私たちはもう舞台の上
「纏火炎!」
【名残火】なんて名前には不釣り合いなほどの、焼き尽くすような炎を刀に纏わせて、彼女は敵に狙いを定めながら、駆けてくる。その狙いというのは、僕。
「喰らえ、【影】!」
「やらせるかよ!」
僕に向けられた刀を、ルゥが受け止めた。両腕を焼かれながらも、ルゥも前蹴りを相手の腹部に打ち付けて、彼女は距離を離した。
「ルゥ!」
「気にすんな、大した傷じゃねえ」
その返答は強がりでもなかったようで、その両腕には大した傷は残っていなかった。
「それよりジョン、お前はそっちの方頼む!」
ルゥが指差した方向に、僕はすぐに体を向ける。
「あは、やっと私を見てくれましたね」
僕の視界に入ったのは、嬉しそうに笑う、拳術家の、彼女。凄まじい速度で、こちらに向かって駆ける彼女の速度は恐らく、ルゥ以上。人知を超えた、から更に一段階上手の化け物染みた速度で向かってくる彼女。
「悪いね、見るだけじゃ済まない」
「…へぇ」
しかし、彼女の速度は突如として弛緩する。弛緩した、だけ。
影縫い、本来相手の身動き全てを封じるこれをもってしてさえ、彼女の動きは完全には止まってくれない。度を越えている。予感は正しかった。彼女は、余りにも逸脱した、怪物だ。
「それより、少し無粋じゃないかな。名乗りもせずに戦闘だなんて」
だから、少しでも会話で時間を稼ぐ。時間を稼いで、少しでも自分に有利な状況を作る。この相手に何の準備もなくやれるほど、僕は強くない。
「そうですね、流石に無礼でした」
幸いにも、彼女は僕の誘いに乗ってくれた。絶対的強者たる余裕か、あるいは単なる素か。どっちでもいい、時間を稼げるのならば。
彼女はこほん、と咳払いをしてから、薄い笑顔と共に名乗った。
「私は死竜、竜を殺す者。気軽に、名前で呼んでくれていいですよ」
紫龍?成る程、強そうな名前だ。相変わらず漫画のキャラみたいなのは、何なんだとは思うけれども。
「それで、何でその竜を殺す者が、僕と敵対する?見て分かってほしいけれど、僕は竜じゃないよ。竜の血とかも、流れちゃいない」
「うん、知ってますよ。あなたのような生物は見たことありません」
紫龍が笑顔と共に放ったその言葉に、思わず僕は唇を嚙み締めた。まさか、彼女は気づいている?
「あんな風に、影を操るような人間は私は知りません。まるで、魔法みたいでした。どうやってるんですか?」
良かった、別に気づいているわけではなさそうだ。僕の本質が知られていても、別に戦闘で不利になるわけではないのだけど、座りはよくないからね。
「まるで、母さんが言っていた、滅亡前の世界の人たちみたいですね」
「は…?」
なんて、安心しかけた僕を、ぞわりとさせるような言葉を、彼女は続けた。母さん?滅亡前の世界?やっぱり、僕以外にもこっちに来ている人間はいるのか。一体、彼女は誰の。
「あは、良い反応。やっぱりそうなんですね。異能、でしたっけ?神性に似た、不思議な力。その真髄、興味深いです」
やはり、彼女は、知っている。僕がいた世界を。
「君は、一体―」
「ごめんなさい、話はお終いです。時間稼ぎは済みましたので」
僕の疑問に彼女は首を振る。そして、緩やかに上げた足を、強く地に叩きつけた。
崩れる地面、必然、彼女と僕がいる一帯が、僅かではあるが窪む。
「あは、予想通り。影が揺らげば、その効果も揺らぐんですね」
彼女の指摘通り、影縫いは最早機能していない。そして、彼女の行動は、影縫いは最早絶対の防衛手段ではないことを示していた。
(ふざ、けんな)
僕は思わず、苛立ちを心中で漏らす。影の破り方が、余りにも力技すぎる。こんなのは、流石に予想外すぎだ!
