餓狼たちの巣窟、或いは動く災害 Ⅱ
【人狼】、彼らはこの大地においても非常に特殊な存在だ。元は人間であった彼らは、先代のルゥ・ガルーの【異常】によって、人ならざる身体能力を体得した。その力は竜、とは言わないものの、凡百の神々には負けないほどの、人には過ぎた力だ。事実、彼らの中にはその過ぎた力を扱いきれず、或いは増長し、死に陥った者も多数いる。しかし、それでも、大多数の者たちはその大きな力に適合し、その力で多くの神共を討ち果たした。彼らは最早、この大陸の誰もが無視できない、一大勢力として成り上がったのだ。
故に、強者たちからも、狙いを定められた。デンジャラスライオンのような、凡百の身体能力しか持たない神とは一味も二味も違う、恐ろしき神々から。そして。
*
人狼たちの集落がある大森林より、南方。そこには、一人の人狼と争う三体の敵対者がいた。三体の、使途が。
「きゃはははは!いつまでも守ってばっかりじゃ、死んじゃうよぉ?お姉、さん!」
その内の一体が好戦的に、その人狼に向けて襲いかかる。攻撃、攻撃、攻撃に続いて、攻撃。荒々しくも力強い、拳による乱打を、人狼はギリギリの所で受け流し続ける。
「…余計なお世話だ。生憎、自分の分は知っているよ」
人狼ことライドウは、使途の挑発めいた言動にも、冷静さを崩すことなく、そう返答する。息一つ乱れず、ただ、その一本の槍のみで、彼女は使途三人と相対していた。
「クソ、が?」
苛立った使途は、更に前のめりな攻撃になり、そこを人狼に突かれた。槍の柄が、使途の顎を強打したのだ。ふらつく使途、絶好の攻撃機会だが、ライドウはそれ以上手を出すことを避ける。何故なら、今の状況は、一対一ではないのだから。
「阿呆が、罠だと何故分からん」
「所詮、元は短命種の若造ですから。そこまで期待しても仕方ないでしょう」
ドワーフ、それとエルフ。人間種でありながら、相当に長い時間を生きるそれらは、およそ人間と生息域を交わることはない。故に、ライドウの警戒は大きい。その二人が何をするか、彼女には予測がつかないからだ。
そして、その選択は、正しかったと明確な形で示される。
「きしゃ、きしゃ、きしゃしゃしゃしゃ」
「ようやくお出ましか」
気の触れた様に笑いながら、ゆっくりと彼らに向かってくる一人の男。右腕が刃物のように鋭く尖ったそれは、いくつもの生首を数珠繋ぎし、首にぶら下げていた。
「下衆が」
その内の一つを見たライドウは、苛立ちながら吐き捨てる。その顔は紛れもなく彼女の知己だったからだ。アベル・トビー、かつては神と戦える有数の実力者だった男。
「きしゃ…ああ、これ。強かったよ、とても。思えなかったよ、人間とは」
その視線に気づいた神、【皆殺し】スカージが笑みを納め、目を細めた。感慨深そうに、悲嘆に暮れるように、それともただ、呆っとしているかのように。
「…これも全部、あの王ワナビがいつまで経っても来なかったせいだ、最もどうやら奴は死んだらしいが。全く、面白いよなあ。生ってのは」
それから、また、愉快そうに笑った。今度は、決して気の触れたものではなく、筋道だった思考の末の笑みではあったが。
「所詮、天命なのさ、全ては。強かろうが、弱かろうが、人だろうが、神だろうが、竜だろうが、死ぬときはあっさり死ぬ。だから面白い。この世界において、確信を持てる事象など、どこにもありゃしない。
きしゃしゃ、お前はどうだ人狼。強く戦って不幸の死に落ちるか、それとも幸運にも生を掴むか」
「言いたいことはそれだけか?」
雄弁に、上機嫌に語ったスカージを、ライドウは一笑もせずに切り捨てる。
「それを私に聞くなよ、【皆殺し】。何故なら、貴様の相手は私ではない。人でも、神でも、竜でもない」
「正真正銘の、【化者】なんだから」
ライドウが言葉を告げると同時に、後方で空間の歪みが生じた。そんな、唐突に生まれた黒色の何かから、彼らは登場した。
その内の一人が真っ先に飛び出して、スカージに攻撃した。徒手空拳のまま飛び込んだ男の攻撃を、容易く受け止めながら、スカージは彼に問う。
「…教えてくれよ、名前」
「二代目ルゥ・ガルー。ただの【異常】者さ」
*
(何やってんだ、あの人は!)
