18歳
「――というのが、リリィ……リリアーヌ=アスタロッド伯爵令嬢がアーヴァンド王国の聖女と呼ばれるようになった経緯ですわ。彼女のおかげで、母は穢れから解放されましたし、この国の穢れに対する憂いも無くなりましたの。なので父も母も、もちろん、わたくしもリリィには大変感謝しておりますわ。以来、カルブンクルス公爵家は全面的にリリィをバックアップしておりますの」
「なるほど。リリアーヌ嬢の評判は聞いておりましたが、まさかそんなに幼い頃から才能がお有りだったとは。お母様はその後ご健勝で?」
自分の名前が話題に出ていることに気付き、シンシアを探しに来たリリアーヌは足を止めた。
見れば、大理石で造られた玄関ホールで、シンシアが見慣れぬ異国風の男と話している。
「リリアーヌはわたくしの自慢の親友なんですのよ。母が穢れの呪いに倒れたのは6年も前のことですから、今ではもうすっかり回復しておりますわ。……アーヴァンド王国にいらしたのは最近でして?」
「はい、実は各国を巡って珍しい品物を探し歩いていたものですから。無知でお恥ずかしい限りです。こちらの魔法学園に来たのも初めてでして。いやぁ、世界にはまだまだ見たこともないものがたくさん有るのだと驚いております」
「そうでしたの。魔法と錬金術の才能を持つ若者たちは、我がアーヴァンド王国の輝く宝ですわ。明日の学園祭ではその煌めきを存分に堪能なさって」
シンシアは誇らしげに胸を反らし、肩にかかったホワイトブロンドを払う。男が感心したように相づちを打った。
――出て行くべきだろうか。しかし、あんなに持ち上げられている場に顔を出すのは気まずい。
(でも、みんなもう集まってるし……)
そう逡巡している間にシンシアは男と別れ、こちらに向かって廊下を歩きだした。そしてすぐにリリアーヌの姿を見つけ笑顔になる。
「リリィ! 生徒会室に行ったのではなかったの?」
「シアを呼びに来たの」
「ラウール様は? リリィを1人で歩かせるなんて」
「そんな、小さな子供じゃないんだから。学園の中くらい迷子にならずに歩けるわよ。シアもラウも過保護なんだから」
「わたくし達が心配しているのは迷子ではなくてよ。ラビントス学園にはあなたのファンばかりで、油断するとすぐに囲まれてしまうじゃない。この前なんて歩く度に下級生に話しかけられて、授業に遅れそうになったでしょう」
「うっ」
先日有ったばかりの出来事を指摘され、リリアーヌは言葉に詰まる。
ラビントス魔法学園に入学してもうすぐ3年。
最上級生になったリリアーヌには、どういうわけか下級生のファンクラブが存在し、行く先々で彼らに話しかけられてしまうのだ。
「同学年には親衛隊も結成されているしね」
「シアったらまたそんな冗談言って」
「冗談なんかでなくてよ。この学園の生徒……いいえ、この国の人間は大なり小なりあなたが開発し調合したアイテムの恩恵を受けている。感謝し、仲良くなりたいと思うのは当然でしょう? 謙虚なのはリリィの美徳だけれど、どうしてそんなに自己評価が低いのかしら?」
それは自分がリリアーヌだから。
……とは言えるわけもなく、リリアーヌは話を変える。
「さっきシアが話していたのはどなた?」
「明日の学園祭のために必要なものを届けに来た旅商人の方ですって」
「シアったらそんな人にまで私の話をしたの!」
「あら、あなたの素晴らしさをご存知ないようだったから教えてさしあげたのよ。お母様がリリィに救われたことも、カルブンクルス家があなたに感謝していることも、わたくし達が親友なのも本当のことでしょう?」
「それはそうだけど……」
恥ずかしい。
火照ってきた頬を冷ますため、リリアーヌは窓の外へと視線を向けた。
夕陽が沈みかけた校庭で、学園の制服を着た生徒達が学園祭の準備の最後の仕上げをしている。
色とりどりの旗に風船。
舐める度に味の変わる不思議なキャンディと、氷の魔法で作ったアイスクリームを売る屋台。その隣は占いの館だろうか。変化の魔法の練習をしている生徒もいる。
広い校庭の真ん中に造られた大きなステージは、使役獣のショーや錬金術で作成したアイテムのオークションのためのものだ。
「……最後の学園祭だねぇ」
「……そうね。学園祭が終わったら、半年であっという間に卒業ね」
乙女ゲームの舞台だったラビントス魔法学園。
入学当時、リリアーヌが真っ先にしたことは、ゲームの主人公であるヒロインを探すことだった。
メインヒーローの王太子。公爵令嬢のシンシア。国一の商家の息子や、騎士団員候補生などの攻略対象たち。
そしてモブ生徒のリリアーヌ。
入学式にはラビントス魔法学園物語に出演していた登場人物が揃っていたのに、唯一ヒロインだけが存在しなかった。
リリアーヌの学年が上がり、2年生になっても、3年生になっても、彼女は現れない。
親元を離れた全寮制の学園での生活は大変なことも有ったけれど、楽しく、充実した日々だった。あと半年しかこの学園で過ごせないのかと思うと、とても寂しい。
穢れによる呪いの問題も、国の自然環境を考慮した政策と、エンデの鏡のおかげで大きな問題にならずに済んでいる。
けれど、ヒロインの不在はずっと、リリアーヌの心のどこかに棘となって刺さったままだ。