運命、だよ
「しゅる、しゅる、くしゅるるるるる」
スカージを踏みつぶしたその巨体は、踏みつぶしたことにすら気づいていないような呆けた顔のまま、そんな不気味な鳴き声を上げていた。
(成る程、これが竜という生物か)
姿かたちは確かに、創作物のまんまだ。そして、確かに、神でさえもこれには敵わないだろうと確信できる、強固な存在感。生物としての位が一段階上と錯覚してしまいそうなほどに、強い威圧感。立っているだけでくらくらしてしまいそうなその感覚に耐えつつ、僕はそれについて考察する。
奴は、どうやって現れた?
気づかないはずがない、この巨体が足を動かせばそれだけで大きな音が鳴るはず。木々をなぎ倒し、地は揺れ、小動物は逃げだす。そんな前触れが一つもなく、あれは突如として現れた。まるで、大気中から突然生まれたかのように。瞬間移動したかのように。そんなことが、有り得るのか?それがこいつの能力?それとも、第三者が関わっている?答えは導き出せずとも、肉薄している感覚はある。第三者ならば、心当たりがあった。
「おい、クソ竜」
僕が思索に耽る中、ルゥ・ガルーは真逆に行動に移っていた。真正面から、敵意をあらわに竜へと向かっていく。竜は聞こえていないのか、或いは興味すらないのか、変わらずただ、呆けた顔のまま。
だから、彼は容易にその竜へと辿り着く。辿り着いて、攻撃行動へと移る。彼の異能、彼の異常を伴って。
「起きろ、【噛み切れない】」
彼はそのまま、竜の前足に嚙みついた。僅かな出血を与えるに留まる。それでさえ、大戦果だろう。あの巨体の硬い外殻を自分の身体だけで傷つけるなんて、僕にはできやしない。
だが無論、竜にとっては大した出来事ではない。それこそ、虫に刺された程度の出来事。竜は少しだけ身じろぎした後、煩わしそうにルゥ・ガルーを目視してから、目障りな虫を踏みつぶすかのように、ルゥ・ガルーを踏みつぶそうとした。
「吹っ飛べ」
だが、その狙いはそれた。急遽、竜の前足に木が突き刺さったからだ。先ほどの噛み痕目掛けて飛んでいったその一本の木は、その凄まじい速度を持って、竜の皮を貫くことに成功したのだ。踏みつぶすはずだった前足は吹き飛び、ルゥ・ガルーがいる軌道上からは逸れ、地響きを鳴らすにとどまった。
今起こったのは間違いなく、ルゥ・ガルー、彼の異常。その詳細はうかがい知れないが、どうやら噛み付くことが発動条件になっているのだろう。それなら。
「―加勢してもいいよね、リーダーさん」
「おう、ジョン・ドゥ。いたのか」
影を脱いで現れた僕に対し、ルゥ・ガルーは特段驚くこともなく、そう応じた。
「頼むわ。この手のデカ物相手と単独で戦っても楽しかねえしな」
そして、淀みなく彼は頷いた。享楽的かつ、合理的。話がしやすくて助かる。
「それよりそろそろ退いた方がいいぜ」
見上げると、また振り上げられた足。僕たち目掛けて振り下ろされる足は、体躯と比較して非常に緩慢ではあったが、それでも僕らにとって脅威であることは確かだった。
だけど、そんなことは関係ない。僕自身とルゥ・ガルーに影を覆いかぶせる。少し遅れて、踏みつけられた足。その下には既に僕たちはいない。
「相変わらず便利な異常だな」
「まあね、万能でもないけど」
【影の道】、僕らは後方へと逃げ込んでいた。竜はそれに気づかず、悠長にも踏み込んだ足元を、呆然と見つめたまま。何か、変だ。あれだけの傷だ、痛みに耐えかねて暴れることも覚悟していたんだけど。
「しかし、鈍いな。本当に、これが最強の生命体?」
「こいつは劣等竜だ。知能もなけりゃ、能力も普通の竜に比べて大分劣る」
ああ、成る程。そういうのもいるのか、それならこの鈍い動きも理解できる。
それと同時に、劣等種でさえこれ程の威圧感を持っているのかと、怖気さえ感じる。本当の竜というのは、一体どれ程の強さを持っているのだろう、考えるだけで震えが奔る錯覚があった。
「こいつらはどこからともなく突然現れ、周囲を荒らしまわり、数日以内に死ぬ。あのスカージって奴ぁ、不運だったな」
そういうルゥ・ガルーの口振りには、どこか、苛立ちが感じられた。自分の楽しみを邪魔されたことか、それとも劣等竜に荒らされた経験でもあるのか。
「本格的に始める前に、俺の異常の説明をしとくか」
尋ねる前に、彼はそう言って、説明を始めた。
「【噛み切れない】、噛み付いた物と物をくっつける異常だ。噛み付いた物はストック出来て、くっつけるものは任意で選択できる。遠すぎるとくっ付けらんねえが。大した異常じゃねえが、使いようによっちゃさっきみたいに大きな傷を与えることもできる。お前と組めば、面白いこと出来そうだろ?」
「確かに」
にやっと笑ったルゥ・ガルーに対して、僕も笑い返す。僕の影は攻撃性能はさして高くない。特に、あの手の大型相手だと、影の槍は突き刺さらないだろうし、影法師には大きく体力を消耗する。攻撃手段が致命的なほどに足りない。
だから、彼みたいな攻撃担当がいると非常に助かる。僕の弱点は潰せるし、サポートに関して言えば、僕はおよそ何でもできる。彼を活かせる技はいくらでも思いつく。
しかし、大した異常じゃないというのは、過小評価すぎる。噛めさえすれば殆ど一撃必殺みたいな異常だろうに。
