やっと彼氏が届いた。
「都内に住む男子大学生21歳が昨夜23時頃行方不明になりました。今週に入り既に4件目となりますが、警察は依然として手がかりが掴めていない状況です。…続きまして、今週の…」
12時前、何となくつけてあるテレビに目を向けることはせず、物騒なこともあるもんだと、カーテンを締め切り薄暗い部屋でぼーっとする。今日はついにアレがくる日だと早起きしたものの、お目当てのものは未だ来ない。
午前中に来るって言ったのに、もうお昼前じゃんか、とイラつき始めた時、それをなだめるかのようにインターホンの音が聞こえた。
その音に、ようやくかと顔を上げる。やれやれと言うような顔と裏腹に、玄関口までの足取りは軽やかだった。
「はーい。」
「宅配でーす。」
ドアを開けると、そこには宅配のお兄さんと、期待通りの身長の高いダンボール箱。
「サインお願いしまーす。」
「はーい。……よし、お願いしまーす」
「ありがとうございまーす。重いですけど大丈夫ですかー?」「大丈夫です!ありがとうございます!」
お兄さんの間延びした声を遮るように会話を終え、扉を閉める。早く運んで開けようと、重くて巨大なダンボール箱を、部屋の中までズルズルと引きずって行った。
「ハサミハサミ」
どこに置いたっけと、ハサミを慌てて探す。あいにくカッターは持ってないのだ。使うの分かってたんだからきちんと閉まっといてよね、私。自分が舞い上がっていることがよくわかる。その証拠に、心の中でひとり会話をする。
「あった〜」洗面台でハサミを見つけ、そういや昨日前髪切ったんだっけと思い出す。彼に会うからちょっとでもお洒落しとかないとなって思って、夜に切ったんだった。
ハサミを無事見つけた私は、いそいそとダンボールの前に正座する。少しの緊張で手が震えながらも、中のモノが傷つかないようにそっとハサミを通す。
ゆっくり段ボールを開け中身を見た私は、思わず生唾を飲み込んだ。もちろん中身は知っていたが、こんなにもリアルなのかとソレの精巧さに感心した。
「説明書は…」
一緒に入っている説明書はすぐに見つかった。その分厚い冊子は、本体と同等の主張をしてくる。普段なら読まない、難しい文字が羅列された説明書を、今回ばかりはじっくりと読み込む。一通り読んだ後、また最初のページに戻り、説明書の通りに操作を始めた。
「まずは、電源…これかな?」
項の少し下にある丸いボタンを3秒長押しする。彼の目が開いたのが、電源が上手く入った合図だった。段ボールからのそのそと上半身を起こす様子は、知らない人だったら怖かったかもしれないと思う。
「会いたかったよ」
微笑みながら、耳によく馴染んだ声色でその言葉を発する彼に、私は勢いよく抱きついた。あの頃の彼だ!
