いきたい
リリアーヌの前世は日本に住んでいた病弱な少女だった。
少しも無茶ができず、すぐに熱を出し心臓が悲鳴を上げる身体。繰り返される入院と手術。おかげで、人生のほとんどをベッドの上で過ごした。
だから。
だからこそ。少女は貪欲に知識を求めた。
入学してからずっと通えていない高校の教科書。料理やハンドメイド作品のレシピ本。主人公の生きざまに心が震える冒険譚。緻密な挿絵が美しい外国の児童文学書。ニュースになるほどロングランになった映画の原作コミック。
本だけじゃない。
テレビ。映画。ゲーム。SNS。
ベッドの上にいたまま手を伸ばせる世界には、手を伸ばし続けた。
行きたい。友人の待つ学校に。
行きたい。心躍る冒険へ。
行きたい。ため息が出るほどロマンチックな恋愛の世界に。
行きたい。行きたい。行きたい。
――――生きたい
(もし、もう一度生まれることができるなら、私、今度は思いっきり外を走ってみたい)
そう涙を溢しながら、少女の生は17年で幕を閉じた。
――そんな願いが天に届いたのか。
真っ白な光に包まれ眠っていたリリアーヌは赤ん坊の声で目を覚ます。
それは少女が夢中になって手を伸ばした、憧れの世界……ラビントス魔法学園物語の世界に新たに誕生した自分の産声だった。
◆
魔法とドラゴンが存在し、豊かな森と鉱山、美しい海を有するアーヴァンド王国。
150年続く王家に長く仕え、穏やかな一族の気質ゆえ宮中での出世は無かったが、細々と貴族の暮らしを続けてきたアスタロッド伯爵家。
その伯爵家の長女として生まれたリリアーヌは幼い頃から聡明で、そして活発な少女だった。
「リリィ、そんなに急いで走ったら転んでしまうわよ。気をつけて」
「はぁいお母さま! でもそろそろ月光薔薇の結晶ができる頃なの! 私、待ちきれないわ!」
「温室に行くのも良いけれど、午後からはテーブルマナーの先生がいらっしゃるから忘れないでね!」
「はーい!」
太陽の光を受け青銀に輝く髪をなびかせながら、黄水晶の瞳を好奇心でいっぱいにした少女は手入れの行き届いた庭を駈ける。
リリアーヌ6歳。小花柄のエプロンドレスから伸びた足は軽やかに大地を蹴り、ふっくらとした頬はツヤツヤと健康的だ。
――そう。自分は今、こんな風に走っても息が苦しくならないし、心臓も痛くならないのだ。
無性に嬉しくなって両手を広げ、甘やかな花の香りが薫る風を受ける。
自分が生まれた世界は、ヒロインの恋愛のための乙女ゲームの世界。
更にそのゲームの世界の中で、リリアーヌはライバルキャラですらない、辛うじて【リリアーヌ】という名前がウィンドウに表示されていただけの脇役キャラ。
物心がついてその事実をハッキリと認識した時、それでもリリアーヌは神に感謝した。
だって。この身体は走ることができる。
だって。この手は欲しいものを本当に掴むことができる。
今度こそ自分は、行きたい場所に行くことができる。
あれだけ憧れた自由に手を伸ばせば触れることができるのだ。
この世界の主人公が自分でないことくらい、なんだって言うのだ。
けれど、ゲームで僅かな描写があった通り、リリアーヌの魔力はとても微弱だった。
火、水、風、木、雷、光、闇。
例えば水の魔法なら、魔力を持つ人間であればバケツ一杯ぶんの水を操れるのが一般的なのに対して、リリアーヌはコップ一杯ぶんの水を操るのが精一杯だった。それは火の魔法でも風の魔法でも同様だったので、どの属性の精霊とも相性が悪いらしい。
(やっぱりそこら辺のステータス設定はゲーム通りなのね……)
と言うことは恋愛のスペックも原作通り。きっと攻略対象たちのような煌びやかな男性たちに縁はなく、最終的に身の丈にあった人と結婚するのだろう。
そうリリアーヌは4歳の時に自分の魔法の才能と華やかな恋愛の可能性に見きりをつけた。
でもせっかく健康に生まれてきたのだ。どうせなら12年後に入学する予定の学園生活を楽しみたい。
何か自分にも、魔法以外の才能はないだろうか?
(例えばそう、原作ではステータス項目に設定されてない……錬金術とか)
原作では育成アイテムが欲しい時のミニゲーム程度の要素でしかなかった錬金術。道端の石ころをダイヤに変え、不老不死の薬をも作り出せるというその術は、魔法が大きく発展したアーヴァンド王国ではもはや寂れ忘れ去られ行く技術だ。
不老不死の薬など幻にも等しい眉唾物の話で、この国には栄養剤や眠気覚まし程度の薬を作れる錬金術師しか存在しない。
(でも、だからこそ錬金術に関する設定は甘そうよね……?)
それに。あのベッドの上で何冊も何冊も読んだ料理やハンドメイド作品のレシピ本。様々な分野の教科書に専門書。何度も何度も見た『作ってみた』や『やってみた』の動画たち。
それらの記憶は今でもリリアーヌの中にある。
ならば魔術よりは錬金術のほうが自分に向いているのではないか。そう閃いた2年前。今世を精一杯生きると誓った少女は、4歳で錬金術の習得にのめり込んだ。
6歳になった今では作れる薬もアイテムも増え、時々、家族や領地の人々から依頼を受けるほどになった。依頼主に言われるありがとうの言葉と笑顔はリリアーヌの心を温かく、明るくしてくれた。
皆に喜ばれるのが嬉しくて、リリアーヌはますます錬金術に惹かれていく。
今日も、領地の神父さまに頼まれた魔除けのクリスタルを作るための材料……月光薔薇の結晶の様子を見に温室に来ていた。
「うーん。もう少し青っぽい結晶の方が効果あるかなぁ?」
そう首を傾げ思案するリリアーヌの耳に、ガシャン! と何かにぶつかる音と悲鳴のような父の声が聞こえた。
「大変だ! 大変だっリリアーヌ!」
おっとりしていてお人好しで。ふだん声を荒らげることなどほとんどない父が転がるようにこちらへ走ってくる。
来る途中で転んだのか膝には草がついていた。
「そんなに慌ててどうしたのお父さま。お客さまとお話ししていたのではなかったの?」
「その! そのお客様が持ってきた書状が大変なんだよリリアーヌ!」
ガシッ! と、リリアーヌの肩を掴んだ父がますます声を大きくして叫ぶ。
「王様が、国王陛下が! お前に会いたいとおっしゃってるそうなんだっ!!」
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