影の中から即座に飛び出したルゥ・ガルーを見て、僕が真っ先に思ったのはそんな、呆れと動揺と苛立ちの複合だった。
「…馬鹿が」
ライドウ、人狼のナンバー2と言う彼女もまた、ルゥ・ガルーの独断専行を見て、頭を抱えながら吐き捨てた。
「まあ良い。デッド、その二人は何者だ」
「新しい戦力さ」
「戦力、ね。私にはあいつ以上の【化者】にしか思えんが。あるいは神のどちらかだな」
「は、違いねえ」
凄く失礼な物言いをされてる気がする。もしくは、最上級の褒め言葉か。
「まあいい、実力が伴っているのならば文句はない。よろしく頼む、ご両人」
冷淡とさえ思える言葉の節々とは逆に、彼女は礼儀正しく頭を下げた。戦場には、似つかわしくないほどの、丁寧さで。
「…それで、これは君の仕業か?」
「まあ、ね」
それもこれも、僕が三体の使途の動きを止めていたからだ。影縫い、使途程度なら三体相手でも充分実戦で通用するな。
しかし、影抜きを瞬時に見破る彼女の洞察力もまた、瞠目すべきものがある。
「生憎だが、外してくれるかな。君はともかく、そっちの彼のためにはならないだろう。君はあいつが万が一負けそうになった時のために備えておいてくれ」
そして、ダンタリオンの実力まではっきりと理解している。この視野と冷静さは、あのルゥ・ガルーを支える副将として、求められるべきものを備えていると言っていいだろう。光臨と破魔矢の二人に近いものがあるな。
「了解、では僕は彼の方へ向かうよ」
僕は素直に頷いて、ルゥ・ガルーと【皆殺し】の下へと向かった。
*
「…クソが!」
「何者かのう、あの小僧」
「さて、神には見えませんでしたが」
身動きを取れるようになった使途たちは、思い思いにそれぞれの見解を述べ、或いは怒り任せに罵る。いずれにせよ、彼女らの言葉には未知の存在に対する警戒と恐怖の色が混じっていた。
「ですが、今はどうでもいいことです。我々の相手は、あれではありませんから」
故に彼女らは安堵する。我々の相手はあれではないのだから、と。
「さて、始める前に聞いておこう。君の名は?」
使途が攻撃行動に移行する直前、ライドウはダンタリオンに名を聞いた。
「ダ、ダンタリオン、です」
ダンタリオンは若干言葉につまりながら、何とか名乗る。その様子でダンタリオンの戦闘経験の薄さに気づいた彼女は、されど気遣う訳でもなく、彼の視線を前方に促す。
「それじゃ、人間狩りと行くか」
使途たちが臨戦態勢に入ったからだ。最後に、ライドウが一言、ダンタリオンに告げた。
「ではダンタリオン、君にはその女を任せる。頭は足りないが、その分凶暴ではある。頭と技を使って戦え」
「りょ、了解」
おずおずと返答したダンタリオンだったが、それでも彼はしっかりと、両手で槍を握って構えた。
「なんだ、心配することはなかったな」
「ええ、心配するなら、自分にすべきでしょうね」
安堵するライドウに襲いかかる、エルフの使途。弓矢を向けた彼女に、ライドウは微笑みかける。
「安心するといい」
ライドウはその矢を寸でのところで回避し、そのまま槍で彼女の肩を突き刺した。
「死ぬのはお前だ」
そして、再度、彼女はエルフを嘲笑った。
「当然俺も一体請け負わなきゃならん訳か」
「短命種共が舐めおるわい」
一方、デッドと対峙するのはドワーフ。彼は傲慢な態度で、デッドの前に立つ。
「幸い、持ってきた試作品は幾つもある」
デッドはそんなドワーフを意にも介さず、手提げ袋から何かを取り出そうとする。
「この期に及んで―!?」
その悠長な様子に腹を立てたドワーフはデッドに襲いかかろうとしたが、その動きは強制的に停止される。著しい痛みによって。
「魔石、ドワーフなら知ってるだろ。本来、神しか行使出来ない魔法の原動力となる、魔力が籠った鉱石。お前が今受けてるそれは、雷の魔石から製作した電磁トラップだ」
その正体について語り終えた彼は、手提げ袋から拳銃のような物を取り出し、そこから弾丸を放った。
そして、その弾丸は容易く、ドワーフの肉を突き破った。
「かはっ―!」
「土と炎の魔石から作り出した、対神用射撃式貫通火器。通称は、まあその内考えるさ」
銃撃によるおぞましい程の痛みに、ドワーフは意識を失いかける。しかし、それを制止する更なる痛みが、彼を襲った。デッドの手によって。
「おいおい、まだ試したい物が沢山あるんだ。簡単には死ぬなよ?」
斧を片手に笑った彼の表情は、実に嗜虐的に見えた。