「…っ、実くん!」私も、会いたかったよ。
目から涙が、勝手に溢れそうになるのを堪えようと、目に手を伸ばす。でも、それを実くんに阻止された。優しく私の手首を掴み、反対の手で涙を拭ってくれる。掴まれた手首がじんわりと熱を持つ。その温かさに、ああ、いつもの優しい実くんだと唇を噛んだ。
「泣かないで。僕も悲しくなっちゃうよ。」
捨てられた子犬のように眉を下げてこちらをうかがう彼に私は弱い。
「ううん、何でもない。ごめんね、ありがとう。」
つらつらと言葉を並べてもう一度彼の胸に顔をうずめる。彼の匂いまでも再現されており、ドキッとした。
彼が美味しそうに私の作ったご飯を食べる。「やっぱり雪乃の作ったご飯が1番だよ!」と口いっぱいに頬張る姿が何とも愛おしい。
「張り切っちゃった!いっぱいおかわりあるからね。」
そう言えば、分かりやすく目を輝かせる。ああ、彼だ。彼そのものだった。まるで本物の実くんがそこにいるかのように思える。また涙が出そうになるのをぐっとこらえ、幸せを噛み締める。
「実くん、大好き」
思わずして口から飛び出た言葉に、実くんは一瞬目を丸くしながらも、すぐにはにかんだ。
「俺の方が大好き。」
照れて頬をかくのも、彼の癖だった。
半年前、私の彼氏はこの世から去った。高速夜行バスでの交通事故だった。知らせを聞きつけ病院へ駆けつけた私を、彼はもう待ってはいなかった。
彼は彼ではなかった。というより、一目では彼かどうか判別がつかなかったと言った方がいいか。
でも、すぐにそれを彼と認めるしかなかった。彼の両親から差し出された金属片も、彼と同様原型はとどめていなかったが、その銀色に刻まれたMinoru&Yukinoという文字。そしてその隣の数字の羅列は、間違いなく彼との記念日で、それが彼のものだと証明した。
一番泣きたいのは彼の両親だろうに、泣き崩れる私の背中をさすり続けてくれた。どれだけ泣いても、涙が枯れ果てることは無かった。
それからの私と言えば、母親が片道3時間以上の距離を飛ばしてくるほどに意気消沈し、何も食べられなかった。何かをする気にもならなかった。
乗ってたほとんどの人が亡くなり、何とか生存した人も重体となった今回の事故。以前どこかで、バスは自家用車よりも安全と耳にしたことがあるのだが、それは嘘だったのだろうか。
バスの運転手が突然発作を起こしたことが原因と、後にニュースか何かで耳にした。飲酒運転だったなら、前方の車が煽り運転をしたのなら、それだったなら何かに、誰かに恨むことが出来ただろう。でも、これじゃあ何を恨めばいいんだ。どうしたら、彼が戻ってくるんだ。
誰を恨んだって彼が戻ってこないことなどわかっていた。私も死のうかなと本気で思ったこともあった。でも結局それを実行することは出来なくて。なんだ、彼への私の想いはその程度のものだったのか、と真夜中にベッドを湿らせる日々が続いた。
毎日毎日、スマホに残った彼との思い出を見てしまう。見たらもっと悲しくなるのは分かっているけれど、彼の記憶がこれから少しずつ薄れていくのだと思うと怖くて堪らなかった。最初に撮った2人の写真から、順番に見ていく。
1枚目の写真は、2人がまだ高校生のときだ。どこか2人の距離がぎこちなくて。この頃はまだ付き合ってなかったんだもんなと感傷に浸る。
「雪乃ちゃん、これ…このバンド好きって言ってたから、良かったら一緒に行かない…?」
「えっ!!!これ!!!私全然獲れなくて!実くん獲れたの!?行きたい行きたい!!」
ほぼ初めての会話がこれだったのは、冷静に考えたらヤバいよねって実くんと話したことあったっけ。めちゃくちゃ真っ赤な顔だったと思うって実くんが言ってたけど、私はライブ行けるの嬉しすぎて全然覚えてなかったなあ。帰り道に、「そういえば、なんで私がこのバンド好きなの知ってたの?」って聞けば、「え!あ、えっと…」と実くんが慌ててたっけ。その後問いつめると、私が友人にそのバンドについて楽しそうに話してるのを聞いちゃったって、頬をかきながら申し訳なさそうに眉下げるから、そこから彼を意識するようになったんだよな。
スマホに入ったアルバムをひとつひとつ眺めていく。