「生憎、噛めねえ奴ってのは、意外と多くてな。噛んだとしても、こいつみたいに容易には済まねえ奴もいる」
そんな僕の疑問を察したのか、彼は歯を噛み鳴らしながら答えてくれた。
ああ、そう言えばダンタリオンも言っていたな。エネルギーの塊みたいなのもいるって。
「それに、なんだ。噛んですぐお終いってのは、歯ごたえがねえしな」
彼は笑いながら続けた。成る程、一撃必殺っていうのはお嫌いか。彼らしい、戦闘狂らしい考え方だと思う。そして、僕はそういう考えも嫌いじゃない。
「まあ、それも今回ばかりは悪くねえ。俺らがいつでも連携できるための、噛ませ犬にしてやろうや」
「うん、やってやろう」
そう言って、僕は彼と拳をぶつけ合った。
彼に当てられたか、僕もちょっとわくわくしてきた。彼との連携、も勿論だけど、これが上手くいけばもっと色んな人とも組めるようになるはず。ダンタリオンやデッド、ミスターも悪くないし、ライドウさん何かとも組めそうだ。ああ、ダンタリオンの村の彼なんかも、もしかしたらイケるかも。
「んだ…?」
劣等竜との戦闘を再開しようとした瞬間、彼は困惑した表情と共に立ち止まった。急に立ち止まった彼に僕はぶつかってしまって、よろける。
「悪いな」
「嫌、だいじょう、ぶ?」
彼に手を借りると、僕にも聞こえてきた、何者かが、駆けている音。徐々に大きくなるその音は、夥しい速度でこちらに向かっていた。
「しぃ、ねええええええええええええ!」
乱入者はそんな、ふざけた声量と共に、劣等竜に拳を叩きつけた。そして、劣等竜は、空に浮いた。
「はあ!?」
思わず、驚愕の声を上げる、ルゥ・ガルー。その気持ちは理解できる。僕が驚きの声を上げていないのは単に絶句しているからだから。あんな、自分の数倍の体躯を持っている生物を拳で打ち上げるなんて。途轍もない、パワー。人知を超えた怪物の枠内を、更に超えた怪物の域。
そんな風に容易く劣等竜を打ち上げた者の正体は、人型の女性だった。僕とそう変わらない体躯、およそ人には出来ない芸当を見せた彼女ではあったが、僕は彼女の正体が神だとは断言できなかった。ああいうのが出来る人間がいるのは知っている。武術家という人種は、彼女のような芸当を拳の技のみで引き起こす。
「【無空】」
そして彼女もまた、その同類だと見せつけた。
彼女は、落ちてくる劣等竜をそのまま、拳で受け流した。まるで、衝撃を無に帰したかのように。存在そのものを空に帰するかのように。
否、無に帰した訳ではなかった。劣等竜は態勢を崩したまま、起き上がってこない。起き上がってこれない。恐らく、彼女は落下による衝撃を全て、劣等竜に押し付けたのだ。何という、技術。力のみならず、拳術においてもおぞましい程の高いレベルで修めていることを、嫌でも理解させられた。
「うん、所詮は劣等竜ですね。食いでが無さすぎる」
彼女はそんな風に、つまらなそうにぼやいた後、煌めくほどの満面の笑みで、こちらに顔を向けた。
「さあ次はどちらがお相手してくれますか?そちらの狼さん?それともやっぱり」
まるで、それは初めから出会うのが決まっていたかのように、鮮烈で鮮明で、強烈で強靭で、
「【影】のお兄さん、あなたがいいな」
決して記憶から消えることのない出会い。僕と、彼女と、
「―!」
もう一人との出会いだった。
(僕のことを、知っている?)
疑問に思ったのも束の間、僕らの近くで、とある物が動き出していた。
絶命を免れていた劣等竜、それは最後の力を振り絞って、彼女に襲い掛かろうとした。僕が声を上げようとして、彼女が対応しようとした、その時だった。
空間が、捻じれた。それは、比喩でもなんでもなく、ただの現実。そこにあるはずの空白が侵され、あって然るべきの経過が無視され、ただ結果だけが算出される。ああ、だから、つまり、なんだ。今、僕の目に映った結果というのが、劣等竜の首が切断されるという現実だった。
「なんだ、まだいるじゃないですか。とんでもないのが」
それを引き起こした何者かは、刀を振って、鞘に収めながら、姿を現した。
(なんで、あれを)
僕は確かに、その鞘に見覚えがあった。正確にはその鞘に掘られた、銘を。
「…何故、貴様らまでここにいるのかは知らない、興味もない」
…あれは吹雪翁の遺作【名残火】。近現代最高の鍛冶師によって作られた、最高傑作。あれもまた、この世界に流れ着いていた無数の物の一つということか。
しかし、おかしい。【名残火】はあの時、確かに破壊されたはず。何故、形を保ったまま、この世界に流れ着いたんだ?
「大事なのは、貴様らがここにいるという現実だけだ、【影】。そして、【龍人】」
敵意が滲んだ瞳のまま、彼女は僕たちに向けて刀を向けた。
言っている意味が分からない。竜人、っていうのは多分、こっちの彼女のことなんだろうけど、彼女と僕を一緒くたにしている意味が分からない。さっき初めて会ったばかりの僕たちを、まるで同胞のように扱う意味も分からないし、なんで僕らの顔を知っているのかもわからない。こっちの彼女も、別に知己ってわけでもなさそうなのに。
膨らむ疑問、されど彼女はこっちの都合などお構いなしに、抜いた刀で僕らに向かってくる。
「貴様らはここで断ち切る―!」
そんな、決意に溢れた、言葉と共に。