失せていた。
*
理解できないことだらけだった。
まず最初にカインとライドウが気絶して、ジョンの出自を知らされて、すぐにファルカスが倒されて、ジョンが倒れたと思ったら、立ち上がった彼はそのままジェイドに致命傷を与えて、今、消えてしまっている。
余りに多くの出来事が怒涛の勢いで押し寄せてしまっていて、理解が追い付かない。だから、僕は本能に従って、徐々に消えている、ジョンに向かって手を伸ばした。
「ジョン!」
そう手を伸ばした時には既に遅かった。最早、ジョンの体はどこにもなく、伸ばした手はただ、空を切った。
「てめえ!」
「殴っても彼は戻らないよ」
ジェイドの胸倉を掴んだデッド、そんな彼にジェイドは諭すように制止する。
「安心したまえ、彼をこの大陸のどこかへと飛ばしただけだ。生きてはいるし、君たちの下に戻るのも時間の問題だろう」
そして、笑みを崩さないまま、そう続けた。
生きているのは良かった、素直に安心する。事ここに至って、彼が嘘を吐く理由はない。
「なら、なんで」
だが、それはそれとして、疑問は尽きない。彼の口振りではどうしてもジョンは排除したかったはずだ。この場から排除した程度で、彼が済ませた理由が分からない。
「理由は二つある。まず一つ、最早彼を殺す理由はなくなったということだ。私は死ぬ、それは覆しがたい現実だ。私が除かれた世界で、君たちが生き残るには彼の力が必要だ」
彼の発言に僕は一応の納得をする。確かに、彼の行動はあくまで自らの生存を前提に置いてのものだった。ならば、ジョンを殺す意味がなくなったというのは動機として飲み込みやすい。
「そして、第二に」
指を二つ伸ばしながら、彼は自らの手元に書物を生み出した。
「これを邪魔されるわけにはいかなかったんでね」
攻撃、ではない。そこからは何の敵意も見いだせない。ならば、彼がするのは。
「開放しろ、英雄の書」
疑問の答えは直ぐに明かされる。その書物から、無数の武器、否武器に限らず、盾や鎧、果てには紐のような何か、それに果物に似た何かが次々飛び出て、何処かへと飛び去って行った。そして、そのどれもが、思わず寒気がしてしまいそうなくらいに、強大な力を持っていた。
「今のは?」
「神聖宝具、と私は呼んでいるよ。一つ一つが神の力に値する程強大な道具たちだ」
「…とんだ、褒美だな」
ジェイドの説明に対して、訝しげにデッドはぼやいた。
「それだけの脅威と君たちは相まみえるということだ」
そう言って彼は自嘲するように笑んでから、手元の書を僕たちに向けて差し出した。
「君たちさえ良ければ、この書も譲ろう。最もこれは神聖宝具ではなく、異能の類だがね。君たちの今後には役立つものだと思うが」
「誰が、そんな怪しげな」
「いただくよ」
デッドが言い返そうとする前に、僕はその書を手に取った。
「おいおい…」
デッドは些か不満げだったが、これは僕が受け取るべきものだ。デッドは今後魔法の力を研究するために欠かせない人物だが、僕はそれ程貢献できるとは思っていない。僕は僕自身が出来ることをもっと増やさなくちゃならない、それが叶うならば、少しばかり怪しげな力であろうとも、手を伸ばすことに葛藤はない。
手にとっては見たものの、それ程大きな力を得たという感覚はない。だが、その書を出したり消したりすることは出来たから、辛うじてそれが現実離れした力だということは分かった。それくらいではあるのだけれど。
「おめでとう、これで君も化物の仲間入りだ」
だから、賛辞なのか皮肉なのかも曖昧なジェイドの言葉も今一、理解できない。
「…おっと、どうやら神聖宝具も、ここに降り立ったようだな」
ジェイドの視線に従って振り返ると、確かに光に包まれた何かが、地に突き刺さっているのが見えた。毒々しい、黒い槍と、金属で造られた、紐のようなもの。
「あれは…?」
「ゲイ・ボルグ、それにグレイプニル」
端的に名前だけを答えてから、彼は吐血した。最早、絶命まで間もない。彼は唇を震わせながら、最期の言葉を遺した。
「…いずれにせよ、神を相手にするに相応しい力だ」
「これから生まれるであろう、真に神と呼ぶに相応しい、悍ましき力を持った神たちに」
そう言い残して、彼は絶命した。
残された僕たちは、その意味を問い返す相手さえ失って、ただ立ち尽くす他なかった。
*
「どこだよ、ここ」
僕はいつの間にか、海岸沿いで立ち尽くしていた。全く、見覚えのない場所。なんとなく既視感を感じなくもないけれど、記憶はしっかりしている。
瀕死のジェイドが使った異能、恐らく空間移動系のそれで、僕はここに飛ばされたということだろう。生憎、最初に僕が目を覚ました場所とは違うらしい。経験則は通用しない。
「駄目か」
ジェイドが死んだ今もしかしてと思い試してはみたが、影とのリンクは未だに戻ってない。影の道で竜峰山に戻ることはできないな。
それに、影の技の多くも使えないはずだ。自分の影に依存しない影縫い等はともかく、殆どの影が制限されている今、一人でこの大陸を彷徨うのは心許ない。
「大森林が近ければ良いんだけど」
人狼たちと合流出来れば、身の安全は保障できるし、ダンタリオンたちとも程なく再会できるし、と言うことなし。だけど、そこまでことが上手く運ぶとは、到底思えない。
「ん…?」
そんな時、僅かに聞こえた、剣戟の音。
その音が聞こえた方向に僕は向かうことにした。刀剣を使える程の知性のある生物、人間やそれに類する種族がいるかもしれない。最悪、それが神だったとしても、周囲の何かの影に身を潜めれば安全に離脱することが出来る。
「ちぃ!」
剣戟の音が近づいてくるとともに、声も聞こえてきた。苦し気なその声音からは、どうやら大勢は既に決しているようだ。
仮に人間と神が戦っているとして、人間が劣勢だとまずい。だから、僕は駆け足で向かうことにした。
「はあ、はあ、お前、本当に人間か?」
「…」
そこにいたのは、物言う巨大な蛇と、刀を持った人間の女性。相対するその二人は、互いに大きく消耗していた。
普通だったら、人間の方に肩入れする場面だが…
(僕は、生きて帰れるだろうか)
蛇が打倒された、その後のことを想像してから、僕は首を振った。いずれにせよ、このまま僕が一人でいても生きて帰れる可能性は低い。ならば、大きな賭けであっても、彼女に肩入れする他ない。
「今だ!」
「!」
僕は蛇に影縫いを使って、彼女に攻撃を促した。
「【炎牙】!」
彼女は即座に、炎を纏った刀で、神の顔面を突き刺した。それはそのまま致命傷となり、名も知らない神は命を落とした。
そして、問題はこれからだ。
「…礼は言っておこう。私が殺されていたとしてもおかしくはなかったからな」
そう言いながら彼女は、敵意と共に刀を僕に向けた。僕は両手を挙げて、敵意がないことを示す。それが通じる相手であればいいのだが。
「それで、何故、貴様がここにいる」
「【影】」
その人物は、あの時出会った【名残火】の持ち主、僕を窮地に陥れた、ハジメその人に相違なかった。