あ、これは付き合った日のツーショット。ミニブーケをもった私と実くんの写真。2人とも黒目が隠れちゃうくらいくしゃって笑ってて。
「雪乃ちゃんのことが好きです!よければ、僕と…付き合って、下さい…」
最初こそ勢いのいい告白は、段々と力がなくなっていって、「…ヘタレ」って思わず笑っちゃった。彼の精一杯の言葉と一緒に差し出された小さな花束を受け取って、「私も、実くんのこと好きだよ。お願いします!」って。あの時の嬉しそうにはにかんだ実くんの顔、今でも鮮明に覚えてる。
実くんは、大学生になってから物凄い勢いで垢抜け始めたんだけど、その頃は喧嘩が多かった気がする。
「雪乃?気分悪い?」って、私の気も知らないで。「何でもない。」私がそっぽを向けば、そっと抱きしめて「嫌な気持ちにさせてごめんね。」って必ず言うの。
「今日の飲み会女の子いるって聞いてない…」
「うん、わかった時にすぐ伝えなくてごめんね。次からは事前に確認するようにするね。」
実くんは、その約束を破ることはしなかった。垢抜けて、女の子からよく声をかけられるようになった実くん。盗られちゃうんじゃないかって怯えてた。それでも、中身はずっと実くんのままで。それが嬉しくて、さらに好きになった。今さらながら、私めちゃくちゃ重い女じゃん。よく振られなかったなと思う。
他にも記念日に撮った写真や、特に何にもない日に家で撮った写真。写真を見ていると、写真に撮ってもないたわいもない会話ですら思い出されてくる。この幸せな日常はこれからも続くはずだった、のに。結局最後にたどり着くこの思いに心が苦しくなる。スマホの画面はどんどんぼやけて、スマホを濡らし始める。頭の中が楽しい思い出から辛いものへと切り替わってしまった。これ以上見ても辛いばかりだと、スマホの電源を切ろうとした時だった。
1件のメールの通知が入った。
「何これ…!」思わずスマホを床に叩きつけようとし、そこには今まで見ていた彼との思い出が入っていることを思い出して躊躇する。
“大切な人に会いたいと思いませんか?”の件名。通知をタップして開かれたメールの本文には、私を馬鹿にしてるとしか思えない内容が綴られていた。
“一度別れた恋人にもう一度会いたいと思いませんか?
芸能人に会って付き合ってみたいと思いませんか?”
「…“亡くなった人に、もう一度会いたいと思いませんか?”」
実くんが無くなってから1ヶ月、立ち直るのには早すぎる。未だろくにご飯も食べられず、部屋もぐちゃぐちゃ。実際に恋人を亡くした私によくもこんなメールを送ってこられるもんだと怒りがふつふつと沸きあがる。
「ふざけんな!!」
1度投げようとしてやめたスマホを、壊れないように今度はクッションに投げつけた。
私は弱かった。彼なしでは生きられないと本気で思う。それだから、0時を回りベッドに潜り込んでからも、あのメールを忘れられないでいた。“完全オーダーメイド どんな人でも作ります。”URLとともに最後に綴られたメッセージが頭から離れない。どんな人でも。本当にそんなことが可能なのか。いや、イタズラメールに決まってる。いやでも、と頭の中で続く問答。その答えは結局最初から決まっていたようで、気づいたらそのリンクをタップしていた。
…どうやらこれは本当らしい。サイトを開いてみると、作って欲しい…いや、戻ってきて欲しい人の身長体重を始め、性格や口癖、趣味等々、様々な情報を入力する欄があった。これが詐欺サイトならとんでもないなと思いながらも、実くんの情報をこと細やかに入力していく。実くんが戻ってくるなら、戻ってきて欲しいという一心で、初めてあった日の出来事や、喧嘩したことなど、余すことなく全てを入力し終えた頃には、午前4時を回っていた。
“ご注文を承りました。”
新たに来たメールを確認し、私は目を閉じた。久しぶりに脳を働かせたからか、いつもより眠れた気がした。
実くんと再開してから、私は、徐々に半年前と同じくらいの量のご飯を食べられるようになっていった。「散歩しよ〜」と実くんが誘ってくれるから、外にも出るようになった。
ただどこへ行こうという目的地がある訳でもなく、とりとめのない話を2人でしながら、ゆっくり歩く。