「勝ち誇るのは良いけど、少し気が早いんじゃないか」
腹の底から湧き出る、焦りを抱えつつも、とは言え僕は、ある種のところで冷静さを保っていた。それは表面に出さない程度の、冷静というには些か些末すぎるものではあったが、確かにそこにはあった。
「時間稼ぎは、お互い様だよ」
何故なら、僕の影は一つだけじゃない。僕は即座に、周囲に忍ばせていた影の内、五つを起動した。
「六人いるし見分けもつかない」
僕はそう言って、五体の分身を生み出した。ミスター相手の時に使った奴の、改良版。影の上に僕をそっくりそのままテクスチャした、見分けもつかないほどの分身体。
一つの技が破られたからと言って、焦ることはない。影のネタは、まだまだ腐るほどある。最大限手札を使って、確実にこの怪物を追い詰める!
「…成る程、手ごたえがない。これは厄介ですね」
そう言って、紫龍は瞬時の内に、目前の僕の腹部を貫いた。丁度、先ほどまで僕がいた場所。相変わらず、対応が早くて嫌になるが、それでも僕は無傷だ。
これが【六人いるし見分けもつかない】の利点の一つ、僕と分身の位置はいつでも好きなタイミングで位置を入れ替えることができる。最も、今のように致命傷を受ければ、影は消えてしまうから無敵というわけではないが。
さて、ここからは勝ちの方法を詰める時間だ。攻撃手段を試しながら、影でさらに翻弄して、確実に削っていく。
「【影の】―」
「―飛刃!」
新たに影を起動しようとした瞬間、僕の肌を裂く、何か。
振り返って、それを引き起こしたのが誰なのかを理解する。ルゥと戦っていたはずの彼女が、刀を僕に向けていた。
(あの侍もどき、ルゥを退けるか!)
舌を巻く思いだ。紫龍だけでも手一杯だっていうのに、こんな異常な強さを持った奴らが、何で一気に出てくる!
ひとまずは撤退だ。確かに傷は負わされたが、あくまで偶然。分身体と入れ替われば、これ以上の追撃は出来ないはず。
「秘奥【水想禍星】」
そう、入れ替われたなら。彼女が刀を振った瞬間、僕の分身はすべて消え去った。
(…は?)
余りの出来事に、思わず放心する。何が、起こった?刀の一振りで影が全て消されるなんて、余りに無茶苦茶すぎる。余りの衝撃に、僕はへたり込んだ。
ここで僕は遅まきながら理解する、彼女が、【名残火】を振るう彼女が、僕の天敵なのだと。彼女は確かに、僕に狙いを定めていたのだと。
「纏火炎」
理解は出来ない、何故出会ったこともない彼女が僕を狙うのか。まだこの大陸に足を踏み入れて一日と半日しか経っていない僕に、恨みを抱いているのか。
されど、理解は出来ずとも、命の危機は目前まで迫っている。炎を纏った刀を持って、彼女は徐々に近づいてくる。
僕は近づいてくる彼女に何とか対抗しようと、影で出来ることを手当たり次第に試した。結果は、どれも正常に起動せず。
元より、影の容量には限界がある。ダンタリオンの村に置いてる一体の影と【6人いる】で出せる五人の影が実質的な限界。それ以上の分身を出そうとすると、【影の道】や影縫いなどの影を操作する技は全て起動できなくなる。
けれど、今僕に起こっているそれは、容量の限界だとか、そういうのとは一線を画している。コンセントを抜かれてしまったかのように、そもそも、影が起動しない。リンクが切れてしまったかのように、影が応答してくれない。
「ごほっ、ごほっ、が、はぁっ」
だから、最悪が僕の身に生じてしまう。血反吐が飛び出て、僕の全身をおぞましい程の痛みが蝕む。全身が爛れているかのような錯覚、或いは体内を凄まじい速度で食い荒らされているかのような幻覚、元より足りなかったものが瞬時に現実味を帯びて、事実現実に侵食している、ただの真実。