犬を連れて散歩する人とすれ違えば、「あ!あそこのわんちゃん可愛いね〜!」「ね!僕らも飼いたいねえ」「ね。」と理想を話す。
「前髪切るの失敗しちゃったの。」と、前髪を抑えれば、「え〜短いの可愛くて僕好きだよ?」「からかわないでよー!」「あはは、ごめんごめん」と軽口を叩き合う。
空き地でこっそり花火をやっている大学生らしき人たちを見つければ、「あ、花火やってる。いいなあ」「花火今から買いに行こうよ!僕もやりたい!」「え!今から!?」「ほら早く!」と急遽花火をすることが決定する。
「先に落とした方がコンビニで何か奢りね!」「よーし、僕が勝つぞー!」
「…」「…」「…あっ!」「…やったあ!私の勝ちね!アイスが食べたい!」「悔しい〜もう1回!」「…しょうがないなあ」
その日にした線香花火が、まるで実くんのようで悲しくなった。実くんが勝ってよ、と言いたいのを頑張って飲み込んだ。
少しずつ体力も回復していった頃、大学の友人に出会った。
「え!どういうこと!?」
実くんと手を繋いで歩く私を見て、彼女は大声をあげた後、慌てたように両手で口を塞ぐ。しまったと思い、踵を返そうとするも、友人に捕まってしまう。
「…実くんって双子かなんかだったの?」
こそこそと耳打ちする彼女に、「んーまあそんなとこ」とはぐらかす。「なになにー?」と、割って入ろうとする実くんを引っ張り、「じゃあね!」とその場を足早に去った。この一件から、私は大学内で、影で色々と言われるようになったらしいが、そんなこと私にはどうでもよかった。隣に実くんがいればそれで良かった。
「おはよ。」
朝が弱い私を、実くんは毎日起こしてくれた。夜ご飯を毎日私が作っているお返しにと、朝ごはんは毎日実くんが作ってくれていた。
「んー、もうちょっと寝る…」と布団をかぶれば、「じゃあ僕も寝ようかな〜」と一緒の布団に入ってくる実くん。実くんの体温は私よりも高くて、それが心地よくてまた目を閉じる。結局2人してお昼前に起きることになり、いつも実くんの作ってくれた朝食は昼食になってしまう。それを謝れば、「僕も眠かったんだ〜」って口元を緩ませるから、その寝起きの表情にドキッとしてしまう。
「ありがとう。夜ご飯は何がいい?」
「んーとね、オムライス!」
「昨日もオムライスだったじゃん」
「あれ、そうだっけ?」
「も〜忘れないでよ〜!」
2人で顔を見合わせて笑い合う。全く、実くんはオムライスが本当に好きなんだから。「卵がいくらあっても足りないじゃん。」って笑って言えば、「じゃあ買いに行こー!」と彼も無邪気に笑った。
その日はいつもより長い時間、幸せを噛み締めるように手を繋いで歩いた。
翌日の午前9時頃、インターホンの音で勢いよく飛び起きた。隣でコードを繋いで眠る実くんは珍しくまだ起きておらず、そんな彼を起こさないようにと言い訳をし、そっと足音を立てずに玄関口へ向かう。覗き穴から外を見ると、インターホンの主は宅配便のようでほっと胸を撫で下ろす。手には汗がびっしょりと溜まっていた。
「…はぁい」
ドアノブに手をかけ、そろりと顔をのぞかせると、「宅配便でーす」と、いつかのお兄さんが顔を出した。
「サインお願いしまーす」と、間延びした声とともに渡される紙を受け取りサインをしようとした時だった。
「困りますよー、ちゃんと期限守ってくれなきゃー。」
頭に鈍痛。それとともに全てを察す。私は誰になるのだろう。まあ、何はともあれ、最後に聞いた声が実くんじゃないのは死んでも死にきれないな、とお兄さんを恨んだ。
「都内に住む女子大学生21歳が行方不明になりました。母親から、3日前から連絡が取れず、行方が分からないと警察に通報が入りました。今月に入って出された行方不明届けは今回で7件目となり、警察はこれまでの6件と何らかの関係があるのではないかとみて捜査するとのことです。警察は、都内に住む人々に注意を呼びかけています。では、次のニュースです。」
「あーあ。皆なんで約束守れないんだろーなー。まあその方がこっちも助かるんだけどさ。」
【取扱説明書】
p.99 レンタル期間は100日です。二度同じ人をレンタルすることは出来ません。………期間を破った際には、………ご自身が新たな商品となります。………この際、当社は一切の責任を負いかねます。