ああ、だめだだめだだめだだめだだめだしぬしんじゃうしぬしかないぜんいんしぬしかないのみこめないのみこんでくれるかげもないしがはいでてしまうごめんはまやごめんてんりんごめんひかるごめんでっどごめんだんたりおんごめんとうさん―
「てぇい!」
助け舟は、意外なところから訪れた。
紫龍が、僕を貫こうとした彼女を吹き飛ばしたのだ。
「大丈夫ですか?」
死にかけの僕に手を差し伸べる、紫龍。
ありがたいけれど、もう僕は。そう思ったところで気づく、影が復活していることに。まるで、さっきの痛みが夢だったかのように消え失せている。
「…うん、助かったよ、ありがとう」
「いえいえ」
僕は彼女の手を取って礼を言うと、彼女は満面の笑みを浮かべて首を振った。
なんだ、結構いい子じゃないか。良くも悪くも単にバトルマニア的な性質なだけで、少なくとも人間にはそんなに悪い子じゃないんだろう。
「それより下がっててください」
紫龍が僕をかばうように前に立った。
「まだだ!」
「この子は私が片付けておきますから」
立ち上がった刀の彼女。そして、紫龍は、彼女の刀を受ける構えを見せる。
「残念ですが、【無空】は貫けない」
そして、当然、彼女の刀は、紫龍の拳に簡単に受け止められる。無に帰し空に帰す構え、これだけで十分彼女の凄まじさは分かる、彼女を正攻法で倒す方法は中々に難儀だろうな。
「まだ終わってねえぞぉ!」
追い風は更に吹く。戦闘不能に追いやられていたとばかり思っていたルゥが戻ってきた。生傷が殆どない彼を見ると、何らかのからめ手で彼を封じたのだろうなと推測できた。
「おい、何があった!?」
そして、使徒と戦っていたダンタリオンたち三人もやってきた。良かった、彼らの方も大きな傷はなさそうだ。
「どうする?流石に君も、この人数相手では分が悪いだろう」
「最も、一対一でも私は負けませんが」
ちょっと、なんでそんな混ぜ返すようなこと言うの紫龍さん。
「…ここは退こう」
「おいごら、逃がすと思ってんのかクソ女」
おい、お前もかよ。バトルマニア組はやっぱり好戦的すぎる。いや、むしろ僕の方がぬるいというべきなのかな、これは。死の淵にまで立たされた相手だ、彼らじゃなくてもさっさと始末した方がいいに決まっている。それでも僕がその選択に忌避感を覚えるのは、僕がそういう世界とは無縁の場所にいたからだ。人も神も、生きていることに変わりはないだろうに。だから、あの時も、選択を誤った。
「だが、次は必ず殺す」
そう言うと、彼女は瞬時に後方に移動した。短距離限定の瞬間移動?あるいは、瞬間的な超スピードか。いずれにせよ、彼女をこの場で殺すことは難しそうだ。
そして、彼女は刀を鞘に収めつつ、僕を睨めながら言った。
「私の名は、ハジメ。貴様を殺す女の名前だ、覚えておけ【影】よ」
名乗りを上げた彼女はそのまま、どこかへと消えていった。
「ちっ、とんだ生殺しだったぜ。帰るぞ、お前ら」
「おい、説明もなしか?」
「飯食いながらでもいいだろ、そっちの二人もお疲れだろうしな」
「というか、あの子は誰?」
そして、彼女が消えたのを皮切りに、こちらも緊迫していた空気が緩んでくる。僕も帰っていくルゥたちに続こうとして、振り返った。
紫龍はどこか、迷っている様子だった。自分も続いていいものか、それともここで去るべきか。そんな風に。
「さ、僕たちも行こう」
だから、僕は声を掛けた。彼女にはもっと聞きたいことがあったし、それに何より彼女には借りがある。彼女の目的が、僕の力を試すことにあるというなら、それに付き合うことに躊躇いはない。
「…はい」
そして、彼女は微笑んだ。彼女のそんな表情は、確かに肯定を示していた。